毎週土曜はダンスの「土台・骨組み・基礎力」をつくる日として、〈創作クラス〉と〈からだづくり・基礎オープンクラス〉の2コマを開いています。

きょうは〈創作クラス〉のことを書きます。

これは新たなクラスで、その名の通り創作力や想像力をしっかり引き出して、参加者が各自でダンスを生み出すことを目指します。そして、そのためには基本的な身体技術とダンスに対する基礎知識が必須ですから、そこは丁寧に学んでいきます。

初回6/13は現在集まってくれたメンバーとの話し合い。いま現在についてのこと、いまそれぞれのダンス衝動。ダンスと私たちの時代のこと、現代ダンスの根底にあること、、、。

そして前回6/20のレッスンでは、身体の作業を開始。アメリカの作曲家ジョン・ケージの音楽を紹介し、そこから対話を展開したり、想をさぐったりしたあと、ずいぶん踊りました。

ケージは「4分33秒」という楽曲で有名ですが、現代ダンスの発展ときわめて深く関わった音楽家でもありますし、鈴木大拙をふくめ日本の哲学にも深く通じた人です。当然、僕にとっても重要な存在です。

彼の音楽からは、この地上に音が生ずることの驚き、そして沈黙からひろがる豊かさを思い知らされます。ケージの音楽は響きの哲学とも言えると思います。音と静寂、そこから何を感じ、生み出してゆくか。これはダンス創作において、とても重要な態度だと思います。ダンスは、共にあること。ダンスは響き。まず、そのようにありたいと、僕は思います。

稽古場では、かなりの動きが出て、対話もひろがり、これから面白い展開になりそう。ダンスをいざなう試みがスタートしました。

ダンスやパフォーミングアートはもちろん、クリエーティブなことに興味がある人はぜひこのクラスに入ってください。

 

ところで、創作クラスを開いた気持ちをすこし、、、。

 

僕は創作者として半生を過ごしてきましたし、ダンス学校でも創作教育/振付力の育成を長く担当してきました。僕の主催クラスでは、どのクラスでも即興がかなり定着してきたので、そろそろ、しっかり創作に取組むクラスをつくりたくなり、このクラスをスタートしました。

ダンスには創作・振付がつきものですが、先生が振付することが多かったり、短期的なワークショップが多かったりして、じっくり身につけてゆく定期の学び場が案外少ないです。しかし、創作というのは時間をかけて次第にわかってくるものなので、定期的な場を開こうと考えました。

ダンスは本来は踊る人の心が動きになるものですから創作は自然なことですし、創作というのは年齢も経験も問わない自由なものです。そして、あらゆるものに関連するので学びの範囲も広く、おもしろいクラスになると思ったのです。

学校や大きなスタジオと違うのは、数名のレッスンなので、ゆっくり納得できるように進められること。そして、経験や年齢にまったく囚われる必要がない点です。

個々にふさわしい内容を考え、すべて柔軟に親しみやすく育てていきたいです。

自由に、常識にとらわれないで、自らの想像力でダンスを生み出し踊っていくことは、コミュニケーションがすごく楽しくなるし、人生そのものがきっと豊かになると思います。楽しみ、味わい、しっかり話もして、一人一人が充実を感じられる時間にしていきたいです。

 

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

舞台活動は秋の再開実現をめざしており、状況に応じて判断いたします。くわしいご挨拶や前回公演の記録などを、上記サイトにて掲載中です。ぜひ、ご一読ください。

 

 

 

 

 

 

6/19金曜日は、〈コンテンポラリーダンス/舞踏・メインクラス〉の再開2回目でした。

このクラスは毎週金曜の夜、ピアノ生演奏と即興ダンスのセッション日、作品を踊るクリエーション日の2種類の稽古を、ほぼ週替わりで行います。きょうは再開後はじめてのクリエーション日。自粛期間のなかで考えていた新たな作品のことをメンバーに話をして、作品づくりをスタートしました。

