Rael Maitreya

 

Koichi Raelian  訳

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無神論者の国々

人口の半数以上が自分を無神論者または不可知論者と定義している国

オランダ:53%

エストニア:64%

韓国:58%

北朝鮮:73%

フランス:51%

チェコ共和国:76%

日本:61%

ベトナム:70%

中国:90%

ウルグアイ:54%

ニュージーランド:52%

ーーー

無神論者の国々

世界のいくつかの国では、人口の半数以上が宗教を信じていないとされています。

中国が90%で第1位、

次いでチェコ共和国が76%、

ベトナムが70%です。

 

ヨーロッパでは

エストニアが64%、

オランダが53%、

フランスが51%です。

 

アジアでは

日本が61%、

韓国が58%

となっています。

 

その他の地域では

ウルグアイが54%、

ニュージーランドが52%です。

これらの数字は、世界の多くの人々の生活の中で、宗教が徐々にその居場所を失いつつあることを示しています。

Paul Craig Roberts

 

2026年5月10日

トランプはイランに関するCIAの警告を無視した
Trump ignored CIA warnings on Iran  – Paul Craig Roberts


CIAがイランは核兵器を開発していないと評価していたにもかかわらず、米国はイスラエルによって戦争に引きずり込まれた

外国政府、すなわちイスラエルが作り上げた物語とアジェンダが議論に勝利し、我々をこの戦争に駆り立てた」――元米国防諜部長
米国家テロ対策センター(NCTC)のジョー・ケント所長
ジョー・ケント

米国防諜部長ジョー・ケント氏は、イラン・イスラム共和国が核兵器を開発していないという情報機関の評価にもかかわらず、ワシントンはイスラエルの対イラン戦争に加わったと明らかにした。

3月に抗議のため米国防テロセンター長を辞任したケント氏は、イスラエルが米国を、米国の国益に反する終わりのない紛争に引きずり込んだと明らかにした

ケント氏によると、CIAを含む米国の情報機関全体が、事態のエスカレーション以前に、イランは核兵器開発を進めていないという点で一致していたという。彼はさらに、米情報機関がトランプに対し、イランはイスラエルまたは米国から攻撃を受けた場合、中東各地の米軍基地を標的にし、ホルムズ海峡を封鎖するだろうと警告していたと付け加えた。

トランプ大統領がネタニヤフ首相から情報を得ているのならいっそのこと17ほどある米情報機関を閉鎖して経費を節約した方が良いかもしれない。

さて、米国はロシアとイランと戦争状態にある。次は中国か、キューバかデンマークだろうか?

Rael Maitreya

Nobby Raelian 訳

You are the unique creation of the Elohim

あなたはエロヒムが創造された、唯一無二の存在です 

 

2026年5月3日 

 

私は、この贈り物……最高の贈り物である皆さんについて、エロヒムに感謝を伝えたいです。 

 

エロヒムがいなければ、私は皆さんの誰一人として知ることはなかったでしょう。そうです、ここにいる誰とも出会うことはありませんでした。ここにいる皆さんが私を知っているのは、エロヒムのおかげです。

 

しかし、それ以上に大切なのは、こんなに素晴らしい “贈り物” という形で、私が皆さんに出会えたということです。

皆さん一人ひとりが、私の人生への “贈り物” です

私はただ優しいことを言おうとしているのではありません。まったく違います。

本当にそうなのです。皆さんは贈り物なのです。 

 

シズエのような人格……本当に素晴らしい女性です。

エロヒムがいなければ、私は彼女と出会うことはなかったでしょう。今では、彼女は私の人生の一部です。

 

ラフィ……エロヒムがいなければ、私はあなたを知ることもありませんでした。

 

皆さん一人ひとりがそうです。

トニーもです……。

 

中には、本当に私の人生を変えた人たちがいます。そうです、私は皆さんの人生を変えました。しかし同時に、皆さんもまた、私の人生を変えたのです。 そのことを感じてください。

その支え、その愛、その存在によって、皆さんは私の人生を変えたのです

私はエロヒムの美しいメッセージを携えていたでしょうが、皆さんがいなければ、私は一人だったでしょう。美しいメッセージはあっても、孤独だったのです。 私はよくこの話をしますが、とても大切なことなのです。

 

1973年12月13日、メッセージを受け取った後、私は一人でした。どれほど孤独だったか、皆さんには想像もつかないでしょうエロヒムは言いました……「あなたを支えてくれる多くの人々に出会うことになるでしょう」と。

私は信じませんでした。どうやってそんな人たちを私が見つけられるというのでしょう? 

どうやって皆さんに出会えるというのでしょう?

 でも皆さんが一人、また一人と現れたのです。

そのたびに私は、「わぁ!」と感じていました。

 

私は最初のラエリアンであるジャン・ガリーのことを覚えています。彼は今ごろ、おそらくエロヒムと一緒にペタンクをしているでしょう。彼は夢に満ちあふれてやって来ました。そして私は、ジャン・ガリーのように私のもとへ来たラエリアンたち一人ひとりを覚えています

私たちは多くの個人的な交流を持ち、多くの冒険を共にしました。 そして49年前、ケベックで一人の男性が私のもとへやって来ました。ここにいるマークです。49年前です! 数日前、私たちはとても良いレストランで彼の誕生日をお祝いしました。そのとき彼はこう言いました。「今日の誕生日のお祝いは、あなたと知り合って49年になることを祝う日でもあるのです」と。私は今でも彼のことを覚えています。皆さん一人ひとりとの、最初の出会いをです。

 

ハニーのことを覚えています。韓国には小さな韓国人グループがあって、私はすぐに彼女に恋をしました。狂おしいほど魅力的だったのです。私は彼女に飛びつきたいと思っていました。でも彼女はとても恥ずかしがり屋で、私が見るたびに彼女は顔をそらしていました。だから私は、「彼女は私のことが嫌いなんだ」と思っていたのです。でも彼女は、ただ恥ずかしがっていただけでした。 

 

私は皆さん一人ひとりを覚えています

ですから、もう一度言います。ありがとう…。

 皆さんは、「メッセージをありがとう」「教えをありがとう」「人生を変えてくれてありがとう」と言いたいのでしょう。しかし、皆さんもまた、私の人生を変えたのです。ですから、そのことに感謝します。皆さんの愛が、私に79歳まで生き抜くエネルギーを与えてくれました。79歳ですよ! 

