スパイシーdays

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世界各地の「スパイシー」を追いかける

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クックパッドブログに掲載していたものですが、サービス廃止に伴いこちらに転載します。

 

2016/3/31

 

私の作る料理の中でオットがとくに好きなのは餃子。

 

手作りの薄い皮に、ニラや長ネギ、白菜の刻んだのをこれでもかと入れて、肉よりも香味が口いっぱいに広がる我が家の味。

オット好みに羊の挽肉を使うけど、香味野菜を沢山入れるのは大叔母の餃子の影響なのだ。

 

 

 

祖父母の家族は、どちらも台湾で生まれ育った日本人家庭。

 

戦争中の日本の版図を象徴するように、台湾で育った大叔母(祖父の姉)は、成人すると満州国の、ある高官(満州人)のもとへ嫁ぐことになった。

 

結婚生活の最初は幸せなもので、ライラックの咲き乱れる庭のある屋敷で、大叔母は絹のチャイナドレスと貂の毛皮を纏って暮らしていた。

満州の言葉も覚えて、高官の妻として家の中を取り仕切っていた大叔母だったが、日本人女性としてこれだけは譲れないとして、トイレの掃除と自分の下着の洗濯だけは、決して沢山いる女中にはまかせなかったという。

召使いにすべての身の回りの世話をさせて当然だった満州の上流社会で、大叔母のそういった大和撫子的振る舞いは驚かれたと言う。

 

 

しかし戦争が終わると、大陸では親日派と日本人を敵視する勢力が台頭するようになる。

日本人狩りがすすむ中、大叔母は屋敷から僅かな荷物だけを持って逃げ出さねばならなくなった。

 

最終的に大叔母が日本にたどり着いたのは終戦から七年後。

台湾から日本に引き上げていた家族は、こんなに時間が経つ中で、大叔母が満州で死んだものと思っていたらしい。

 

大叔母が一足先に逃亡している七年の最中、夫であった満州人高官が、親日のかどで責められ処刑されたいうことは、後に知った。

 

戦後の何も無い時代、大叔母はやっとのことで都内に小さな店を手に入れ、大陸時代に覚えたラーメンと餃子の店を始めた。

店の名前は「丁花(ティンシャン)」。満州の言葉で、あの懐かしい屋敷に咲いていたライラックの花を意味する。

 

 

 

大叔母の店は大陸仕込みの本格的なもので、ラーメンも餃子も、注文が入ってから丸めておいた生地を製麺したり、麺棒で皮を延ばしたりして作られるものだった。本格的な味と大叔母の気さくな性格のおかげで、すぐに人気店になった。

 

子供のいなかった大叔母は、結婚はせず、店をやりながら養子をもらって育て、彼女が高齢になって店を引退した後はその息子が店を引き継いだ。

 

 

養子の息子が結婚してから一人暮らしをしていた大叔母は、十数年前のある日そっと息を引き取った。

 

生前から身辺整理をしていたらしい大叔母は、部屋に大した荷物を残さなかった。

 

我が家にやって来た遺品は、茶箱が一つだけ。

中に大切そうに入っていたのは、黒い絹のチャイナドレス、真珠のネックレス、キツネの毛皮のショール。どれも満州時代の品だった。

 

いつもしゃっきりとしていて、壮絶な人生に泣き言など言わなかったけれども、店にライラックと名付けたり、チャイナドレスを後生大切に持っていた大叔母は、人生の中で一番幸せだった満州時代の想い出と悲しみを、肌身離さず心の中に抱きしめていたのかもしれない。

 

 

 

棒状にまとめた生地を、包丁で輪切りにして、それを一つずつ麺棒で延ばしては餃子の皮にする。

その作業をしながら、時々そんな大叔母のことを思い出す。

 

そして、壮大な事実に気づいて、ちょっと目眩を覚える。

 

この世界に生きるすべての人の人生それぞれに、こんな深くて長い物語がきっと秘められている。そして、どんな料理の一つ一つにも。

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2015/10/14

 

もう遠い遠い昔のようだけど、いつでもその匂いや温度を鮮やかに思い出せる、トルコで過ごした高校生の日々。

 

 

 

 どんよりと暗い雲が毎日たれこめ、ボスフォラス海峡の冷たい水を含んだ風が頬を叩きつけるような冬のイスタンブール。

 

授業を終えてホストファミリーのアパルトマンに戻ると、室内はセントラルヒーティングでふわっと暖かくて、ホストファミリーのアンネ(お母さん)もババ(お父さん)もキッチンにいて、

 

「蜘蛛?帰ったの?さぁさぁ、ごはん食べなさい」

 

とキッチンの小さいテーブルに手招きされる。

 

冷たい空気をまとったまま、アンネやババと両ほほにキスをして「ただいま」の挨拶をする。

 

サロンには大きな食事用のテーブルがあるけれど、そこはきれいなテーブルクロスや花瓶で飾られていて、お客様が来る時しか使わない。

普段はキッチンの小さなプラスチック製のテーブルで、来た人から順に食事を始めるのは、トルコの家庭ではよくあること。

 

私がトルコの高校の制服のままキッチンに座ると、すぐさま目の前に、厚く切られたバタールのようなトルコのパンと、くし切りにしたレモンが沢山と、レンズ豆とかトマトとかの温かいスープが、ぽんと置かれる。

 

スープにレモンをたっぷり絞って、塩と並んでテーブルに置いてある粗挽き唐辛子をちょっと振って、パンを千切ってスープにつけながら食べる。

 

