音楽にまつわる思い出~その11
中学生時代の締めくくりは、部活。
2年生、
当然ながら、例のトランペットの美少年 O先輩が部長に就任。
彼はもちろん、指揮もできた。
そうそう、「のだめ」のTVシリーズで、
sオケの指揮をすることになった「千秋」への嫌がらせに
オーボエとクラリネットが、メロディを交換して演奏するというシーンがあった。
そういうイタズラは、部活でしょっちゅうやっていて、
顧問の丸婆(まるば)はたいてい気づかず、
O先輩にはいつもすぐにバレた。
選曲にも発言権があった、かどうかはわからないけれど、
この年は、前年とは一転、映画音楽をいくつか演奏した。
「ロッキー」 「タワーリングインフェルノ」 「風と共に去りぬ」(タラのテーマ)
など~~ もっとあったかもしれないけれど。
どの曲もトランペットがカッコイイ。
いつの間にかというか、当然の流れ?
O先輩は憧れの先輩に昇格。
他に演奏した曲は、
フィガロの結婚 序曲
ラデッキー行進曲
コンクールはその年も、参加賞。
そして、季節が過ぎ、卒業式。
こっそり音楽室に行ってみると、O先輩が一人でいる。
いつも会うたびラブラブ光線を送っていたから、
O先輩もとっくに、気づいていただろうけれど、
その時のO先輩は、困り顔。
どうやら、他に好きな女の子がいたみたい。
その子を待っていたみたい。
なんだ~ 失恋~~~
少しだけ話した。
やっぱり、次の年のこと。
「次ぎは部長だね、頑張って。」
そして、もう一つ。
「全校生徒の指揮者、他のヤツに渡すなよ」 と。
「他の奴らはみんなオレの真似してるだけだ。
オレがいなくても指揮できるのは、君だけだと思って見てたよ。」
これは、中学時代の唯一、うれしかった言葉だったかもしれない。
この言葉を言ってもらったら、
もう、失恋したことは、ほとんど、どうでもよかった。
舞い上がって、有頂天になって・・・
そして、頑張ろうと思った。
そんな風に卒業式が終わり、3年生になった。
始業式。
全校生徒の指揮者はもう、決まっていた。
いつものように、そうゆうことは職員室で決まる。
別のクラスの男子。
O先輩の言った「他の奴ら」の筆頭だった。
「代々音楽部の部長のハズでは?」という抗議は
「そんな決まりはない」とあっさり却下。
しかも、
音楽部の部長にも、
なれなかった。
部員の投票で、落選。 選ばれなかったのだ。
人望がなかったということだろうけれど、
呆然。
選ばれたMさんは、
たしかに他の部員とは仲良しだったかもしれないし、
音楽も得意のハズだったけれど、
合唱の指揮者と同じで、
ある意味憎まれ役でもある、部長という立場で
声を張り上げて~ という人柄ではなかった。
O先輩に合わせる顔がないな~と思ったけれど、
選ばれなかったものは仕方がない。
案の定、彼女はほとんど部長の役割を放棄。
夏休みに入る頃には、全く顔を見せなくなった。
練習の音頭をとったり、下級生を指導したり・・・
全て、副部長の私の仕事になった。
いくらお人よしの私でも、これはなかなか受け入れ難かった。
それでも、
2年から音楽部に移籍してきた、
K子がよく手伝ってくれたおかげで、
いつまでもこだわらずに、練習に励むことができた。
K子とは出あったときには、ものすごくお互い反発したけれど、
すぐに怒ってソバカスのほっぺをぷっとふくらます彼女は
とても可愛かったし、
後に音楽の道に進んだ彼女は、
楽譜でも曲でも、すぐに理解して、
一緒にみんなをひっぱっていってくれた。
部員の皆も、3年生はさすがに責任を感じでいたのか、
よく協力してくれるようになった。
3年間の部活のなかで、一番盛り上がった年だった気もするけれど、
この年もコンクールは 参加賞。
演奏した曲は
「タンホイザー」序曲 など。
じゅんもは、誰にたいした言葉を残すこともなく、
卒業~~ 高校生になった。
