無心になることmindlessness。これは、何かを生み出そうとする時にいちばん大切なことだと思います。少なくとも、踊りは無心でなければ踊れないと思う。踊りの稽古は無心になる稽古でもあります。無心について、鈴木大拙は no matter where you go,you can’t find out the division between the heaven and the earth,because there is infinity.(『日本的霊性』)と書きます。凄いイメージと思います。無心になって何かを行い続けることを通じて、天と地のあいだが無くなってしまうのだから、これは内的平和の実現ではないかと思うのです。彼に深く関わった音楽家のひとりにジョン・ケージがいます。舞踊家のマース・カニンガムと生涯にわたり共同作業を重ねました。僕はケージの音楽やカニンガムの踊りや発言にふれて、感じるものがいっぱいありました。また、日常に対する愛着が深くなってゆくキッカケをもらった感じもあります。肉体は日常に密着しています。身体にはその人の日常が反映しています。土曜午後の『振付・創作クラス』は文字通り、振付やソロダンスなど、自分でダンスを生み出してゆくことを学んでゆく少人数レッスンですが、今季(夏シーズン)は、ジョン・ケージの音楽を紹介し、そこから感じ得たものからダンスをつくる経験を楽しんでいます。このクラスでは、踊る時間と同じくらい、自由な対話の時間をもちます。それを受けて、僕は何らかの提案をしたり、面白い知識や哲学や方法論について解説したりします。先日7/25は踊りの合間に、いくつか哲学的な話題が出ました。それで、ケージの考えたことに加え、鈴木大拙のことを話しました。また、ケージとは直接関係ないのですが、寄り道をして、岡倉天心の言う「心の交通」のことについても少し話しました。心の交通というのはダンスにとっては核と言えることと僕は思います。ダンス創作は、単に自分の直感や思いを動きにして出してゆくだけでなく、他者との交感をいざなうためにこそあるのだと思うのです。創作という作業のなかで、色んなことを調べたり学んだりすることが積み重なっていきます。そして、自分の思い込みや世界観が、次第に変化してゆくこともあります。踊る、というのは、自分のことを表現する、というよりも、何かに寄り添っていったり、何かと一緒になるように自分を変化させたり、ということにも関わっています。相手の気持ちになるために一緒に踊るというのは自然なことです。踊ることで気持ちと気持ちが溶け合って一緒に変化してゆくのは、ダンスの醍醐味でもあります。ダンスの創作は、ともにある、ということのための作業でもあると僕は思っています。

 

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コロナのせいかテレビ番組の再放送が多い。そんななか、ダンスの先達・伊藤道郎(1893 - 1961に関するドキュメンタリーが再放送されたと知人が録画を見せてくれた。古い番組だったが、詳しく紹介された映像を初めて見た。

伊藤道郎は現代ダンスにとって特別重要な舞踊家なのではないかと思うのだけど、その記録に触れる機会が意外と少ない。

20世紀初頭、欧米のダンス革命に深く関わり、現代ダンスの生成に強い影響を与えた1人が伊藤道郎である。見ることが出来る写真のいづれもが格好よく、切れ長の眼は鋭く輝き、その手には言葉が宿っているようだ。シャープな印象を受ける。

ノーベル賞作家で神秘家のW.B.イェーツと共作した『鷹の井戸』はとても有名で、いまも様々なアレンジが演じられている。美術家の杉本博司さんが演出したものをパリ・オペラ座が上演したのは記憶に新しいし、かなり前になるが、フランスから帰国した矢野英征さんが再創作したものを青山の草月ホールで観た時の神話の世界に迷い込んだような体験は特別に心に残っている。

彫刻家のイサムノグチは伊藤のスタジオに通い、ブロンズの仮面も創っていて、それが番組で紹介されていた。深い沈黙をたたえた、すごく魅力的な仮面だ。いいダンスは美術家や音楽家を刺激して新しい作品をつくる原動力になるのだと思う。テッド・ショーンは伊藤のことを日本人だがアメリカ現代舞踊の開発者の1人だと言ったそうだし、ジャズダンスのルイジや、モダンダンスのマーサ・グラハムも、伊藤のユーリズミクスに深い影響を受けたときいて、興味をもっていた。

「ユーリズミクス」というのはダルクローズが教えていたダンスの生み出し方で、音楽の力を自由度の高い動きで身体に取り込んでゆく。あのニジンスキーもこれをやっていたという。僕がやってきたトレーニングの一つ「オイリュトミー」とネーミングが似ている。EU+RYTHM+。ユーリズミクスは英語読み、オイリュトミーはドイツ語読みだ。いづれも20世紀初頭の同じ時代に創案され、呼び名にも同じ意味があるので親近感をいだいていたが、この双方には、対極的な面白さがあるのではないかと僕は推測している。オイリュトミーは洗練された身振りで音や声の響きにシンクロして踊る。ユーリズミクスは自由奔放に音やリズムと遊ぶ。オイリュトミーは踊る人の感じる力と運動能力そのものを開発しようとする。ユーリズミクスは踊る人が持っているイメージ力を刺激し拡げようとする。