まず色んな動きを試したり、動きで対話するような遊びから始めましたが、率直で開放的な雰囲気がすごく出てきて、これはいける、と思いました。

ダンスを通じて、踊る人が互いを受け容れ合っているというか、発見し合っているというか、まさにこれはコミュニケートです。次からの展開がとても楽しみになってきました。

このクラスは、とにかく自由に奔放に踊り、全身のエネルギーを高めてゆくクラス。踊りについてありのまま思いつくままに語り尽くしてゆく現在進行形のクラスです。

じっくりとダンスに関わっていきたい人、真剣に踊りたい人は、経験など関係なく、まずここに参加してほしいです。来週はピアノ演奏とのセッション、即興ダンスの練習日です。さあ、思いっきり、踊りましょう!

 

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

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6/18(木)の「踊り入門」では、ちょっと技術を紹介し、体験をひろげていただきました。

ダンスの技術と言っても非常に多様なのですが、きょうおこなったのは、主に身体の動きとイメージが結びついてゆくために必要な、非常に初歩的なのだけれど大切な、センスや感覚にかかわるプログラムでした。

うごくこととうごかされること、うごきの呼吸、うごきと共感性、まあ、いろんな言い方ができるかもしれません。

ある動きを試して、感じて、ということを繰り返しながら、そこに生まれる力学の面白さや気持ちの変化を味わいながら、ちょっと遊び場的な雰囲気が生まれました。

カラダの個性は本当に様々で、プライベートなものなので、その人の現在にふさわしい稽古内容が重要です。そして、ダンスの技術は精神的な状態やイメージ力と密接に絡んでいるので、稽古に折り込んでゆくタイミングがとても重要になります。

いまは人数も少ないぶん、一人一人の身体や動きのディテールがつかみやすく対話も行いやすいので、かなり充実度の高い稽古日となりました。特に重点を置いたのは、関係性を築きながら動きを稽古することでした。

ダンスの技術には一人で稽古することも可能なものと、誰かと一緒でないと稽古できないものがありますが、圧倒的に重要なのは、後者のほうだと僕は長年やってきて確信しています。

とりわけ技術的なものは対面でなければ伝わらないなあと思うことしきりですが、コロナ状況下の試行錯誤を通じてさらに感じさせられ、それはとても興味深い点です。

Avec ici(ともにここで)、というのがダンスの根本であると僕は思うのですが、ダンスの「うごき」は単に空間や時間との関係ではなく、絶えず生まれ消える〈場〉との関係/想像/創造です。状況とか雰囲気とか経過とか予感とか居心地とか好ましさとか緊張や弛緩とか、まあ、かなりいろんなものが重なって〈場〉が生成消滅している。これがカラダをいろいろなことに誘い、さらにカラダとともに変容してゆくのです。そこには〈遊び〉や〈対話〉から生まれる力学や想像力が深く関わっています。個的な領域から出て、さまざまなイノチやカタチを受容してゆくことで、身体にはダンスへの準備ができてゆくのかもしれません。

そのあたりのことを、次の良いタイミングに、また稽古したり話し合ったりできるといいなと思っています。

また、これから毎週土曜日に開講する『創作』と『基礎』の2クラスは、このあたりの「ダンスのカラダ」を獲得することに集中していきたく思っていますので、興味ある方はぜひ参加してください。(下記LINK)

さて、ここから、日々どんなことが起きるか、どんなダンスが稽古できるか、楽しみです。

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

舞台活動は秋の再開実現をめざしており、状況に応じて判断いたします。くわしいご挨拶や前回公演の記録などを、上記サイトにて掲載中です。ぜひ、ご一読ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは僕の影です。

あかるい光に満たされた、がらんとした部屋、

そのなかに入ると、自分の影が光に分割され、

分割された影が、部屋の壁にうっすらとひろがってゆく。

それだけといえばそれだけ、

なのですが、僕はこの作品に魅力を感じてしかたがありませんでした。

そこにある「人と光と影と気配」が織りなす何か、つまり、刻一刻の〈場〉がそのまま作品になっている。

ぽつりと一人で入ってきてしゃがんでいた人がフと両手を拡げてみたりする。なぜか足を止めることもなく通過する人がある。家族連れが色んなポーズをして影絵遊び、カップルが交替でポーズして記念写真をとる、いつのまにか大勢の人でいっぱいになり壁面の影も乱れ舞う、そしてまた、僕一人きりになって静まり返って、、、。

