1987年は 55人。
翌年の1988年は23人、89年には80人、90年には66人。
なんの数字か 分かりますか?
実は 日本の「新規HIV感染者報告数(年間)」です。
(厚生労働省エイズ動向委員会「エイズ発生動向報告」より)
20年以上前って こんな感じだったんですね。
ところが、1991年に200人と一気に跳ね上がり、さらに92年には442人 と 前年比の倍以上で増えてしまいました。
最新の報告によれば 2012年(平成24年)の年間 新規感染者報告数は 1,004人。
数字が2桁、3桁にとどまっていたころと比べると 年間で1,000人を突破することが慣れっこになり もはや 誰も驚かなくなってしまったこの数年の方が むしろ不思議なのかも....
20年前、HIVの感染に対する治療は確立されていませんでした。
すでに抗ウィルス剤はありましたが副作用がひどいため、複数の薬を組み合わせ毎日飲み続ける という考え方は 現実的に無理だった。
使える薬の種類が少ないせいで HIVウィルスは薬剤耐性の壁を簡単に超えてしまい すぐに薬が効かなくなってしまった。
だから感染した人は(たとえ治療を受けていても)依然 致死率の高い病気のまま でした。
感染した友だち同士、お互いのお葬式で香典を出しあっていたらキリがないので事前に取り決め もしお互いに亡くなることがあっても お金のやりとりはやめよう なんて ひそかに話し合っていた なんてエピソードもあるくらい。
20年がたち HIVの治療をめぐる世界は 大きく変わりました。
なんたって 今や 一日一回 一錠飲めばオッケー!な 治療まで可能なんだから。
当然のことですが、
明日、死ぬかもしれない と恐怖におびえていた時代のHIVポジティブの現状と
"なるべく副作用の少ない薬がいいよねー" なんて ある程度の自由が与えられた時代のポジティブとでは
モノの考え方や行動、健康状態など すべての面で まったく違った存在です。
むかしは大変な時代だったけど 今は恵まれている。
かといって 現代に生きている自分たちは 1990年代に戻ることはできない。
治療すらままならなかったあの壮絶な時代を生き延びる強さなんて もはや 誰も持ちえてはいないはずです。
(実はこの"恵まれさかげん"って世界中どこでもおんなじ ってわけでもなく 経済大国 日本で暮らしていればこそ なんだけど)
戦争体験と同じで 真のリアリティは その時代を実際に生きてなければ切実に感じることは まず不可能だろうし
"むかしは大変だったんだぞ、それに比べていまのありさまは何だ。少しぐらいの不満ぐらいガマンしろよ" と 根性論をぶちあげるワケにもいかない。
こうして われわれをとりまく環境は激変したわけですが....
では、HIV患者の日常を支えてくれているさまざまな人たち、
たとえば、医師や看護師、ソーシャルワーカー、カウンセラーといった人たちの心の中は いったい どうだろう?
彼らの中には、20年前以上からHIV治療に奔走してくれた方々もたくさんいて、今なお 現場の第一線で活躍されている方々も少なくありません。
豊かな経験を積んでいる という意味では これ以上の頼りがいある存在はないし、なによりも時間が作り上げた 深い信頼のきずなができています。
しかし、治療の劇的な変化に対して 医学的な視点からの理解はできても 技術の進化によってHIVポジティブの意識が過去の時代とは大幅に変わってしまった現実について そう簡単に認識が追いつけるものなのか?
つい、昔のHIVのイメージを思い出してしまうことはないのか?
ぶっちゃけ 彼らはどう考えているのでしょう?
まだ"死の病気"だった時代は HIVに感染した人の多くは 世間から弱者とみなされました。
病気が進行しても薬で食い止められないから健康が維持できない、当然 仕事もできない、収入がないから貧しく 社会的な保護なしでは生きていけない のがあたりまえでした。
それに比べれば、いまは みんなが "以前ほどHIVを怖がらなくなってしまった"....
われわれをサポートしている人たちは こうした移り変わりをどんな感情で受け止め、病気についてのリアリティや情報のアップデートをしているんだろう?