そうしていると目の前に、お米と一緒にとろりと炊いたリークだったり、柔らかく煮たカリフラワーだったり、鍋いっぱいの葡萄の葉で挽肉とご飯を巻いたものだったり、ポテトとレバーをトマトで煮込んだものだったりが、これまたポン、と置かれる。

 

「蜘蛛、いっぱい、いっぱい、食べるんだよ。食べる食べる食べる!」

 

2mちかい身長の大きなババが、まだトルコ語があやうい私に分かるように、かんたんな言葉で話す。

この家族はみんな身長が高いのと、言葉ができなくて幼く見えるので、私はババにufaklık(おちびちゃん)と呼ばれていた。

 

そのうち、この家の娘で、私の無二の妹であるトゥーチェが帰ってきて、私と同じようにキッチンに呼ばれて、家族全員にキスをしてから、私の向いに座る。

 

アンネはキッチンの窓を少しあけてタバコを吸いながら、私達に今日あったことを訊いたり、自分が今日耳に挟んだニュースを話したり、全然関係ないけど突然気になったことを話しはじめたりする。

 

ババは静かにコンロの前で、食後のチャイを用意しながら、ほんの時々口を挟む。

 

その間にも私と妹トゥーチェは、テーブルの上の料理にレモンをかけたり、汁にパンを浸したりしながら、せっせと口に運ぶのに忙しい。

とくにカリフラワーやリークは私達の大好物だった。

キャセロールにやまほど作ってあっても、2人が帰って来るやいなやきれいに無くなるのでアンネは喜びながらも驚いていたもの。

 

食べ終わったタイミングでババが淹れてくれたチャイを飲む。もちろん小さなガラスのカップに、角砂糖を二ついれて。

 

 気がつくと外はもう真っ暗になっていて、アンネが開けた窓から冷たい風が入ってくる。

けれど、4人が入るのがやっとの小さいキッチンは、質素な幸せに溢れた温かい灯りをその窓にいつも映していた。

 

イスタンブールの冬は寒くて暗いけれど、私には寒かった記憶がない。

 

 

 

 

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2015/11/09

 

大学を卒業後ドイツで働いていた親友が結婚を機に帰国して、私にとって最も好きな時間の一つが、彼女と一緒に料理を作ることだった。

 

 

 

彼女の家のキッチンに立って、彼女が海外のサイトとかヨーロッパで買った美しい料理本から目星をつけておいたレシピや、私が旅先で覚えてきたレシピなんかをもとに、献立を考える。

 

そして、素敵な音楽をかけて、美味しいドリンクを飲みつつ、もちろんたっぷりとお喋りしながら、時間をかけてのんびりと料理する時間。

 

 

 

お互いのことは何でも分かっているから、「みてこのレシピ、絶対好きそうだと思ったんだ!」とドンピシャなものを親友は見つけてくるし、私は冷蔵庫をあけて当然のように昨晩の使いかけの玉ねぎから使うし、食べたいなぁと思ってたものが偶然一緒だったこともしょっちゅう。

 

かんたんにレシピをさらった後は、特に決めなくても自然に役割分担して作業は進んだ。

 

料理が出来上がるころには、親友のご主人ともう一人の親友がやってきて、キャンドルをつけて、4人でわいわい食事をするのが定番。

 

 

 

 それぞれの誕生日や、引っ越し祝いやベビーの誕生祝いなんかイベントも、親友宅にあつまって、広々としたサロンの大きなテーブルに、お手製のカラフルな料理やケーキを並べてお祝いするのが常だった。

 

 一緒に色々作ったなかでも、特に思い入れのある料理は、モロッコ料理のパスティーリャ。

 

親友夫婦が新婚旅行でモロッコに行った際、一番気に入った料理がパスティーリャだったとのことで、英語のレシピを2つくらい比べながら二人で作ってみたところ、親友のご主人も大絶賛、私達も大満足の味に出来上がった。

このレシピが私たちの鉄板になり、それ以降は自分たちのメモを見て作るように。

 

紙より薄いパート・フィロの一枚一枚に溶かしバターを塗るなど手間がかかって、一人で作るのは腰が重い。

パスティーリャをどっちかが食べたくなったら、集まって二人で一緒に作るののが定番になった。

 

親友の旦那さんなどは、私が家にいるのを見ると「今夜はパスティーリャ?」と期待するほど、みんなのお気に入りの一品になった。

 

            *     *     *    

 

 

 昨晩の夕食に、トルクメニスタンに引っ越してきて初めてパスティーリャを作った。

 

スーパーで買ったバクラヴァ用の生地が余っていたので、パート・フィロの代わりに使ってパスティーリャを作ることを思いついたのだ。

 

親友と何度も作ったおかげで、今では海外で一人でも気負わずパスティーリャを作れる。

 

フライパンからスパイシーな香りが広がると、親友と一緒に料理を作った時間の記憶がみるみる蘇える。

スパイスをついつい予定より多く入れてしまう私は、よく「オリジナルの味じゃなくなる!」と親友に叱られたなぁ。

でも、今日もやっぱりスパイスやショウガは多めだよ。

 

 

 

今回はプルーンの代わりに、ここ中央アジア名産のドライアプリコットとレーズンを使った。料理が甘くなるのが苦手な主人のために、粉砂糖は使わず、飾りのシナモンも控えめにした。

 

いろんなことが変わってしまった。私の暮らす環境や家族、料理に対するスタンス、親友との物理的距離。

 

でも、パリッとした皮と一緒に中に詰めたスパイシーなチキンを口にふくむと、それは初めて作った時に親友と感動したのと同じ美味しさだった。

 

 「パスティーリャを作ったよ」ってメッセージしてみよう。きっと、「私もちょうど女郎蜘蛛のことを思い出していたよ」って彼女は言うと思う。いつものように。

 

  親友との友情は、この先どこにいっても変わらない。そう、人生の変化に合わせて少しアレンジはされても、パスティーリャの美味しさが変わっていないように。

 

 

新ブログからの転用です。

 

 

イスタンブルのトルコ世界 文化横丁で行われていた、テュルク諸国の独立30周年を記念するイベントウィークの、「トルクメニスタン🇹🇲の日」に行って参りました!

