沈黙から轟くものがある。

かつて灰となったものの、失われた声が、

まだ生まれぬものの、未だ無い声が、

沈黙の奥から、身を叩いてくる。

 

沈黙。

ない声。

ない響き。

 

もうない言葉の、まだない言葉の、痕跡と予感。

そこに身をよせる。

 

かつて灰となったものすべての失われた言葉を、

まだ生まれぬものすべての未だ無い言葉を、

さがす。

 

いまここに、すでになく、いまだない、

ない言葉に、ない響きに、ゆさぶられ、

もうない生を、まだない生を、

みえないひかりをみつめる。

 

 

いよいよ、この土日が本番。あっというまに上演日が目の前にある。

上記は初夏にメモした文の一部で、ここから題名をとった。

ときとして、ダンスは非日常的な動きのようにも見えるが、僕の場合は、じっさいには、もとのもとは、日常のすべてから生まれている。

身振りは、カタチの上では抽象的だったり音楽的だったり多様なイメージに結びつくし、だからこそ、さまざまな人と心と心の関わりを交感することができるのだと思うけれど、ダンスは、結局は空想ではないのだと思う。今回、ここまでのなかで、それを、とても感じた。

本作の制作中には、この一瞬を本当に大切にしなければと思い知らされるような事件や災害もあった。

「世界のバランスが揺らいでいるのだろうか。命に対する感覚が狂い始めているのだろうか。このいまを覆う殺伐たるものから、空洞がくりかえし出現し、沈黙が身を突く。」

公演サイトの跋文に、そう書いた。本音として、そう思う。

近しい人にもいろいろなことがあった。喪失もあった。そのたびに、やはりなにか、なにか、としか言いようのないようなものが、どっさりと降り注いで身がこわばったりやわらいだり、する。

あらゆる経験や喜びや悲しみが心の中で渾然一体になって極まり、あまりにもたくさんだから、踊りという現象になって身体から出てくるのかもしれない。

きょうでスタッフとの立ち会い稽古は停めおいて、あとの時間はぎりぎりまで一人稽古を詰めることになる。

しんとして肉体に対峙し、週末土日の夜にご来場くださる一人一人と、さまざまなものを交わし、丁寧に踊り切ることができればと思う。

一人一人の方が、ゆったり、いろいろな思いに浸れるような場を用意できればと思う。

みなさま、心から、お待ちしています。(櫻井郁也)

 

写真はいづれも昨年のステージから。

 


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し「目をすましけり」という言葉をきいた。平家物語にあるのだという。目をすます、というのは変わった表現だが、なんだか踊りを観ている時の感じに似ているように思った。

ひとつの肉体を、とても、じっと、見る。一挙一動を見逃さないようにする。

僕は作品を上演するが、ダンスのそれは結果ではなくて、原因だ。作品には問いかけがあるが、それはダンスを起こすための導火線かもしれない。あるいは肉体に落ちる雷みたいなものかもしれない。肉体が、踊りが、作品というものを超えて、なにか本当に言葉にならないような瞬間を生み出すことが出来るかどうか。そこが、とても大事だと思っている。

踊りを観るというのは、生きている人間が生きている人間を全身まるごと見つめ続けるのだから、思えばとても日常ではない。本を読む面白さとも、映画から受ける感動とも、根からちがう体験がある。人を、空間を、そこから広がってゆく何か無限のものを、じっと見つめる。目をすます。

言葉を使わないぶん、想像力が鋭くなっている。さまざまなものに宿る心がそのまま目に見えると思う。

呼吸で、皮膚で、あらゆる感覚で瞬間瞬間を感じることが、ダンスにはとても大きいから、ダンス公演の会場というのは、生身と生身が対峙し、呼吸と呼吸の関係がつくりだす生きた空間になるのだと思う。

息や熱を、高まりや鎮まりを、ともにする場。生身と生身の関係のなかで、想像力が冴えてゆく場。

そのような場を紡ぐ踊りができれば、感覚と感覚が響き合ってゆくような空間を構築することができれば、いいなと思う。新しい力を生みたいと思う。

公演が近い。二日間、それぞれの舞台。全身全霊で挑みたい。

 

 

11/9〜10上演

櫻井郁也ダンスソロ最新作

『沈黙ヨリ轟ク』

公式webサイト(公演情報、チケット予約)

※お早めにお申込みください!