アップデート という点では
われわれHIVポジティブこそ 時代の変化に伴う意識のアップデートができていないのではないか、と痛感させられることがあります。
現在の日本では HIVに感染したと診断されても 本人が希望すれば そのための治療(抗ウィルス治療)に自立支援医療(更生医療)制度を利用することができます。そして 大半のポジティブは そのお世話になっている。
感染経路の区別なく、薬害エイズ事件の被害者の方々以外にも身体障害者制度を適用させ 感染すれば誰でも治療が受けられるようにしよう、という措置は 血友病のHIV患者の人たちの理解と協力があればこそ でした。
けれども それは 全体の感染者が少なかった時代だったからこそ 成立していた話。
20年後には1万5千人を超えるポジティブが日本に存在しているだろう、なんて 当時は誰も予想していなかったしできなかった 想定外の事実なワケです。
ご存知の通り
いま 日本政府は「社会保障制度改革」を進めています。
この 社会保障制度の改革案では
"70~74歳の医療費窓口負担の特例の廃止、入院時の食事自己負担の増加"
が提案され、高齢者にとっては かなりシビアな内容になりました。
大変なのは もちろん 高齢者に限ったことではありません。
将来に向けた医療費の保険料負担に関しては 保険加入者の負担が多くなる方向性で考えられているのは間違いない。
なんでもかんでも税金にすがるのではなく なるべく 自分たちの力で生き残る方法を考えてください ということだよね。
自立支援医療制度じたいはなくならないだろうし、HIVをもった人たちがその適用から外されることはないかもしれない。
けれども 最低負担額の上限が見直され(つまり 大幅な引き上げ)ることは 恐らく避けられず、覚悟をしなければならないと思う。
個人的には かなり近い将来の段階で やってきそうな気がしているのだけど.....
薬害エイズの被害者の方々は 事件の被害者ですから 将来的な救済が法的に約束されている部分はあります。
しかし 事件の被害者でない感染経路に該当する人たち、つまり われわれにとって この先も継続的な医療費の経済支援が確約されている ということではありません。
われわれは 自分たちの問題としてどれくらい きちんと情報を整理し 直面している現実をアップデートできているんだろうか?
1万5千人だったら同情してくれるかもしれない。
けれども、それが5万人、10万人に増えたとき、世間が同じ反応を示すのか?
今と同じように"理解者"が自分たちを支えてくれ続けるのか どうか。
それは 誰にも分かりません。
治療法の見つからない難病なんて 探せば世界中にいくらだってあるものね。
2013年の現在を生きている自分たちが何を考え どう行動しているのか。
自分たちの現状を 自分たちを支えてくれている人たちに対して 自分たちから情報発信することの意義がそこにある と思うのです。
"大丈夫 そんなに心配しなくたって そういうめんどくさいことは どこかの誰かが ちゃんとやってくれるし"
僕自身、ずっと そう楽天的にとらえてきたんですが...
うん、でも やっぱりね
そういう"めんどうくさいこと"を”ちゃんとやってくれる どこかの誰か" って
空中から ひとりでに生まれてくるわけじゃない.....
いま存在している理解者の数を減らさず、可能であれば 少しでも理解してくれる新しい人たちを探すことは 自分たちを救うために 何よりも重要に思えます。
では いまの自分たちにできることって なんだろう?
