ダンスを稽古すればするほど、ハッキリと感じ取れるものがあります。

たとえば呼吸のはたらきです。

呼吸についてのセンスは踊りの根のひとつなのではないかと、そう思うことが、ある時期から増えました。先日のソロ公演『沈黙ヨリ轟ク』の稽古でも、それを如実に感じました。このごろ、あらためて呼吸について考えています。

レッスンでも、呼吸はずっとテーマです。

たとえば、基礎クラス()では、めったに音楽をかけない。かけるとしても最後に少し、なのですが、それは、自らの呼吸に意識を傾けてもらいたいから。どのような状態で呼吸はベストの状態になるのか。そして、呼吸とともにある身体を感じ取ったときの感覚や、呼吸とダンスの関わりを体験していってもらいたいからです。

呼吸、息。それはダンスにとって最も重要な要素とも思います。

言い方を変えれば、全ての動きにおいて呼吸を意識する、ということから、身体はダンスに接近して行きます。オドルという状態に、つまり、リズムの発生にアクセスすることは、息と息を合わせ合うことでもあると僕は考えています。

フィジカルトレーニングの側面でも、横隔膜の活性化、肩の柔軟性、腰の安定、、、呼吸と運動の関わりからは代謝・血行など身体機能そのものも影響されますし、リラクゼーション、バランス、ダイナミズム、リズム、などなど、ダンスの基本的な動きは、ほぼ呼吸に左右されます。

また、呼吸に対する感度が高まりデリカシーが出てくると、必然的に外的な音や誰かの奏でる音楽に対しても、的確に動きがつながるようになって行く感じが、僕の場合は強くある。

呼吸は身体そのもので、呼吸はコミュニケーションそのもの、とも言えるかもしれません。

呼吸は、自分だけのものではなくて、環境や他者との共有する行為なのかもかもしれません。

的確な呼吸は動きに解放感をもたらします。

ダンスの動きは、頑張り突っ張る動きではなく、戯れる動きです。

ダンスの動きは、語り、うたうような、体と何かが対話する動き。

ダンスの動きは、息とともに動くこと。

呼吸としての動きを獲得することが、ダンサーの基本的な条件ではないかとも僕は思います。

ダンスすること。カラダと関わること。

これは生活のリズムにも、心身の健康やバランスにも関わることだと思います。

それゆえ、呼吸と動きをひとつにする方法を作品のみならず、全てのレッスンを通じて、具体的に構築したいと思います。 

  


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基礎オープンクラスの補講をした。先月の大きな台風のせいで休んだ日のかわりだった。28日。普段とちがう平日の夜だった。

ヨガアサナで気持ちの切り替えをしたあと、深い呼吸をするための練習、そして、胸郭を拡げ、肩や背筋をゆるめてゆく。そのあと腰まわりと太腿をしっかり使うエクササイズへと進めた。深めの股関節ストレッチ。バレエウォーク。そしてクロスフロアへ。

さらに参加者の希望でフリーダンスの時間をとった。シンプルに手拍子だけでリズムを提示し、それを聴きながら踊ってもらった踊りが、ことのほか一人一人の個性が自然に出た。良かった。

呼吸と心理は肉体のコンディションや動きを大きく左右する。息を合わせてという言葉にもあるように、踊ることは呼吸と心の状態を整えることに深く関わっていると僕は思う。

 

忙しさや気にしていることから一時はなれて、静かになり、そして音楽や表現や運動をたのしみ自らの身体に集中してゆく。そのような時間を積み重ねることが次第にダンスの基礎をかたちづくってゆくと僕は考えてきた。ダンスの基礎というのは思ったことが素直に体の動きや顔の表情に出てくるということだ。こわばっていない状態だ。

踊れる身体は心と体がばらばらになっていない。本来の姿に、つまり自然に近い。僕らが日常と呼ぶ様々な制約のなかで、身体は不自然な状態に押し込められているかもしれない。

夜の落ち着いた練習のなかで、あらためてそのことを思った。

休憩のとき、イサドラ・ダンカンのことを少しだけ話した。現代ダンスの母。バレエの所作にこだわらず、自分の身体を解放して、思いのまま自然のままに踊った。自然な身体こそが美しい。しかし悲しいかな人間にとっての自然とはどんな姿なのか、探求しなければここに戻っては来ない。自由に自然に踊る。それは伝統や既成の文化への挑戦でもあった。いまおもえば実に合理的な精神だが、当時は前衛ととられた。伝説になったが、近年いつしかダンスはまた色々な形式だとかジャンルとかいうものに区分けされている。(このことはまた、、、)

 

このクラスは毎週土曜日は、15時から17時。

週末の午後、あちこち凝っているところをほぐし、全身を活性化するようなレッスンにしたいと思う。

 

 

※初心者から、いつでもご参加ください。詳細は下記のリンクより。


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秋の公演を納めて、やっと体調も元にもどりつつあるなか、以前ここに書いたものを読んでいた。

そのなかに、まったく今も同じに思える記事があった。

クラスを指導したあと一人で夜の稽古をした、そのときのメモだった。※下記

明日も稽古とレッスンをする。

繰り返すこと。ひとつのことを続けること。

何かを発見したり実現するには、あれこれ色んな事をやっていては見失う事のほうが多い。

繰り返しの中に、いちばん大切なことがあるということを、今更ながら、とても強く思う。

 

(以下、上記にあるメモの一部です)

 

