どんだけエディルネを掘り下げるんだこのブログ、って気もしますが…
これまでに書いたモスク以外の見どころ、周ります。
エディルネで忘れちゃいけないのがヤール・ギュレシ(=オイル・レスリング)というトルコ相撲。
年に1度のクルクプナル全国大会が行われる競技場は、エディルネにあります。
大会の時期でなくても、競技場や博物館でヤール・ギュレシに関する展示が見られました。
この大会は、14世紀にムラド1世によってエディルネで始まりました。
しかしオイル・レスリング、4500年前の古代エジプト時代からという歴史ある競技ではありますが…
オリーブオイルを塗りたくってヌルッヌルになったむくつけき男どもが、唯一掴める場所である相手の皮ズボンの中に手を突っ込んでがぶり四つの図を繰り広げるのは…、なんともうぅ〜ん
でございます。
もちろん大事なところへのお触りは厳禁でございますよ…
競技場の裏手にあるのが、私が1番興味あったエディルネ宮殿 Saray-ı Cedid-i Amireの跡地!
イスタンブル陥落前から建てられ、敷地内に各時代に建物を増やしながら19世紀まで使用された…とのことです。
…が!
絶賛修復中のため閉鎖…。
わびしく塀越しに写真を撮りました。。。
私好みの佇まいな「幸福の門 Bab üs-Sa'ade」…作業員用のプレハブに隠れて見えない…。
2枚目に全体像のわかる拾い画像を置いておきます。
メインの王宮で、メフメット2世の息子悲劇の皇子ジェムが生まれた館でもある「眺望城 Cihannüma Kasrı」…裏側しか見えず
露土戦争時に、ロシアに渡すもんかとオスマン軍が爆破したそう…えっ
爆破前の写真を見ると変わった形をしてたようですね
トプカプ宮殿の厨房と似てるな…と思ったら、やはり厨房だったらしいMatbah-ı Amire。
しかし、このペッカペカなレプリカみたいな修復され具合はどうよ!!昔のポストカードの写真(写真2枚目)を見ると、イイ感じなのに…。
裏側から比較的よく見えた「正義の館Kasr-ı Adalet」
スルタン・スレイマンがミーマール・スィナンに建てさせたもので、御前会議などに使用したらしい。
塔の下、右手に見える二つの石の柱は、右の「尊敬の石Seng-i Hürmet」は民がスルタンへの請願書を置くもの、左の「警告の石Seng-i İbret」は、高位の罪人の首を晒す場所だったんだとか…
だからって、後ろに立ってこんな写真↓を撮るトルコ人が続出…悪趣味すぎるからッ‼️
他のオスマン時代の建築物では、市内のトゥンジャ川にかかるトゥンジャ橋とメリチ川にかかるメリチ橋も雰囲気あって素敵。
エディルネの語源となったローマ時代(2世紀)の城壁都市ハドリアノポリスの跡地は、中心部にありました。
城壁はビザンツ時代、オスマン帝国時代も増築しながら使われたものの19世紀に壊され、時計台や火の見櫓として使われていたマケドニヤ塔が出ているのみ。
近年になって周囲の城壁の発掘が行われているそうです。
他宗教・多民族が共存した街、トルコ最大にしてヨーロッパでも3番目に大きいシナゴーグ🕍、エディルネ・グランド・シナゴーグ Edirne Büyük Sinagoguもあります。
厳かな雰囲気を想像していたら、パステル調の可愛い雰囲気にビックリ。
ここにシナゴーグができたのは、なんと15世紀!!
ヨーロッパでの弾圧を逃れてオスマン帝国領に亡命してきたユダヤ教徒(セファルディム)の時代からだそうですよ。👀
20世紀初頭の火事で焼け落ちたところ、スルタン・アブドゥルハミド2世の勅令によって再建されました。
イスラームのカリフがユダヤ教の礼拝所を建てさせる…オスマン帝国ってこういう国だったんですよねぇ…。
現在の姿は、1980年代までにユダヤ人口が激減し、傷んでいたのを2015年に修復したもの。
今も宗教施設として現役だそうです。
教会もいくつもあって、その中の1つは1880年建立の聖ゲオルギー・ブルガリア教会Sweti George Bulgar Kilisesi ですが、この日は閉まってて中に入れず。
外から写真だけパシャリ。内部の画像はお借りしました。
かなりモリモリ盛りだくさんですが、これでもまだベヤズィット2世の医学博物館とか、行ってない場所もあるんです。いやぁ、見どころいっぱいですね。
次はエディルネの銘菓のお土産について書いて、エディルネ旅行記を終わりにします🖋