この部屋にじっと居ると、入れ替わり立ち替わり目の前を通り過ぎてゆくさまざまな人の通り過ぎ方や行為が、しだいに脳に染みてゆくのです。

《あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること》

という題名。

なぜか、そのコトバが、胸の奥に刺さります。

まさにいま、僕らは僕ら自身に起きていることに敏感にならざるを得ない時を生きている。

美術に限らず、ダンスだって書物だって、いい作品というのは、作者の思い考え以上に、こちらのことをスッと振り返らせてくれるようなところがあるのかも。そんな気がします。

コロナで封印されてきた展示や舞台が幾つもあります。

そのひとつ、オラファー・エリアソン久々の大規模展『ときに川は橋となる』に出かけました。

金沢でも原でも見逃してしまったから、僕にとって初めての鑑賞体験だったが、予想を大きくこえて考えさせられるものだった。

《クリティカルゾーンの記憶(ドイツ-ポーランド-ロシア-中国-日本)no. 1-12》という作品も特別な印象がありました。会場に入ってスグ脇に展示。

今回の展覧会でオラファー・エリアソンは、作品の輸送によって発生するCO2の量を削減するため拠点のベルリンから東京まで、飛行機を使わずに列車と船で運んだそうです。そして、飛行機を使わないと決めたあと、オラファーは“揺れ”によって線を描く“ドローイングマシーン”を自作し、作品を運ぶ乗り物に搭載し、会場に到達するまでの旅で感知した振動が、そのまま12枚の線画の絵になった、それがこの作品です。

人為でないものが描き出すフォルムやそれによって生まれる空間がこれほどまでに官能的とは驚きましたが、考えてみれば、それはそう、人は、岩肌や砂丘や樹木のうねりに眼を見張り、風や波や地の轟きに畏怖してきたのだから、美を生む仕組みが地球の側にある、というのは実に腑に落ちます。

おのれの魂胆を伝えるために描きこしらえたものとは別の驚異と感激があり、心を掃除されました。

このあたりのことは去年コラボレートをしたルクセンブルクの美術家フランク・ミルトゲンからも感じたことでした。(彼は火山の噴火口から採取した形相や火山灰を僕のダンスに当てた。LINK

僕の場合、踊りは12感覚による感応をどれだけ敏感にしていけるか、そしてどれだけ自分を突っ張らずにいろんなものごとと関わってゆくかということで大きく変わるけれど、これはひょっとしたら美術でもどこか通じる点があるのかしらとも思えます。

もう一点、眼の奥に残ったのは、多くの作品に現れていた「円相」でした。

先に書いたような無行為から生成される形の美や光の不思議から生まれる作品が天智にかかわることとすれば、円というのは人智の極みでもあるように思えます。

ある雑誌サイトに載っていたけど、日本語に自己という概念を明快に定義する言葉がないことに、この作家は興味を抱いたという。これは僕自身も日本人でありながら、同様のことに強い興味を抱いてきました。

「自己という概念を明快に定義する言葉がない」とうのは、日本の文化の重要な一点だと思います。

日本的関係性というのか、「自己と他者を明確に切断しない」ということには「円相」にも重なる深い示唆が先祖から託されてあるような気がするのです。

自我と他我の「あわい」に生まれるものは、特に芸事などでは重要な認識かもしれないと僕は思っています。

自他を安易に区別しないでおくこと、自他のあいだにいかに連続性をもたせてゆくか、いや、存在するもの同士の間におのずからある連続性をいかに意識化するか、ということには、日本の踊りや芸事の多くが大事なものを膨らませ続け得た秘密があるようにも思います。

コロナ状況のなかで、人が人に会えない状況を思い知り、そこから、存在の連続性というものに、興味がふくらんでいるのかもしれないです。

 

 