 

 

まずはトルクメニスタン館🇹🇲から!

 

 

 

中の一部屋はこんな感じ。大統領の写真が懐かしい…

 

 

 

奥の部屋は、トルクメニスタンの偉人たちを模したマネキンと、その説明でした。

うん、あんまり面白くはない😅 この施設のどの国の館もそうだけど。

 

 

 

建物の外の、各国の手工芸作家の特設ブースでは、トルクメニスタン代表として人形作家さんがいました。

 

 

 

トルクメニスタンでも民族衣装を着た人形はたまに売ってて、買おうかなーと思ったりもしたけど、クオリティがイマイチでついに買わずに来てしまったのですが…

 

ここのはめちゃくちゃクオリティ高い!びっくり

 

服の刺繍といい、小物といい、細部まで完璧に再現されていて精巧!ほすぃ!チュー

 

 

 

でも販売会ではなく、あくまで展示ということだったので、イベント終了したらトルクメに持って帰っちゃうのかしら、それとも大使館とかに寄付するのかしら…不満と思いながら、

 

コンサートの時間ルンルンなので、広場に向かいました。

 

 

行ってみてビックリ!びっくりハッ

 

日曜日ということもあってか、ウズベキスタンの日の5倍以上の人が来てる。しかもほとんどがトルクメニスタン人?!

 

民族衣装のコイネク姿の女性も何人もいるー💕

 

 

公演も、歌手と太鼓と音響の人しかいなかったウズベキスタンと比べて、何人もの楽器演奏者が来ているトルクメニスタン!

 

 

 

しかもしかも、歌手が歌っている間に、なんと!来場者にトルクメニスタン🇹🇲とトルコ🇹🇷のミニ国旗、そしてハンドサニタイザーシャンプーの配布まであり!

 

これだけの数の来場者が国旗🇹🇲をフリフリすると、図的にすんごい盛り上がり感キラキラ

 

私ももちろんもらいました…🇹🇲のだけ。笑

 

 

歌は私でも知っているような有名なナンバーが次々と!

そしてやっぱりトルクメン人、踊る!踊るしかない!

 

フォォ〜‼️もう、これ完全にトルクメニスタンの空気じゃんッッ😍‼️

 

 

 

満を辞して出て来た踊り子たちも、数も多いし、ちゃんと民族衣装バッチリだし…!

 

 

 

それに踊りも可愛かったのよ‼️動画で全編どうぞ!

 

 

 

 

数日前のウズベキスタンの気軽さと比べて、このガチさはどうよ!

 

いや、完全にトルクメニスタンの勝ちでしょ!😤😤😤

↑何かとウズベキスタンに対抗するトルクメファン…😅

 

 

というかやっぱりトルクメニスタン、国の名前を背負って開催するイベントに、生半可なことはやれないよねぇ。

 

 

 

いやぁ、それにしても‼️

トルクメンの民族衣装はやっぱり可愛いのぅ…。

 

男は黙ってテルペックでしょう、やっぱり。

 

この羊毛帽子のことね

 

 

その後も次々と歌手による歌が続く中、

 

アレやらないのかな…アレさえ聞けたら私はもう今日ここに来た甲斐があるんだけど…アレだけ聞きたい、見たい…」

 

と思っていたら、やっぱりやるよね、アレ!

 イントロの段階で、私もふくめ皆ながヒューッってなった!

 

 

 

そう、クシュデプディKüştdepdi

 

体をひねるように手を前に投げ出す特徴的なステップの踊り。

 

もとはトルクメニスタンのカスピ海沿岸地方の伝統舞踊だったんですが、今や国民的ダンス🇹🇲になり、祝いや人が集まった席では欠かせず、とにかく盛り上がる‼️

 

国一級の舞踊団が踊るとこんな感じ↓

 

 

クシュデプディの後も、何曲もの歌でみんな踊りまくって、まるでトルクメニスタンの結婚式に参加した時みたいで、懐かしい気分でした…。

 

 

音楽が終わると、食事のサービス。ラブ

 

で、トルクメニスタンの代表的な料理と言えば…やっぱりドグラマdogramaでしょ‼️

 


 

他の料理は、プロフとかシャシュリックとかソムサとかね…中央アジアの近隣諸国と同じものが多い中、ドグラマは正真正銘のトルクメン料理なんです。

 

細かく手で千切ったパンと細かく切った肉、玉ねぎスライスを、骨付き肉からとったスープに浸して食べる料理。

 

 

 

本番ではとても美味しいハレの日のご馳走で、特にオットの大好物でしたが…今回提供されたのはかなりイマイチでした真顔ガーン

 

スープの量がたりないのかパンが硬いままだし、肉の割合も少なくて味が…。

 

うーん、やっぱ食はウズベキスタンの勝ち🇺🇿かなぁ…。(だからなぜウズベキスタンに対抗する😅)

 

食事をもらうために並ぶ列…

 

 

食事のあとは、ウズベキスタンの日と同じように、トルコの旅行会社によるトルクメニスタンの紹介を聞きに。

 

 

 

前回のウズベキスタンは絶好調だったガイドさんが解説しましたが、この方は前回オフレコで「トルクメニスタンにだけは行ったことない」と言ってたので、ウズベキスタンの時ほどは精彩に欠けた印象。百聞は一見にしかずですよねぇ。

 

 

それを出て戻ってきたら、なんとまた広場で音楽演奏が始まっていて!