 

ひとつ秘密をお話しましょう……若かった頃、私は50歳になる前に死ぬと確信していました。本当にそう思っていたのです。そして今、79歳です。皆さんのおかげです。皆さんの愛のおかげです。 私は、ここにいる皆さん一人ひとりについて語ることができます。ある人たちの話は、他の人たちよりもさらに強烈ですが……。 

 

例えばトニーですが、私は東京での集会で彼に出会いました。彼は私に言ったのです、「沖縄に来てください」と。

私は「何ですって? 沖縄とは何ですか?」と返しました。

そして今、私はここにいます。 ここにいる皆さん一人ひとりに、それぞれの物語があります。

 

私は中国のある若い学生のことも覚えています。私たちはインターネットを通じてやり取りをしていました。そして今、彼女はここにいます。 私は皆さん一人ひとりを覚えています。そのことについては、いつまでも語り続けることができます。

 

しかし今は、エロヒムとの愛のコンタクトを行う時です。

そのために、スカイに何か話してもらいましょう…。 (その後、マークによる歌がありました) 

この歌では、「皆んなは美しい。彼らは美しい」ということを伝えています。皆さんも、彼らも、誰もが宇宙の一部です。 

 

生命の存在しない惑星にエロヒムが到着するところを想像してみてください。ただ大地が広がっているだけです。

しかし、その大地の中には、皆さんを創造する可能性が存在していました。皆さんは以前、その大地の中にいたのです。そしてエロヒムの魔法……それは科学ですが……その力によって、大地は人間へと変えられました。皆さん一人ひとりは、以前は大地の中にいたのです。 

皆さんの母親は、大地から育った野菜を食べました。皆さんは寿司や刺身を食べました。すべては大地から来たものです。そしてそれが、肉体と超意識になったのです

超意識は塵からできています。私たちは皆、塵から作られ、そして再びそこへ帰っていくのです。 

赤ちゃんが生まれることで新しい命が芽生え、母親は出産します。しかし同時に、母親は “死” も与えるのです。あなたに命を与えることで、死もまた与えているのです。なぜなら、私たちは生まれ、そして死ぬからです。大地から生まれ、再び大地へ帰っていくのです。 

 

しかしその間に……そう、その間に……私たちが生きているほんの短い時間があります。そしてその間に、私たちは超意識を広げることができるのです。 

 

ご覧の通り、この80億もの人々は、なぜ生きているのか分かっていません。皆さんだけではありません。

 

誰もが時に立ち止まり、こう自問します: 

「なぜ私は生きているのだろう?」 

「私の人生の目的とは何だろう?」

 「働くため?」 

「食べるため?」 

「新しい車を持つため?」 

「新しい家を持つため?」 

「そして最後には、大地へ戻っていくため?」 

「何のためなんだろう?」 ……そして、私たちがメッセージをもたらすのです。 

皆さんは、自分がなぜ生きているのかを知っています……愛と意識を広げるためです 

この惑星は庭園であり、皆さんは庭師なのです。

花咲く庭のように、人類を咲かせてください

皆さん自身もまた花です。しかし、皆さんは “花” 以上に大切な存在です。皆さんは庭師なのです。そのことを感じてください……。 

皆さんがメッセージを伝えた人々のことを思い出してください。それこそが、庭を育てるということです。花を育てること以上に美しいものはありません。

だから私はガーデニングが大好きなのです。

小さな種を植えると、いつの日か巨大な木になります。

メッセージの知識の木も、1つの小さな種から始まります……誰かに微笑みかけ、愛を贈り、メッセージを分かち合うのです。皆さんが出会う人は、誰もが未来の最高ガイドになる可能性があります。皆さんには分かりません。 

 

たとえとてもネガティブな人であっても、皆さんがメッセージを伝えた時に笑うような人であっても、いつの日かガイドに…庭師に…なるかもしれません。

つまり皆さんは、他の庭師たちを育てる庭師というわけです。そのようにして、この地球は美しい庭園になっていくのです。

自分がどれほど特別で、唯一無二の存在であるかを感じてください。 もちろん、ロータスのように特別な才能を持つ人もいます。しかし、たとえ歌わなくても、踊らなくても、何か並外れたことをしなくても、皆さん一人ひとりが、“ある存在”によって書かれた旋律なのです。

皆さんのDNAは、まるで協奏曲のようなものです。ただ自分自身でいることで、その旋律を響かせてください。 

 

偽預言者や偽グルはみな、人を変えようとします。しかし私は違います。私は、皆さんに自分自身でいてほしいのです。皆さんを変えようとすることはエロヒムへの侮辱になるでしょう。

どうして私が、皆さんという存在を変えることなどできるでしょうか?皆さんは、皆さんなのです。あなたは“ありのまま”でいますか?「I am」です! それはエロヒムによって書かれた協奏曲であり、彼らはそれを愛しています。彼らは、自分自身でいる時の皆さんを愛しています

 

人生の挑戦とは、誰かになることでも、何かになることでもありません。「あぁ、私は誰かのようになりたい」などという幻想を取り払って下さい。皆さんはすでに存在しているのです。

皆さんは、エロヒムが創造した、唯一無二の存在です

ここにいる皆さん一人ひとりがそうです。たとえ最も内気な人でも、歌わない人でも、踊らない人でも、皆さんは“人”が奏でる協奏曲を演奏しているのです。 

自分を変えようとするたびに、皆さんは自分自身を裏切っていることになります。自分自身でいてください(Be you)。 

 

私は皆さんを愛しています。エロヒムも皆さんを愛しています。それは、皆さんが皆さんだからであり、ラエリアンだからではありません。メッセージを広めているからでもありません。ただ、皆さんだからです。そのことを感じてください! 

今日、誕生日の人はいますか? 

