たまに、この木を眺めたくなる。

この木のそばに行くと、気持ちが直る。

特別な思い出など無いのに、なつかしい人に会ったような心地がして、体が楽になる。

好き嫌いということとも少し異なる感情だ。

なぜかわからない。

僕が上手に言葉にできないだけで、本当はなにかとても小さなできごとが、この木とこの体のあいだに起こるのかもしれない。

特別な木のひとつだ。

過去作には樹木に対する感情がダンスになったものが多数ある。

なかでも特に直接的なものは2008年に上演した作品(※)で、それは、ある木が切り倒されたことが強い衝動になった。

このときも、木という存在と僕の体がどこかで関係しようとしているように感じた。

10年以上たってまだ、そのダンスにあった衝動は消えないまま生きてさまざまに変化しているように思う。

人と人のあいだに関係が起きるように、樹木と人間とのあいだにも関係が起きるのだろうか。
 
 
 
 

※ 関連記事(過去作記録2008)

 

 

____________________________
クラス案内 Lesson and workshop 

▶レッスン内容、参加方法など


ダンス公演 stage info.

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 

 

 

 

名テノールのペーター・シュライヤーが亡くなったことを知った。12月25日ドレスデン、84歳。

芸術は人間を励ますための仕事だと思ってきたが、そう思わせてくれた人のひとりだ。

声というものが心を震わせる凄いものなのだということを教えられた。リートと言えばこの人と言いたくなるほど、ほとんどの名歌を、僕はシュライヤーのレコーディングによって知った。

オペラでも『魔笛』をはじめて全曲きいたスウィトナー盤でのタミーノ役なんかきら星だったし、第九ならブロムシュテット/ドレスデン歌劇場と組んだやつは半端なかった。そして、リヒターのオルガン伴奏にあわせて歌われたバッハを言葉にする力は僕には未だまったくない。

すこし前に亡くなったフィッシャー・ディースカウがいなかったらマーラーを好きになれたかと思うことがあるが、シュライヤーの場合、この人なしには知ることさえなかった音楽も多い。

来日時に歌ったベートーヴェンの歌曲なども極みだったのではないかと思うけれど、この人の歌は何よりも心を明るくしてくれた。

この人の歌を聴いていると、心の固くなってしまった部分がほどかれていったり、消えかかっていた希望や情熱がもういちど蘇ってきたりすることが、多々あった。

僕にとってペーター・シュライヤーは、明るみをくれた人、とも言える。たとえば月光のような力を、この人の歌は持っているのだと思う。

丁寧に、丹念に、歌う。自分を表現するための音楽ではなく、音楽というものそのものを寿ぎ伝える音楽だった。歌ってすごい、聴くたびそう思った。音楽というものがこの世にある素晴らしさを、この人の歌を聴くたびに感じてきた。ダンスでもこういう仕事ができないものかと、よく思う。

この人の歌を通じて、声を通じて、音楽を通じて、すごく助けられ多くを教わったように思えて仕方がない。淋しいが、おなじ時代に生きることができた幸運にも、感謝したいと思う。

 

 

 

 

____________________________


クラス案内 Lesson and workshop 

▶レッスン内容、参加方法など


ダンス公演 stage info.

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンマーヘッドが裸の人だ。この鉄槌で何を叩くか。どついてやる、と思っていた奴に振り下ろすとき、この裸の人もまた悲鳴をあげるか。いや、だけどこれは凶器でなく彫刻なのだと思い直すのだった。

 

「アルティザンって何だよ?」ときくと「まあ、職人だけどね」と答えた。その眼つきがキていた。話しがひろがり、時間を忘れた。日本橋の高島屋本店で開催されている藤井健仁展「アブジェクションX」(写真上は展示作品のひとつ)でのこと。タイトル案出に関わらせてもらったが、ハズレなし。

 

彫刻家の藤井は旧友だが創作面でも何度か組み過ごしてきた。いらだちと怒りの領域で、どこか近しさを感じてきた。昨秋の彫刻展では超久しぶりに共同作業をやろうダンスか何かをということになり、京都公演「絶句スル物質」(京都場アート講座)を行なった。

 