写真=同展より。上《あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること》、中《クリティカルゾーンの記憶(ドイツ-ポーランド-ロシア-中国-日本)no. 1-12》(一部)、下《サンライト・グラフィティ》

 

 

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6月12日(金)には「コンテンポラリーダンス/舞踏メインクラス」を、13日(土)には「創作クラス」と「基礎クラス」を再開。金曜日はピアノ演奏とダンスの静かな、しかし、とても集中したセッションが展開し、土曜日の稽古場では、あえてコンセプトワークに集中。いまこの状況で感じていることや、ここから稽古してみたいことなどを伺いながら、ダンスと社会の接点について、また、ダンスに関わってきた哲学や思想についてお話をして、充実した対話の時間から、新しいレッスンの方向性が見えました。身体やダンスから、当然ながら社会のことや経済のことにも話は及びました。そのなかで、ベーシックインカムの話題が出ました。これはダンスにも芸術にも、どこかで結びつくであろう話と思えましたので、以下、ちょっとお金についての日記を載せます。

 

「先月末、5月29日だったか、スペイン政府がベーシックインカム(最低所得保障)を閣議で承認したというニュースを読み、とても驚きましたが、どこか妙に納得できるような気持ちにもなりました。スペインでは、どの世帯にも年間平均1万70ユーロ(約120万円)の最低所得が保障されるというのですが、これは画期的なことだと思いました。「はたらく」ということについて、考えの基盤が大きく変化する可能性があるからです。はたらく、というのは経済生活の基礎ですが、それは文化にも深く関わっています。

コロナ禍での困窮に対しては、日本でもさまざまな一時金が出て本当に有り難いのですが、それでも不安がやわらいでいかないのは、もしかすると、先が見通せない状況のなかで、継続的長期的な国民支援についての提示がいまのところ、まだ出ていないからかもしれないなあと思ったりします。ウイルス感染と同じくらいおそろしい経済危機が予想されるというこの状況は有事なのだから、国民の命を守る方法の一つとして、お金と労働の仕組みを考え直すことは、国防と同じくらい値打ちがあるのではないだろうか、なんて獏たる思いをしてしまいます。コロナ以前の競争経済が最良でそこに戻る努力が100なのか、あるいは、これをキッカケに過去とは別の仕組みを考え始めるべきなのか、ということも、気になります。

そんなことをあれこれ考えながら、ふと思うのが、あと何ヶ月後か何年後かわからないけれど、ウイルスが完全収束して経済状況が安定するまでのあいだ、国民全員の衣食住を国家が補償する、つまり一時的なベーシックインカムの実施を、試みることは出来ないものだろうかということです。そしてそれを長期的な制度にするべきかどうかも含めて、この状況を、かつての競争的資本主義から新しい経済の方法を探すための、社会実験の機会にできないだろうか、なんて思ってしまうのです。そこにスペインのニュースが聞こえてきたのです。

たらればの話をしても下らないと言われたらそれまでですが、でも思います。スペインに続いて、もし日本が、ベーシックインカムを経済政策の視野に入れ、国民の生存権を具体化することができたなら、それは新しい世界のための貴重な挑戦となるのではないだろうか、と。ベーシックインカム制度は政府も試すが国民の民度も試される。日本人は、競うことよりも助け合う、という文化を構築することに、そろそろ挑戦するべきだとも思うのです。もとより日本にはその下地があるのではないかとも思います。

最低限の生活保障は人間に考える余裕を与えるはずです。いま、考える、ことが必要な時期が来ているのではないかと思います。お金を稼げない人は自立できないという常識に慣れてきたが、ベーシックインカム社会ではその常識がなくなり、お金を稼ぐ意義が変化する。自らが生きるために働くばかりではなく、他を生かすために働くことも大きく視野に入ってくるのではないか。喰わんがために稼ぐのではなく、投資のため、寄付のため、勉強のため、遊びのため、贅沢のため、ともかくいろんなことに「回す」ために稼ぐという人も今より増えるのではないでしょうか。お金の根本を、競争原理から友愛原理に移行させることに、一歩近づくことになるかもしれない。