今日は、皆さん全員の誕生日ですね。

 

 マイトレーヤ・ラエル 

  https://rael.org/you-are-the-unique-creation-of-the-elohim/

      

Rael Maitreya

 

 

Nobby Raelian

 

心は自分の味方ではないのだと気づくと、あなたと本来の自分との間に隔たりを作り出さなくなります。 

そしてある日、心は自然に消え去ります。なぜなら、もはやその役割が存在しないからです。 

すると人生の24時間すべてが、

愛となり、

平和となり、

静寂となり、

大いなる喜び

となります。 

心とは、社会がすべての人間の中に植えつけた、最悪の創造物なのです。

 

 ~Osho 『Light on the Path #21』

 

https://facebook.com/photo?fbid=26189701640708533&set=a.134896286615758

 

 

Rael Maitreya
Eastlyn Hub

中国が今、世界中が話題にしている驚くべき兵器を発表しました!

ご紹介しましょう、100式戦車――2025年9月に北京で開催された大規模な軍事パレードで初公開された、中国の最新鋭次世代戦車です。

では、この戦車がこれまでのどの戦車とも一線を画す、特別な存在とは一体何でしょうか?この驚異的な兵器は、何マイルも離れた標的、乗員が肉眼で確認できない標的さえも探知し、対応することができます。ドローン、レーダー、AI技術、赤外線センサーを駆使して、はるか遠くの目標を検知するのです。

乗員は拡張現実ヘッドセットを装着し、周囲の状況をリアルタイムで表示する3Dマップを利用できます。想像してみてください!

この戦車は単独で行動するのではなく、ドローン、ヘリコプター、その他の部隊と同時に連携し、まるで走る超スマートネットワークハブのように情報を瞬時に共有します。

軍事技術の専門家たちは、これを歴史を決定づける瞬間と呼んでいます。地上車両が、これまで航空機や艦船しかできなかったこと、つまり人間の目では捉えられないはるか遠くの物体を探知し、対応することを初めて可能にした。

中国は、これにより自国の軍隊が世界で最も技術的に進んだ軍隊の一つになったと主張している。世界各国は間違いなく注目している。

 

China just revealed something truly incredible that the whole world is talking about right now!

Meet the Type 100 — China's brand new next generation tank that made its first ever public appearance at a big military parade in Beijing in September 2025.

So what makes this tank so special and different from anything before it? This amazing machine can locate and respond to targets that are miles away — even ones the crew cannot see with their own eyes! It uses drones, radar, AI technology, and infrared sensors to detect things far beyond the horizon.

The crew inside even wears augmented reality headsets that show them a live 3D map of everything happening around them in real time. Imagine that!

Instead of working alone, this tank connects with drones, helicopters, and other units all at once — sharing information instantly like a super smart network hub on wheels.

Military technology experts are calling this an era defining moment in history. For the very first time, a land vehicle can do what only aircraft and naval ships could do before — detect and respond to things far beyond what human eyes can see.

China says this puts their armed forces among the most technologically advanced in the world. The rest of the world is certainly paying close attention!

Rael Maitreya

 

Koichi Raelian 訳

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アフリカ大陸を移動するために38ものビザが必要な場合、どのように投資すればよいのでしょうか? - ダンゴテ

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「私のような人間がアフリカを移動するのに38ものビザが必要だとしたら、どうやって投資すればいいのでしょうか?」 — アリコ・ダンゴテ 🌍

アフリカで最も裕福な人物でさえ、自らが暮らす大陸を自由に移動することができない。

 

この事実をじっくりと噛みしめてほしい。

 

ヨーロッパ人は27カ国を旅するのにビザが一切必要ない。

 

アフリカ人はアフリカでビジネスをするのに38ものビザが必要だ。

 

私たちには15億5000万人の人口がおり、紙の上では世界最大の自由貿易圏だ。

しかし現実には、国境、官僚主義、ボトルネックが存在する。

隣国間で商品を移動させるのに数週間もかかる

その一方で、中国からの輸入品は隣国からの製品よりも早く到着する。

数字は嘘をつかない:

アフリカ諸国間の貿易はわずか15%

• 欧州諸国間の貿易は70%以上

ビザなしで渡航できるアフリカ諸国はわずか28%

自分たちの家の中でさえ自由に動き回れないのに、どうやって富を築けるというのでしょうか?

私たちが「自分たち自身」に投資するまでは、外国の投資家は私たちを真剣に受け止めてはくれません。大胆に、自信を持って、そして38ものスタンプに足を引っ張られることなく。

一つの大陸。一つのパスポート。一つの市場。家族の間には国境はない。

これは過激な主張ではない。常識だ。

YouTubeを毎日見ていて感じるのは、イランは21世紀の戦い方をしています。

20年間準備し続けてきており、イスラエル・アメリカ側に何度もウソをつかれているので、その準備の仕方のスケールが大きく、びっくりするほどお粗末なアメリカ側の戦いぶりは20世紀のもの。過去の経験からはそのような戦いでもよかった。何しろ圧倒的に劣勢の国々相手だったので。

 

イランの戦いぶりは見事に頭脳的。最も効率よく戦うにはどうすべきかが計算されています。海・空の両方で。

また電子戦ではアメリカを上回る巧みさ。米軍機のシステムを乗っ取り、その機体を後戻りさせて逆にその機体から相手方の陣地を攻撃させるところまでやっています。凄い。

 

アメリカのメデイアに徹底的に隠し続けさせている米政権ですが、もう隠しきれないでしょう。大敗し続けていることを。大敗です。

米兵の死者数は百人単位で済まない筈。千人単位でしょう。

 

 

Rael Maitreya

 

 

Koichi Raelian 訳

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200両の戦車が死を待つ

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イランが18カ所の燃料貯蔵施設を攻撃、イスラエル国防軍(IDF)の残る200両の戦車が燃料切れ、北部軍司令部が降伏

燃料、弾薬、通信、整備、輸送、そして補給網こそが、高度な軍事システムが運用可能な状態を維持できるか、それとも戦場に置き去りにされた無用の鉄の記念碑と化すかを決定づける。燃料のない戦車は武器ではない整備のない戦闘機は空軍力ではない補給のないミサイル部隊は、故障を待つだけの高価な機械に過ぎない。

この記録に記されたシナリオは、この原則が極限まで突き詰められた劇的な例を示している。イランは、イスラエルの装甲部隊と直接対決するのではなく、それらを支えるインフラを標的にしたとされる。メルカバ戦車と正面から交戦する代わりに、その戦車を動かし続ける燃料貯蔵庫、配給拠点、パイプライン、輸送車両を破壊することに戦略の焦点を当てたのである。