展覧会のオープン祝儀の踊りとかではなく本格的な公演のかたちでやるべきとなって時間も労力もかけ、全てを京都場ディレクターの仲野氏が受けとめてくださって実現に至った。藤井との仕事には本当は「こらぼ」などという平べったい言葉よりも「共犯」とか「共謀」のほうが良かったのかもしれないと今おもう。

 

あのとき話した膨大な言葉のカオスを思い出しながら銀座をふらつき日本橋に着いたが、その入口の紹介文に出てきた一言が、文頭のアルティザンだった。artisan。技術偏向への批判にも使われたというその言葉を、わざと入口に提示するとは挑発的ともお洒落とも思ったから、それで、アルティザンって何だよ?ときくと、職人だけどね、と答えた。昔の言葉ですけどね。このごろは「チ」なんですかね。だくだく矢継ぎ早に話すなかに、手仕事への、もしかすると手そのものへの偏愛が感じとれた。

 

手をかけて何かをつくる。欧州などに比べ日本の美術教育では技術が重視されるという。それを「古い」ととる人もいる。僕は身体的なものへの信頼と感じている。グローバリズムや資本主義が見捨てようとするものが、技術には、身体性には、習熟性には、修行的行為には、つまり個的な空間には、あるように感じてならない。

 

素材の一貫性と作業痕跡の生々しさこそが藤井の良さだと僕は感じてきた。モチーフや雰囲気や仕上がりの感じとは別に、そこには何か大事なものを感じる。藤井における素材の一貫性とは鉄である。作業痕跡の生々しさとは手の仕事の痕跡である。鉄は意味の金属だ。それを語る言葉は山ほどある。手仕事について語る人も多数あるだろう。しかしそれらの素晴らしさと個(ワタクシあるいは謎)の関わりを表現することができるのは作品、それも特定の作品だけかもしれない。

 

これは僕が気に入った藤井の作品のひとつ。コトバ化しやすいコードが無く、作業仕事の原因と痕跡だけを感じる。下は昨年ともにした公演のなかでこの作品に関連したシーン。

 

 

 

たやすく他者と共有できないものへの、解釈が困難な何かへの、生理的な執着や失念や嫌悪や絶望や愛情や枯渇が持続と継続を生むことを、僕の場合は「ダンス」から学んだ。その感触にどこか通じるものを、藤井の作品群、いや、作業群から、僕は感じ勝手に共感している。

 

展示や作品の印象は書かないままにしたい。まず言葉なしに見てほしい。年明け6日まで。

 

展示情報 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 


櫻井郁也ダンスクラスご案内 Lesson and workshop 

▶クラスの種類や内容、参加方法など


櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演サイト Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 

もはや根本的なところに還って人間の根本を考え直し、教育から始め直すことでしか戦争の渦から私たちが逃れることはできないのではないか、という、ロジェ・カイヨワの考えに、少し前から興味をいだいている。

戦争と教育は大いに関係があることを、僕らはかなり前から思い知らされている。にもかかわらず、この「現在」という状況がある。勝つための教育を受けているからではないか、と愚考する。

教育というのは別に学校のことや制度のことに限ったものでない。子どもを可愛がるこころ全てが教育だと僕は思う。だから教育というのは愛情と深くかかわり合っている。

大人だって、人をとりまく関係すべてがその人にとっては教育になる。人が人に接するとき、そこに影響が生まれるのだから、人の関係というのはすでに相互教育をしているのだと思えて仕方が無い。

教育しだいで人間は人にも鬼にもなる。

だから、教育から始め直すというのは、関係のことから始まるのだと思う。制度も大事だが、いつも我々は互いに教育し合っているという心持ちがしっかり意識されないといけないのではないかと思う。

教育によって人は新しくなることが出来るかもしれない、と思う反面、人がそう簡単には新しくならないことも教育が原因なのではないかとおもう。ものごとや自分自身を変えようとすることも変えまいとすることも、それは教育によって形成される価値観に大きく左右されるのではないか。

自由な人は自由について考える習慣をもっているし、自由について考えるための教育を受けている。不自由な人は、不自由であることを感じないし、感じないようになるための教育を受けてきたのではないだろうか。人が自由か不自由かというのは、その本人の受けてきた教育によって、大きく左右されるのではないかと僕は思う。

