Rael Maitreya
Nobby Raelian
動画訳
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マイトレーヤ・ラエル:理解されることの喜び
2004年11月13日、スイス・シオン
【 概要】 2004年11月13日(a.H.アフター・ヒロシマ59)、マイトレーヤ・ラエルはスイスのシオンにおいて、伝えられる真実から解釈がしばしば逸脱するこの世界で、理解されることの難しさについて深い思索を分かち合って下さっていました。
「少なくとも一人は、私を理解してくれた人がいる…そして、理解されることほど、私を喜ばせるものはありません。」
自身の教えは明確であるにもかかわらず、彼はどこへ行っても、必ずそのメッセージを正反対に理解してしまう人たちがいることを観察しています。
この考察は、ある本質的な問いを投げかけます。
私たちは本当に理解するために耳を傾けているのでしょうか?
それとも、答えるため、裁くため、そして歪めるために聞いているのでしょうか?
情報が高速で行き交い、偏見や認知バイアスが私たちの認識に影響を及ぼす世界において、真に耳を傾けることは、稀で貴重な行為になっています。
マイトレーヤ・ラエルの言葉は、私たちに内省を促します。
私たちは、伝えられていることを本当に聞くために、自分の心と精神を開く準備ができているでしょうか?
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フランス語で話されます。日本語字幕。8分ビデオ
Le BONHEUR d’Être COMPRIS – Discours de RAEL, 13 Novembre 2004 à Sion, Suisse
【 和訳】
あなたの話を聞きながら思っていました。
少なくとも一人は、私のことを理解してくれた人がいると…。
なぜなら…あなたが書いたことや、ここで語られたことの中に、驚くほど正確な部分がいくつもあったからです。理解されることほど、私を嬉しくさせるものはありません。
私は長い間、話し続けてきました。長い間話しても理解されないというのは、絶望的なことです。でも、理解されるなら、それは本当に素晴らしいことです。
ですから、私が聞いて、感じているのは…やはり、私を理解してくれた人たちがいる、ということです。
今日ここにいるほとんどの人たちがそうだ、という気がしています。
そして…もう何も…先ほど、「ラエル、あなたに『理解してくれてありがとう』というお礼として、どんな贈り物ができるだろうか」と話していましたね。
ですから、私にとってこれ以上に美しい贈り物は、30年もの間、私がつたない言葉で皆さんに伝えようとしてきたことを、皆さんが理解したと示してくれることなのです。
それが、いちばん美しい贈り物です。ただそれだけです。
他には何もいりません。フェラーリでも、城でも、ダイヤモンドでも、私を喜ばせる贈り物にはなりません。私はそういうものには興味がありません。
ただ、皆さんが私を理解してくれたと示してくれること、それだけです。ですから…私は、思わず涙がこぼれました。
あなたは自分のテキストにエルザの声を乗せたのですね。ということは、テキストはマンゴーのもの、ということですか? そして、プリンセス・ルナの感情と感受性を加えて、ということですか? そうですよね?