 

しかも、いきなりさっきの舞踊団によるクシュデプディが始まった!ガーンアセアセ

 

ぎゃぎゃ!ちょっとまって、これは見逃せない‼️ダッシュダッシュダッシュ

 

と、なんとか隙間からやっと覗き込んだ!

 

 

 

うふ〜ん照れ、みんながワラワラと踊るのもいいけど、こうやって振り付けがちゃんとされて、練習した子が踊る激しいクシュデプディはたまらん!

 

他の方がインスタにあげてた、正面からの動画も上げちゃう。

 

 

 

というわけで、なんともトルクメニスタン気分を堪能させてくれたイベントで、行って良かったです〜ラブ飛び出すハート

 

やっぱりトルコって、中央アジアが地理的だけでなく、精神的にも身近ですね。

 

 

余談ですが、踊りの輪の中にトルクメ🇹🇲マスクをしてるお兄さんがいて、欲しかったわぁ〜

 

※別ブログ「スパイシーdays in イスタンブル」に掲載したのと同じ記事です。重複失礼。

 

 

我が家の定番メニューに、グンマというものがあります。

 

 

 

グンマは中央アジアのホラズムXarazmというエリアの郷土料理です。

 

ホラズムはウズベキスタンの州の名前にもなってますが、歴史的に地域としてのホラズムはトルクメニスタンとウズベキスタンをまたぐもっと広い地域を含みます。

 

赤丸がホラズム地域

 

 

ウズベキスタンのホラズム州ヒヴァを訪れた時も食べましたが、

 

 

 

以前うちで住み込んでいた、ウズベク系トルクメニスタン人のシッターさんもよく作ってくれました。

 

子供たちが大好きなので、今は私が作ってます。

 

 

まぁ、トルコ🇹🇷のプフ・ボレイ、中央アジアの他地域のチェブレーキ、サウジアラビア🇸🇦のサンブーサによく似てて、作り方はほぼ同じなのですが、

 

左(または上)から、🇹🇷、🇹🇲、🇸🇦です

 

 

我が家のグンマの作り方。いきますよー!

 

❶小麦粉300gに対して、半分くらい(150〜170ml)の水にティースプーン1くらいの塩を混ぜたものを合わせます。

 

❷なめらかになるまでよく捏ねて、ラップをして最低30分は寝かします。

発酵しない生地なので、何時間も放置しても大丈夫。

 

トルコや中央アジアでは中力粉を使います。日本だったら強力粉と薄力粉を半々にしてくださいね

 

 

❸その間に中身を作ります。

 

ラム挽肉🐑250gくらいに、みじん切りにした玉ねぎ半個、小さじ1くらいの塩、コショウ少々、水大さじ1をよく混ぜて、これまたラップをして冷蔵庫で寝かしておきます。前日からやっておいてもOK

 

 

 

❹寝かした生地を、打ち粉をしたテーブルの上に置いて、麺棒で薄さ1.5mmくらいに伸ばします。

 

トルコや中央アジアだと、細い麺棒に巻きつけて、手で中央から外側へ押し撫でて伸ばすんですが、生地のばしに慣れてない方は、生地を4等分にして丸めなおしてしてから、できるだけ薄く伸ばしてください

 

餃子の皮よりは薄く、ユフカよりは厚いくらいでしょうか

 

 

❺生地を丸くくり抜きます。

 

中央アジアでは基本的に湯呑み茶碗などを置いてナイフで切り取ります。

 

我が家はシッターさんの受け売りで、お椀の蓋でやってますが、小セルクル型とか、大きめの丸いクッキー型ならもっと楽かも。

 

切り取った生地はすぐに半分に折ったテーブルクロスに挟み、乾燥しないようにします

 

 

切り取り終わったら、余分な生地は集めて丸めてラップしておき…

 

❻③で準備した肉を取り出して、生地の半分にフチを残して均一に塗ります。少し厚めが美味しい

 

❼生地を半分に折りくっつきにくい場合はフチに水を塗って、はしをフォークで押して閉じます

 

❼が終わった時点で、我が家では一部を冷凍保存します。

 

 

❽天ぷらくらいに熱した油に投入して、きつね色になるまで両面を揚げます。ぷくーっと膨らみます

 

 

 

完成 !!

 

中身にしっかり味がついているので、何もつけずにそのまま、おかずにオヤツに、おつまみに…手で食べちゃいます。 残ったものはトースターで温めればカリッと戻ります

 

 

 

おまけ💕ロールケーキ

 

丸めておいた余った生地ですが、グンマに再利用することはできないので…

シッターさんのやり方に私が一手間加えた、美味しい揚げパンかたつむりを作ります。

 

 

グンマの成形が終わった❼の時点で適当に伸ばして大きくする必要なし、オリーブオイル大さじ2を垂らして、手で全面に塗りたくり、そのまま5分くらい放置します。

 

その間に、片付けやグンマを揚げる油や網などの準備をしています。

 

 

 

揚げ油を熱している間などに、生地を少しずつ優しく手で引っ張りながら伸ばしていきます。

伸びてきたら、生地の裏中央に手を入れて、手のひら🤚やグー✊でも引き上げるように伸ばします。

 

右(下)の写真は別の生地を同じ技法で伸ばしているところ。

 

 