自分の思いや感情を言葉に出して伝えるのも もちろん大切なんだけど
1万5千人の語りを じっくりと個別に聞いてもらう というのも 現実的に不可能な気がする。
今年の7月から HIV FUTURES JAPAN プロジェクトに携わっている方々が実施している「HIV陽性者のためのWeb調査」という企画がスタートしました。
自由記述の部分が少ない という不満をもっている人たちはいるかもしれない。
けれど、科学的な統計方法で今の自分たちの現状を伝え 病気をサポートしてくれる人たちの意識をアップデートしてくれる手段としては いま 一番 効果のある方法なのではないか と思います。
正解 不正解はないし よそゆきの とりつくろった優等生の模範解答を作る必要もありません。ありのままの自分の 正直な気持ちを答える。それで十分じゃないかな。
アンケートは来年の1月中旬まで続けられるようですが、集められた回答の結果がわれわれにどんな形で報告されることになるのか こちらについても期待しています。
"自分たちの常識"をアップデートしてくれる貴重なツールの役割も担ってくれたら われわれの周囲にいる人たちと もっとスムーズにコミュニケーションが取れるようになるかもしれない。
20年前に どこかの誰かさんから口づてに教わったままの 古い時代の"常識"が
誰にとってもリニューアルされた"2013年の常識(アップデート版)"として生まれ変わり 積極的に活かされるようになる われわれの未来(FUTURE)に対する答えのひとつになることを 願っています。
アメリカの人気TV番組「Glee/グリー」に主演していたカナダの俳優、コリー・モンティスさんが ヘロインとアルコールの併用摂取により 31才の若さで亡くなった。
うーん....
僕も番組のファンだったし、ショービジネスの世界で将来のあるひとだろうなあ、と思っていただけに 残念だし ショックだった。やりきれない気持ち。
で、この話を何人もの友だちとしていたときに、彼らの口から 一様に
「ヘロイン って...なんで ヘロインなの?」
という言葉が出てくるのを聞き ちょっとハッとしたんで 自分の知っている範囲のことを ブログに書きとめておこうと思う。
日本で違法薬物といえば、誰もがまず思い浮かべるのが覚せい剤(アンフェタミン、メタンフェタミンを含む)だろう。
厚生労働省・警察庁・海上保安庁の2011年度の資料を見ても、年間の検挙人数のほとんどを覚せい剤が占めており、ぐっと引き離された形で大麻、コカイン、MDMAの順番になっている。
ヘロインを使用する人数は 日本においてはあまりいないだろうということが統計からも推測できる。
すべての人に関して当てはまるかどうかは分からないが、日本では違法薬物を"刺激を求める"ために使用する、つまり 自分の気持ちを高ぶらせたり、アゲるために使用する人が多いんだろうなあと思う。
俗に"アッパー系"とよばれるものですね。
感覚としては アルコールを過剰に摂取してハメをはずそうという延長線上にある。
本質的に 日本人はマジメでおとなしく、他人に対して従順な気質をもっている人が多いから、アルコールや薬物によって自分のタガを外し、日常生活の中で押さえつけている凶暴性を開放して ひと暴れしてやろう っていう欲求が強いんじゃないだろうか。
ところが 国によっては こうした"アッパー系"ではなく、鎮静剤などの"ダウナー系"と呼ばれる薬物が流行している国がある。
というか 統計で見たら 実はそっちの国のほうが多いことが分かる。
その"ダウナー系"の主流がヘロインやモルヒネといった薬物だ。
2011年に HIVと麻薬問題を扱う市民団体のメンバーとして「国連麻薬委員会」という ものものしい名前の会合を傍聴させてもらった(非常に)貴重な経験がありますが、そのときも "ドラッグ"を口にしていた人々(日本人以外の)が連想していたのは 覚せい剤ではなくヘロインだった。
ヘンな言い方になるけれど 外国ではそれくらいポピュラーな薬なんだね ヘロイン。
2010年にクアラルンプールのリハビリ施設を訪問したときも クリーンな状態を保っている元依存症の人たちからさまざまな話を聞き、ヘロインの怖さについていろいろ考えさせられたことを思い出す。
しかし...
薬物に依存する理由が ハイな刺激がほしー、ひと暴れしたい ではなく いわば"眠り薬"にあたるヘロインなのか この理由が自分にはピンとこなかったので 麻薬委員会の会場で、ある外国人に尋ねたことがある。
彼の答えはこうだった。
「うーん....難しいですね。
その薬物が流行している国や集団の事情というか 背景によっても変わってくるんですが...