助けてください、私は毎日変わってしまうので、少し混乱しています。新しいつながりが生まれるのです。ええ…それで…涙が出ました。
そして、皆さんに言いますが、ほかにはありません。私に涙を流させる贈り物は、ほかにはないのです。フェラーリをくれても、涙は出ません。もらうのは構いませんが、興味はありません。きれいだとは思いますが…欲しいとは思いません。
でも、皆さんに理解してもらいたい、それは強く思います。 特に30年も経った今となっては。最初の一年目にそうだったら、もっとよかったでしょう。でも、理解されるまでには、時には時間がかかるのです。それが私の悩みのすべてです。
30年前から、そしてこれからもずっとです…。 それはエロヒムの悩みでもあります。真実の悩みでもあります。
理解してもらえるだろうか? 彼らを見るとき、私は少し背中を向けて、後頭部を見せるような気持ちになります…理解してもらえるだろうか? それは…すべての伝道者が抱える問題です。
そして…私たちは何年も前からそれを言い続けていますが…それこそが、本当にエロヒムの悩みです。彼らの複数のメッセンジャーたちの悩みなのです。
しかし、今、私が唯一の存在である以上、私自身の悩みは…彼らは、どうやって私の言うことと正反対の意味を理解しようとするのだろうか、ということです。
なぜなら、地球のどこへ行っても、私が話すたびに、必ず、私の言ったことと逆の意味に理解する方法を見つけ出す人がいるからです。
それでも、たとえ一人だけでも理解してくれる人がいれば、私はとても幸せです。まあ、一人以上はいるかもしれませんが…。いいえ、しかし…人間というのは、そして私のメッセージを自分のものにすると決めた人たちでさえ、どれほどの工夫を凝らして、わざと曲がった理解をするのか、その工夫のすごさには、いつも驚かされます。
私はできるだけ明確に話そうとしているのに…少なくとも、私自身はそう思っています。 私はただ、自分の言っていることが理解可能であること、聞いた人たちがそれを消化できること、それだけを気にかけています。そして、毎回それに取りつかれたように話しているにもかかわらず、私の言ったことが逆に理解されていると気づいて、いつも驚くのです。
それは信じられないことですが、同時に素晴らしいことでもあります。なぜなら、それがコミュニケーションというものだからです。
預言者とは、コミュニケーターです。
そして、皆さんがここにいるということは、ある人はずっと前から、ある人は最近になって、私を助けて伝えること、私を助けて広めることを決めた、ということです。つまり、私の問題は皆さんの問題でもあるということです。
皆さんは、もはや受け身の観客でいることをやめ、メッセージの伝達、そしてそれ以上に、真実と意識を伝達する、積極的な担い手になることを決めたのです。ですから、もし皆さんの中の何人かが、ときどき逆に理解してしまうことがあるとしても、それは素晴らしいことです。なぜなら、特に逆に理解してしまう人たちは、自分が他の人に話すとき、相手も同じことをする、ということがよく分かるからです。
しかし、私たちはいつも、こういう錯覚を抱きがちです。つまり、聞いたことを分析して逆に理解してしまい、「これは分かりにくい」と言うのに、自分が話す側になると、なぜ相手が理解してくれないのかと、とても驚くのです。
分かりますか? 受け取る側のときには、「なんてばかなことを言うんだ」と思うのです。もちろん、敬意は払っていても、「自分はそんなにばかじゃない、でも、なぜこんなことを言うんだ、これはおかしい」と思うわけです。
しかし、自分が表現する側になると、「なぜ彼らは理解してくれないのか」と思うのです。 私たちは、相手の目に入っている“塵(ちり)”はよく見えるのに、自分の目に入っている“梁(はり)”は見えません。
ところがその同じ人たちが、「私の言っていることはとても分かりやすいではないか」と言うのです。そしてその人たちは、自身が言っていることを理解しないまま、ありとあらゆる工夫を凝らしているのです 考えてみてください。
もし、あなたが逆に理解してしまったことがあるなら、そして、私は何人かの人がそうだったことを知っていますが、そういう人こそ、まさに人間なのです。人間がそうであるのは自然なことですが、前に進まなければなりません。
皆さんには、「ただの人間」でいる権利はありません。もし私を助けると決めたのなら、皆さんは超人でなければなりません。なぜなら、「人間である」ということは、要するに、愚かである、ということだからです。
人は、言われていることを理解できないとき、馬鹿なのです。この言葉は単純で、短くて、私はこの言葉が好きです。理解できないなら、馬鹿なのです。 皆さんも毎日知っているように、毎日経験しているように、大多数の人たちは、私たちがメッセージを語っても理解しません。映画の中には猿がたくさん出てきますが、上から私たちを見ている多くの存在にとっては、地球は、ほとんど“馬鹿の惑星”のようなものです。私たちがこれ以上ないほど明確なメッセージを伝えているのに、人々は理解しないのです。 馬鹿の惑星でメッセンジャーであるというのは、大変なことです。
そして、皆さんは誰もが、私と一緒に、馬鹿の惑星のメッセンジャーなのです。皆さんはそれを毎日生きています。黒であったり、白であったり、色をつけたり、下線を引いたり、強調して伝えても、人々は言われたことと逆のことを理解します。彼らは、逆に理解したがるのです…。
~ マイトレーヤ・ラエル
