◆北野幸伯さん新刊『日本の地政学。新版』に注目します。




ついに、待望の北野幸伯さんの新刊本です。
2020年に発売され、
話題沸騰となった『日本の地政学』のアップデート版です。


★ポイント


・ロシアによるウクライナ侵攻以来、世界は「弱肉強食の世界」に回帰した。


・「トランプ関税」は、
米中覇権戦争の激化を予見するとともに米国の変質を露呈した。


・本書はモスクワ滞在28年、ロシアの政治経済、
プーチン的思考を熟知した国際関係アナリストが、
激変する国際情勢の中で、日本が生き残り繁栄するための道筋を、
最新の国際情勢と地政学を基に解き明かす。


・『日本の地政学』(2020年刊)の改訂新版。


・歴史に学ぶ勝利の法則について、解説。


・ミアシャイマーは、「海に守られている」ことを「水の制止力」と表現している。
「水の制止力」がある国を侵略するのは、とても困難だ。
日本とイギリスは、「水の制止力」に守られていて、攻撃されることがほとんどない。


・アメリカは今後衰退し、中東から日本のシーレーンを守ることができなくなる。
中国が、このシーレーンを支配すれば、中国は日本に石油が入らないようにすることができる。



・ 北野氏の圧倒的な分かりやすさで地政学を教えていただける。
日本の取るべき方針は何か。


・ 本書を熟読することで、

日本の未来を深く見通すことができる。




 

 



 

 





 

 

 

 


◆高橋洋一『財務省・バカの壁』を読み解く



サブタイトル
→最強の増税マシーンの闇を暴く


★要旨


・「最強官庁」と恐れられる財務省は、
霞が関はおろか永田町さえも支配している。
財務省は実際、どれほどの力を持っているのか。


・力の源泉はどこにあるのか。
財務省が各省庁を支配できる理由は、
他にはない次の3つの権限を持っているためだ。

【1】予算編成権
【2】税務(国税)調査権
【3】官邸内に張りめぐらされた人的ネットワーク


・「予算編成権」とは、
文字通り予算配分の権限を握っていることである。


・だから政治家や各省庁は頭が上がらないのだ。
地元のため、あるいは支持してくれる業界や団体のため、
補助金のひとつでもつけようと思ったら、
すべて財務省に頼まなければいけない。


・予算編成権が「アメ」であるのに対し、
「ムチ」にあたるのが「税務調査」だ。


・税務調査権は軍事力、警察力と並んで、
国家権力の典型である。
こうした国家権力は言うまでもなく強力で、
政治学や社会学では軍事力や警察権力は、
しばしば「暴力装置」と呼ばれる。


・一般的に、政治家、官僚、一般人のパワーバランスでは、
「じゃんけんの関係」が成り立つといわれる。
一般人は選挙があるので政治家に強い。
政治家は官僚の上に立つので官僚に強い。
そして、官僚は許認可の権限を持っているので一般人に強い。
こうした「三すくみ」の関係になっているというわけだ。

 
・しかし、この「じゃんけん」の『らち外』に立っているのが財務省である。
そのワケは、外局の国税庁を事実上、支配下に置いているからだ。


・「マルサ(査察部)」を持つ国税庁の税務権力を背景に、政治家を脅すことも可能なのである。


・たとえば東京国税局調査査察部長を務めた人間が、
人事異動で官房長官秘書官にでもなったとしよう。
長官に会うや、
「前職は東京国税局で働いていました」と言えば、
「内閣の要」とされる官房長官ですらビビッてしまう。


・もちろん言外に、
「マルサの部下は私の言うことを聞きますよ」という脅しが込められているからだ。


★コメント
財務省のしくみを今一度、学び直したい。


 

 

 

 


◆大木毅『天才作戦家マンシュタイン。ドイツ国防軍最高の頭脳、その限界』を読む



サブタイトル
→「ドイツ国防軍最高の頭脳」その限界。


★要旨


・1941年の6月22日に、独ソ戦は始まった。
この独ソ戦をはじめ、第二次世界大戦当時のドイツ軍には、「天才作戦家」と呼ばれる知将が存在した。
名は、エーリヒ・フォン・マンシュタイン。