音楽にまつわる思い出~その10
合唱組曲 「筑後川」 (作曲:團伊玖磨) は
源流から河口まで、河の様子を歌う 5楽章になっていて、それぞれの楽章に
第1楽章 みなかみ
第2楽章 ダムにて
第3楽章 銀の魚
第4楽章 川の祭
第5楽章 河口
というタイトルがついている。
「みなかみ」 と 「河口」 を 卒業生全員で、
「ダムにて」 「銀の魚」 「川の祭」 を 2クラスづつで歌う。
まず、クラスの曲が決められた。
この中学では生徒が何かを決めるということは皆無で、
決め事というのは、すべて職員室で決められる。
私のクラスは 「銀の魚」 の担当になった。
朝、静かな川面に漕ぎ出した船で、男女が魚を採る様子。
ものすごく美しい情景が思い浮かぶ素敵な曲。
吠えたり怒鳴ったりでは、到底この美しさは表現できない。
静かな曲ほど、音程のズレは聞き苦しいし、
リズムもごまかしが効かない。
難しい曲にあたったな・・・
さらに、2クラス、80人の指揮はますます難しく、
相手のクラスの指揮者はすぐに降りた。
難しいのは3年間、毎度のことだったし、
何より、最後にこの美しい曲をどうしても美しく合唱して欲しかったから、
これまで以上に、一生懸命やった。
そしてもう一つ、最後の「河口」。
圧倒されるような盛り上がりでしめくくられる
この華々しい曲を、絶対に指揮したかった。
「河口」は、単独でこれまでも何度も歌ってきて
最も音程がよくとれている。
曲の美しさを加える余裕がある!
3年間、なんとか音楽を、管理教育の道具じゃない、
美しい音楽をと思って、苦しかった。
学校では、教室では泣かないと決めてたから、
涙はいっぱい、お腹のなかにたまった。
それがこの 「河口」 の最後に、
ぱーっと放たれて、苦しかった毎日から開放されるんだと思った。
240人のフォルティッシモで、この合唱活動から卒業するんだ。
なのに、
ある日、
廊下で、担任ともう一人、若い女の先生が言い合いしてるのを聞いてしまった。
「あなたのクラスばかり、目立ちすぎてる」
「頑張ってるからでしょう。うちのクラスは一番まじめに頑張ってる。」
「わたしは音楽の教師なんです。
音楽では、わたしのクラスが1番にならなくては。
指揮はわたしの生徒にさせなくては、わたしの面子が立ちません!」
「でも、3年間つづけた子は他にいないでしょう?」
「あの子は散々もう目立ったじゃないですか!
多くの子にやらせるべきなんですよ。不公平ですよ。」
いつも元気満々熱血教師だった私の担任が
若い先生に、だんだん、言い負かされていく。
最後には黙ってしまった。
「河口」の指揮は、その若い先生のクラスの男子に決まった。
そして私は、「みなかみ」の指揮者に。
「みなかみ」も、もちろん、美しい曲。
静かに、アウフタクトのピアニッシモで伴奏なしで入る。
つまり、240人が揃って美しい出だしを歌うのは、
ものすごく難しいということ。
この240人が、歌うために集まった人たちならば、
それはやりがいもあり、素晴らしい思い出となったことだろう。
でも、卒業式という誰だって失敗したくない場面で、
身勝手な人たちの思いが、たった一人、自分の指揮にかかる。
思い出どころか、やっかいごととしか思えなかった。
その決定に、私以外の誰も、
異論を唱えなかったことに、ものすごく傷ついた。
担任の先生も、クラスメートも、親も、
「決まったことは仕方ない」
頑張っても頑張っても、報われなかった気持ち。
涙しかない。
今でも思い出すと涙がにじんでしまうくらい、
悔しくて、情けなくて。
今でも中学生時代のことは
つまらなかったことしか思い出せない。
音楽にまつわる思い出~その9
中学時代の音楽の経験といえば、もうひとつ。
創立5年目の新設校ながら、
徹底した管理教育で、近隣でも有名だったその中学校で
とても力を入れていたのが、 「合唱」