さらに、ベーシックインカムとセットで、お金に消費期限を付ける、という考えもコロナ状況を境に出てきても良いのではと、妄想します。貯め込まないようになり、お金が「回る」ようになるのではないでしょうか。シルヴィオ・ゲゼルの「スタンプ貨幣」や、ルドルフ・シュタイナーの「エイジングマネー」などのようにです。

シュタイナーは僕がダンス活動と並行して継続している身体芸術「オイリュトミー」の創案者ですが、第一次世界大戦のあとスペイン風邪のパンデミックが起きた頃に社会の危機をめぐって色々な考えを提示し、そのなかで示したひとつが有機経済という発想でした。自然物と同じようにお金も老化して次第に価値を変化させるようにする。「何のために働くのか」「お金とは何か」この二つを変化させることで、生活文化は大きく変わるかもしれません。

過酷な状況は、新しい仕組みを考えるタイミングでもあると思います。いまこの状況だからこそ考え実現できることが、あると思うのです。コロナ発生前の競争資本主義に戻る必然性はどの程度あるのでしょうか。この危機は、平等と友愛をめぐって真剣に考える機会ではないかとも思います。危機ゆえにこそ、再構築できるものも、生み出すことが出来るものも、ずいぶんあるのではないでしょうか。」

 

つづきをまた近日。

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

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〈オイリュトミークラス〉を6/10(水)から再開しました。

ひさびさのオイリュトミー練習を通じて、身にも心にも新しいエネルギーが注ぎ込まれるようでした。

自粛期間中に試みた沢山のオンライン仕事を通じて、人と人は結局は「会う」ことでなければできないことが多い、特に心のことやコミュニケーションのこと、とりわけ芸術では「会う」ことの重要性を切に感じてきました。

いっぽう、コロナなど予想さえしなかった頃からずっと、踊りの稽古においては、全感覚での対話感と言うか、視聴覚だけでは伝わらないのに同じ場に一緒に居ることで伝わってゆくものがとても重要なことを感じてきました。

それらのことを、オイリュトミークラスの再開では非常につよく確信し直しました。

〈オイリュトミー〉というのはカラダを見せる踊りではなく、カラダを通じて「かかわり」を体現してゆく踊りです。

その稽古は僕にとってはダンサーとして最良のトレーニングの一つだと思って続けてきましたが、いまここにきて、それはダンサーとしてのみならず、一人の生活者として重要だったのではないかと思い直しています。人間関係や、子育てや、自分自身の心の問題にも、実は深いところで強い力になっていたのではないかと、思えるようになってきたのです。

もしかするとこのコロナ禍の状況を経験したからこそかもしれませんが、オイリュトミーとその根にある考えに対して、いま、かなり深く共感し直しています。

僕は、小中学では床体操を、中高で打楽器を、そして18歳からオイリュトミーを習い始め、同時に大学で映画や演劇の演出を勉強し、さまざまなダンスレッスンに通ったりパフォーマンスを開催したりし始めました。やがて自分なりの踊りに専念してダンサー/振付家として活動するようになった後も、オイリュトミーのいくつものワークが日課練習を支えてくれました。その後、レッスンを開いてからも20数年たっていますが、その積み重ねから、他者との心身ともでの交感によってこそ私たちは自分自身を確かなものにしてゆくことができる、ということを、オイリュトミーは教えてくれたように思います。

〈オイリュトミー〉は、語り手や音楽演奏とのセッションで踊ります。聴こえる響きを身振りに置き換えて楽しみ踊るというスタイルです。

澄み切った水面には音によって波が起きます。そのようにカラダをすると言ってもいいかもしれない。自分の内部を静かにして、カラダをリラックスさせて、全感覚を澄ませて、語りや音楽に、ぴったりと寄り添って体を動かし心をこめて踊りにしてゆく、というのがオイリュトミーの基本の取組み方です。

他者に自らを差し出してゆくダンスとともに学べば、ちょうど鏡のように一対になります。「おのれ」の思いを表して踊るばかりでなく、もう一方に、「だれか」の思いを受け容れようとして踊る、ということもあるのではと思わせてくれたのが、僕にとってはオイリュトミーでした。