番組では伊藤のダンスがいくつか復刻された。代表作「ピッチカート」は、その場でじっと足を動かさず、腕と上半身を駆使して踊り、そのシルエットを舞台背景に投影する。シンプルな作品だが、これは凄いものだった。上記のダルクローズ練習法がすこぶる反映しているのか、音楽がそのまま可視化されているようだった。そして、大胆に無駄な動きをカットしている。無駄を省くことは芸術には非常に大切だが、むつかしい。伊藤の無駄を省くセンスはとにかく非凡だと思った。能とも歌舞伎とも異なる、独自の、しかし明らかに日本的な「切り詰め方」を、伊藤はこの作品で実践していると思い、圧倒された。

アルベニスの「タンゴ」はその反対に足の踊り。大作「アンダンテカンタービレ」の復刻もあったが、これはチャイコフスキーの音楽がそのまま絵になったような魅力があった。「越天楽」(近衛文磨の弟である近衛秀麿指揮、2万人の観客)の写真と話題もあって、さらなる興味をいだいた。

いづれからも僕が感じたのは一瞬ごとの形姿(ジェスチャー)に強いエネルギーを凝縮させてあることだった。それは型と運びという考えにも通じているのではないかと思えた。いまのムーブメンツという言葉がはなつ感覚とは異なる、哲学的な高貴さを大切にしているように感じた。

番組は、伊藤の社会に対するアクションも詳しく紹介していた。ダンス芸術を平和の赤十字として考えアメリカ大統領に会いに行ったこと、大川周明およびパンパシフィック社との関係のこと、戦後アーニーパイル劇場の芸術監督に選ばれたこと、ファッションモデル業の生みの親でもあること、1964年の東京オリンピックの芸術監督でもあったが開幕を待たずして亡くなったこと、、、。番組は荒波のような人生を伝えたが、やはり圧倒的に心に残るのは、伊藤道夫のダンスのエレガンスだった。その立ち姿、その身体が放つ花、そこから感じる何とも言えない感じは、美しいものの前で恥ずかしくなるような感じにも似ている。

番組のさいごに、曾孫にあたる女性が、かつての愛弟子からドビュッシーの踊りを教わるシーンがあった。悲しみとも喜びとも痛みとも官能とも、どうにも区別できないような色々なものが、踊りによって、カラダからカラダに流れ込んでゆくのを垣間みた。感動的だった。

 

 

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家族が撮ったものですが、

画面の真中より少し上に流れているのが、ネオワイズ彗星です。

7月19日(日)の夜、房総の海岸。

次に太陽に近づくのは5000年後よりも先になるそうです。

 

 

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言葉からひろがってくる動き、いっしょに動くときの動き、そして音楽でかかわってゆくときの動き、、、。ダンスにはさまざまな動きのあらわれがあり、それぞれに良さがある。

7/17金曜日のメインクラスは、ピアノを演奏しながら指導をおこなう日だった。ひとりひとり、その人のテンポで、その人の身体をほぐし、音と関係を始めてゆく。次第に、場も変化してゆく。

コロナ禍のせいで日常生活のなかで気を使うことが増えて久しい。ただでさえ色んな規則をつくってしまう。しかし、それと同時に、規則から自由になろうとする原初的な力が、僕ら人間にはある。そんな力が踊りのなかでふと垣間見えるとき、その人の存在感がパッと明るくなったように感じられる。それは、緊張から解き放たれた瞬間の姿でもある。

やっぱり、気持ちの面でも身体的な面でも、ダンスの稽古は僕らを縛っている何かから少しずつ解き放ってくれる。こわばっているものを、少しずつ解きほぐしてくれる。そのことを、クラスを再開してから、とてもよく思う。

いまは舞台を味わうことも容易くはないし、大勢で盛り上がれるような場もないが、ほんの少しの人とともに静かにゆっくりと身体に向き合ってゆくことならできる。日常にはない空間や音のなかで、丁寧に身体を動かしていると、静かな時間が生まれて、少し心が落ち着いてくる。ダンスを繰り返し稽古していると、不安やあせり、といったものを取り除く働きもあるのがわかってくる。

ダンスは生活に必要なバランスをくれるものなのではないか、とか、ダンスは本来はとてもプライベートでデリケートなものなのではないか、というような事も、ときに思う。

身体がしなやかに動き出す時は、無理な頑張りや欲がとれて、その人の心の魅力が身体に溶け出して自然な状態に戻ってゆく時だと思う。一人一人の人の素敵な所を見つけて魅力を引き出してゆく、というレッスンに、もっともっと近づけていきたい。