SAKURAI IKUYA DANCE SOLO 2019

"Distant Cry" 9th-10th Nov.

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聴く、ということについてあれこれと思いめぐらせることが多い。

 

聴くこととオドルことには分ちがたく深い関係がある。

聴くことも、踊ることも、ともに自他をひとつに結びつけようとするチカラが働くことだ。

 

聴くことを通じて私は他者を引き受け、身を委ねる。

聴くことを通じて私は解体され、組み替えられてゆく。

 

踊る姿は聴く姿でもある。

 

聴く。音や言葉を通じて、何者かを、何か別の世界を、体内に受け容れる。

聴くことによって、イメージの受胎がはじまる。

 

この秋の新作に関わりが深いのは、沈黙への傾聴である。

 

いま聴くべきものは、聴こえない声なのではないか、聴こえない音なのではないか、

という思いが、いつしかふくらんでいる。

 

聴こえない、声、音、それは、、、

 

街にでると、けたたましい音が耳を障る反面、人の話し声はあまり聴こえてこない。

気がつけば、話さない時間が、どこまでも増えつづけている。

 

僕らは、かつてなかったほど無口になって暮しているのではないかと思う。

なぜ黙る。

そう思いつつも、黙ることによってしか語り得ないことばが、あるのでは、

とも思う。

黙らざるを得ないところに追い込まれ、

断たれ、そして絶たれた言葉も、、、。

 

あふれる騒音のなかで、しだいに沈黙が拡大している。

ひろがりゆく沈黙に、声にできない声が、言葉を超える言葉が、無音の轟きをたてているのではないか、という気が、してならない。

 

世界を浸してゆく沈黙の底から、

 

どどどど、と、

押し寄せてくる何かがある気がしてならない。

 

 

(写真=前回公演、文=稽古日誌10/18より)

 

 

 

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秋の本公演 Next performance

櫻井郁也ダンスソロ最新作《沈黙ヨリ轟ク

11/9〜10:公式webサイト

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SAKURAI IKUYA DANCE SOLO 2019

"Distant Cry" 9th-10th Nov.

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櫻井郁也ダンスクラス 参加要項 

(からだづくり、コンテンポラリー、舞踏、オイリュトミー)

 

 

 

 

 

黒い鳥であるカラスがこの世界の暗さを悲しんだことから光が生まれた、

 

という昔話を、たしかヴェーユから知ったのだった。

 

言葉なんか無くなってしまえばいいのに。

 

そんな叫びがきこえてくるような言葉をコトバし続けたシモーヌ・ヴェーユに、

僕はながく、あいまいながら関心をよせていて、

なぜか希望のかけらをそのひとのことから感じたりしつづけている。

 

暗さから光が生まれるのだとすれば、

沈黙から新しい言葉が生まれることも、あるのだろうか。

 

沈黙には、闇と光がとても激しく共存しているのではないか。

 

沈黙は、言葉を黙ることによって生まれるが、

その沈黙の底には、黙られた言葉の心が、静かに煮えくり返って混沌しているのではないか。

 

この世界に広がる沈黙の奥には、

無数の人間の、語り得なかった言葉が、発し得なかった声が、

轟々とした無音の響きを渦しているのではないか。

 

そんなことを、思い迷う。

 

沈黙を聴く。

 

それは黙られた言葉を聴こうとすることでもある。

それは聴覚をかぎりなく拡げようとすることでもある。

 

沈黙、ということに思いが行ってはじめた新作が二転三転を繰り返し、

うねる。

激しくなる。


(文=稽古日誌10/10、写真=前回公演より)

 

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櫻井郁也ダンスソロ最新作

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(からだづくり、コンテンポラリー、舞踏、オイリュトミー)

 

 

 

 