〈オイリュトミー:EU-RYTHMIE〉というのは、良い律動という意味の造語ですが、そこには深い意味が込められています。

これを創案したルドルフ・シュタイナーの基本的な考え方というのは、僕ら一人一人が自分の人生の中で直面する現実と向き合い試行錯誤して克服してゆくことが、実は、大きな社会的な動きの種となっていて、それはさらに人類全体が成長していくプロセスにも通じている、というものです。

これは、一人の人間の行いが、必然的に全人類の行いに関係してゆくという、いわば社会というのは受け渡しのリズム芸術なのではないか、という解釈でもありましょう。

シュタイナーの考えから始まった思想は「アントロポゾフィー」と呼ばれていますが、アントロポスは人、ソフィーは智慧、ゆえに「人智学」と訳されています。人が人として人の智慧を学ぶ。そんな感じかしら。

レッスン再開初日となった6/10は、このシュタイナーの著作の言葉を聴きながら地を踏んでいく稽古を、まずやってみました。声を聴き、そのバイブレーションやリズムを感じながら、カラダをあたためていく。

眼で読むのではなく、人が読む声を聴いて文章を知ること。さらに、その声を、身体のリアクションで、しっかり受けとめてゆくこと。これは、やってみれば、言葉のとらえ方にも大きな影響があるのがわかります。お父さんやお母さんが子どもに本を読み聴かせることで、子どもが力を得てゆくのにも、似ています。

この日、選んだテキストは『社会の未来』の一部でした。これはスピーチの記録なので、もとより声のものです。そして、内容的には、危機の状況のなかから、社会の未来をいかに構築してゆくべきか、また、そのために、人間自身がどのように自分を成長させてゆくべきなのか、ということについて真剣に考えた軌跡がギュッとつまったもので、かなり迫力があり、また考えさせられもします。

同著は1919年の講演録だから、ちょうどスペイン風邪のパンデミック(1918~1920)と時期が重なります。第一次大戦後すぐでもあります。僕らも紛争や震災をへてコロナパンデミックの渦中にいます。

後にシュタイナー教育として世界に広がる「自由ヴァルドルフ学校」の設立も1919年です。こないだ舞踏クラスで踊った『ダダ宣言1918』(トリスタン・ツァラ)もおなじ時期ですが、このころの出来事や人々の考えたことには、僕ら現代の人間にも共通する問題がすごくいっぱい、あります。

スペイン風邪から世界恐慌へ、そして全体主義社会の出現へ。という、かつての流れを僕らは知っています。それゆえ不安もあるけれど、歴史を繰り返すかどうかは智慧の問題です。危機的状況をいかに克服するかということから、新しく生まれたものが、とても沢山あることも確かだとすれば、いまこの状況からこそ生まれる希望も、あるのではないでしょうか。

シュタイナーの社会論は、有名なゲゼルの経済論と並んで、たったいま多くの国で議論されているベーシックインカムの源流をつくったとも言われています。(この5/29に可決されたスペインのベーシックインカム導入について書いた日記もこんど掲載します。)踊るということは、自分たちの暮らしを受け止め直してゆくということがないと、本当にはなってゆかないのですが、そのきっかけになればいいなあという気持ちもあって、同著を練習にとりあげてみました。

そして後半では、新しい作品の振付もしはじめました。それは、人と人がコトバを交わす、ということについて、悲喜こもごもを含めて想いを馳せ味わい深めてゆくような舞になればいいなあと、思いながら自粛期間中にあたためていた練習作品です。オイリュトミーは、すべてにわたってセッション性が強いせいもあって、人と人の交流や交感という、いわば表現の根幹にある主題を、プロセスとして明白に体験できるのではないかとも思っています。この機会に、レッスンも初心にかえり、もっとも根源的なところに触れていきたいと思っています。

いまやはり感じているのは、最初に書いたような、全感覚的にコミュニケーションが起きているなかでこそ、踊りは踊りならではのエネルギーを発するということです。

 

※ひきつづき、「コンテンポラリー/舞踏メイン」「創作」「基礎オープン」の順でレッスンを再開していきます。いづれのクラスも新しい仲間を求めています。ぜひご参加ください。

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス再開!!