穴が開いても、穴の部分を抑えて他の場所を優しく引っ張り、全体的に薄くなったら端からグルグル🌀巻いていきます。

 

 

 

ロール状になった生地をさらにカタツムリ🐌のようにグルグルと巻いて、上から麺棒でゴロゴロして、ちょっと潰します。

 

これをグンマが揚げ終わったら、油に投入してきつね色🦊になるまで揚げます。

 

 

 

これが、具なしなのに香ばしくてパリパリで美味しく、グンマに勝るとも劣らず家族に人気で、あっという間に無くなっちゃいます。

 

というか、クルクルする時にチーズやひき肉の具を散らしても良さそうですよね。。。次回やってみます。

 

 

恥ずかしながら、告知でございます。

 

オンライン開催のシルクロードバザールさんPCで、超・超・僭越ながら🙇‍♀️💦

 

トルクメニスタン🇹🇲について お話させて頂くことになりました。びっくり💦

 

 

 

今年で6回目となる「シルクロードバザール」は、マルシェ・ノスノスさんが開催されている、シルクロード周辺国の雑貨・食・文化に触れられるイベントで、一昨年は私もトルクメニスタンの雑貨を引っさげて参加させてもらいました。


 

 

今年はコロナを受けて、ステイホームで体験できるオンライン形式での開催ときき、日本にいない私でも何かしら参加できないか?!と図々しく聞いたら、こんな形になりました。

 

 

 

…というわけで、もう来週になりますが、詳細です。

タイトル:

「ディスカバー!トルクメニスタン」

 

内容:

日本であまり知られていないトルクメニスタンの魅力を、観光地・食・伝統文化の面からご紹介します!

日時:

10月10日 14:30〜15:30

(14:15よりトークルームを開けて懇談の時間を予定しています)

 

参加費:

1000円


お申し込み方法:
シルクロードバザールのイベントサイト(↓)アクセス➡︎「イベント参加申込み」をクリック➡︎「ディスカバートルクメニスタン」のサムネイルをクリック→「カートに入れる」をクリックしてお支払い

 

詳細&お申し込みはこちらから↓

 
 

視聴方法:
zoomによるライブ配信なので、シルクロードバザール管理者より送られたzoomのリンクに、開始の時間にアクセスして下さい。

アカウントが無いかたは、事前にサインアップしてアカウントを取得の上、お申し込みください。(申し込み時にアカウント名を備考欄に記入して頂くため)

スマフォだとzoomアプリのダウンロードが必要のようです。パソコンでの視聴の方が安定するので、推奨されています。

不明点は私か、シルクロードバザールに聞いてください。

(技術的なことはシルクロードバザールの方がたぶん良いです💦)

 

注意人数制限もあるようなので、気になる方はお早めに…ランニング

 

 

 

正直言って、オンライン配信どころか、人前で一方的にトークすらやったことない(トルコ語サークルでは先生してたけど😅)ので、けっこうキンチョーしております💦

恥ずかしいから本当はあんまり告知したくないんだけど、運営者さんの手前ねぇ〜…

 

それにそれに、トルクメニスタンがレアな国すぎて、まったく知りません!て方が聞いて下さるのか、トルクメニスタン行って見てきましたって方が参加されるのかも読めないので照準の定め方というか、内容をマニアックにすべきなのか一般知識にすべきなのかの見極めも難しいです。ガーン

 

バザール自体のオンライン開催も含めて、試行錯誤的な部分あるかと思いますので、どうか生暖かい目で見守って頂ければ幸いです。🙏

 

シルクロードバザールでは、他にモンゴルやウイグル自治区やカザフについてのトーク・イベント、オンラインショッピンング、舞踊など無料のシルクロードな動画、料理教室や現地からの映像など盛りだくさん!シルクロードを多面的に味わえる2日間です✨

 

 

翌日はダシュオグズ市から車で1時間ほど走って、念願ラブキョーネ・ウルゲンチKöneürgençに。

 

 

 

ここは、私が10年以上前、初めてウズベキスタンを旅行して中央アジアの魅力を知った時、「次に行くならここ!」って憧れた場所だったんです。結局また次もウズベキスタンに行っちゃたケド。

 

その後、縁あってトルクメニスタンに暮らすことになったものの…、

 

ある時期から👮🇹🇲「就労ビザで滞在の人は移民局の許可無しにアシガバートを出てはいけない!」というお達しが出まして…。

 

移民局へ行ったら、👮🇹🇲「あなたの滞在目的はビジネスなのに、なぜ観光地に行く必要があるんだ!」とか言われ、許可が降りなかったんですえーん

 

 

キョーネ・ウルゲンチの町の入り口

 

 

キョーネは「旧」の意で、ウズベキスタンのウルゲンチ市に対して、「旧ウルゲンチ」というワケ。

だけど本当は、こっちこそが何世紀ものあいだ世界に名を知られた本家「ウルゲンチ」なんですよー!

 

紀元前5世紀ごろから都市があったウルゲンチは、常にホラズム地方の中心地で、イブン・スィーナーやビールーニーなどのイスラム世界屈指の知識人が暮らした時代もあったほど。

 

 

 

チンギス・ハーンのモンゴル軍とティムールの時代に炎破壊の限りを尽くされる💀復興

 

だけど、ここを首都としたウルゲンチ・ハン国の時代に、アムダリヤ川が河道を変えたことから水源を失いアセアセ、首都がヒヴァ(in 現ウズベキスタン)に移され、国名も「ヒヴァ・ハン国」になっちゃって。さらには、全住民がヒヴァ近くの土地に移住🚛させられ、そこが「ウルゲンチ」と名づけられてしまったゲッソリんで、

 

本家のこちらは「旧ウルゲンチ」ガーン扱いになってしまったのです…。泣ける…えーん

 

 

 

感傷に浸るのはこれくらいにして、さっそく観光!