人間は心を受け継いでゆく存在だから、教育によってなにもかも変化するのではないだろうか。そして、教育というのは、必ずしも学校とか師弟とか先輩後輩などの上下関係や集団のなかで行なうものでなく、個と個の関係のなかで生涯にわたって網の目のように広がり展開しつづけてゆくものなのではないかと、思う。

人と人が出会うことから人は生まれかわる。人と人が出会うことから社会は動き始める。それは、人と人の出会いの中に教育性が潜在しているからだと思う。

教育という事を、どのようにして一人一人が考えて担い得るのだろうか、ということを真面目に考え直すときが来ていると思う。当然、既成の教育概念は、いったんすべて考え直すのが前提と思う。

誰かが誰かと出会い、深く関わり、ともに子どもを生み育て、やがて全てをゆだねてゆく。そのような、人命と人生のバトンタッチのなかで、僕らはどんな言葉と行為と希望と絶望を、どのようにして、受け渡してゆくべきなのか。

あたらしい教えかた。あたらしい育てかた。あたらしい関わりかた。

そのところを、いよいよ真剣に考え直さないと、いけない時代を僕らは生きているのではと、しきりに思う。あたらしい、というのは、かつてない(never more)という意味では決して無いが、、、。

 

▶追記ーーーーーー:思えば、ダンスを通じて教育について考える機会は多かった。最初にその機会があったのは水戸芸術館の市民舞踊学校でのワークショップだったし、まえにNHKで振付担当をしていた番組も小学生の国語教育にダンスを活用する試みに関係していた。いま、自身で運営するクラスは大人の方とのものだが、そのほかに専門学校や最近は高校生にも関わるようになっている。それから、ダンスと並行して続けてきたオイリュトミーは元から教育を意識した側面をもつ身体芸術だが、それについても最近は考えが次第にハッキリしてきている。このブログでは、そのあたりのことには殆ど触れてこなかったが、これからは少しづつでも、ダンスと教育について書けるように努めたいと思っています。

 

 

 


櫻井郁也ダンスクラスご案内 Lesson and workshop 

▶クラスの種類や内容、参加方法など


櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演サイト Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

思わず出てくる動き、というのが最近とても大切に思えて仕方がない。むいしきのうごき、というものとは少しちがう。思わず出てくる動き、というのは、言葉にスルよりも先に身体が動いてしまうということだ。ある一瞬に沸き起こるものが、言葉にナルよりも素早く、動きになって溢れ出るということでもある。心の速度と肉体の速度にはちがいがあるのかもしれない。

思う、ということと、動く、ということのあいだには、何があるのか興味深い。

たとえば、体の動きによってわかってくるキモチがある。心に思ったことを動きにするのと少しちがって、変な言い方かもしれないが、体の動きが心を教えてくれることが、あるのだ。思考や意思をくつがえす力が、肉体から発せられてあるのだろうか。

経験に囚われている人も、みずからの思考にこだわる人も、みずからの意思に支配されている人も、どこか頑としてコチコチに見える。そのことを肉体は嫌っているのではないかと思う。

思考も意思も、それぞれ、自分というものを確かにする反面、束縛もしやすい。それゆえ時として肉体はこれらに反乱を起こすのだと思う。肉体は感情につながっている。

肉体感情、存在しない言葉だが、僕は勝手にそんな言葉をつくっている。肉体感情がひきおこすその動きによって、さらに湧きあがってくる心がある。それらはいづれも踊りになってゆくばかりでなく、音楽にもなる。踊りになって、音楽になって、からみあって、また新しい感情の火種になって、きりがない運動の連鎖を生む。痙攣的な時間が流れてしまうことも、ある。それはそれで音楽的な出来事かもしれない。

衝動的な動きの連続が幾重にもかさなって、いつしか織物のようになってゆく。その時点が、僕の場合はダンスの創作とか作品とか呼んでいることの初期状態なのだと思う。

みなさまにご紹介する場合、作品というのは題名が付いているし、解説文とかステートメントも書くのだが、それらの「ことば」は、上記したような衝動と運動の連鎖から、いつしか一定時間のダンスが生まれ、それを何度も何度も踊っているうちに、だんだんと体から読み取るようにして出てきたものだ。だから、それが、舞台にのるころには、さらに発展や変容をしていたり、逸脱してもはや別の言葉を生み出しそうになっていることも、ある。言い方を変えれば、題名や主題めいたものは、創作中の一地点を示す経過報告みたいなものかもしれない。