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎オープン(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

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呼吸に身をゆだねる。

呼吸に導かれる循環の渦に身をゆだねる。

そして空白になる。

空白になり、

ただひたすらに訪れるフォルムをダンスする。

ダンスによって、内部から、ほどかれ、

大気に還ってゆくものを、

見贈ってゆくのかもしれない。

(櫻井郁也『青より遠い揺らぎ』2012創作ノートより)

 

これを書いた頃、僕は胸いっぱいに「空気」を吸い込むことに躊躇いを感じるようになって長くなっていた。福島原発事故から1年以上が過ぎて放射能とそれが呼び込んだ様々な「空気」を意識することが日常というか無意識まで降りていたのだろう。そんな回路が肉体に刻まれたまま数年たち、このいまのウイルス状況が訪れた

 

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月より全クラス活動を再開します

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

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いつの日か葬儀を禁止しよう,

そして涙を,

大陸から大陸へと張りつめられた霧笛にとって代えよう。

 

上記は『ダダ宣言1918年』という文章の一部で、作者はトリスタン・ツァラ。そう、1918年はスペイン風邪のパンデミックに重なる時期だ。

6月4日のフリークラス〈踊り入門~イノチとカタチ〉(西荻・ほびっと村学校「舞踏」クラス)では、このテキストを音読して聴いてもらい、そこからインスパイアされたものを踊っていただいた。打楽器演奏や、いくつかの当時の音楽を挿入しながら、イメージを膨らませ、また音読を聴いてもらい、踊り、、、と展開するうち、約2時間の稽古があっというまに過ぎた。

この文章では、矛盾や対立を怖れず、調和を目論むこともなしに、投げ込まれたコトバたちが、とめどないエネルギーの渦を巻いている。レッスンでは、言葉を聴き込み、あるいは肌に浴びて、次第次第に動きはじめてゆく一人一人の身体が、その内側にとてつもない熱気をはらんでいるように感じた。同じ空間で、同じ言葉の響きを受け、さまざまなダンスがあふれて場を満たしてゆく。その瞬間を繰り返し体験してゆくうち、いつしかオドリのカラダというものがつかめてゆく。

レッスンを再開して、ともに踊ること、ともに同じ場に居るということの貴重さを、痛いほど思う。踊ると言ってももっぱら体を動かしていることが重要なのではなく、人と同じところで同じ音や匂いや空気の流れや気配を感じとりながら、ともにいる、ということがオドリのカラダをつくってゆくのだ。物質的ではない筋肉とでも言えるのだろうか。

新しい世界について考えはじめなければ、、、。と思いながら、コロナ禍の日々を過ごしている。ひどい打撃を受けているが、自分だけじゃなくて文化全体が大変なことになっているのが、肌身でわかる。こわい。文化が危機に陥ると、どんなことになってしまうか。

人が人と一緒に食べて、飲んで、歌って、芝居や踊りを楽しんで、というのは、人間が幸せをつくってゆく上で最も大切なことだ。娯楽、という言い方では計り知れない知恵や精神の広がりが、それらの「楽しみ・愉しみ」から生まれてくる。それらを我慢をしていると、心がギスギスして他人に対して冷たくなり、しまいには自分の生き甲斐がわからなくなってしまう。ウイルスに「関係」を壊されないよう、気をつけねばと思う。孤立してからでは取り戻せないものがある。

上記の『ダダ宣言1918年』は第一次大戦が終わりスペイン風邪のパンデミック(1918~1920)が起きた頃に書かれ発表されているが、トリスタン・ツァラはこの宣言をはじめ、多くの作品で人の心や社会の滞りを刺激してやまない。

同じ頃、ルドルフ・シュタイナーは社会の新しい形について講演を繰り返しベーシックインカムの源流とも言える経済論を提起しはじめた。ダンスの世界ではヴィグマンはじめ革新的な踊り手が続々と出現。そして狂乱の1920年代を経て、全体主義の時代が次第に準備されていった。

あの時代の流れが再び起きないようにするには、どうすればいいのか。個々が考える時が来ていると思う。

 

もう酔っぱらいはごめんだ!