Rael Maitreya

 

 

フランス語の短い動画で歌われます

 

Koichi Raelian 動画訳
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そしてここで、時間をさかのぼる旅をする。

パリに16歳の若者がいる。

彼にはお手本がいて、その名はJacques Brel。

そして彼は一つの歌を作る――「僕は16歳で本物だった」。
いや、まだ本物じゃなかった。

想像してみてほしい。とても内気で、ニキビだらけの少年を。

ちょっと想像しにくいけど。

 


今朝、一輪のバラが僕に挨拶をした。
それは僕の庭で生まれたばかりだった。
そのバラは、きっと雲から落ちてきたんだ。
このバラは、幸運のしるしだと僕は思う。
ナ、ナ、ナ……
そのバラは語りかけてきた、花びらの口で。
「おいで、もっと近くに来て。この香りを感じて」と。
その香りはとても甘くて、僕はキスしたくなった。
そのバラを連れて行きたかった、心が夢中だったから。
ナ、ナ、ナ……
でも、何週間も過ぎていった。僕の恋なんて気にも留めずに。
そしてバラは枯れてしまった、僕の求愛が終わる前に。
だから――
バラに語りかけてはいけない。
何も考えずに摘み取るんだ。
枯れてしまったときに、悲しくならないように。
ナ、ナ、ナ……

 

 

Claude Celler の名前で

この本の中には、ラエルの生い立ちが詳しく書いてあります。最後の預言者でありメシアであるラエルの本当の姿を世界の人たちに理解してもらうことは基本的なとても大事なことですからね。

 

ラエリアン・ムーブメントが次第に発展していくにつれ、世界の各国、各大陸のリーダーを決めていかれましたが、そのやり方は、素質を感じられた人は「頭からその人を信用してかかる」やり方です。今までずっと見てきてそう言えます。

「私は完全ではありません。エロヒムも完全ではありません。完全な人は居ません」  

いろんな問題があるのは自然なこと。いろいろあっていいのです。むしろそれは何かが行われている証拠。そのリーダーが問題を起こしていてもすぐに交代させるようなことにはならないのです。

フランスで詐欺師にお金をだまし取られたり、大切なメッセージの原稿を控えを作らずに出版社に渡して問題が発生したりしていますが、そういうトラブルなども自ら経験済の上での世界に展開するラエリアン・ムーブメントの精神的リーダー・メシアラエルです。

 

私たちが経験するいろんなことはラエル自身が経験済なことが多く、なるほどと思わせる身近な答えやアドバイスが返ってきます。

 

確か長野県の志賀竜王のホテルでのセミナーの時だったと思いますが、ラエルは20人程の男女ラエリアンとホテルの大きな風呂に一緒に入られたことがあります。自分は特別な人間ではなくあなたたちと同じような人間です。ということですね。あるがままの姿を飾ることなく裸で見せられたのです。

 

下記の文章の中にも、自分の身に起きたことがあるがままに記されており、親しみを感じます。私たちにも多かれ少なかれ似たような経験がありますからね。私たちと一緒に成長して来られたのです。最初からほぼ完全だったわけではありません。その自分の成長過程も多くのラエリアンたちに見せられました。

 

今私たちが目にしているのはほぼ完成形の最後の預言者・メシアですがそれでも変化し続けられ、毎回のお話は新鮮なものとなります。そして過去の教えも経時変化するようなものではなく生き生きしています。

 

地球人類がエロヒムによって創造されてから約13,400年です。今までの人たちは真実に接することなく暗中模索の人生だったでしょう。私たちはメシア・ラエルにより真実を知ることができました。千載一遇どころか万載一遇のラッキーさです。

 

                                                    

 

    地球人は科学的に創造された

      創造者からのメッセージ  

             ラエル

 

第二部/第1章:幼少より最初の遭遇まで

 

詩  

 

その頃の私にとって大切だったのは動物たちでした。カタツムリを競争させない時は、一日中でも動物をスケッチしていたものです。動物界に魅 せられた私は、処女林の神秘的な動物たちの近くにいられるようにと、探検家になる夢 ばかりを見ていました。  

 

しかし、9歳になった時(またしても9です)に、すべてが変わろうとしてい ました。まず私は、私にとって真の情熱となってしまうものを発見しました。 それは、エンジンが有るか無いかに関わらず、車輪が付いているすべてのもの に関するスピードだったのです。スピード、特にバランスは、弾道に見るよう な平衡へいこう 感覚、また自分と自分自身の反射神経との闘争、すなわち、精神による 肉体の完全な支配だったのです。  

 

最初は、ブレーキもろくにないような小型自転車による無茶苦茶な坂下くだ りで した。一度も転倒しなかったのが不思議なくらいです。もっとすごいこともや りました。丘の上に登り、車が高速で通過するのを待ち構えるのです。それか ら目も眩くら むような速さで車を追跡して、運転者がビックリ仰 天  ぎょうてん しているのも構わずに車に追いつき、そして追い越してしまう。坂の下に達するとターンして、 再び丘の上に登って次の車を待ち構える、というようなことです。  

 

数カ月後、偶然のことから、ツール・ド・フランスの自動車レースの通過を 見ることができました。これには一目ひと めれでした。ペダルを踏んで丘へ登る必 要もなく、スピードを楽しめるのですから。こんな職業もあるのか、これだ、 私はカー・レーサーになるのだ! これが、9歳の子供の決め方でした。  

 

その日以来、私はもはやカー・レースのことしか頭にはありませんでした。 他のものは目に入りませんでした。カー・レーサーになるのですから、学校で の勉強というものが無意味に思われました。漫画本は真面目な自動車雑誌に替わり、私はジリジリとしながら、あと何年すれば運転免許を取得できる年齢になるのかと、勘定かん じょう し始めたりしました。  

 

私が初めて寄宿学校に入れられたのも、9歳の時でした。私が学校の勉強を何もしようとしないのと、カー・レーサーになるのに勉強など必要ないと口癖 のように言うので、業ごう を煮やした母が、私を、ピュイ・アン・ヴェレーにある、 ノートル・ダム・ド・フランス寄宿学校に入れることを決めたのでした。  

 

