「あのビルが崩れていったように、

 僕の中でそびえていた何かが、

 どっと崩れたのでした。」

 

この一言は2007年に書いた文章の一部、下の写真は、2001年の暮れに打った公演のチラシとそれに添えた文章。ここから僕のダンス活動は「独舞」に集中してゆくことになった。

 

個の肉体は今まさに流され続けている血の一滴一滴と決して無関係ではいられないこと、、、

という、この部分は、長年を経て未だ変わらないまま思い巡り続けている。

2001年の9.11、そして10.07。それにつづく数ヶ月に起きたことについて、その当時に「思い」「考え」「動いた」ことすべてが、いまだ毎年ふくらみ続けていることを感じずにいられない。

今日は2020年の9月11日。

あの出来事から、さらに、震災を経て放射能禍を経て、またさらにいま、コロナ禍のただなかで、あの2001年以来どうにも収まらないままの激しい振動と轟きが、身体の底のほうにどよめき続けているのを、えらく感じて、これをどうすればよいのだろうか。

そして、さらに、ここから、、、。

 

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stage 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

舞台活動についてのご案内を掲載中です。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

募集情報 レッスン活動を再開しました。ぜひ踊りに来てください。

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

 

 

 

 

櫻井郁也ダンスソロ

2020秋季公演延期のお知らせ

 

みなさま

新型コロナウイルス感染拡大状況の現況により、10月3日~4日に予定しておりました《櫻井郁也ダンスソロ2020》の公演を再延期させていただきます。

延期日程につきましては、コロナ状況の様子をみながら劇場側と協議のうえ、見通しが立ち次第、当ブログおよび公式Webサイトにてご案内させていただきます。

コロナ禍による休止低迷が長期化するなか、アーティストとしては無理にでも舞台活動を再開したいと望む反面、いかに力作を準備したとしても、いまはまだ、感染不安を感じながらの鑑賞になってしまうのではと存じます。

上演作品もほぼ全貌をあらわしつつあるいま、踊りたい、観ていただきたい、という思いは強く、非常に複雑な心境ではありますが、上演環境の面でも、予定会場は決して広い空間ではないので、みなさまの一人一人に対して、不特定の方たちと一緒に1時間なり1時間半なりという時間をじっと座ってダンスを観てくださいということを積極的にお願いすることは、やはり、まだできません。

制作部では、上演作品のリハーサル進行と同時に、席数制限はじめ飛沫防止シートの設置や定期的な通風など空間的な面も含め、さまざまな対策を模索しておりましたが、現段階での東京都内および首都圏の感染拡大状況では、主催者ならびに劇場サイドといたしまして安全な興行とする確信が持てず、いましばらくの延期を判断いたしました。

この時期をすごすなか、徹底的に踊りに向き合い直し、新たな公演開催に向けて進んで行く所存でおります。度重なる公演延期となりますが、関係者一同の苦渋の判断であることを、どうかご理解いただけますよう、また、いましばらく、お見守りいただけますよう、心よりお願い申し上げます。先が見えない困難が続いておりますが、みなさま、ひきつづき、一日一日を本当に気をつけてお過ごしくださいませ。

2020年9月1日 

櫻井郁也

主催者:十字舎房制作部、共催者:plan-B 

 

We have to sadly postpone the schedule of our performance again, due to the coronavirus situation. We really hope the situation is settled early. Thank you for your continued support and we look forward to seeing you on the day of the next performance. 

Sakurai Ikuya, cross-section, plan-B

detail:Sakurai Ikuya/cross-section web site (LINK )

 

※ただいま公式Webサイト(下記)では、前回公演の記録を掲示しております。よろしければ、ぜひご閲覧ください。

※進行中のリハーサル記録など、このブログで順次掲載いたします。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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舞台活動についての詳しいご案内を掲載中です。よろしければ、ご一読ください。

 

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募集情報 レッスン活動を再開しました。ぜひ踊りに来てください。

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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再開しました

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)new

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)renewal

 

 

スピルバーグ監督の古い戦争映画を眺めていたら、数秒、腕を撃ち落とされた兵士がポトリと落ちた腕をパッと拾って走り去った。眼に焼き付いて眠れなくなった。一瞬の映像によって引き出されてしまったあの異様な感覚はなんだったのだろう。

そういえば、この身をどう呼ぶべきか、迷うことがたまにある。「体」と書けばよいものをわざわざ「カラダ」だの「からだ」なんて書いてみたり、いろいろ使い分けようとするが、なかなかむつかしく、自笑する。体は、案外、近くて遠いのかもしれない。

だからかしら、思い通りにしたくても、体は言うことを聞かないのが当たり前なのではないかと思ったりもする。体を思い通りにしようとする人は、子どもだって思い通りに育てようとするのじゃないかとか、もっと言えば、他者をも思い通りにしようと、どこかで思っているのではないだろうか、なんて、つい愚想したりもしてしまう。