巨大台風のせいで都内はニュースなどでご存知の状況。レッスンもリハーサルも全て休みとなり、家から一歩も出れない。雨風ききつつ、えらく古い漫画を読んだ。

 

 

永井豪の「デビルマン」。(上は最終巻表紙)

子どものころ流行っていたが、まともに読まぬままだった。いまふと読み、古さを感じなかった。私たちの現在に重なる状況が散りばめられている、とも感じた。読みながら、予言かと思った。

悪魔と人間の出会いが格闘となり全面戦争となり、やがて戦争から生み出される不安が人間の心を疑心暗鬼に陥れて、人間と人間が限りない暴力の連鎖を生み出して自滅してゆく。

私たちの日常に溶け込んでさえいる非対称の戦争状態を思わせられて、ぞっとした。

敵がハッキリとしない、それゆえに収束するところも曖昧な、いま現在あちこちで進行しつつある新しい戦争。対テロ戦争というような言葉が示す日常的な戦争。いや、戦争状態の日常化だ。

テロリズムや日常に潜伏する凶悪犯罪が絶え間ない緊張と危機感の連続を生み出して長い。国家と国家の戦争というビジョンはぼやけて、力の対立が単純に捉えがたい。より複雑かつ細かくなった。イデオロギーの輪郭が拡散してぼやける一方だが、集団エゴはむしろむき出しとなって競争を加速し、暴力性をともなってゆく。

戦争は日常にも侵入して、いじめ、ブラック、忖度、空気、などなどといったものに姿を変えた。

関係性が生み出す圧力は、集団意思への共感を煽りつつ、生活に緊張を生み出して個を萎縮させ、社会全体に緊張状態を蔓延させる。

いつしか戦争と平和の境目が無くなった。

慢性的な戦争前夜、とでも言いたくなるような社会状態に陥っている。僕には、そう感じられる。

原発事故による放射能問題が解決しないまま通奏低音を奏でつづけている。未来の彼方まで解決しないことを、すでに私たちは知らされている。存在にかかわる問題でもある。

慢性的な不安と、潜在的な反感に囲まれている。

反感の蔓延する世界では、同時に自分も誰かにとっての潜在的な敵になりかねない。いつしか社会は互いの監視体制を拡大し、監視者自身が監視されているような、広大な檻を構築してしまっている。その中に居る。

いま僕らは、まるで中世のペスト禍のような、神経質な、疫病のなかに呑み込まれているのではないか。妄想なら良いが、、、。

そんなふうに思うイマ現在を、昭和に描かれた悪魔と官能と活劇の漫画は、強烈に予感させ輪郭づけていたと思った。全4巻いっきに読めるが、かなりの密度だった。

 

 

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公演情報

櫻井郁也ダンスソロ公式webサイト

SAKURAI IKUYA DANCE SOLO 2019 :9th-10th Nov.

(detail and ticket information)

 

 

 

 

 

 

 

 

櫻井郁也の最新ソロ公演、

いよいよ1ヶ月前を切りました。

3.11直後の心象を踊った『方舟』(2012:ルクセンブルク)、原爆70年忌に捧げた『弔いの火』(2015:長崎)につづく、生と死と再生をめぐるダンス作品。この作品をつくるなか、櫻井はさまざまな命にかかわる出来事に出会い、かつ、生命をめぐる社会的な問題に思索を拡げながら身体に向き合い続けています。

いま、ダンスは、いかなる交感を生み、いかなる思索を紡ぎ得るのでしょうか。

研ぎ澄まされた感性と肉体による先鋭的な作品、そして、長年の追求ならではの見応えある舞いを、ぜひ、ご堪能ください。(十字舎房 制作部)

 

「沈黙すればするほどに聴こえてくる声が、あると思う。

 遠い声、心の声、死者の声、

    物質の声、時間の声、

    不在の声、、、。

 聴こえない声のなかに、

 ない声のなかに、

 本当の言葉が、

 あるのではないかとも思う。

 死者とともに消えていった言葉、

 語られなかった言葉、

 語り得なかった言葉、

 それら、うしなわれた言葉たちに耳を澄まそうとするとき、

 身体すべてが鼓膜になって、

 ダンスの到来を受動するように思えてならない。

 沈黙のなかに立つ。

 極度に、

 極度に沈黙して、

 遠く透明にとどろくものに、

 身を投げる。(櫻井郁也)

 

【公演詳細 Stage information】

櫻井郁也ダンスソロ「沈黙ヨリ轟ク」2019.11/9-10・公式webサイト

SAKURAI IKUYA DANCE SOLO2019 Nov.