母が望んだのは、私が自動車レースの雑誌が読めないようになれば、学業に 専心するだろうというものでしたが、ある意味でそれは正しかったのです。し かし私は、最初の寄宿学校には大変嫌いや な思い出を持っており、そこに送られる 時、私はあまりに幼な過ぎていたのです。  

 

あの大きな寮では、夜中に何度も泣きながら過ごしたことを憶おぼ えていて、そ れは、ひとりで瞑想する機会を失ったことが最も大きいと私は今、信じていま す。この欲求不満のせいで私は一晩中泣き明かしましたが、そのために、もう かなり強くなっていた私の感受性はさらに増していきました。情緒面や感情面 の欲求不満がすべて感受性を強めるようにです。そのとき、私は詩を発見した のです。  

 

私はどんな場合でも、数学などより国語に魅力を感じていましたが、興味は あっても、いつも受動的な読み手でした。そんな私に、何か書いてみたい、で きれば詩を書きたいという欲求が起こったのです。数学は依然いぜん として興味がな かったものの、他の科目と同じように平均点くらいは取れるようになり、国語 と、特に作文では、自分の気に入った題材を扱えるなら常に首位を占めるよう になりました。そして、私はたくさんの詩を書き、詩のコンクールで第一位を 獲得しました。  

 

最も驚くべきことは、私が、洗礼を受けてもいないのにカトリックの修道者 が運営する寄宿学校に在籍し、聖餐せいさんを伴ともな う毎日のミサも含めて、学校が行うす べてのこと(食前、就寝・起床時、授業前などのお祈り)に参加していたことで した。日課の聖餐を6カ月間受けたあとに、とうとう私が受洗していないこと が分かり、それを知った修道士たちは震ふる え上がらんばかりに驚いたのです。私 にはそれが可笑おかしかったです。あの、とろけるように柔らかいパンの中身をタ ダで食べられたこと、それが彼らのミサの中で唯一、私が気にいったひととき でさえあったのです。  

 

私が思春期を迎えたのも9歳の時のことでした。私はこの時期を大いに楽し みました。同僚の他の9歳児たちはまだ誰も知らなかったであろう、未知の秘 密の楽しみを発見しました。そしてそれは、中途半端な孤独に対する慰なぐさ めだっ たと言えます。  

 

それから、初恋をしたのも9歳の時でした。年齢とし相応の子供らしい恋ではあ りましたが。学校の成績が良くなったので、母も二度と私を寄宿学校へは送り 返さないことを承知してくれ、私はアンベールの市立学校に8学年で復学しま した。彼女は、そこにいたのです。  名前をブリジットと言い、9歳になるところでした。私は恥ずかしがり屋で、 すぐに顔が赤くなるので滑稽に見えたことでしょう。身体検査の時に、彼女は 明らかに見るものは何もない胸を私の目から隠そうとし、その慎つつ ましやかな仕草しぐさ が、私の心の中に優しい感情を呼び起こして、見た目にもこのか弱い人を守 ってやらなければ、という気持ちを抱かせたのでした。  

 

翌年も同じ学校の7学年で、この話しかけたこともない初恋の人と一緒にな りました。そして、学期の初めに、彼女のすぐ前の机を確保することだけはで きました。だから時々、後ろを振り返っては彼女の可愛い顔を見つめることも できたのです。私は10歳でしかないのに、彼女のことばかりを考えていました。 クラスで彼女の近くにいられるようになったおかげで、私は、もう留年はしな いように勉強をし始めました。 

 

しかし、相変わらず勉強に何の意欲も湧 かないままに6学年になりました。 そして残念なことに、いつもクラス替えが行われていて、クラス担任の先生も 毎回変わりました。それで彼女から遠く離れてしまった私は、ほとんど勉強を しなくなりました。そのために、翌年は再び、アンベールから30キロメートル ほど離れた、カンラという小さな村の寄宿学校に逆戻りとなりました。  

 

そこは、ピュイ・アン・ヴェレーよりもっと酷ひど い所でした。ほとんど暖房設 備もないような小さな寮の中で、互いに折り重なるようにしていました。また、 特に規律というものもなかったので、中でも大きくて強い少年たちが、自分た ちの勝手な法律を施行しこうしていました。私が暴力を極度に憎むようになったのも、 そこでの経験から来ていると思います。  

 

ある日、私より力の強い男の子たちに酷ひど くいじめられ、しかも彼らに対して は何の処罰もなされなかったので、私は生家までの30キロメートルを踏破とうは する 決心をし、歩いて帰途につきました。私の脱出は誰にも気づかれず、校長がや っと気づいて車で追いかけて来たときには、私は既に10キロメートル近くも歩 いていました。  

 

大変嬉うれ しいことに、私は放校となり、学期半なか ばに通学生として、再びアンベ ールの仲間のところへ戻って来ました。何とも嬉しいことに、私は毎日、道で ブリジットとすれ違うチャンスがありました。彼女はますます美しくなってい て、12歳の春を迎えた彼女の胸は、魅力的なふくらみを見せていました。  

 

勉強にますます関心を失った私は、怠たい 学生の喜びをしみじみ味わうことにし ました。神父は母に、私を受洗させるよう勧めましたが、私は神父たちのとこ ろに居るのは嫌いや でした。幸いなことに、母は、私がもっと大きくなって自分の 意見が言えるようになるまで待ってくれることになりました。 

 

その頃の私の最大の望みは、自動車の整備工になることでした。カー・レー サーになるには、それが役立つことを知っていたからです。私に技術者になって欲しかった母は、どんなことがあっても勉強を続けることを要求し、私が自 動車修理場の見習工になることを許しませんでした。このような母の新たな反 対によって、私は再び詩を書きたくなり、学校へ行く代わりに、ノートを一冊 持って田舎いなかを歩き回るようになりました。  

 

14歳になると、私はまたもや、この地方の他の学校では受け入れてくれない 子供たちを収容する、寄宿学校に送られました。そこはモン・ドールというところでした。私は、劣等生や「かなり反抗的」な生徒たちと一緒になりました。 その反抗的な生徒たちの「ボスたち」の中のひとりである生徒が、私のその後 の10年の運命に大きな影響を持つことになりました。  

 

