エディルネ旅行②〜古いモスクがいっぱい♡ | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

セリミエばかりが取り上げられがちなエディルネですが、ほかにも魅力的なモスクがいっぱい💕

 

コンヤやブルサなどの古都が好きで、しかもトルコ中に溢れるポスト・スィナンな画一的モスク😟に食傷気味の私は、1400年代以前の古いモスクや、教会を転用したモスクに心惹かれる今日このごろ。

 

この点で、古都エディルネのモスクはかなり期待できます🙌

 

 

まずは、🕌ウチ・シェレフェリ・ジャーミーÜç Şerereli Camii🕌

 

 

 

建立年・建築家ともに不明で、1410年、1437年、または 1447年に、ミーマール・スィナンの師匠ミュスリヒッディン・アーMüslihiddin Ağaによる?という説があるそう。

 

 

面白いのは4本あるミナレットが全て違うデザインなところ。。。

 

火事や地震で何度も修復されたそうなので、それぞれの時代に違う形のミナレットをつけられちゃったのかな。

 

 

 

 

ウチ・シェレフェリとは、「3つのシェレフェ(ミナレットのバルコニー)を持った」という意味ですが、そういうミナレットは1本だけのような。

 

2枚目の写真のミナレットのデザインから、Burma(ねじれ)  Camiiとも呼ばれるそうです。

どこかのサイトでBurmaを同音異義のミャンマーととって、ミャンマーモスクと訳していたけど…やっちまったな!系の間違い💦

 

 

モスクの中はこんな感じ。

古い時代のモスクらしく、壁などの装飾が比較的シンプル。

 

​​​​​

 

無骨な全体の割りに、メインドームにはこんな、華やかな唐草模様。

一般的なオスマン朝モスクにはあまり見られないような、イランぽい感じ(←個人の感想です😀)がする…。うぅ〜ん、面白い…。

 

 

 

他のドームの内側もこんなで、さらに東に進んで中国あたりの影響すら感じるような色使いと模様…。

 

 

 

 

ミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)部分。

ここのタイルもトルコであまり見ない図柄ねと思ったら、「タブリーズの職人集団」によるものと考えられているらしく、イラン流のものらしい。

 

 

「タブリーズの職人集団」はブルサのイェシル・ジャーミーのタイルに署名を残している。イェシル・ジャーミーもめっちゃ好きなモスクです。

 

 

外の回廊のアーチの内側の柄も、カラフルで中国っていうか、プラナカン焼きを思わせるわ…。

 

 

 

次は、🕌ムラーディエ・ジャーミー Muradiye Camii 🕌

 

今日ではロマの人たちの居住区となっている、治安がちょい心配?丘の上にありました。

 

 

 

1926-1435年あたりに建てられ、建築家は不明。

かつてはマドラサやイマーレットなどの宗教施設を揃えていたものの、今残っているのはモスクだけ。

 

外観が質素すぎて、「あれ、ここってわざわざ見にくる価値のあるモスクだったっけ」と思いかけたら、中が凄かった!

 

 

 

まず目を奪われるのは、総タイルばりのターコイズのように煌めくミフラーブ!

 

 

 

他の国ならけっこうあるけど、トルコってあんまりこういうタイルなどの装飾ギラギラ!なミフラーブ無いのよね。うーん、イランやウズベキスタンを思わせるわぁ。

 

…と思ったら、このタイルも例の「タブリーズの職人集団」たちが作ったのでは、と言われているらしい。。。

 

だけども、ミフラーブ以上に気になるのは、この壁一面に描かれていたであろう、手描きの装飾!!