たとえば、酒に高い税率を課している国の中には アルコールを買うよりもヘロインのパケットを買うほうが安価なケースがあります」
「あるいは 薬物のほうが酒より簡単に手に入るという生活環境も 実際にはある。
子供が最初に手にする"不良のたしなみ道具"が、酒やタバコではなく危険な幻覚剤である可能性は十分にある。親や兄弟など 流通の媒介になる人間が身近にいれば 簡単です」
「ヘロインに魅力を感じる人がいるとして、その理由で考えられるのは
世の中にあるすべてのことを忘れてしまいたいくらい 自分は不幸なんだ
生きていても楽しいことなんかひとつもないんだから と思ったら
明らかな自殺ではないけれども 薬を使って楽になりたい
現実にはありえない幸福感を味わいたい と思うことは あるのかも知れない」
「刺激がほしい、というのは つまり 刺激が足りないというくらいだから 日常生活はある程度ふつーになんとかなっていて 毎日の生活で食うに困るとかそういうことじゃなくて 安定はしてるんだけど 同じことの繰り返しでなんか退屈なんで なんか面白いことねえかな ってことでしょう」
「そういう理由の違いもあるだろうし、麻薬であろうと薬という物質である点にかわりなく 化学的な作用が体質にあう、あわないもある。
あるいは 最初に使った薬がなんなのか それによっても あとの展開が変わってくる」
「そういったさまざまな理由が組み合わさって 人によって使う薬の種類が違ってくるとか あるいは国の事情によってポピュラーな薬の種類が違うとか あるかも知れないね」
彼の答えのすべてが正しいかどうかは分からないが...
確かに ヘロインが流行している国は 経済的な発展の途中にある国が多いし 財政破綻で話題になったギリシャや 国民の間で生活の格差が進むロシアなどでヘロインの静脈注射乱用者が激増しているというのも なんとなく理解はできる。
ちなみに"アッパー系"の薬でアゲアゲになって でも そのままではハイな状態が収まらないので"ダウナー系"の薬でサゲる、という 両方の種類の薬物をカクテルにして使用する方法を好む人たちもいる。
そしてこれは ジャンキーへの最短距離とも言われているし、過剰摂取、OD(オーバードース)による死亡の大きな原因でもある。日ごろ 過剰なストレスにさらされている有名人などには、多く見られる傾向という。
コリーさんの場合 ヘロインとアルコールなどの組み合わせだったらしいけど そう考えれば 身体へのダメージが心臓に過度な負担を与えたのではないか ということは 納得できる。
薬物の過剰摂取で亡くなった芸能人は外国ではたくさんいるが、僕の世代でなんといっても印象的だったのは リバー・フェニックスではないだろうか。
「スタンド・バイ・ミー」や「マイ・プライベート・アイダホ」、「旅立ちの時」など数々の映画で見せてくれた孤独な少年/青年像は、あのころの僕らの間ではカリスマ的な存在になっていて、彼の発言や行動が 当時の若い人たちの心を 確実に動かしていた。
彼がヘロインとコカインの過剰摂取で亡くなったのは1993年の秋で、考えたら今年は没後20年だったんだね。
時間の経過の なんと早いことか。
コリーさんも きっと クスリをやめたかった 真剣にやめたかっただろうな。
リハビリ施設に通所してたそうだから このままじゃいけない ってわかっていたのだと思う。
でも 一度足を踏み入れたらやめたくてもやめられないのが 薬物依存の怖いところだ。
「薬を使うなんて自分が悪いんじゃん、自分の問題じゃん、自己責任的にぜんぜんダメダメじゃんね、同情の余地なんてまったくないでしょー」
と 自分の一方的な価値観でバッサリ切って捨てるようなことは 僕は言わないし 言えない。
それは 自分が薬物におぼれないだけの恵まれた環境にあることに対して 無意識 無自覚でいるに過ぎないからではないか と思うから。
でも すべての人たちがそういった恵まれた環境にいるわけではない。
自分の努力だけでは 自分が望む環境を手にすることが難しい人たちだってたくさんいるのだ。
薬物問題で苦しんでいる人が自分のそばにたくさん暮らしているのを知っているし、僕自身も悩みを抱えた時期がある。
彼らがどれほど本気になってやめたいと思っているか 毎日の生活を それこそ地獄で暮らすような思いで必死に戦っているか その胸のうちも ある程度は(全ては無理だろうけれども)分かってるつもりである。
痛切な心のうちを知るものとしては 誹謗中傷で相手を責め立てるのは ツラい。
"刺激はないけど、平穏でとりあえず健康かなって思える 現在の自分の日常生活を大事にしたい。廃人になった人もたくさん見てきた。薬物の恐ろしさを知っているつもり。
だから自分は使いたくないし その必要もないよ"
という意思を伝える....