彼の名はジャックと言い、エレキ・ギターが上手じょうずで私は大変感心していまし た。クリスマス休暇が始まると、すぐに私は素敵なギターを祖母に頼んで買っ てもらい、ジャックから弾き方を習いました。それから私は、自分の詩に曲を 付けるようになり、聴 いていた生徒たちは、どうやら大変気に入ってくれてい るようでした。夏休みになると、私はいくつかのラジオ・コンクールに出場す るようになり、ほとんど毎回のように勝ちました。  

 

私の歌を気に入ってくれた、あるバーのウェートレスと初体験をしたのも、 夏期休暇中の出来事でした。彼女は20歳でしたが、私のギターが女の人を喜ば す力があるということ以外は、別に大したことは学びませんでした。

 

 翌年、私は15歳になって、かつてないほどに自分の人生を生きたくなり、あ る日、ギターと小さなスーツケースを抱えて、面白くもない授業の寄宿学校に 別れを告げ、パリへ、ヒッチハイクの旅に出ました。ポケットには2000フラン しかありませんでしたが、心は希望に満ちていました。ついに自活をし始める のだ、カー・レーサーになるために、18歳で運転免許を取得するために、必要 な費用を貯蓄できるようになるのだと。  

 

何という幸運でしょうか、強力な加速力を秘めた、品のあるセダン型の車を 運転する男が、私を拾ひろ ってくれたのです。彼は名を名乗り、カー・レーサーで あると言いました。私が、彼がレースに参加した車の車種と取得したランクを 言い当てると、彼は、まだそれほど有名でない自分の記録を覚えていてくれた 少年と出会って有頂天うちょうてん になりました。彼は、自分が昔はサーカスの道化師だっ たこと、今は南西部にガレージ・ステーションを所有していることを語り、パ リに着くと、私を夕食に招待してくれ、その上、自分の宿泊しているホテルの 一室に私を泊めてくれました。  

 

サロンで私たちは、その日の仕事を終えたバーの若いダンス・ホステスのふ たりと、少しお喋しゃべ りをして、私は何曲か歌い、そのあとで私たちはそれぞれ、 そのチャーミングな女性を連れて寝室に引き取りました。私が性愛のテクニッ クを実際に教わったのは、その夜のことでした。  

 

翌朝、私はこっそりとホテルを抜け出しました。貸し部屋と、私の歌を使っ てくれそうなキャバレーを捜さが したかったからです。しかし、どちらも見つから ず、パリでの第2夜は、浮浪者たちと共に地下鉄で過ごしました。  

 

もうお金は無いし、次の朝は腹ペコでした。その日は、これから自分は一体 どうなるのかと思いながら、一日中ウロウロと歩き回りました。すると夕方、 ひとりの男がカフェのテラスでアコーディオンを弾 いている光景に出会いまし た。人々が彼に硬貨を投げていました。そこで、私も彼の真似まねをしてみると、 これはすぐに上手うまくいって、私は救われました。 

 

3 年間はこうして暮らしました。そのあいだ、しばしばどこにでも寝て、時 々サンドイッチを食べました。その間にかなり腕を上げた私は、ある日、セー ヌ左岸のあるキャバレーにやと われました。私は一晩に10フランを稼かせ ぎ、またモ ンマルトルの丘の小さな部屋に帰るのに、タクシー料金を15フラン貰もら いました。 そして、小さな文字ながらも、ポスターに私の名前が出ていたのです!すると、 私はもう、そういうポスターに高々と大きく現れる自分の名前を想い描いてい ました。毎晩の演芸が、首尾よくいっていたからです。  

 

ある日、コメディアンのジャン・ピエール・ダラと出会いました。彼は、私 のステージでの振る舞いがもっと良くなるように、俳優としてのレッスンを受 けるように勧すす めてくれました。でも、私には資金がなかったので、彼は、私が 無料でレッスンを受けられるように準備を整えてくれました。そこで私は、デ ュランのレッスンに3カ月間通い続けましたが、演劇には全く興味を感じなか ったので止や めてしまいました。  

 

当時、私は、スキーヤーでカー・レーサーのチャンピオンでもあるトニー・ ザイラーへの尊敬の念を込めて、名前の頭文字がC・Cとなるよう、クロード・ セレClaude Cellerという芸名で自己紹介をしていました。  

 

何度もラジオのコンクールで優勝し、いくつかのキャバレーでも歌えるよう になったので、私の生活も何とか楽になっていきました。そして何よりも、年 来の希望である、18歳になれば運転免許を取得するのに必要な貯金もできまし た。 

 

しかし、カー・レーサーになるにはまだ十分ではありませんでした。良い評 価を受けてどこかと契約をするには、まず名を成さなくてはなりませんでした。 またそのためには、自分のレーサー用の車を持って、自前でいくつかのレース に出場し、できれば優勝をしなければなりません。ところが、そのような車は 高価であり、私はそんな車を手に入れる日を夢見ながら、貯金を続けねばなり ませんでした。ですから、私は歌の仕事を続けて、節約に努めました。  

 

友人のシンガー・ソング・ライターたちは、レコードを録音して大金を手に 入れているようでした。私も、レパートリーは150曲以上になっていましたの で、ひとつレコードを出してみようかと思いました。  

 

私が訪問した最初のレコード会社は、私に3年間の契約を申し出ましたので、 私はサインすることを承知しました。このレコード会社のディレクターは、今 までにも多くの有名歌手を送り出したラジオ局、「ヨーロッパ・ナンバーワン」 のリュシアン・モリスでした。デビュー曲もかなりの成功でしたが、2番目の 『Le Miel et Cannelle』(蜂はちみつ 蜜とシナモン)はもっとヒットしました。ラジオで もよく取り上げられましたので、この歌詞から曲を連想される方もいるかと思 います。 

 

蜂蜜とシナモン 

 

蜂蜜とシナモンの香りがする 

バニラと愛の香りがする 

蜂蜜とシナモンの香りがする 

ぼく がずっと愛する乙女おとめたち 

最初の子は栗毛くりげ で名前をマルゴと言った 

月夜の晩に葦あし 笛を吹いたっけ 

僕は彼女の瞳ひとみ に惹 かれていった 

また、髪にもきっと惹かれたのだろう 

2 番目は金髪のマリエルだった 

彼女が回って来た散歩道をまだ覚えている 

僕は彼女の瞳に惹かれていった 

また、髪にもきっと惹かれたのだろう 

3 番目は赤毛のマリオンだった 

その美しい顔立ちとなまめかしいペチコート 

僕は彼女の瞳に惹かれていった 

また、髪にもきっと惹かれたのだろう

 友よ、泣くんじゃない、明日こそ春だよ 

彼女たちはとてもきれいだし、君は20歳にもなっていない 

僕は彼女たちの瞳に惹かれていった 

君は彼女らの髪の毛に惹かれていくだろう  

 