 

 

 

 

壁画っていうだけでも面白いのに、描かれているパターンも、全然トルコの他で見ないような、ボタニカル柄や、メダリオンや緻密な唐草模様…。ペルシャやムガールを思わせるぅ

 

 

 

 

ドーム内側のメダリオンは、唐草と組紐みたいな文様が複雑に絡み合った、ペルシャ絨毯のような緻密な美しさ。

 

 

 

そしてミフラーブの上部に描かれた、建物?のならぶ街並み風の絵、なんなんだーこれ!偶像崇拝の禁じられるモスクで、こんなハッキリと建物とわかる絵を、よりによってミフラーブの上に描くとは。。。建物の柱はギリシャ風だし、意味不明すぎる。

 

 

この部分は19世紀のものという説も…

 

 

ざっと調べても壁の手描き装飾について詳しいことは出てこなかったけど、勝手に推測ニヒヒするに、きっと15世紀初頭のオスマン朝は、まだ芸術の分野で独自の技術やスタイルを確立するには至っていず、ペルシアなどから優れた職人を呼んで作らせ、そういうのを見ながら17世紀ぐらいまでにオスマン・スタイルっていうのが出来上がっていったんじゃないかな…?

 

あたし全然建築とか美術のこととか勉強してないのに、超勝手なこと言ってますよおいで

 

 

最後に、1414年建立で、エディルネでもっとも古い🕌エスキ・ジャーミー Eski Camii🕌

 

 

 

エスキとは「古い」という意味で、先ほどのウチ・シェレフェリ・ジャーミーが出来てから呼ばれるようになったとか。

 

ドームの形が変わっていて、太い円柱の上にドームが乗るスタイル。メインドームはなく、同じ大きさのドームが複数並んでいます。

ブルサのウル・ジャーミーもそう、技術的に大ドームが作れなかったからでしょうか。

 

 

 

入り口からして渋い。ドアの右手にはただアッラーと書いた巨大なカリグラフィー。左手にはムハンマド。

 

 

 

 

内部もこんな感じで、壁にはタイルなどの装飾は無く、大きなカリグラフィーが書かれています。

ブルサのウル・ジャーミーも同じ。古い時代のモスクに共通するかな。

 

 

 

ウル・ジャーミーを見た17歳✨👧時は「地味だなぁ、タイルがいっぱいのカラフルな方が好きだな」と思いましたが、最近は歳のせいかこういうワビサビっぽいモスクに惹かれます。

 

 

カリグラフィーは18世紀頃からに書かれており、トゥーラ(花押)はアブドゥルハミド2世のもの。

 

 

でも9個あるドームの内側には、華やかな唐草模様。

いろんな時代に修復されているので、様々な柄のパターンが。ただ、 2枚目の写真のものなど、修復して新品感✨ありすぎて、ちょっとどうかなぁという気もする。

 

 

 

 

入り口すぐのドームは、古い時代(といって建立当初ではないだろうけど)の見事な装飾画が残っていて、比べ物にならない素晴らしさ。

 

 

 

 

見どころとしては、奥の壁にはカアバ神殿🕋の石、と伝わるものが壁に埋め込まれています。

 

 

 

ミンバル(説教台)の横には、スルタン専用の礼拝場所が残ってます。

これを作らせた頃のスルタンは、そんなに身の危険を感じていたのだろうか。

 

 

 

 

ミンバルといえば、面白いことを知りました。

 

先日、アヤソフィアがモスクに変わった件の記事で書きましたが、あの金曜礼拝で注目されたことの1つが、導師が剣🗡を手に説教を行ったことでした。

 

 

 

なんっと、このエディルネのエスキ・ジャーミーでは、今までずっと剣を手にフトバが行われているんだそうです‼️


 

 

 

オスマン帝国時代、剣によって新たな都市を征服すると、そこで行われる最初の金曜礼拝で、スルタンが剣を手にフトバを行ったそうで、エディルネでは1361年にムラト1世に征服された時から始まったとか。

 

エスキ・ジャーミーは何人かのスルタンが即位のための帯剣の儀を行い、即位式は金曜に行われたので、即位して最初のフトバを帯剣したスルタンが行ったことから始まった、という説もあるようですが…。

 

 

 

 

それぞれに魅力的なモスクがいっぱいの、エディルネでした。

 

次はモスク以外の見どころを回ります!