 

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・作品の紹介
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疲れが出たからスカッとする映画でもと「Ones upon a time in Hollyhood 」を観た。ブラピとデカプリオのあれだが、勘違いだった。えらく味わい深い作品だった。それは、欲望と悪についての、それゆえそれは友情についての映画に思えた。

スカッとなんかしなかったし、面白いとも言えない、傑作を観たというのとも、なんだか違う。けれど、もういちど、いや、ときどき観たいと欲求している。生理的にだ。

うそとほんと、こことむこう、つまり境目の世界に迷い込んだ気分だった。ばかでかいスクリーンに映し出されるその映像のすべてがキメあらく乾いている、おもしろい、眼もざらつく。

この映画のなかでは、笑いの正体が暴露されているし、凶悪と狂気と快楽の接近が、それとなく臭う。ぼくは、いろいろな立派なお説教よりも、夜明け前の街の汚れや白々とした気温に神聖さを感じてしまう。だから、こういう映画が好きなのかもしれない。

タランティーノ監督の映画から、これほど深い味わいを感じたのは初めてだった。

じつはキル・ビルのあと、なぜか見てなかった。だから、ずいぶん長い間あの印象のまま僕のタランティーノ観は停止していた。でも、これからは全部、観るかもしれない。最初からエンドロールの最後の一瞬まで、感心しっぱなしだった。感動じゃなくて感心ってこの心地だ、と思った。おおげさに言えばサドを読んだあとみたいだ。

音も画も編集もパルプフィクションからずっと継続的に探求されているのだろう。息をのむ、膝を打つ、そんな瞬間が2時間以上つづく。そして映っているもの全てが、えげつなく強い。力に満たされた映画だと思った。そして、芝居に心おどった。デカプリオもブラピも激しくいい芝居をしつづけるが、チャールズ・マンソン一味のひとりを演じた俳優たちが、ダコタ・ファニングをはじめ、神がかり的。半端ではない。

物語の展開も、シャロン・テート事件を扱っているというから、どうなるのかとは思っていたが、あんなふうに来るとは思いがけなかった。最後のほうのメチャクチャのめちゃくちゃさに、とんでもなく無関係なんだろうけれど、僕は勝手に沖縄やベトナムの映像を重ねてしまった。アメリカ、、、。

物語も映像も、すさまじい展開だが、レクイエムを感じた。タランティーノの眼差しに才気を感じた。深い深い痛みが、軽やかさや洒落っ気を生み出すのだろうか。現実に対する絶望の深さが、光を生み出そうとするのだろうか。だから、ああいうふうになるしかないんだなと、思った。ひどく共感してしまう。

憂さ晴らしに映画でも、と思ったが、奇妙な刺激を受けて脳ミソの中枢に何かが入り込んでしまった。これを観たせいで、なんだか眠れない。 

 

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OPEN !!

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 9/22に行なった「アペイロンのためのパフォーマンス〜あるいは、知覚の会話」は、ルクセンブルクの美術家フランク・ミルトゲン氏との共同作業だった。依頼を受けて、わずか10日ほどで本番だったが、とても腑に落ちる作業だった。

 僕はミルトゲン氏がドバイで発表した作品写真を見て好感をもった。そして、氏の作品から僕が聴覚的かつ音楽的なイメージを刺激されたことを氏に話した。

物質と光によって美術は存在してあるのだろうけれど、必ずしも眼で見ているものが美術の全てではないと僕は思う。眼を通じて、視覚以外の感覚が目覚めることは多々ある。美術においての眼は、あくまで想像力の入口なのだ。即物的でありながら、多様な感覚を目覚めさせる力を、彼の作品はもっていると思った。