その頃には、私もたくさんのショーに出ていて、各地の地方巡業にも参加し ました。万事順調にいっており、嬉しいことには、アンティーブで行われるフランス歌曲「黄金のバラ」にも選ばれて、参加することになりました。  

 

しかし、私を導いていた人たちは、私が芸術家として有名になることを、き っと望んではいなかったのでしょう。私の人生でのこの段階は、私の感覚を発 達させ、人々の前で自分を表現するのに慣れさせるためのものであり、それ以 上のものではなかったのです。  

 

ラジオでは、毎朝のように、私が1週間後に行われる「黄金のバラ」の出演 者の1人に選ばれたことを放送していましたが、ある日リュシアン・モリスが やって来て、私をコンクールから降ろさねばならなくなったこと、そして理由 はやがて分かるだろうが、今は話せないということを私に告げました。  

 

結局、私は「黄金のバラ」には参加しなかったのです。それから私は、シャ ンソンを歌いながら細々と暮らし続けましたが、カー・レースに出場する車を 手に入れるのに、十分なお金を稼かせ げないことが分かりました。だから、私が録 音していたレコード会社の代理人の地位を提供された時、私はすぐに引き受け ました。今度こそは、数カ月で十分に貯蓄できるだろうと感じたからです。  

 

私はボルドーに赴任ふにん し、そこで営業代理人としての責任を持つ、約15の部門 を統轄とうかつ しました。そこでは1年ほど勤務しましたが、遂つい にレーサー用の車を買 うだけの金ができると、すぐに辞や めてしまいました。でも残念なことに私がよ うやくその車を慣らして運転していた頃、友人が事故でその車を壊こわ してしまい ました。しかし私は過去数年間に、南西部で何曲か新曲を書いていたので、あ る金持ちの友人が、自分がスポンサーになるから新しいレコードを出すように と言ってくれました。  

 

その後の1年間を私は詩を書いて暮らしましたが、私の進路を決定的に変えさせるかのように、私は大きな自動車事故を起こしてしまいました。 

 

非常に疲れる巡業中に、私はハンドルを握ったまま眠ってしまい、時速約100 キロメートルのスピードで真正面から壁に激突したのです。すでに少なくとも 10人のドライバーが同じ場所で死んでおり、私はあちこちを骨折したものの、 どうにか命だけは取り留めることができました。でも3カ月以上も動けないで いると、お金は消えて無くなりました。  

 

まだ、レースにも出場していないのです。18歳でカー・レーサーとしてのス タートを夢見ていた私は、22歳になってもまだ、一度もレースには出場してい なかったのです。  

 

ただし、見物人として数え切れないほどレーシング・コースに足を運んだ私 は、このスポーツに対する若者たちの熱狂ぶりに気がつきました。多くの少年 たちがきっかけの掴つか みどころも分からないのに、カー・レーサーになりたがっ ていることも知りました。とはいっても、それについて私が、彼らよりずっと よく知っていたわけでもありません。そこで、この状況に取り組むために最も 良い方法は、こうした特技を得ようとする若者たちの情熱を啓発する職業を見 つけることだと考えました。書くことには慣れていましたし、上 手うまい方法がす ぐに見つかりました。それは、私がスポーツ・カー雑誌の記者になることでし た。  

 

私は数社の専門雑誌社とコンタクトを取りましたが、結果は失敗でした。な ぜなら、他の大勢の若者たちも同じことを考えていたからです。それから私は、 『レキープ』紙の自動車のページで、写真家兼けん 記者・経験は問わず、という小 さな広告を見つけました。  

 

応募すると、先方から「考慮しよう、書類代として150フラン送れ」という 返事がきました。そして引き換えにフィルムを1本送るから、好きな題材で試 験的に撮影し、記事を書いてみろということでした。私は送金し、フィルムを 受け取って仕事を済ませました。もちろんカー・レースを取材した記事を書き、 それを指定された宛先に送付しました。  

 

すぐに後日、小さな広告を出した会社の本社があるディジョンに電話せよ、 という手紙が届きました。あとで、その出版社の経営者と会いましたが、年齢 は30歳くらいで、米国に行って写真で「一ひと 財産を作った」と話していました。  

 

カー・レーサーを夢見る少年たちのために、スポーツ・カー雑誌を創刊しよ うという私のアイデアに、彼は相当な関心を持っているように思われました。  彼はとうとう、数カ月後に発刊予定の新聞の編集長として、私を雇やと いたいと申 し出てきました。そして、印刷所を設置するために購入するはずの工場を見せ てくれました。彼はまた、取締役になる予定のディジョンの印刷屋を私に紹介 し、最後に、私と妻が住む家を見せてくれました。私の事務所となる建物から 目と鼻の先ほどの近さでした。  

 

私は彼にそれでいいと返事しましたが、私がレースに参加して、レース界と のコンタクトを保ち続けられるということを条件としました。それから彼は、 新しい新聞を宣伝するために、特別な塗装のレース・カーを何台か走り回らせ るつもりなので、私さえその気なら、レース部門を取り仕切る人物を1人探し ているということでした。私には全くお誂あつら え向きの仕事になるだろうと思い、 私は、彼の会社のレース部門の取締役になることを承諾しました。 

 

1 週間後、妻と私は、パリからディジョンに転居しました。私は3カ月ほど 前に結婚し、妻はすでに身ごもっていました。私はマリー・ポールと6月に出 会い、その日からふたりとも、お互いに離れがたい関係になっていました。結 婚したのはそれから3カ月後のことですが、それは、私たちが宗教上の手続き を踏んで正式に結婚する意志のないことを知った彼女の両親が、難色を示した からでした。この家族は、古風な仕来しきた りを重んじていました。例えば、食事の 前には必ずお祈りをするというふうに。  

 