・戦略・作戦・戦術という、戦争の三階層においては、
上位次元の劣勢を下位からくつがえすことは難しい。


・ドイツの将軍たちや敵である連合軍の司令官など、
いわば玄人筋は、参謀本部の保守本流ともいうべきエリートコースを歩み、
多大な功績を残したマンシュタインに対し、高い評価を加えている。


・事実、戦後すぐから1950年代にかけて、
マンシュタインこそ1940年のフランス崩壊をもたらした作戦の天才であり、
人格高潔で騎士道的な指揮官だったとする言説が流布されていった。


・マンシュタインの自己弁護・美化をはかろうとする姿勢は、
すでにニュルンベルク国際軍事裁判(1945→1946年)のころからあきらかであったが、
それがよりいっそう明確に打ち出されたのは、
1955年に刊行された回想録『失われた勝利』であった。


・マンシュタイン「神話」が、かくもたやすく人口に膾炙するに至ったのは、
冷戦という歴史的背景が大きく与っていると思われる。


・冷戦当時、とくに1970年代から1980年代にかけて、西欧諸国はヨーロッパ正面において、
圧倒的な優越を誇るソ連軍、のちには、ワルシャワ条約機構軍と対峙していた。


・かような立場にあるNATO軍の指揮官にとって、
質の優位、作戦の妙を以てすれば、
数に優るソ連軍をも撃破し得るというマンシュタインの主張と実績は、
おおいに傾聴すべき議論であり、同時に救いでもあった。


・ゆえに、マンシュタインは西側のプロの軍人たちに称賛された。


・2010年には、そうした両極端の議論を止揚し、
マンシュタイン像の総合的な再構築を試みた大部の評伝が刊行された。
マンゴウ・メルヴィンによる『ヒトラーの元帥。マンシュタイン』である。


・こうした問題意識のもと、
メルヴィンはマンシュタインの生涯における軍事的判断や決定を検討し、
彼はやはり作戦次元において卓越した軍人だったとの結論を出した。


・1939年8月、シュレージエンのノイハンマー(現ポーランド領シュフェントシュフ)演習場に、
のちの軍集団司令部の基幹となる「ルントシュテット作業部」が設置され、
マンシュタインとブルーメントリット、ついでルントシュテットが着任する。


・老練なるルントシュテット、参謀本部のサラブレッドであるマンシュタイン、
俊秀ブルーメントリットは互いに信頼し合っており、
三者の関係はきわめて良好であったという。


・1939年8月24日正午、ルントシュテットは、正式呼称「南方軍集団」となった部隊の指揮権を得た。翌日午後3時25分に、陸軍総司令部の命令が同軍集団司令部に下達される。


★コメント
第二大戦の論考は、新しいものが、どんどん出ており、
なるべくキャッチしていきたい。


 

 






◆武田頼政『長嶋茂雄と黒衣の参謀。Gファイル』を読む


★要旨


・河田のフレンドリーな雰囲気の奥底に、
じつは触れると血のでる刃が隠されている。


・自分が信じる価値観の境界線がはっきりしていて、
NOと結論したら、ビクともたじろがない。
そのかわり、
いったんYESと判断したら、
実現するまでとことん追い求めてあきらめず、
ありとあらゆる手段を考え抜き、そして実行する。
それが河田の仕事師の姿だ。


・1990年代、
河田は東京読売巨人軍の内懐に足場をかため、
まさに死闘を演じた。


・球技の中でももっとも運動量がすくないこの野球というスポーツは、
躍動する肉体を朗らかに表現することは
そのごく一部にすぎない。


・闊達を装いながら、じつは隠微に、
時間をかけて沈黙の対話を繰り返し、
あれこれ策を凝らす政治ゲームなのだ。


・真の覇権を握るチームには、
するどい目をした策謀家が、必ずどこかにいる。


・長嶋が監督に復帰したのは1992年秋のこと。
その長嶋を94年のシーズンから4年間にわたって完璧に補佐し、
ひたすら勝利のために「黒衣の参謀」に徹した男。
そして読売巨人軍に「GCIA」という諜報組織を
つくろうとしたスパイマスター、
それが「河田弘道」のもうひとつの素顔である。