 

上の写真のような感じで、だだっ広い荒野にポツン、ポツン…と、二度の都市破壊や、廃墟となった後も形を留めている遺跡があります。

 

 

まずは、私がずっと憧れていた「トレベク・ハニム廟 

 

 

 

14世紀に建てられたと言われているこの建物、ドームの内側のモザイク・タイルが素ン晴らしいです。

宇宙を感じる星空ような、青い繊細なモザイク!

 

 

 

 

ドーム縁の365個の模様は1年を、24の小窓は24時間(閉まっているものは夜)を、その下のアーチの数は12時間を、4つの大きな窓は四季を…というふうに、暦を表しているんだそう。花びらの中にアッラーと書いてあるのも見える。

 

 

かつては外壁も内部と同じくらい美しい青タイルで一面覆われていたらしく、近くで見ると所々に青いタイルのかけらが見えるけど…今は昔。

割れた屋根からは、外側と内側のドームの形が違う二重ドーム構造だったことがよく分かります。

 

この建物、「廟」と呼ばれているけど棺もなく、何に使用されていたのか分かっていません。

 

 

ドレベグ廟の格子窓からも見えていたのが、11~12世紀に建てられたというクトゥルグ・ティムール・ミナレット

 

 

 

 

世界で8番目に高いミナレット🕌です。先が少し折れた状態で60m。

胴体にはレンガを組み合わせた装飾が施されています。


 

 

 

他にもいくつか遺跡や聖地があるんですが、写真映えしないので割愛して、イル・アルスラン廟

 

雲がいい感じに。トルクメニスタンて晴れると大抵こうなんです

 

 

12世紀に建てられ、当時ここを治めていたホラズム・シャー朝の王イル・アルスランのものと言われているものの、諸説あり、誰のお墓かはわかっていません。

 

レンガで透かし彫りのようになっている装飾が綺麗。

 

 

 

「キャラバンサライの門」と呼ばれている門の一部。

内側にかなり美しいタイル装飾があって、キレイすぎるので宮殿やマドラサの門なのでは?という説も。

 

 

 

憧れのキョーネ・ウルゲンチ、やっぱり美しかったなぁ。。。

 

 

ところで、トルクメン人には、聖人とか歴史的偉人の墓を詣でて願掛けをする、聖者廟信仰が盛んでして…。

 

キョーネ・ウルゲンチも、この丘から滑り降りると子供ができるとか、ここを7回周ると願いが叶うとか、この廟で祈ると病気が治るとか色々あって、国中から参拝客がやってきています。

 

 

町の郷土史博物館の近くにも、古い廟の並ぶ場所があって、

 

 

 

モンゴル軍襲来の時に民を見捨てずに戦死した偉大なスーフィークブラーの廟なんかは、タイルが綺麗だし、歴史的意義もあるので観光客にも見る価値アリですが…

 

 

 

 

他の廟は年代も誰のものだかも不明だし閉鎖されている。

それでも霊験あらたかということで、ガチの参拝者が絶えません。

 

うん、観光地じゃないね、これはもうパワースポット。そもそも観光客あんまいないもんトルクメニスタン

 

駐車場には、「ようこそ!」とかの観光客向けじゃなくて(皆さんの)参拝が(功徳として)認められますように」という、完全に参拝者に向けた看板が掲げてあった。

 

 

 

ちなみに…

文中で出てきたウズベキスタンのヒヴァに行った時の記事はこちら。ウルゲンチもかつてはこんな…いやこれ以上の街並だったんだろうねぇ。

 

文中のミナレットは8位ですが、世界一高い歴史的なミナレットに行った時の記事はこちら。

現在、最も高いミナレットの上位は近年に作られたものが占めてます。

さて、「地獄の門」を発った私たちは、北へと向かう幹線道路をひた走り、ダシュオグズ州にやって来ました。

 

 

 

ここは綿花栽培や農業が盛んなところ。

道中では年に一度の綿花の収穫が行われていて、家族総出で手摘みしてる光景があちこちで見られます。

 

こういう写真、ウズベキスタン旅行の時も撮りたかったけど撮れなかったので嬉しい。

 

 

集めた綿花を山積みにして運んでるトラックや、一箇所に集めた綿花の山も。

 

 

 

 

綿花は帝政ロシア、ソ連の時代からトルクメニスタンの主要な輸出品だったので、国のシンボルとして国章にも描かれていますが、ダシュオグズ市では公営住宅の窓まで綿花をかたどった形をしてて可愛い。

 

 

 

綿花だけでなく、トルクメニスタンの特産品メロンの産地でもあって、11月中旬でも車道傍でメロンやスイカを売る人たちがいました。

 

 

 

 

実は数日前にアシガバートの市場でメロンを買ったのだけど、ダシュオグズ出身のガイドさん、ダシュオグズ産のメロンしか買わせてくれないのでしたニヤニヤ

 

ホテルで美味しく頂きました

 

 

この道端のメロン売りからは、ガイドさんイチオシ!グッド!メロンから作ったモラセス(糖蜜)、トシャップtoşapを買ってみました。

作り方も味も、トルコで葡萄や桑の実を煮詰めて作るモラセス、ペクメズにそっくり。

食べ方も同じで、バターなどと一緒にパンにつけて食べます。

 

 

 

 

他には、乾燥させたメロン、カークkakも…。

 

 

 

いやこれ自分でもビックリなんですけど、トルクメ在住時代に書いた記事では「私も含め、日本人でこれを美味しいと言った人は見たことない」とか散々言ってたくせに、在住最後の頃に色が明るいタイプを食べたら美味しくて! 