コロナ禍のなかで僕のダンス活動はかなり大変になってしまったが、いまは僕自身の原点を見つめ直すときとも考えている。いま、この状況のもと、ダンスのことはもちろん、さまざまな物事の本来の姿を考えずにはいられない。

このウイルスが大人しくなってくれる頃には、僕ら人間も一皮むけているかもしれないな、とか思ったりもする。

苦境は何かのエネルギーに変わるはずだ。

時間はかかるかもしれないけれど、さまざまなものごとの再構築が始まってゆくのかもしれないと思う。

 

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コロナ禍によって世界がどうなってしまうのだろうと心配しつつ、過去の経験としてたびたび紹介されている1918~21年のスペイン風邪パンデミックのころ、それは全体主義の気配が忍び寄っていたころでもあったのですが、いろんな芸術家や哲学者がどのように日々を生きていったのかに、興味を持っています。

たとえば、僕がダンス活動とならんで関わってきたオイリュトミーの創案者ルドルフ・シュタイナーもその一人です。彼は、まさにパンデミックに重なる頃に、社会の未来についての思考を深め、子どもに自由な教育を試みるヴァルドルフ学校を設立したり現代のベーシックインカムや直接民主制の起源となった政治経済理論を各地で展開しています。そして、それらは芸術や想像力の探求と深く結びついています。とりわけ彼は芸術の制作プロセスにとても注目して、新しい教育や社会構築に取り入れようと試みます。

世の中の変わり目にあって、芸術に非現実的な夢を垣間みるのではなく、芸術とその根底にある想像力や作業体験には未来の現実をつくってゆく原動力が宿っているのではないか、という視点が、シュタイナーにはあったのではないかと、僕は推測しています。いま僕らの世界も、おおきな戸惑いのなかにあり、芸術もそのあり方について、考えることになりそうです。

シュタイナーの哲学は「人智学」と呼ばれますが、それは一言で言うならば、「一人一人の人がそれぞれの人生の中で直面する現実と向き合い克服してゆく試行錯誤が社会全体の動きに発展し「人智」となって人類全体が成長していく」というような哲学だと僕は理解して好意をもっています。

西欧には神秘学というのが古くからあって文化に多大な影響を与えてきましたが、シュタイナーはそれをかなり研究した上で、それとは一線を画した新しい精神基盤が必要と考えたのではないか、そして、神様ではなく人間に秘められた智の力について考えをふかめてゆく「人智学」なるものを打ち出そうとしたのではないか、と思うのです。

それは人間の可能性を読み解こうとする人間哲学でもあり、それは人間の努力によって世界がどのように変容する可能性があるかという社会哲学でもあります。

僕自身は、ダンサーとしての舞台活動や教育活動と並行して、シュタイナーの創案した身体メソッド〈オイリュトミー〉の稽古に取組んで37年もたってしまいましたが、いまさらながら、その方法にシュタイナーの考えの骨格が良く反映されていると感じて、最近あらためて感心しています。

創作面では『オール アンド エブリシング』『虚体ソナタ』『その血にきけ』など、いくつかの作品でシュタイナーの哲学を意識しましたが、いまコロナ禍のなかで、それらの作業のつづきについても、思いを拡げ始めています。(つづく)

 

写真は櫻井郁也のダンス作品「その血にきけ」(2014)より。

 

 

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踊りは、だれかと一緒に、同じ空気を吸うことから始まる。

踊りは、カラダを動かすことの前に、ひととひとが、ともに居る、ということから始まる。

そのようなことを、コロナ禍のなかで、非常に強く思ってきました。

 

オンラインで心理的に結びつこうとする機会が多くなる反面、直接に会うこと、物理的に接近することの大切さを、僕は深く感じるようになってきました。離れていてわかり合うことよりも、わかり合えなくても一緒にいるということの重み。話し合うことと抱き合うことの違いと言ってもいいのか、、、。

 

人は人のそばにいることから多大なものを受け止めます。

 

誰かがいる前に立ち、動き、静止し、あらゆるものを呼吸してゆく。

身体と身体で向き合っている。寄り添っている。感じ合っている。そのようなことから、新しい何かが身体に宿り、内面の変容が始まります。

 

いま一瞬の、一瞬一瞬すべての変化を共に過ごすこと。

 

状態の共有、場の共有、発生の瞬間の共有、というものがダンスにとって特別に大事なことだと思います。

 

ひとりでもがいても自分の殻はより固くなる一方だったりします。

 