  出会う前、ミルトゲン氏は僕のダンス作品「白鳥」の記録映像を観ていた。それは2018年の作品で、大量の羊毛と羽毛からつくられた織物が舞台美術になった。その踊りを観たあと、コラボレーションが可能ならダンスのために火山灰か炭化ケイ素の粉末を準備してみたいがどうか、と連絡があり、最終的に採用されたのは後者だった。

炭化ケイ素は、隕石に含まれる物質だが、それはサンドペーパーの材料にもなる。磨く、傷つける、痛覚と関係する物質だ。痛覚は、僕の作品すべてにおいて、つねに大切な要素になっている。

  コンクリートの床一面を広く覆う炭化ケイ素のほかに、氏が用意したのは、空中から規則的なリズムで落下する黒い布、同時に、下方から起こる風圧によって空中に保たれるもう一枚の黒い布、そして、それらと身体を見つめるような位置に、大きな赤い絵が一枚。それが火山の岩肌にへばりつくようにして描かれたものだということが、会場の入口で映し出されているビデオから推察された。抽象画のように見えるそれは、岩肌そのものの表情だった。その「赤い絵」を見つめ、また、絵に見つめられながら、炭化ケイ素の細かい粉末にまみれて踊った。

  観客の方々の視線からは、身体と「もの」が絵画的な音楽関係を作っているように見えたかもしれない。それは生成でありながら痕跡でもあるのだから、時間性を感じさせたかもしれない。

落下する布は、僕のレッスンに氏が訪れたときスケッチして見せてくれたものだった。身体は重力に関わりながら時間を蓄積してゆくと僕は思っている。そんなことを話した記憶もある。

  ものごとはいかにして生まれ始まるのか。そもそも生命はなぜ生まれるのか。ということを、今回はとくに考えた。踊る前に、踊りのさなかで、踊りの終わったあともずっと、、、。そんなことを考えたくなる状況を、フランク・ミルトゲンの美術は、醸し出していた。

ひとに何かを考えさせる、という大切なハタラキを作品に宿すのは、それじたい素晴らしい成果だと僕は思う。作品の解釈を考えさせるのは当たり前だが、作品を通じて「ものごと自体」への思考を促すのは、より大切だと思う。

  ミルトゲン氏は、たぶん地球のことを考えている。僕は人体のことばっかり考えている。地球と人体に根源的な関係があるとすれば、私たちの考えはどこかで重なる可能性があるのかもしれない。環境や物から何かを読み取ろうとする氏の作業プロセスには特に共感できた。僕にとっては踊りもまた、ものとこと、との解読にかかわる行動だから、、、。

画像=フランク・ミルトゲン展カタログ掲載ページ(撮影=永田康祐)

 

 

 

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お前の心臓をつかみだせ、

つかみだしてむさぼり喰え。


新作の稽古をしていて、ふと、そんな言葉を思い出した。

お前の心臓を、、、。

誰の言葉だったか。

もしかするとジョイスのなかにあったのかもしれないと、うっすら思うが、どうだったか。

ジョイスの言葉には、異様な感情の高まりをおぼえたことが何回かある。

過去作のなかで「チャイルド・オブ・ツリー」という題名があるが、あれも、フィネガンを読んでいて思いついたのだった。

気のきいた言葉、素敵な言葉、そのほか、他人の言葉にずいぶん世話になっている。

感動のおおくは他人から訪れるが、言葉は特にそうだ。

色んな国の言葉があるのは当然だけれど、実は、ひとの数だけ言葉はあるのかもしれないと思うことがある。

通じているつもりが通じていない。通じていないはずが通じている。

そういうことがあるのは、とても面白い。

誰かから言葉を受けとること。

そこから、心が動き始めるような気がしてならない。

はんたいに、言葉を受けとらないと、

心はどんどん固く停止してゆくのではないかとも思う。

停止すると心は心でなくなってしまう。

心が動かなくなると人は人でなくなってしまう。

お前の心臓を、、、。

誰の言葉だったか。

 

 

 

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