 

今回も、アシガバートのバザールで味見したカークが美味しくて買っちゃったんですが、ダシュオグズのメロン売りからは、黒く熟成したタイプのも美味しく感じて買いました。

 

いやぁ、まさかカークの美味しさに目覚め、好きこのんで購入する日が来るとは…。トルクメ・レベルが上がった気がしますよ。

 

 

 

そんなダシュオグズ州、トルクメ1の米どころ🌾でもあり、料理が美味しいとも言われているんですが…。

 

ここで私のトルクメ史上最高に美味しいパロウに出会いました!デレデレ

 

 

 

観光地に向かう前にランチで入った、看板も出てない食堂…なんですが、肉が多いわけでも、具材の種類が多いわけでもないのに、お米の炊き加減、油のまわり具合、具材の旨味の出具合…すべてがパーフェクトでした💕

 

ここは他もどれも美味しくて、ピリ辛なウズベク風のサラダも、友人が頼んだボルックもピカイチ✨

 

 

 

ダシュオグズにまた来たら是非とも行きたい、毎日通いたい店なんですが、看板もないしどうやって見つければ…?と言っていたら、ガイドさんが「その時は私に電話しなさい」だって。ニヤニヤ

 

 

ダシュオグズはウズベキスタン🇺🇿国境と接していて、ウズベク人もたくさん住んでいる土地。

ついこないだまで遊牧民だったトルクメン人と比べて、大帝国を築いたウズベク人は高い食文化を持っています。

美味しい農産物と、ウズベク人に影響を受けた料理の技が、ダシュオグズの食を特別なものにしているのかもなぁ。

 

 

さて、この後は、私の念願だったイスラーム建築を見に行きますよ。

次は、トルクメニスタンに来る外国人に唯一の1番の人気スポット、通称「地獄の門」🔥に向かいます。

 

 

アシガバートから、カラクム砂漠をぶち抜いた道を通って行きます。

 

カラクムは、ステップ地帯みたいな荒れ野が多いんですが、ところどころ、こんな「いかにも」な砂丘のできるところもあるので、良さげなスポットで降りてみました。

 

 

 

 

相変わらず、車道は放し飼いのラクダたちが呑気に歩いています。

 

「ラクダ🐪注意!」の看板も健在。ガイドさんは「この看板は世界でトルクメニスタンだけなんだ」と言っていましたが、どうもアラビア半島あたりでもあるみたい…?

 

 

 

 

トイレ休憩で、たぶん「地獄の門」に来る観光客は必ず寄ると思われる休憩所に入る。

 

ソムサなどの軽食も売ってるし、バックパッカーの人はここに荷物を預けたり、仮眠を取ったりもできるはず。

私は、在住時に大好きだったレイハン(レッドバジル)のジュースを買いました💕

 

 

 

 

ここで時間を潰しすぎたのか、泥とガスのクレーターにも寄る予定が、泥のクレーターに着いた時点ですっかり夕闇になっていて、内部が全然見えなかったという…。

 

写真は加工して形が分かるように明るくしました。

 

 

さて「地獄の門」ですが、ここはトルクメ生活を始めて半年も経たない2016年のお正月に来たので、ほぼ4年ぶりの再訪です。

 

 

 

まずは夕食を食べる予定になっていたので、車は「地獄の門」そのものから少し離れた場所で止まりました。

 

車を降りてみてビックリ!!ポーン

 

そこには、観光客を泊めるために建てられたガラオイ(トルクメンの伝統的な移動式住宅)がズラッと、ホテル代りに立ち並んでいたんです!

 

 

 

ガラオイの中は、ストーブとベッド(←驚愕。本来なら床に寝る!)、写真撮影用の?民族衣装までかかってる。

どんだけ外国人のニーズに応えるサービスお届けしてんねん…

 

 

 

 

そして中央には、共有スペースの炊事場と、温水の出るびっくりプレハブのトイレ・シャワー棟、パイプ椅子の並んだ食堂がわりのテントが。

 

しかも目を凝らすと、こういうガラオイ村が他にも2、3箇所ある!何人泊める気だ!

 

いやーーーーー、驚愕ですよ!

 

あんな、観光客が来ようが来まいが、完全見て見ぬフリ全力で放置プレイだったトルクメニスタンが…。

 

地獄の門なんて、この国にしてはかなり外国人が訪れる場所だったのに、標識も無い、売店も無い、車道も無い、トイレも無い。

ただひたっすらの砂漠の中に、ポツネンと「地獄の門」のクレーターが口を開けていただけだったのに…。

 

2016年1月の写真です。

 

 

たった数年でめっちゃ観光開発されてるッ!!ゲッソリ

 

ショックを隠しきれないまま、私たちもテントで食事をとることに…。

 

 

 

てっきり、ツアー計画には「地獄の門でBBQディナー」って書いてあったから、昔のように誰もいない砂漠の中、クレーター付近でガイドさんが起してくれた火でシャシュリクでもやるんだろうと、昔の(って3年前よ)つもりでいたのにね。

 

炊事場で調理されたチキンやらラムチョップやらが、プラスチックのボックスに入って手渡されました。

味はけっこう美味しかったですよ。デザートにメロンも出たし。

 

 

 

食事が終わると、「さあ行きましょうか」ということで、2、300mほど離れたクレーターに向かうことに。

 

ここでも驚愕だったのは、ガラオイ村からクレーターまで、レンガを敷き詰めた歩道が砂漠にできてたことポーン砂漠に歩道!砂漠に歩道ですよ!