私のディジョン滞在は、給料を全く貰もら わぬまま2カ月で終わってしまいまし た。新聞を創刊しようとした例の金持ちのアメリカ人は、なんと、一いちもん 文無しで 刑務所から出所してきた元囚しゅう 人じん だったのです。彼は、私のようなカー・レーサ ーや報道写真家になることを夢見ている500人以上もの若者から、150フランか ら300フランずつを騙だま し取っていたのでした。  

 

私は2カ月の間、タダ働きをして、気がつくと、着想はあるものの一文無し でした。私はこの時、自力で大きな出版界で働く決心をし、母には、もうすぐ 祖母になる気分を十分に味わわせてあげようと、母の家に近いクレルモン・フ ェランに引っ越しました。私はそこで、自分の思い通りに雑誌を発行するため に、出版社を設立しました。幸いなことに、本人もスポーツカー・レースが大 好きだという印刷屋が現れ、危険を覚悟の上で、何の担保もない私を信用して くれたおかげで、間もなく雑誌は誕生しました。  

 

発行部数は急速に伸びて、すぐに業界のトップ・クラスに仲間入りするほど になりました。それに加えて、この雑誌の一番面白い記事は私自身が担当しました。それは、クルーズの素晴らしいマ・デュ・クロ・サーキットや道路での、 新型車の試乗運転の報告です。  

 

このようにして、私も、カー・レーシングという立ち入りにくい世界に入れ るようになり、レース用の車を貸してもらうこともできるようになりました。 とうとう夢が実現したのです。そして私は、乗り慣れない車にも関わらず最初 から数々のレースで優勝し、自分の適性に今さらのように気づいたのでした。  

 

私は運転技術を絶えず向上させ、自分の好きな分野、すなわちスポーツ・カ ーの分野でフルに生きて、素晴らしい3年間を過ごしました。常に自己の限界 を克服し、ますます自分の反応と反射神経を上うま 手くコントロールすることに、 本当の喜びを感じたと言えるでしょう。エンジンの爆音も燃焼するガソリンの 匂にお いも、私には興味ありませんでした。私は最も純粋な境地で運転感覚だけを 楽しむために、無音無臭の自動車の製造をメーカーに課する新しい法律が施行 されればいいとさえ思いました。  

 

しかし、1973年の終わり近くに、これがすべて引っくり返ったのです。 

 

次の項は、

「最初の遭遇」です。

 

 

出版社:無限堂

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【和訳MV】Don't Let The Old Man In (lyrics) Toby Keith "THE MULE" 運び屋 主題歌

 

Rael Maitreya

 

 

Nobby Raelian

年を重ねることは、決して簡単なことではありません。

 

数か月後に96歳を迎える名優クリント・イーストウッドは、今なお人々を驚かせ、刺激を与え続けています。 

彼は少しも揺らぐことがありません。

集中力を保ち、穏やかで、驚くほど明晰です。

 

今もなお引退とは無縁で、圧倒的な手腕をもって最新作の制作に取り組み続けています。 

 

彼の人生は、受け身とは正反対です。 イーストウッドは、多くの人が抱く「老い」のイメージとは異なる在り方を体現しています。

 

他の人々が衰えを予期する中で、彼はあくまで前に進み続けています。 彼の強さは、ひとつのシンプルな拒絶にあります。 彼は、衰えを避けられない運命として受け入れることを拒んでいるのです。 

 

今の自分の中にいる老人に、人生を支配させはしない」 彼はそう語ります。その言葉には、暗記されたものではない、本物の明晰さがあります。 

 

この精神状態は、彼のすべてに影響しています。 彼が活動的であり続けるのは、習慣だからではなく、自ら選んでいるからです。彼にとって、活動し続けることは単なる助言ではなく、日々守り続けている原則なのです。 

 

常に何かをしていることです。活動的で、生き生きとして、幸せで、強く、有能であり続けなければならない」 

 

そして彼は、はっきりと一線を引きます。

皮肉屋になり、苦々しくなり、恨みに囚われること……つまり、創造するより不満を口にする“老い方”を、彼は意識的に拒んでいます。 

 

そんな生き方は、彼の人生には存在しません。 その代わりに彼が選んだのは、別の視点です。年齢を重ねてもなお生産的であり続け、意志を持ち続け、希望を持ち続けられるという視点です。 彼の言葉は、単なる信念を語っているのではありません。ひとつの生き方そのものを描き出しています。

 

 それは、「老いとは減速するためのものだ」という考えを真っ向から否定する姿勢です。

 

むしろ彼にとって老いとは、仕事と意味を持ち続ける人生の段階なのです。 その信念は、彼のキャリアにもはっきりと表れています。

 

 『許されざる者』から『ミリオンダラー・ベイビー』、そして『陪審員2番』に至るまで、彼の作品は今なお増え続けています。

経験は彼を制限するどころか、創造力をさらに深めてきました。 

彼の映画にはどれも、歳月の重みが刻まれています。しかしそれは重荷ではなく、力となっています。 だからこそ、彼のメッセージはこれほど強く響くのです。

 

 年を重ねることは、受け身ではありません。 そこには努力が必要であり、継続が必要であり、諦めた方が楽な時であっても前に進み続ける意志が必要です。そして求められるのは、肉体的な強さだけではなく、精神的な強さでもあります。 

 

イーストウッドは、その規律を体現しています。 彼はただ老いを通り過ぎているのではありません。自らの手で老いを形づくり、人生の晩年でさえ意味と活力に満ちたものにできることを証明しているのです。 

 

彼の人生は、単なるキャリアの枠を超えています。それ自体が、ひとつの模範となっています。 なぜなら彼は、年を取ることが必ずしも身を引くことを意味しないと示しているからです。むしろ、自らの芸術や使命、そして自分自身に、さらに深く打ち込むことを意味し得るのです。 

 

彼は、「情熱は時間と共に消えていく」という広く信じられている考えに疑問を投げかけています。 そうはなりません。自分でそうさせない限りは。 そして、そこにこそ本当の教訓があります。 老いを恐れているすべての人に向けて、彼の存在は明確なメッセージを送っています。 前に進み続けてください。築き続けてください。そして、モチベーションを失わないでください年齢があなたを定義するのは、あなた自身がそれを許した時だけなのです。

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