それくらいのことしかできないし それで充分だと思っている。
特に 自分はHIVという病気をもっているから....
違法薬物の摂取で健康に被害が及ぶのは 病気を持つ身として なんのメリットもないので...
今回のコリーさんの死をきっかけに 若者の薬物使用の問題が もっと自分たちの問題として考え直され リアリティをもってもらえるようになれば。
昨日までTVで見かけていたあこがれの人も 夢の中に生きてたわけじゃなく
現実を必死に生きていた 生身の人間だったんですよ と。
追悼の意を込め 今は そんな気持ちになっています。
Futures Japan ~HIV陽性者のためのウェブ調査~
HIV Futures Japanプロジェクトにより実施される、日本で初めてのHIV陽性者向け大規模ウェブ調査です。数多くのHIV陽性者が企画段階から参加しています。結果は、HIV陽性者に直接的・間接的に役立てます。
→右のリンクをクリックしてください [HIV Futures Japan ProjectのWeb調査に参加してみる]
超久しぶりの更新ですが(汗)
ちょっと気になるネタがあったので UPしてみます。
子宮頸がんワクチンの予防接種が 世間を騒がせています。
投与された女子中学生に炎症反応の副作用が起こり 関節などに激痛が生じて日常生活に影響が出た と。
同様の例がいくつか報告され 現段階での積極的なワクチン接種が見合わせ になったそうです。
危険か危険じゃないのか まだ誰にも判断できない。
深刻な副作用が立て続けに報告されたのは日本だけ、
同じ製剤を利用したワクチン投与が実施されている他国では例がない。
だから"積極的な接種はおすすめしませんが、中止措置は取らない"という
二重の対応をとる。
どこか あの放射能騒動のときの
"直ちに甚大な健康被害はありませんが...."
を連想してしまいますが(苦笑)
僕には子どもはいないけど 親だったら心配ですよね。
自分の娘がガンになるかもしれない、って恐怖もあるし
予防のためのワクチンで身体に影響が出たらもっと 困る。
健康被害が出た当事者や御家族の方々の苦悩は 非常に深刻なものだと察します。
しかしながら これは
HPVワクチンに限った話ではありませんが、
どんな予防接種であっても 副作用が100%発生しない保証はありません。
メジャーなインフルエンザの予防接種ですら 副作用は存在するくらい。
パーフェクトな予防方法は存在しないわけだから、大なり小なりのリスクを負った上で予防接種を受ける必要がある ということは どこかで心に留めておきたい。
メディアが大々的に報じた"HPVワクチンキャンペーン"は よくあるイメージ先行型。
接種時の副作用のような"負の情報"が含まれているとは思えなかったけれど 現実はシビアです。
余談ですが........
"体の中に入ってくるもの”のリスクを考えたとき その想定がなぜか細菌やウィルス、放射能や大気汚染物質ばかり になってしまうのは なぜ?
市場にあふれる 効能がよくわかっていないような薬品やサプリメントを無条件で摂ることに関してなんの疑問も抱かない。
ましてや "誰かに注射をされる"のは正当な診療行為によるべきであり、体の中に針を入れることに対して もっと神経を尖らせたっていいはず。
ごく慎重に取り扱うべき問題なのに そのあたり 一般的に どう認識されているんだろう?
現代人はあまりにも鈍感すぎるというか バランス感覚に偏りがあるんじゃないか?って....