僕の場合はダンスにとって、ことばというものが着地点にならないのだと思う。僕の場合は、ことばもプロセスの一通過点にすぎない、とも言えるし、ことばもまた素材とか要素のひとつ、とも言えるのだと思う。ことばのない状態から言葉を掘り起こし、つまり書いたり話したりし、その言葉からまた心が揺れズレうごき、いったん結びついた繋がりが切れ、新しくまた、ことばのない方向にむかって肉体も時間も空間もバラバラになって乖離してゆくのだ。結びついて、バラバラになって、どこへ行くのか解らない状態になって、カオス状態が新生するといいのだけれど、と思ったりも、最近はする。

あらたな作品の稽古をしているが、いまの時期、つまり、ひとつの公演のあとの空っぽの状態というのは、とても不安だが同時に面白くもある。いろんなことをさぐる。そしていろんなことに引っかかる。

これから、どんなダンスを生みだせるか、どんな作品をみなさまにお届けできるか。

 

 

 


櫻井郁也ダンスクラスご案内 Lesson and workshop 

▶クラスの種類や内容、参加方法など


櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演サイト Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 
 
 
 
 
 

 

 

 

アンナ・カリーナ。

『気狂いピエロ』を何回も観たのは彼女の眼差しのせいだった。

質問者の眼差しだった。言葉をしっかりたずさえた眼差しだった。あんたは誰?あんたは何者?と問う眼差しだった。ぼさっと映画を観ていたのに、どきっとした。

あの眼差しが映し出される一瞬をもう一度だけ見たくて、有楽町に何回も行った。覚えている。美しい瞳、というよりも、美しい眼差し、と言いたい。

瞳の美しい人はたくさんいるけれど、眼差しが美しい人は、そんなにいない。眼差しが美しい人というのは、その眼の瞳の奥に、何かとてもしっかりした芯があるのだと思う。

ゴダールの映画を好きになる理由はいくらでもあるが、その最大の魅力の一つが出演者。そして彼女や彼のまとう雰囲気だった。モンタージュのことについて語られることが多いが、うつされている人物がいつも特徴的で、僕にはいつもいつも魅力的に思えた。

存在の仕方が、魅力につながる。ゴダールの映画に出てくる人物は、存在の仕方がクッキリとした主体があって、悩んでいる様子にさえどこか明るさがあった。その代表とも言える人がアンナ・カリーナだった。彼女の連れがゴダールになったのも、えらく似合っていて格好が良かった。

ゴダールの初期作品の中心には、いつも彼女がいた。彼女はゴダールのスクリーンの向こうから、こちらをちらちらと見ていた。あんたは誰?あんたは何者?、、、。

見つめられる瞳と見つめてくる瞳がある、とすれば、彼女の瞳は後者だったと思う。見つめられる身体と見つめてくる身体がある、とすれば、彼女の身体もまた後者だったと思う。

存在の仕方が、魅力につながる。さっきもそう書いたけれど、そう思わせてくれた一人が、アンナ・カリーナだった。

亡くなったことを知った。

永遠、という、あまりにも平凡な言葉を、なぜか思っている。たまに太陽を見て思う言葉だ。

 

 


アートその他の話題

公演webサイト(櫻井郁也ダンスソロ)

レッスン(櫻井郁也ダンスクラス) 

 

 

 
 

 

 

もみじ。

まだ、あからんだまま、あった。

じっとみた。

もみじは、言葉をうばう。

あかい色の力によって、

言葉という言葉が、私から遠ざかってゆくのだ。 

夕焼けも、朝焼けも、あかい。

くちびるも、恥じらいも、あかい。

あかいクチビルに沈黙がくるように、

あかい火のあとに闇がくるように、

あかい色のあとに冬が来る。

 

 



lesson 櫻井郁也ダンスクラス

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

daily 日々のこと

 

 

秋公演の稽古中もそうだった。公演のたび何度も「avec ici」という言葉を思ってしまう。「ここで」という意味だが「ともにここで」とも言えるのだろうか。avec ici、誰の文章だったか、ただこのひとことが、ずっとどこかに引っかかって響くのだ。僕のダンスの根に、ずっとかかわっている言葉かもしれない。