・河田の手元には、その4年間の記録がある。
それはA4で5000枚にもおよぶレポートの束で、
シーズンごとに日を追ってファイルにとじてある。


・河田はそれらのうち、
長嶋に提出したものを「Gファイル」と称して、
大切に保管してきた。


・そこに記されているのは、
曖昧な誇張や抽象的な言葉がならぶ無責任な英雄伝説ではなく、
まして妄想にかられた虚言などでもない。


・人々の群れの中に降臨した、
「長嶋茂雄」というひときわ輝く栄光と、
彼に仕えた河田弘道という男の血みどろの闘いを記録した一編の冒険譚、
あるいは奇跡の物語だ。


・さらにいく人もの関係者に話を聞いていくと、
ある結論が導きだされる。
1994年の「メークミラクル」も、
そして96年の「メークドラマ」も、
決して偶然の産物ではなかったのだということが。


★コメント
これほど緻密に、巨人軍を語った本を知らない。
ぞくぞくするほど、面白い。


 

 



 

 




◆長嶋茂雄『野球は人生そのものだ』を読み解く



★要旨


・鬼のスパルタ教育に飛び込む。


・高校時代、小野秀夫さんを通じて、
立教大学のマネジャーが動き、
「うちの砂押がぜひともお宅の息子さんを預かって
六大学一のプレイヤーに育成してみたいと申しております」
などと父を口説いた。


・話を聞いているうちに、
契約金のことしか話さないプロ球団にうんざりしていた父は
感動さえ覚えた。


・厳しい指導をするから一番いいだろう。
役場の収入役でまじめ一筋の堅物は、
立教の砂押監督が「スパルタで人間をつくる」
というその言葉にコロリと参って
「お世話になります」
と即答していた。


・学校に行って留守だった私は、
あとで聞いてほんとに怒った。
なんで本人の気持ちを確認しないで、
そういう口約束をしたのか。
プロに行きたかった私の気持ちを踏みにじったと思った。


・月夜のノック。


・1954年、昭和29年、
立教大学に入学した。


・夕暮れまで練習し、やっと合宿所へたどりつくと、
飯を詰め込む暇もなく、
「長嶋、いるか、これから夜間練習をやる」
と特訓が待っていた。


・暗くて互いの顔すら見えない。
伝説となった月夜のノックだが、
伝説というものではなく本当にやったのだ。


・「いいか、長嶋、ボールをグラブで捕ると思うな。心で捕れ、心でっ!」

そのうち、
「おまえはまだグラブに頼っているのか。
そんなもの捨ててしまえ」
と怒鳴る。


・だが、素手で捕ると球際が強くなって変化に対応できるようになる。
一番やさしいところでバウンドを処理するのが、
フィールディングの極意だ。
真剣に球と勝負していくと、
それが分かってくるから不思議だった。


・今の選手にああいう厳しい練習をやれ、といっても、
不平不満が先行してやれないだろう。
「昼も夜も」という言葉があるけれども、
砂押さんはまさに夜の練習を重視したから、
これはたまらない。


★コメント
やはり、ある程度の猛練習、スパルタ教育は大切だ。


 

 



 

 




◆宮崎伸治『時間錬金術』を読み解く


サブタイトル
→【「いつかやりたい」を「いまできる」に変える時間のつくり方・使い方】



宮崎さんは、翻訳家。
自らの独自の武器を作るため、50歳から英語以外の語学学習にチャレンジ。
8カ国語の言語を中級レベルまで持っていった。

近著『50歳から8か国語を身につけた翻訳家の独学法』でブレイク。



★要旨


・少々のことでは他人には真似できない、自分だけの得意技を磨き、
それを社会に役立たせれば、
自分も他人も楽しめるだけでなく、
副産物としてお金まで入ってくる。


・手前味噌になるが、
私は20代のころ「将来は作家・翻訳家になりたい」
という夢を抱き、その後長年にわたり、
コツコツと文章力や翻訳力を磨いてきた。


・幸い、30代でデビューするや、
文筆や翻訳の仕事が舞い込み、約60冊の著訳書を出版するに至った。


・その後、関心のあった、哲学、工学、法学の学位を取得したり
独語、仏語、伊語、西語、中国語を中級レベルまで押し上げた。
職業体験記を書いて出版すると、
ネットや口コミで評判になり、
インタビューや執筆依頼が増えた。