踊るたび、稽古するたび、体と付き合うというのは面白いことだと思い知らされている。踊り方や稽古の仕方には、その人の、体に対する態度がはっきり出てくる。体には、その人の個ばかりでなく、その人の肉に連なるさまざまが含まれてあるのだから、体に対する態度というのはあまたに対する態度とも言えるのではないかとも思う。

文頭に映画のことを書いたが、美術を見たりするときでも、体の表し方には非常につよく作者の精神が現れている気がしてならないし、音楽を聴いて感動するときも、その音に通じている演奏家の肉体的な営みが迫ってくることがたびたびある。

 

 

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舞台活動の再開につきましては、状況に応じて判断いたします。ただいまの詳しいご案内を、上記サイトにて掲載中です。よろしければ、ご一読ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ドイツがベーシックインカムについての新たな実験を開始したというニュースを読んだ。

5月末のスペインでの出来事につづき、イギリスやデンマークでもUBIの実施についての検討はすでに始まっているというし、マイケル・タブス氏を始めとするアメリカ11都市の市長が6月29日にユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)のテスト導入を行うと宣言したのも驚きだった。

本邦政府の実施した多数の給付金政策も、いづれもただ一度の一過性ということもありBIそのものとは言えないが、それでも、かつて考えられない出来事ではないだろうかと、個人的に思った。

個人的には、BI実践と同時に、ぜひ議論してほしいと思うのが、お金の使用期限をつくることなのだが、それはまだ哲学や思想の世界にとどまっているみたいだ。

全国民の最低限の生活費を国が支給する。そのことによって、働かざるもの喰うべからず、ではなくなる。そこから、僕たちの常識は大きく変化すると思う。

お金のシステムを変えるということは、さまざまな約束事を変えることにつながる。このさい、お金の性質そのものを変えてしまうのも、ありではないかと、僕は妄想する。

このコロナ禍はいまや健康面を超えて経済や世界の構造に対して、さらに人間と人間の関係についてさえも、おそろしく破壊的になってきているけれど、国家と国民の関係について、仕事とお金の関係について、お金そのものについて、これほど考え直させられる機会は、なかなか来ないのではないだろうか。

お金は人が作ったものなのだから、もっと、これは何なのだろうということを考えて、自由に変化させてもいいのではないかと、たびたび思う。

そういえば、moneyという言葉は忠告の女神モネータの名が由来と聞いたことがある。彼女を祀る神殿で古代の人は貨幣を造ったというのだ。どうしてなのかな。忠告の女神とお金に、どんな関わりがあったのだろうか。お金というものは元々どんなものだったのだろうか、、、。

(関連記事がいくつかあります▶LINK )

 

 

 

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舞台活動の再開につきましては、新型コロナ状況に応じて判断いたします。新たな企画構想など、いましばらくお待ちください。ただいまの状況に対するコメントおよび前回公演の記録を、上記サイトにて掲載中です。よろしければ、ご閲覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月15日。

この日に思うことはどうにも多い。

迷路のように複雑で、僕の場合、なぜか、いま現在に起こりつつあることもそこに重なり、年々、言い知れない危機の予感に結びついてしまう。

この日にまつわることにふれるたび、過去の嵐というより、来るべき嵐を妄想させられてしまう。

さらに今年は、このコロナ禍のなかで、清潔さを求めざるを得ない状況だが、それがいつしか潔癖さに変容したりはしないだろうか、潔癖さは不寛容に結びつきはしないだろうか、この状況が行き過ぎるとどうなるのだろうか、という色々な心配を、つい、してしまう。歴史、に、どこかしら重なってゆく。社会の生きやすさ生きにくさとそれらは関わってくるように思えて仕方がない。コロナはヘタをすると、人と人のあいだに裂け目を生み出しそうな不気味さも感じてしまう。

ときおり、ハンナ・アレントが「アトム化」と呼んだ状態のことがアタマの片隅をかすめることもある。アトム化は、多くの人が自分のことばかりに興味をもつようになり、他者と深く話し合ったりすることが少なくなり、人と人の横の繋がりが薄く浅くなり、個々人がバラバラに自分の価値観で国や政治に関わっている状態のこと。これは、全体主義が生まれやすい状態だという。どういうことか、よく考えてみたい。いま僕らはどうか、、、。

8月15日。

この日がくるたび、現代なるものについて、そして、どのようにしてイマなるものが形成されたかについて、奇妙な胸騒ぎと思い考えに、くらくらとさせられてしまう。

 

 

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8月6日の原爆忌に舞踏のフリークラスが重なりました。

いまのコロナ状況はじめ、どうにも心が落ち着かない、とても複雑な気持ちのなかで、どのように『八月』のこの祈りの時のなかに、居れば良いのか、トマドイながら、参加者の方々と稽古の時を過ごし合いました。