 

avec  ici

ここで ともに

 

僕は「ダンスソロ」と称して独舞公演を続けている。独舞はソロダンスと言うのが本当なのだろうが、僕の場合は、ある時期からわざと逆転させてダンスソロと表記している。独舞は文字通り単身で踊ることだけど、僕の場合は個が屹立するのではなく、意識のなかで様々な「もの」や「こと」と一緒に踊っている。身体は一つだけれど、なにかと「ともに」あろうとしている状態をこそダンスと僕は思っていて、そんな気持ちを少し反映できればというのが、ダンスソロ、という言葉なのだが、、、。

 2001年からソロに専念しているが、その前はモダンやオイリュトミーの舞台で群舞の1人として踊ったりアンサンブルの一員として、けっこう踊った、また、デュエットもやった。自作も習作や初期の公演はアンサンブルやデュエットが主だった。それらの体験なしに僕の現在の独舞は存在していたかどうか、と思う。(ソロを始めたキッカケのひとつに9.11事件があるが、そのことはまた書きたい) 

ソロと言っても、ひとりで踊るというのは表面的なとらえ方に過ぎない。舞台にいるダンサーは一人だが、空間は美術と音と光が存在として在り、それらは生きた肉体と対等にダンスを紡ぎ出す。そして、それらすべては目の前の観客の方々とコンタクトし続けている。そして踊りの場それ自体が、スタッフワークなしには何一つ動かない。言い方を変えれば、すべてが関連し合って踊っている。肉体は自らの心から飛び出して、空間と、音と、視線と、現場にある行為すべてと、そして、もっと潜在的な何かと、「ここで」「ともに」踊っているのだ。オドル、というのはそういう事と思う。

誰かと、何かと、「ともに」ある感覚からこそ、踊るという行為がうまれてくるのではないか。いっしょにいるから、うれしい、かなしい。そういうところからダンスは揺れ起こるのでは、と思う。

 ともにある感覚。それは生きている人とばかりでなく、死者や不在や非在をもふくめてかもしれない。いまここだけでなく、過去にも未来にも想像の中にも存在は存在していて、「ともにある」のではないか。

個体というのは実は他者につながっているからこそ存在できるのかもしれないと、僕はいつからか強く思うようになっている。

奇妙な言い方かもしれないが、実存は「ともに」あることだ、と言ってもいいかもしれない。ある存在がワタクシなるものとして存在するリアリティは、他者なしには、あり得ないのではないかと思う。孤独というものでさえ、他者との関係のひとつなのではと思う。

他者、とは、アナタ、でもある。アナタには死者も、天使も、つまり喪失や不在さえもがふくまれている。アナタ、という言葉は、かなた、にも通じているのかもしれない。ワタクシ、という言葉がどこまでも深い淵を思わせるのに対して、アナタ、という言葉には、とても広い広がりを感じる。

無数の、異なる、存在。知り得ないかもしれない、アナタ、なるもの。たとえばそういうことがしっかり響いているような踊りができればいいな、という思いが、最近ふつふつとしている。

 

 

_______________________________

櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演サイト Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 


櫻井郁也ダンスクラスご案内
 Lesson and workshop 

▶クラスの種類や内容、参加方法など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀杏の落葉のなかを歩いた。

視界には黄金色がひろがり、足には柔らかい感触。

命あるものに対して、どう表現して良いのかわからない懐かしさを、最近ふと感じる。

うずくような感覚でもある。

命あるものが、いたるところにある。

いまさらそう思う。

あたりまえのことを、わすれそうになる。

 



lesson 櫻井郁也ダンスクラス

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

daily 日々のこと

 

次の舞台公演のための作品制作にとりかかっている。

いくつかの音を試作しては踊り、踊ってはまた音を試作する。

秋公演の反省をつめることから、音への興味が新たにひろがり、稽古を始めた。

 

9月に行なったフランク・ミルトゲン氏の美術とのコラボレーション(記事)では、機械仕掛けのオブジェが発する単調で果てしない音が、ダンスにとっては困難ゆえ実に面白かった。11月に行なったソロ公演『沈黙ヨリ轟ク』では、沈黙からイメージを拡げ、極めて微細な音や、しじまと身体の関わりをさがした。現代の底に響いている何かを捜そうともした。