もう飛行機はごめんだ!

もうたくましさはごめんだ!

もう尿道はごめんだ!

もう謎はごめんだ!

 

これもまたツァラの言葉、『植民地の三段論法』より。ちょっと好き。

 

 

※写真は粟津潔さん装幀の『ダダ宣言』より、

上:表紙、中:ツァラの頁の一部、下:ピカビアによる挿画の一部

 

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lesson 櫻井郁也ダンスクラス 

再開情報6月から活動を再開します

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス(踊り入門)

 

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クリスト氏が亡くなったことを知りました。心から尊敬している美術家の一人だったので、本当に残念でなりません。

1991年に日本とアメリカで同時に行われた『アンブレラプロジェクト』は、まさに感動的な出来事でした。日米の対照的な地域に高さ6メートル直径8.66メートルの巨大な傘を大量に設置し、同時にそれを開くのです。

アメリカではカリフォルニアの広大な放牧地に1760本の黄色い傘が、日本では茨城の常陸太田市から旧里美村へ至る広い人里に1,340本の青い傘が立てられました。田んぼや、川や、神社や、いろんな場所に大きな真っ青な傘が立てられ開かれたその光景は、まさに感動的だった。

他にもベルリン国会議事堂を梱包した『ライヒスターク』など、プロジェクトは常に巨大でしたが、つねに奥さまのジャンヌクロードさんと一緒に制作をし、スポンサーをつけたり助成金をとったりしないで自らのドローイングなどの作品を売ったお金だけでプロジェクトを進めていったときいています。

そして何よりも素晴らしいと思ったのは、クリストとジャンヌクロードの芸術が、常に「話しかける」ということから始まって「あきらめない」ことによって「時間をかけて」進行してゆくことでした。

先に書いた茨城のアンブレラプロジェクトでも、傘を立てる土地の地権者やそのご家族ひとりひとりに自分の言葉でお願いしてまわり、その熱意が信用となり、家を貸してくれる人さえもが出てきて、いつしか地域全体に話が広がり、プロジェクトが動き始めていったという記録を読みました。

夫婦が徹底的に力を合わせ、何年も何年も粘り強く交渉を重ねたり多数の困難を克服して共同作業を実現してゆくその姿に、僕は何度も何度も背を押されました。これからも、きっと背を押され続けるのだと思います。

フェイスブック5月30日付の声明文には、84歳で自然死だったと書かれていました。進行中だった最新プロジェクト"『 l ' arc de triomphe 』は、パリの凱旋門を梱包するもので、コロナ禍のせいで延期されていましたが、 2021年9月18日~ 10月3日に実行されるそうです。

 

※関連記事 クリストとジャンヌ=クロード夫妻の(2017)

 

 

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5月30日と31日、

この二日間は新作ソロの公演日でしたが、3月よりご案内して参りました通り、コロナ禍により延期とさせていただきました。

「延期」と表現しつつ、精神的には中絶であり喪失という思いですが、この状況下での出来事一切は今後の未来にとても大切になってゆくものを含んでいるのではないかとも思えます。

舞台があったはずの、この二日間の空白を、しっかり感じとりながら、

みなさまの前で再び踊る日を準備していきたく思っております。

秋の公演予定日は、10月3~4日に組んでおります。

当然ながら、本日上演するはずであったものの単なる延期ではなく、ここを再出発の地点として徹底的に追求したところに何が現れるか、ということになろうかと思います。

ウイルス状況が改善し、秋公演が実現するよう祈りつつ、稽古を続けさせていただきます。

どうか、みなさま、引き続きのお付き合いを、心よりお願い申し上げます。

 

櫻井郁也、十字舎房、関係者一同

※写真は、戦後70年の年に上演したソロ『Landing on the lost』の1シーンです。

 

関連記事(公演写真など

 

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