・お金や地位、名声は、あくせくと追い求めても
あなたの人生が輝くことを保証してくれない。
あなたが「いつかやりたい」と思っていることは、
価値あるものだから、あなたはそれで輝ける。


・私は文筆業のかたわら、
生活を安定させるために「手持ち時間」のあるアルバイトを
6、7カ所でやってきた。


・「いつかやろう」といって
開始するのを先送りしている人に、
その「いつか」は永遠に来ない。


・本当に実現したいと思う夢であれば、
「いつか」ではなく、いま開始するしかない。
どんな小さなことでもかまわないが、
何もしないという日を作らないことがポイント。


・毎日、必ずどんな小さなことでもコマを進める。
それを少しずつ繰り返していくしか
夢を実現する方法はない。


・やる気になったときに一気呵成にやろうと思っていても、
そんな日など1年のうちに何日も無い。
さあ、今日からスタートです。
いますぐ始めましょう。


・著書を出したい人なら、いますぐ書き始めましょう。
きちんとした文章が書けなければ、
メモでも構わない。


・やろうと思えば、やるべきことは必ず見つかる。
それをするのを先送りせず、
1ミリでもいいから今日、前進する。
これが夢実現の確実な方法なり。


・どんなちいさなことでも、
いますぐできることをやる。


・最終目標をイメージしたときに圧倒されるようなら、
「サラミ・テクニック」を使おう。
やり方は簡単。
最終目標に至るまでにやるべきことを細かく分割し、
できそうなことから1つ1つやっていく。


・私はイギリスの大学院時代に初めて修士論文を執筆した。
指定された文字数は、英語2万ワード。
私やクラスメイトは、長い論文を書いたことがない学生がほとんどだった。
みな苦労していた。


・私も難儀した。
書かなければと思いつつ、書くネタが思いつかない。
そこで採用したのが、サラミテクニック。
書き進められないとき、修士論文を完成させるために
必要な他の作業を1つ1つやっていった。

たとえば、参考資料を集める。
図や表を見やすく修正する。
ミススペルを見直す。


・それさえも行き詰ったら、
コピー紙を買いに行く。
ファイルを買いに行く。
表紙を作成する。
といった雑用をこなしていった。


・面白いもので、
雑用であっても取り組んでいれば、
「進んでいる」という感覚がもてる。
そのような感覚がもてれば、不思議と勢いもついてくる。


・チャレンジすること自体が「成功」なり。


・語学の検定試験で不合格になったとしても、
「勉強できたこと自体がすでに成功だ」
と思ってチャレンジすれば、
そのチャレンジに「失敗」などなくなる。


★コメント
仕事の進め方、人生のコントロールなど
ヒントが詰まっている。


 

 




◆佐藤大介『韓国・国家情報院。巨大インテリジェンス組織と権力』を読む


★要旨


・相手が隠そうとしている秘密を盗み出すと同時に、
相手が見つけようとしているこちらの秘密を徹底的に隠すゲームをするのが、
国家情報機関の役割でもある。


・そのため、組織や活動などに関わる情報は秘密とされ、一般国民からのアクセスは制限されている。
韓国の国家情報機関である国情院も、そうした色彩を帯びた組織だ。


・韓国エンタメではおなじみの存在
「コクジョウイン」という単語を聞いて、
「国家情報院」を連想する日本人がいれば、よほどの韓国マニアかスパイ映画のファンだろう。


・韓国の国家情報機関である「国家情報院」は、一般に「国情院」と略され、
日本の情報機関など関係者の間では「コクジョウ」と呼ばれることも多い。


・一方で、韓国の人にとって「国情院」を意味する
「クッジョンウォン」という言葉は広く知られている。


・韓国で人々の関心を集める国情院だが、
同時に情報機関としてその存在の詳細は秘密のベールに包まれている。


・韓国が他国との戦争に巻き込まれたり、内戦状態になったりすることを防ぐ。
そして、独裁国家にならないようにする。
つまりは、北朝鮮という「敵国」の脅威や浸透を韓国から排除する。
それが自分たちの任務であると言うために、
彼はわたしに、カンボジアやアフリカ、北朝鮮の画像を見せたのだった。