音が身体に染み渡るようだ。

あるひとつの音が、
鳴り、響き、
やがて静かになってゆく。

その全てのプロセスを感じてゆく。

まずは、忙しくしないことから、
そして、力まない、ということへ、
やがて、深く聴く、ということへ。

鼓膜のふるえは外界とのコンタクトだと思う。

それが、全身に伝わってゆくのを、ゆっくりと味わうとき、

ワタクシという枠から一歩外に出て、外気に接してゆく感覚もある。

踊りに熱中していると、音の聴こえ方が変わってくる。

そして、音への集中の高まりの中で、ふと、
なぜだろう、
とても冷静な、同時に、熱い感覚が、こちらに来ることがある。

それから、だれかと少しずつ親しくなってゆくような感覚にも似た、心の状態を感じることがある。

そして、踊りという行為に対する感謝が、とめどなくでてくる。

そして、あらゆる感覚を敏感にしたくなる。

そして、感じとることが出来る全てを、正確に反射したいという思いが、絶えず湧く。

そして、、、。

音をきく、それは、ともに響くことなのだろう。


音をきく、

それは消えてゆくものに寄り添ってゆくことで、
生まれてくる沈黙を迎えることでもあるのだろう。

 

 

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真っ青な空に、

ゆっくりと一本の白線が描かれてゆく。

飛行機雲だとわかっているのだが、

空が裂けてゆくように、思える。

まぶしい。


ある映画の始まりを思い出した。画面いっぱいの青空に飛行機雲がずっとのびてゆく。流れる音楽は左手のためのコンチェルトだ。低い持続音の高まりをピアニストが左手でキャッチすることから壮大なリズムが沸き起こる。ゴダールの『パッション』という映画の最初だ。

ゴダール作品のなかでも特に鮮明におぼえている一本で、目を奪われたシーンが多い。10回以上は観たと思う。観るたび、映画の内容とはまるで無関係に、そしてランダムに、僕は、さまざまなことを思い考える楽しみを感じた。好きなダンサーのダンスを見つめる時と、どこか似た時間の感覚なのだ。物語よりも映像を、映像そのものよりも映し出されたコップや人の肌や髪が、台詞の意味よりもそれを発音しようとする人の息音が、つよく感覚に働きかけてくるように、僕には思えた。

ゴダールの作品は、わかるようでわからない。わからないがなにかを感じる。つまり生身の人間にちょっと近いのかしら。だから何回も観たくなるのかもしれない。

海が嫌なら、

山が嫌なら、

勝手にしやがれ。

だっけ、、、。初めて見たのはそんな台詞に始まる白黒映画だった。物語というよりは、出来事のリズムを視ているようだった。

すこし前に観た最近作『イメージの本』はすべてが始まりのような映画だった。断片がおびただしく繰り出され続けた。見終わってもまだ自分が何を見ているのか、見ていたのか、釈然としなかった。これは何だろう。そう問いつづける。想像しつづける。見終わっても想起し続けようとしている。何を見ているのか。何がそこに起こりつつあるのか。つまり見終わってなお映画は始まり続けているのだった。

ゴダールの映画群は一種のルネッサンスだったのでは、とこのごろ思う。沢山の感動を僕は映画からもらったが、ゴダールの映画には感動というようなものが沸き起こった記憶はない。光の波が、影の呼吸が、網膜を激しく叩いた。そして、ある種の思考が、映画の中で、あるいは明滅するスクリーンの光と影のリズムとともに、ドキドキと脈を打ち始めるのだった。視ることから始まる思考がある。その味を知った。他の映画に、その経験はなかった。

ゴダールの映画はいつも断片で出来ている。スクリーンに時間の破片が散りばめられている。あらゆるストーリーは夢のようにバラバラになって並行している。辻褄合わせは困難で馬鹿馬鹿しいことにさえ思えてくる。何も分からなくたって、沢山のことを感じているからだ。つまりすべては「今」ということなのだと思う。

じっさい、僕らの現在には連続と非連続が混在していて、さまざまな出来事が繋がらない断片のまま並行している。僕たちも、僕たちの周囲の出来事も、バラバラだから繋がりたがっているのだろう。世界はひとつではない。とても沢山の世界が、生まれては消えている。この世界の隣には、別の世界が、きっとある。そんなことを想像しながら、僕は生きているし、そんなことを想像しながら、僕は踊ったり書いたりしている。

 
 

アートその他の話題

  

レッスン(櫻井郁也ダンスクラス) 

 

  

 

 
 

 




この、ちんもくの、ふかいところから、

とどろいてくる、これは、なんだろう。


ひびかない、きこえない、とどかない、、、

なのに、たしかに、かんじてしまう、

そして、いま、この、からだ、を、

ずっとずっと、ふるえ、させて、いる、これは、なんだろう。


ぼくらのいまに、ひろがりつつある、

この、ちんもくの、

とても、ふかいところから、

セイメイの、ヨクアツに、ダンアツに、

かかわる、なにかが、、、。


2019 秋 櫻井郁也

 

 

写真は、先日のダンス公演『沈黙ヨリ轟ク』での当日パンフ表紙。

文章はパンフに掲載したものです。

 

 

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stage info

櫻井郁也ダンスソロ公式webサイト

SAKURAI IKUYA DANCE SOLO official 

舞台公演の案内サイトです。

 

 

 

 

 

舞台を納めて

日常に戻ると

花が咲いている

ここからまた、

さて、、、

 

 

 

 

ご報告をさせていただきます。

おかげさまで、櫻井郁也ダンスソロ『沈黙ヨリ轟ク』につきまして、昨夜、無事に二日間の公演を納めることができました。

ご来場いただいた皆様、関わっていただいた皆様、心より感謝いたします。


今回、沢山のご感想をいただいております。
しっかり反芻しつつ、次への稽古を早急に開始したく思っております。

事後感想や次作への抱負など、近日中に書いてココにUPできればと持っております。


みなさま、ひきつづき、どうぞよろしくおねがいします!!!! 

櫻井郁也、十字舎房、関係者一同





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