 

しつこいですけども、たった数年前には何もなかったのに!

それとも何?「砂漠ぅ〜?歩きたくなぁ〜い、ヒールが折れちゃうじゃなぁい!」とか言うヤツでも来んのか?

 

 

ブツクサ言いつつも、クレーターに近づけば、止めどなく溢れる天然ガスが地中から燃える様子は、やっぱり妖しくて綺麗。

 

 

 

 

やはりここにも変化はありまして。

 

これは友人たちから聞いていたけど、クレーターの周りに柵ができていました。

フランス人観光客が、クレーター内側の突起の上に腰掛けて落下したからとか。助かったそうですが…。

 

でもみんな普通に柵を越えてるので、写真映えしなくなっただけで、あんま意味無いんですけどね…。

 

 

 

あと火力も落ちたのかなぁという気がしました。

前回行った時は、ガス臭いと「ゴウゴウ」と燃える音がすごく恐怖感を煽って印象的だったのが、今回はどちらも無くて静かに燃えている感じ。

 

風向きとかのせいもあるかもだけど、年々火力が弱まっているとは言われてます。

 

ただそれに反比例して、訪れる人はめっちゃ増えてますね!!

 

以前は本当に人っ子一人いなくて、それこそ落盤とか何かあった時は誰にも知られずに果てるのか…という恐怖感があったけど、今は、他人が映り込んでいない写真を撮るのは不可能に近いんだろうな。。。

 

2016年の写真。柵もなく、人もいなく、独り占めできました。怖いけど。

 

 

丘に登って眺めていると、ひっきりなしに車が入って来ます。

けっこうトルクメンの若者も来ていたりして、意外。以前はこのクレーターの存在自体、知らない人が多かった気がするけど。

 

奥に見える白いポコポコ並んで光っているものが、ガラオイ群です。

 

 

なんだか時代の移り変わりと、諸行無常を感じた「地獄の門」再訪でした。

 

私たちは当初、旅行会社の社長の強い勧めでこのガラオイで泊まる予定だったのだけど、急に気温が下がったことから社長が心配し、「3時間半で明日の目的地ダシュオグズまで行って、そこでホテルに泊まった方がいい!」と言うので、翌日以降の予定も考え、ガラオイ・ステイはやめました。

 

 

翌日は朝一で、本当は昨日の予定に入っていたものの周りきれなかったトルクメン絨毯博物館へ。

 

 

 

 

博物館内では、トルコ語ペラペラでキュートなトルクメン美女が解説しながら案内してくれました。

(この日、制服の民族衣装を着ていなかったため写真はNGとのことでした)

 

以前に絨毯織りを習っていた私も、オヤ編みの先生をしているCさんも、中央アジアの手工芸にゾッコンラブラブなので、私は解説のメモを取りまくり、Cさんは隅々まで写真撮りまくり…なので美女に「テキスタイルのお仕事とかされてるんですよね?」と言われる。あ、いや…ただの趣味ですニヤニヤあせる

 

 

 

ずっと気になっていた、裏と表で柄が違う(!)絨毯の織り方のナゾも解消。

織り機を立てて、双方から一目ずつ交互に織り込んでいくんだそうだ。な、なるほどー!

 

 

 

博物館のメインは、トルクメニスタン最大の絨毯のコーナー。

 

 

 

右手の「トルクメンの心」と名づけられた絨毯は、ロシアのボリショイ劇場の緞帳として作られたけど、重すぎて吊るせず、返品されたもの。

 

学芸員の美女いわく

「きっと絨毯はトルクメンの地に帰ってきたかったのよ。だってほら、ここでは何の問題もなく吊るされているでしょう?」

 

左手の「トルクメンの黄金時代」という絨毯は、作られた当時は世界最大の手織り絨毯としてギネスブックに登録されたもの。

 

「トルクメンの心」の方が小さいけれど、より古い時代に作られたので、より多く天然染料が使われていて、学芸員さんのお気に入りなんだそう。

 

「この絨毯を年に1度か2度、メンテナンスのために壁から降ろして床に敷くんだけど…、それを見ると私、もう心臓がドキドキしてきちゃうの。自分が本当にトルクメンだと感じる瞬間よ

って言ってたこのセリフ、素敵だなと思った。おねがい公務員として言わされてるんじゃないと信じたい…。

 

 

小さいながらもお土産売り場もあって、この絨毯バッグと、サチャックというパンを包むための布をリメイクして作られたバッグを買っちゃいました。

 

 

 

 

博物館を出るとすっかりランチタイムになっていたので、昨日の夜も行ったHezzetレストランに行くことに。

 

 

 

 

食後、ニサ遺跡に向かいますが、その道中にあるトルクメンバシュ・ルーフ・モスクへ。

初代大統領のニヤゾフが建てた中央アジア最大のモスクです。

 

 

 

 

 

詳しい説明はトルクメニスタン在住時代のブログに書いたので、どうぞ。

 

 

 

その時にはいかなかった、モスクに併設のニヤゾフ大統領の霊廟にも入りました。

 

 

 

ニヤゾフ大統領の棺を取り囲むように、1948年の大地震(大統領10歳の時)で亡くなった大統領の母親と兄と弟、そして第一次大戦でオセチア戦線で戦死した父親の棺があります。

 

 

 

もちろん大統領の以外の棺には、亡くなった時代が昔すぎるので遺体は入っていなく、埋葬されたとおぼしき場所の土が納められているだけです。

 

 

さて、この後はニサ遺跡と「地獄の門」へ向かいますよ。