(僕はピアッシングもTATOOもNG 安全だと言われても なんか怖い気がしちゃうのです)
さらに言うなら なぜかわからないけど
"とにかく怖いのはガンで、ガン以外の病気ならなんとかなるんだけど" みたいな思い込みを持ってる人があまりにも多いような気がして どうなのかなあ と。
どんな根拠に基いているのだろうか。
怖い病気なんて ガン以外にだって ホントはたくさんあるのよ~。
脱線しましたが、本題に戻して.....
今回の騒動で 同時に気になったのは 問題の背景にある別の側面
セックスに対する 現代人の意識の変化
について はたしてどれくらいの人たちが理解しているか ということでした。
例のメディアキャンペーンは あまりにもきれいごとに終始していたじゃない?
ヘタすると HPVの感染の原因がセックスにあるということすら あやふやで
ひたすらに 子宮頸がんの可能性、子宮頸がんの可能性 ばかりが強調されていて。
HPVの感染経路は セックスです。
HPV-16、18型などは発がん化しやすいウィルス、
HPV-6、11型は 良性腫瘍の確率が高いウィルス、と言われています。
(尖圭コンジローマはHPV-6、11型に分類されていますが....)
女性の膣以外、喉頭でも感染する可能性がありますが、この場合は子宮ではなく
喉頭にガンができる可能性があるそうです。
つまりはオーラルセックス、フェラチオ その他による感染だよね。
こういうことが問題になるくらい
将来に備えて小学生からワクチン接種が必要なくらい
セックスは 現代の若者にとって 身近な問題になっている。
カジュアルセックス って言葉すら もう死語なんだろうか?
性関係を結ぶパートナーが複数いるのは 不思議でもなんでもない
そういう時代になってきたのは 確かなわけで。
我が身を振り返っても(滝汗)
セックスの低年齢化が悪いとか、けしからんとか 言うつもりはありません。。。
ってか ぜってえ 言えね~し w
しかし
"自分の娘がセックスなんて、まさか" と考えるような親で
でもHPVのワクチン接種は必要だよね と主張される方がいる としたら
現状に対して きちんと向きあえていないのではないかなあ。
そこを理解した上で接種を受けた子とその親って どれくらいいるんだろう?
そんな話は 小学生には早過ぎる?
でも 大切な部分を伏せたまま わけも分からず接種を受けさせられる子どもって...
かわいそうじゃないかな?
ワクチンの接種は たくさんある感染予防方法のうちのひとつ でしかありません。
HPVワクチンを接種しさえすれば すべてのガンのリスクを完璧に抑えられるわけじゃない。
オトナが子どもに きちんとセックスの話をして
どこにリスクがあって それを防ぐための方法のひとつとして
ワクチン接種という方法があるんだよ って伝える。
本当に大切なのは ワクチン接種で安心~ ってことなんだろうか?
HPV、それ以外のさまざまなSTI(性病)、もっと言うなら
自分の体の外には 性病以外でもいろんな病気を引き起こす可能性があるウィルスや細菌だらけの世界が広がっている。
現代の医学では ガンの発生原因にウィルスの関与が認められるようになってきたケースも増えている その事実から目をそらさず、きちんと伝えるってことが重要なんじゃないか。
危険は 目に見えないところにこそ潜んでいる、だからこそ危険なんだ ということを。
でも その危険と向き合い テキトーにかけひきをしながらも
うまく同居していくことが 日常を生きる ということなんだと。
オトナが いま判明している事実の範囲内で伝えることで
子どもは 何がリスクで 何がそうじゃないのか
自分で判断できるような基盤を作ることができるようになるでしょう?
そうさせなきゃ ダメぢゃん。
はっきり言わなかったら 子どもは学べないです。
そして これはもちろん
ゲイの子どもたちにも 同じことが言えるのではないかな って。
いたずらに恐怖心をあおるから、という理由で伝えない。
ゲイの子ども自身に学習の機会を与えない、では
ゲイの子どももリスクを学べない。
そこが抜きになったHIVやSTIの予防啓発なんて
これからの時代は どう考えたって ☓ でしょう。