・国情院の職員は、韓国の安全を守ることを最優先にしている。
そう男性は言いたかったのだろう。
確かに、そうした面は十分にある。
そのために、国情院は国内外で膨大な情報を収集し、蓄積してきた。


・情報機関の動きはドラマ性もあり、
韓国ではこれまで多くの映画やドラマのテーマにもなってきた。
その代表作とも言える作品が、1999年に韓国で製作された映画『シュリ』だろう。


・韓国にとって国家情報機関の歴史は「暗黒の歴史」でもある。


・国情院と、その前身である過去の韓国の情報機関は、
本来の任務に忠実であることよりも、
政権の安定化と政治介入に熱心だという批判を受け続けてきた。


・軍事独裁から民主化を経て名称や役割を変えてきたが、
その活動の多くが秘密のベールに包まれているという点はいまだ変わらない。


★コメント
隣国の情報機関が、どのように活動しているのか。
我々としても、参考になる点は多い。


 

 



 

 




◆鈴木利宗『地獄の伊東キャンプ。長嶋茂雄が闘魂こめた二十五日間』を読む



★要旨


・「とにかくね、夜、目をつぶった瞬間、朝になる。
それが怖くてね、、、本当に、その恐怖感を毎日味わっていた、そんな1ヶ月間だったんです」
江川卓はいま、訥々とあのときを振り返る。

怪物をしてそこまで振る上がらせた、およそ1ヶ月にわたる合宿生活は、後に「地獄の伊東キャンプ」と形容された。


・1979年10月28日。
東京・読売巨人軍の若手から選抜された精鋭18人が東京駅に集合した。
Bクラス、5位という成績でその年のペナントレースを終了した長嶋茂雄監督は、
数日前に、自身がコーチングスタッフとともに厳選した彼ら18人を呼び出していた。



・10月28日、キャンプイン当夜は、長嶋以下コーチ陣、選手、スタッフ全員でミーティングが行われた。
長嶋は話し始めた。

「なぜこのような、過去に例をみない秋季キャンプをやるのか。
諸君は重々、先刻ご承知のことと思います。
実はこのキャンプには、ベテラン勢の参加申込もありました。
しかしあえて、18人というこの若手諸君、つまりヤングジャイアンツのみに厳選させてもらいました。
なぜなら、この伊東キャンプを巨人軍の新しい歴史のスタートにするためです。

この秋季キャンプは技術を磨くのではなく、心を磨くキャンプだと、肝に銘じてほしい。
どんな艱難辛苦にも耐えて、生き抜く心身をつくるんだ。
その意識革命のために、我々はここ、伊東に馳せ参じたんだ」


・「カン、カン、カン」
警鐘のように響く物音で、江川は朝、目覚めた。
時計を見れば午前6時過ぎ。
起床は7時だったはずである。

外を見ると、ユニフォーム姿の人間がふたり、窓越しに確認できた。
長嶋監督と松本匡史だった。
「鳥かご」と呼ばれるバッティング専用のケージのなかで長嶋のアドバイスを受けながら、松本が打撃練習をしていたのである。


・18人が集合すると、体操をした後、長嶋を中心にして周囲を散歩した。
朝食を摂り、練習開始は午前10時。
投手陣の練習は、午前中は「ただひたすら」の投げ込み。

昼食をはさんで、午後は2時から筋力トレーニングと陸上トレーニング。
ここから江川の想像をはるかに凌ぐ恐怖が、ベールを脱いだ。
腕立て伏せ、背筋などが激しく行われた。


・筋トレが終了すると、投手陣はバスに乗せられ、山奥へと連れて行かれた。
見れば、意図的につくられたような高低差のあるデコボコ道。
そこで、いきなりダッシュを命じられた。
有名な「馬場平クロスカントリーコース」である。
何回も続くダッシュが終わると、スケジュールとしては、ここから入浴して夕食、
夜の自主練習という流れが、一応あった。

