「復活の教え」が二世脱塔の足枷になった&母方墓地後書き | エホバの証人ディアマンテのJW人生回顧録

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人をのろわば穴二つ。
この事を理解出来ない組織に執着し粘着し密着します


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改めてまたこのお墓がある、

岡山県笠岡市の北木島に行き

とにかく錆び錆びの供物撤収したく、また

道具用意してお墓洗いました。

しかしながら35℃の酷暑。これは倒れると思い、20分くらいの作業にしました。

(一人で墓参り行かない方がいいという書き込みは理解しました。気温に加えて、墓場の照り返し、洗った際の水蒸気がえぐかったから)もう次は来年7月に倉敷で阪神戦あればそれと墓参り抱き合わせます。


さて


私がまだ聖書を学ぶ前です。

小学6年時に祖母が亡くなりました。


その際です。いち早くエホバの証人になっていた母親の姉(長女)が亡き祖母の傍ら。


「復活があります。」

こう言いました。

(この言葉が始まりとなり、

数多のエホバの証人事件の起点と考えるとたまりませんがね)


亡くなった祖母に逢えるかもしれない。

そりゃ思いますよね、子供心に。


時制は経過します。




広島県廿日市市阿品会衆

石井マ●エ姉妹の義息子に

病むまで虐められた話しです。


この時、義息子に私の父親の葬式が迷惑だと言われました。


1番、エホバの証人をやめようと思った時でした(こんな長老を許してるエホバを不信に思った)


ただ、ここでも復活の教えが邪魔になります。父親に会いたいともちろん思いますし、この長老に阻まれてたまるかというハレーションを起こしましたしね。


結局のところ復活はあり得ません。

協会が良く使った例えである

「ビデオ映像は死んだ人を見事に映し出す…同じようにエホバは死者を…」というのは、ムリがあります。


むしろ虹の橋が🌈あり、渡ると天国の方がしっくり来ます(そう確信できる経験もしました)


繰り返しますが、復活の教えは極めて罪深い教えです。誰にも愛する人を亡くす経験をします。その傍らで「復活がある」と言われたら、信じたくなるものです。