秋の公演を納めて、やっと体調も元にもどりつつあるなか、以前ここに書いたものを読んでいた。
そのなかに、まったく今も同じに思える記事があった。
クラスを指導したあと一人で夜の稽古をした、そのときのメモだった。※下記
明日も稽古とレッスンをする。
繰り返すこと。ひとつのことを続けること。
何かを発見したり実現するには、あれこれ色んな事をやっていては見失う事のほうが多い。
繰り返しの中に、いちばん大切なことがあるということを、今更ながら、とても強く思う。
※(以下、上記にあるメモの一部です)
音が身体に染み渡るようだ。
あるひとつの音が、
鳴り、響き、
やがて静かになってゆく。
その全てのプロセスを感じてゆく。
まずは、忙しくしないことから、
そして、力まない、ということへ、
やがて、深く聴く、ということへ。
鼓膜のふるえは外界とのコンタクトだと思う。
それが、全身に伝わってゆくのを、ゆっくりと味わうとき、
ワタクシという枠から一歩外に出て、外気に接してゆく感覚もある。
踊りに熱中していると、音の聴こえ方が変わってくる。
そして、音への集中の高まりの中で、ふと、
なぜだろう、
とても冷静な、同時に、熱い感覚が、こちらに来ることがある。
それから、だれかと少しずつ親しくなってゆくような感覚にも似た、心の状態を感じることがある。
そして、踊りという行為に対する感謝が、とめどなくでてくる。
そして、あらゆる感覚を敏感にしたくなる。
そして、感じとることが出来る全てを、正確に反射したいという思いが、絶えず湧く。
そして、、、。
音をきく、それは、ともに響くことなのだろう。
音をきく、
それは消えてゆくものに寄り添ってゆくことで、
生まれてくる沈黙を迎えることでもあるのだろう。
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