だが、午前の投げ込みの後にやらされた走り込み、筋トレが、すべての体力と気力を奪い去った後なのである。


・練習というのは面白いもんで、
『誰も自分以上にやっていない、自分がいちばんやっている』っていうのはすごく自信になる。
試合中、ある場面までいくと。
満塁になったとき、バッターはバッターボックスで、よく『無心になる』という。
なんで無心になるかというと、自分がやってきているので、
負けるわけがないと意識が無心にさせる。


・野球を離れた後にも、それはあてはまるんです。
ああいうキャンプを越えてきたときに強くなるということは、
野球だけでなくていろんなことにも共通するだと思う。
江川はそう語る。



・馬場平でのダッシュと延々と続くランニング、そして腹筋、背筋の「強筋」も、
西本聖は一切、手を抜かないことを誓って、完遂した。

「人間ね、人に言われて追い込むのは嫌でしょう。
でも、自分で大きな夢や目標を掲げて、それを乗り越えるのは、
楽しいことではないけれど、苦痛だけれど、嫌ではない」
西本は語る。



・朝の鳥かご、練習時間のティー、ショートバッティング、夜の素振り。
松本匡史のスイングは一日千回を優に超えた。

スイッチヒッターと外野へのコンバートを命じられた松本は、ノックとバッティング練習をひたすら繰り返していた。
しかし、何日たっても、ボールが当たってくれない、守備でもボールが全然捕れない。
悔しさ、惨めさ、不安。
それらがいっぺんにこみ上げてきた松本は、突然、グランドに這いつくばって涙を流した。

遠方に見ていた長嶋は、駆け寄ってきた。
「どうした、マツ。怪我か?大丈夫か・・・」
そうして覗き込むと、松本の頬が涙で濡れている。

しばしのあいだ、松本の嗚咽がつづいた。
それを黙って見守っていた長嶋は、ポツリとこう、つぶやいた。
「いいなあ、マツ、涙汗か・・・」

松本は、伊東に来てはじめて、心がやわらぐのを覚えた。


・篠塚和典は、走り込みと下半身強化の重要性を以下のように述べている。

「俺は下半身を鍛える=体力・精神力の強化だと思っている。
ケガをするときは、ほとんどが下半身から来ます。
下半身が弱いと、上半身にも悪影響が出る。
スイング、守備でバランスが悪くなっている状態のとき、肉離れを起こしたりする。
伊東キャンプ当時のトレーニングは、器具を一切使わなかった半面、ケガに強い心身をつくるという理に適ったものだった。
だから、伊東キャンプを経てレギュラーになったメンバーの多くは、年間を通して故障が少なく、
タフな現役生活を送っているでしょう」


・長嶋の理念として、
「すべての成功において、足腰の鍛錬が基本中の基本である」というものがある。
伊東で走るメニューに力を入れたのは、それを乗り越えてきた選手は、
心身ともに折れない、強い選手になるという、自らの体験を踏まえた上での教訓なのである。

「やっぱり足は、野球だけに限らず基本中の基本だね。
足腰の鍛錬は、すべての練習の中心じゃないかな」
長嶋は言う。


★コメント
長嶋は、「練習は人に見せるべきものではない」という持論が現役時代からあったようだ。
天才も影での努力は、している。
人間の基本を教えてくれる気がする。



 

 


 

 



◆宮崎伸治『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』を読む


サブタイトル
→【こうして私は職業的な「死」を迎えた】



宮崎さんは、翻訳家。
自らの独自の武器を作るため、50歳から英語以外の語学学習にチャレンジ。
8カ国語の言語を中級レベルまで持っていった。

近著『50歳から8か国語を身につけた翻訳家の独学法』でブレイク。



★要旨


・私はイギリスの大学院に留学しており、
来る日も来る日も読書に明け暮れていた。


・そんなある日、図書館にこもって『7つの習慣』の原書を
一心不乱に読み進めていくと、
経験したことのない強烈な至高体験をすることとなった。


・「翻訳の神」が降りてきたとでも言おうか、
体中の細胞がじんじん興奮してきて、
そのあとも延々と続いた。
そのとき強烈に脳裏に刻まれたのが、
自らの手で訳した『7つの習慣』が書店に大量に平積みされている映像だった。