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作曲家のエンニオ・モリコーネ氏が亡くなった。悲報です。

僕がこの人の名を知ったのは、たしか中学生の頃だったと思います。観た映画に強い衝撃を受けて、その音楽が心の中で鳴り続けたのを覚えているのです。

『死刑台のメロディ』という映画でした。

それは暗い夜から始まる映画。闇のなかで恐ろしいくらいに延々とつづく足音、警官、泣き声、銃声。叩かれる人、連行される人、叫ぶ人。いったい何が起きているのか。そこに溜め息が出るような美しいメロディが重なり、震えるような歌声が響き渡る。この作曲家がモリコーネでした。歌はジョーン・バエズ。すごいチームです。

この映画が描くのは、1920年に起きたサッコ&ヴァンゼッティ事件のこと。レッドパージを背景とする悪名高い冤罪事件で、イタリア系移民のアナーキストであるニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティが強盗殺人の犯人にでっちあげられ、世界から抗議の声が上がるなか電気椅子で死刑が実行される。偏見、差別、赤狩り、虚しさ、無力さ、怒り、、、。そのドラマの底なしの不条理感や主演男優の圧倒的な演技。それらと音楽の相乗効果がすさまじく、胸にくい込みました。最後の歌は革命歌にも通じるような熱を帯びていますが、つい先日、コロナ禍のなかでバエズは自宅からこの歌を配信しました。それを聴いて久々に感動した余韻がまだ消えていないなか、モリコーネ氏の訃報を知りました。

この作曲家の関わった映画をいくつ観たかわからないです。

ベルトルッチやパゾリーニのものをはじめ、何度観たかわからないほど繰り返し観ている作品もあります。

訃報をきいて、映画の、いいえ、文化のひとつの時代が終わってしまったような気分にさえなってしまいますが、それはたぶんちがう。氏の音楽はずっと響き続け、その響きに感動したタマシイから新たな音楽や文化が生まれてゆくのだと思います。

素晴らしい。この本当に素晴らしい音楽家の、すべての仕事に感謝します。

 

 

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再開情報 全クラス再開!!

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コロナは人と人をじわじわと断ち切ってゆこうとしているのではないか。

 

そんなふうに感じることが、ときどきあります。

 

コロナは、健康の不安やお金の不安をさそいます。

そして、人の集まりを壊そうとします。

 

孤立や孤独は人から力を奪います。

 

震災のときは人が集まることが否定されなかった。

破壊と放射能に絶望したけれど、人と人の関係はむしろ切れなかったのではないか。

と、思い返します。

 

「つどう」「ともにいる」ということが、

不安を再生の力に変えていったのかもしれないです。

ニンゲンは、関係することで活力を得る生き物なのでは、

と、僕はよく思います。

 

いろんな情報があっても、それについて生きた人と語り合わないと、

ひとりでは、情報にとりこまれて不安になってしまいまう、

ということを、もう一度思い直さざるを得ない現在があります。

 

孤立して、不安が高まってゆくと、

ひとは思考停止に陥るのではないか、

そして強い情報に支配されやすくなってしまうのではないか、

いつしか、自由を失っても気がつかなくなるのではないか、

それはウイルスよりもはるかに怖いのではないか、

 

などなど、ときおり思います。

 

心を殺されてはならない。

 

好きなことをしっかりやって、仲間をつくることが、

だれかと一緒に音を聴いたり、一緒に体を動かしたり、一緒に笑ったり泣いたりすることが、

つまり、言葉でのコミュニケーションではできない「感覚と感覚での関係」が、

どれほど人間にとって大切なことか、

いま、すこぶる思う日々です。

 

「感覚は人を欺かない、欺くのは判断だ」

でしたっけ、

そんなゲーテの有名な言葉を思い出したりも、します。

 

 

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「思うことを表現したり、

 人と何か一緒にしていないと、

 心の呼吸ができなくなる。

 いまこの状況のなかで大切なのは、

 心を殺されないようにすることかもしれない。」

  (櫻井郁也 コロナメモ 2020初夏)

 

 

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photo=Ryoanji temple 2019

 

沈黙につらぬかれること、

まだ無い音や声に耳を澄ましてゆくこと、

じょじょに、自分というものを消そうと試みてゆくこと、

受け身になる、というわけでもないのだけれど、

それでも、どこか空虚をたたえて、

みずからのあちこちに隙間をひらいてゆくことから、

なにか未知なものが、この身に訪れ、内部を振動させ、

微かな、しかし強烈な舞踊衝動へと変動してゆく。

そのようなことから、

なにかに、そっと、身を寄せることから、

新しい呼吸を、

始めることが出来るような気がしてならない。

(2020 櫻井郁也)

 

作品になり発表するまで時間がかかるかもしれませんが、この閉鎖的な数ヶ月のあいだに出てきた思いや考え、そして稽古体験の蓄積には、今までとは明らかに異なるものがあることを、実感しはじめています。

 

 

 

 

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