途中、原民喜の書いた原爆に関する言葉をいくつか紹介しました。

「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」

という原民喜の一言は特別に僕の内部をぐらつかせます。

「ブスブストケムル電線ノニオイ」とか「ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム」いうような描写と振り子のように揺れながら、その一言はあらためて僕の心を刺す。

のだけれど、それらの言葉を紹介しながら、音楽を演奏し、カラダを動かし、お喋りをしたりして、生きることや、存在について、迷想しました。

迷想という言葉は無いのだろうし変かもしれないけれど、僕の場合は瞑想からではなく、やはり迷想から踊りが始まると思うのです。矛盾から、と言い換えてもいいのか、、、。

自分の思い込んだ場所にいろんなものを纏めてしまわず、

なにもワカラナイことにどんどん入り込んでゆく。

迷い、想う、という出来事のなかで、身体の感覚は鋭利になってゆくのかもしれないです。

世界がこれからどうなってゆくのだろうという疑問も、

どこかにずっとピリピリと響いています。

 

 

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たのしく過ごす、いや、普通に過ごすこと。

ささやかに対話をたのしみ、音楽を奏で、ダンスを踊り、、、。

なんとか工夫して、ひとがひとと、ともに過ごすこと。

 

それらは、このイマの状況に対する僕らの小さな静かな抵抗なのでは、と思うことがある。

 

どんな状況でも、好きなことを、そして、本来の日常生活を捨てないで行動すること。

いま、これほど芸術にとって大切なことがあるだろうか、と思うこともある。

 

芸術は、表現活動であるとともに、生活をより深く味わい楽しむ術でもあるのだ、という言葉をきいたことがあり、ずっと気になっている。

せっかく生きているのだ、その一日のかけがえなさをやはり思う。

 

きょうは8月6日の広島原爆忌。

9日の長崎原爆忌、15日の終戦忌、とても重く大切な記憶の日が続く。

コロナ禍のなかで迎える「八月」。

 

おもうこと沢山たくさん降り積もる。

 

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独舞の稽古で、ある一曲を繰り返し踊っている。バッハだ。

とほうもなく広い空洞に散らばってゆく感覚。

無数の十字架のなかに投げ出されるような、底知れぬ感覚。

30年ほど前になるけど、この曲でオイリュトミーの稽古をかなりしたこと音から建築を感じたことをありありと覚えている。

コロナ禍の自粛が始まった頃から、こんどは「踊り」でこの曲に関わってみたいと、つよく思い始め、稽古用の振付を考えてきた。

舞台活動の延期を判断したあと、満開の桜に雪が降った。

あの異様な春景色のなかで、なぜかしら、いくつかの音楽を(発表作のためではなく)稽古のために振付してゆくことを始めた。

どれくらい出来るかわからないが、この騒ぎが落ち着くまでのあいだに取組んで聴き直しておきたい音楽がいくつかある。

たとえばマーラーの、ブリテンの、ショスタコヴィッチの、そしてバッハの、、、。

音を聴く、というあまりにも最初のことに、いまたちかえる機会とこの時期をとらえた。

ウイルスは結果的に解体と再構築の機会をもたらしているのだろうか。

そのなかのバッハの曲は短くて数分の曲だが繰り返して3時間くらいやっていると、底知れぬ音の渦巻きに呑てゆくような気になって、苦しくなる。後頭部や爪先がしびれる。笑いすぎると苦しくなって恐怖を感じる、あれに似た体験かもしれない。このような音楽をつくっても発狂しなかったバッハは、とても強い精神をもっていたにちがいないと思う。

発表を前提にしないで、気の向くまま踊り倒すのは、いま僕には、かなり大切な時間になっている。private rehearsalという表記でインスタグラムなどに時折写真を載せているのは、このような稽古の記録動画からの一瞬。とてもプライベートな、ダンスのためのダンスと言うのか、コロナ以後、このような稽古が日常的になった。

かなり長期間、独り稽古するというのは、舞台などで公開される前提だったが、今年のコロナ禍のなかで、久々に目標や着地点を想定しないで、ただただ踊る、ということをする。それが日常的なことに、いつしか、なっている。

いままで、色々な経過があったが、もしかすると一番素朴なダンス経験を、この異様な何ヶ月かのあいだに重ねているのかもしれない。

この曲を初めて聴いた時から40年以上たっているが、いまだに衝撃的だ。音が音を追い、生まれては消えてゆく響きの先に、とてつもない空洞が広がって、真っ黒な引力を生み出してゆく。そのように、僕は思える。

バッハのこの曲は、典礼の響きというより、果てしない深い場所に誘い込まれてゆく哲学の響きというほうがいいかもしれない。

どこまで深く広がってゆくのだろうか、響きは、世界は、時間は、、、。

 

 

 

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