モスクに戻ったアヤソフィア、当日前後の様子。 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

昨日の24日、アヤソフィアは86年ぶりに博物館からモスクになりました。

 

 

 

4世紀中頃からここは、正教会教会⛪️→カトリック教会💒→正教会教会⛪️→モスク🕌→博物館🏢→モスク🕌と、幾度もその役目を変え、なんとも数奇な運命を辿ったものです。

 

名前も、アヤソフィア博物館から アヤソフィア大モスクAyasofya-i Kebîr Câmi-i Şerîfiという昔の名前に戻りました。

 

 

窓から見えるアヤソフィアはいつもと変わらないけど、

 

 

 

中身はモスク仕様に少し変わり…

 

博物館時代は目玉の1つであったモザイク画は、偶像崇拝を禁じるイスラームの礼拝場所に見えてはならないので、礼拝時間だけ覆うためのカーテンが設置され、

 

しかしいわゆる集団礼拝の時間(各礼拝時間帯の入り時間、アザーンの後、全員一緒に礼拝をする)以外は観光客が入れるのですが、モスクってそれ以外の時間も各自で礼拝する人がバラバラと訪れるのに、その場合はカーテンどうするのだろう?

 

 

床一面に絨毯が敷かれ。そっかーそうだよね、これからは靴脱いで歩けるんだー

 

 

 

この絨毯の色や質は賛否あるようですが、考えてみたら、色はともかく機械織り絨毯えーであることはトルコでは普通。ブルーモスクも、スレイマニエも、トルコのモスクの絨毯は機械織りの連続模様がデフォだわ。

 

 

 

 

他の国のモスクでは、大きなモスクは絨毯も贅を凝らして、巨大な手織りペルシャ絨毯を敷きつめていることもありますが、

 

去年行ったオマーンのモスク。絨毯も内装も超絶美しかった。

 

 

トルコでそういうのって、あんまり聞かない気がするなぁ。清掃や交換しやすいためかな?

もちろん昔は、機械織りなんて無いので手織絨毯でしたけども。

 

 

19世紀のブルーモスク、17世紀のスレイマニエに敷かれていた絨毯(アヤソフィア後ろの絨毯博物館所蔵)

ふむ、この頃からトルコのモスク絨毯は1人ずつの区画を区切る図柄で、ペルシャ絨毯の花柄みたいのはないんだなぁ…。

 

 

さて、アヤソフィアが再びモスクとなったお披露目の日。

 

この日は金曜日で、ご存知のようにクリスチャンにとっての日曜日みたいなもので、ムスリム男子はモスクでの集団礼拝が宗教上の義務になっている曜日です。

 

この金曜礼拝が、新生(?)アヤソフィアの、モスクとしての第一歩。

 

 

 

アヤソフィア周辺では、前日の夜やその日の朝の礼拝時間から、金曜礼拝(昼)に参加しようという人たちが、集まっていたそうです。

 

 

 

この人の量、すごい!!ポーン

私こないだまたこの近くに行きましたが、ぜーんぜん人がいなかったのに。

一説には30万人集まったとか?

 

広場と道の灰色でブツブツしているのが人です…!

 

 

礼拝時間の数時間前からは、アヤソフィアの最寄りの複数のメトロ駅は封鎖され、そこを通るメトロも運行しなかったとか。前夜から封鎖だった車道もあったよう。

 

集団礼拝に参加希望の人たちがやってくる道筋には、健康チェックポイントなどが設けられ、救急車なども用意され、体温チェックも行われます。

 

 

 

使い捨ての礼拝用絨毯(シートのようなもの)と、水のボトルが配られてました。

記念になるし、プレミアつきそうだから、このシートだけ貰いに行きたかった。←日本人的発想ニヤニヤ

 

 

 

モスク内は大統領や大臣などの要人が入ったので、一般の人は入れず…いずれにしても、人が多すぎてソーシャルディスタンス取って収容するのは不可能なので、アヤソフィア周辺の広場や歩道が礼拝所として使われました。

※モスクの外の地面で礼拝するのは、通常時でも人が溢れた時にどこのモスクでもやります。

 

 

 

内部の礼拝後の様子

 

 

 

 

金曜礼拝の後には、フトバと言って宗教指導者がミンバル(階段付きの講壇)に乗って説教をする時間があるのですが、この日ミンバルに登ったトルコ宗務庁の大臣の手には、なぜか剣🗡ポーン

 

 

 

これ、コンスタンチノープルがスルタン・メフメット2世に征服されてアヤソフィアがモスクになってから、1934年に博物館になるまでずっと続いて来た、このモスク独自の伝統だそうで。

 

右手に剣を持つと強さや敵に対する脅威ナイフを示し、左手に持つと平和🕊を意味するのだとか。

まぁ征服王と言われたメフメット2世ですからね…

 

 

そのミンバルの屋根の方には、2つの緑色の旗が揚げられているのですが、これはオスマン帝国のある時代以降「征服」を意味するものだったそうです。

 

 

 

金曜礼拝のあと、大統領はスルタン・メフメット2世の廟に詣でたそうで、みんな気分はコンスタンチノープル陥落時代に飛んでいたんでしょうね。

 

 

記念コインと、記念切手も発売されました。

 

  

 

 

しかし、4世紀に建てられて以来、アヤソフィアは長いあいだギリシャ正教会の総本山である総主教庁が置かれていた教会。

 

これまでも、イスタンブルを訪れたギリシャ人🇬🇷はアヤソフィアを見て涙を流すとは聞いていましたが、この日、ギリシャでは教会や神殿で半旗が揚げられたのだそうです…😢

 

 

 

私個人はムスリムだけど、この聖母子像と「アッラー」と書かれた飾り板が隣に並んでいたのが、キリスト教とイスラームの共存を表しているようで、そしてこの街の歴史を凝縮しているようで、とっても好きだったなぁ。

 

モスクになってもモザイク見れるからいいじゃない、ってのとはちょっと違うんだよね…。

 

3月に行った時に撮った写真。たまたま友達を案内して行ってて良かったな。