 

きょうは野外で稽古をしたが、寒気に乗ってさまざまな音がクリアに響き、肌に乱反射した。湿度の問題もあるのか、夏より冬のほうが、さまざまな音がくっきりと感じられる。そして、あらゆる音が、速く行き来しているように感じる。

冬になればなるほど光と影の境目がくっきりとするように、音の通りも鋭くなる感じがする。

冬の音は、好きだ。

 

踊るとき、音にかかわってゆく感覚は、僕にとって、ひととかかわることに限りなく近しい。

音を感じることは、だれかの呼吸や体温を感じるのとも似ている。

ただ聴覚だけで接していたのでは音を感じたことにはならないのではないか、とも思う。

 

幼時から習った体操をやめたあと音楽に興味が出て、中学高校とオケでティンパニをした。あれは、楽譜で決まっている音に調律して叩く。ティンパニにはネジ式のものやペダル式のものなど色々あるが、調律作業をしながら演奏する便利さや正確さを求めて楽器をさがす。太鼓の革に顔を近づけて、ン~~、と決められた音を小声で歌うと、響き方が澄み切ったときに調律がキまる。気持ちがよい。楽譜によっては皆が演奏している途中にどんどん調律を変える。調律しては叩き、叩いてはまた調律する。ショスタコビッチなど現代音楽に近ければ近いほどそれが頻繁で面白かった。音と出会う感じがした。音と出会うことが人に出会うことのようにも感じた。そのような作業の楽しさは、ダンスで音を探ってゆく楽しさと、どこか似ていると、いま僕は思う。

 

ダンスでそんなことを感じた思い出のひとつに、甲斐説宗氏のピアノ曲を踊った体験がある。ひとつの音が次第に変化し、移ろい、やがて楽音からノイズにまで音の領域がひろがり、フォルティッシモと静寂の交錯が激しい感情宇宙を紡ぎ出してゆく。ピアノという楽器を限界まで突き詰めたような音楽である。そのなかで、たしかソ#の音だったかしら、同じ音が何度も出てきたのだけれど、出てくるたびに身体への触り方が著しく異なっていて、感激した。調律とはまた違うのだけど、ひとつの音に内在する表情が無限なのだということを、甲斐説宗の音楽を踊りながら、思った。音楽というものに対する親近感が大きく変化した。演奏家に対する気持ちも変わった。

 

そういう経験は何度もあった。鎌倉小学校(横浜国大附属)で子どものためのダンス公演をしたとき、作曲・演奏の寒川晶子さんはド音ピアノというもので演奏された。ピアノの全ての弦をC(ド)に調律してしまうのだ。だから、どの鍵盤を叩いてもドの音しか出ない。なのに、非常に豊かに音は変化して身体をつらぬき空間を飛ぶのだ。ビックリしたが、同時に、音楽の最も原型的なものに関わった心地があり、納得できた。

 

ほかにも、言い出せばきりがない。阿部薫さんが録音されたサックスを踊ろうとして挫折したときのこと、モーツァルトのレクイエムミサにおける反復音列のこと、ダンス白州で試みた水流と金属音のからまりのこと、ソロ公演『青より遠い揺らぎ』(2012)でパイプオルガンの調律を取材して踊ったときのこと、、、。(いづれも、いつかくわしく書きたい)

 

ダンスにおける、音との出会い、音との関係づくり。それは人と関わることの喜怒哀楽にも、壁にも、困難にも、ほどけにも、相似しているのではないかと思える。

 

音の体重、音の湿度、音の質感、音の色彩、、、。

 

音が近づいてくるとき、そして音が遠ざかって消えてゆくとき、僕は、何か特別な感情が噴き出しそうになる。

生まれる子どもをむかえるときの感覚、亡くなる人をみおくってゆくときの感覚、、、。

そのような感覚を思い出すことがたびたびある。

 

音は存在なのではないかと、僕は思う。

ますます、そう思うようになっている。

 

 


櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演サイト Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

▶櫻井郁也によるステージ、ダンス作品の上演情報

 


櫻井郁也ダンスクラスご案内
 Lesson and workshop 

▶クラスの種類や内容、参加方法など