・あまりにも鮮明で、あまりにも強烈な映像だった。
それから、自分こそが『7つの習慣』の原書を翻訳出版する人間なのだ、
というワクワクドキドキ感に支配され続けた。


・英国留学から帰国して数か月後、
山手線に乗ると、
バカでかい『7つの習慣』の翻訳書の広告が目に入った。

(うわ~、やられた~。
私が翻訳するはずだった本が、先に誰かに翻訳されてしまった!
チクショー、やっぱりあの本、すごかったんだ)


・しかし、私は『7つの習慣』には第2弾があることを知っていた。


・その後、生活のため、がむしゃらに書きまくり、
がむしゃらに翻訳しまくっていた。
帰国後、3年間で9冊の著訳書を出すに至った。


・ある日、女性編集者と雑談している最中、
『7つの習慣』の第2弾を訳したいと、本音を漏らした。
彼女は呆れ返ってこう言った。


・「宮崎さん、いくらなんでもそれは無理ですよ。
第一弾があれだけ売れているので、
第1弾の訳者が第二弾も訳すに決まっているじゃないですか。
考え方が甘すぎますよ。
アプローチしても無駄ですよ」


・彼女のその言葉でハッと閃いた。
彼女は「アプローチしても無駄ですよ」
と言った。
しかし彼女の言葉の中の「アプローチ」という単語が引っ掛かったのだ。


・(アプローチ?そうだ、アプローチしてみよう。
なぜ私はこの3年間、自分からアプローチしなかったのだろう。
アプローチしなければ、第二弾の翻訳が回ってくる可能性もない。
ダメ元でアプローチしてみよう。
ダメだったらあきらめられる)


・手紙を書いたが、編集長から電話がかかってきて
『7つの習慣』の第二弾は、訳者が決まっていると
丁重に断られた。


・しかし物事がどうなるか、神のみぞ知ることである。
数か月後、その出版社から第二弾の翻訳依頼が
舞い込んできた。


・出版社は、経営挽回のため第二弾を早く出したかったが、
第一弾の訳者は、翻訳するのに3年かかってしまうので
超特急で訳せる私に3か月で
訳してもらえないか、という相談だった。


・専業の翻訳家がその本に専念しても
7、8か月かかる分量である。
92日間というのは、翻訳界の「ミッション・インポッシブル」なのだ。


・でも私ならできる。
一見不可能としか思えないことでも私ならできる。
なぜなら、すでに原書を何度も読み込んでいる私には
解釈にかかる時間が不要だからだ。


・しかも私の英語の語彙力は、ハンパない。
知らない単語など原書の中でも数えるほどしかない。


・いい訳文やいい訳語が浮かんでこないとき、
その英文や英単語が夢の中に出てきた。
いきおい夢の中でも、
その訳文や訳語を考える羽目になった。


・1日16時間だったのが、
いつの間にか1日24時間の翻訳耐久レースに変わっていた。


・5月31日の夕方、とうとう訳了した。
私は約束をきっちり守ったのだ。


★コメント
人生の動かし方、
プロジェクト達成するための極意が詰まっている。


 

 



◆浜田聡さん新刊『NHKをぶっ壊すと言ったけどそれだけじゃないんです』に注目します。



★サブタイトル
→浜田聡のバズった質疑 10 選と政策の核心。


★ポイント


・国会の空気を一変させる、異色の議員・浜田聡。


・その鋭い質疑は、YouTube上で何百万回も再生され、
多くの国民の共感と驚きを呼んできた。


・本書では、浜田議員がこれまでに行ってきた「バズった質疑」トップ10を徹底解説。


・財務省主計局への直撃、共産党の公安監視問題、
公金チューチューの構造、NHKとメディアの欺瞞、減税・再雇用問題など、
タブーに切り込むその内容は、どれも本質を突くものばかり。


・さらに、これらの質疑と連動する形で政策を紹介。


・質問主意書を武器に政治の現場に食い込み続ける姿勢や、
彼がなぜ「NHK党」から出馬したのかといったプロフィールにも迫る。


・既存政党が触れたがらない論点をあえて掘り下げ、
真実に迫ろうとする浜田聡の政治姿勢を初めて体系的にまとめた1冊。