クラスごとに、毎朝、毎夕、たぶんお昼も、歌う。
行事のたびに、歌う。
入学して、すぐに指揮者に指名された。
理由があったのかどうか、
最初だから、先生が指名しましょうといって、わたしが指名された。
最初の曲は 「翼をください」
それから 3年間、 クラス替えがあっても ずっと指揮者だった。
強制的に合唱させられるクラスメートにとっては、
合唱 = 音楽 などではなかった。
掃除や、ホームルームとおなじ、
学校生活の中の、つまらない部分の一角。
その集団の指揮を任されるということは
要するに、クラスの最も嫌な仕事を押し付けられたということにすぎない。
ちゃんとした発声法も習わず、
変声期にある男子生徒たちは
無理やり大声を張り上げ、
女子生徒は、その大声に負けじと、嬌声をはりあげ、
より大声を出した者ほど、褒められた。
音程という観念は、ない。
リズムという観念もない。
この「合唱」をリードするのは、実は伴奏者で、
栄誉ある伴奏者に選ばれた、ピアノの上手な女子生徒が
気の向くまま、好きなように弾く伴奏に合わせて
指揮者は、手を振る。
あんなものは、音楽ではなかった。
ホントに、まじめだったわたしは、
なんとか、音楽を奏でたいと
悩んだし、研究したし、練習したし。
伴奏のご機嫌をとり、
楽譜の読み方を黒板に書き、
歌ってみせ、踊ってみせ。
うるさがられて、疎まれて、無視されて・・・
特に3年生での合唱活動は、ものすごくて、
修学旅行の際には、東京の上野公園をはじめ、
そこらじゅうで、合唱~~
そういった活動が、どんなに素晴らしい思い出となったか、
すっかり洗脳されたクラスメートたちは語り合っていたけれど、
わたしにとっては、
ひどい、みじめな思い出。
吠えあう中学生の前で、
一人、ラジカセから流れる伴奏に合わせて手を振るわたし。
馬鹿げた茶番を、まるでわたしがさせているようだ。
音楽が好きだった気持ちを、無残に踏みにじられて
こんなものは音楽なんかじゃない!
本当はそう言いたいのに、それを率先してやらされる辛さ。
そして、最後にやってきた出来事。
卒業式。
卒業式では、3年生が 「筑後川」 という合唱組曲を披露する決まりだった。
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その10へつづく
音楽にまつわる思い出~その8
その7からのつづき・・・
さて、ピアノを買ってもらったのに、
なぜだったか・・・ しばらくは、ピアノ教室に行かず・・・
最初にじゅんもにピアノを教えてくださったのは、
部活の顧問だった、
「丸婆」 = まるば~~~~
「エレクトーン習ってた子は、ダメ。
タッチが悪い癖ついてるから・・・」と、
ダメダメ言いながら、教えてくれました ![]()
バイエル や ハノン から練習。
「指、立ててっ!」 「また、指、寝とるよっ!」
ビッシビシ、怒鳴られながら~~~
そういえば、音楽室のグランドピアノ、
いつも、「まるば」のとばしたツバで、汚れてたな~~ バッチイ・・・ ![]()
最初に弾いた曲は、
ソナチネ(クレメンティ op36-1)
しかし~~
「まるば」は、公立中学校の先生。
一人の生徒だけに、いつまでも特別レッスンはできない~~
ということで、ついに、
家の近所で個人レッスンしている先生のところへ~~
この先生にはじゅんもと同い年の娘さんがあったけど、
わたしら庶民~~ とはちょと違い~~
私立のお嬢様学校に通っておられた~~~
庶民の生活を面白がって、学校のことなど訊かれて
よく、レッスンの後、お嬢様のお部屋でおしゃべりしたっけ・・・
この先生も、怒鳴りはしないけど、
なかなか厳し~~~い先生で、よく怒られたなぁ~~
しかも、
「タッチ強すぎ。そんなものすごい勢いで叩かなくても・・・」
いつも3冊の楽譜を練習。
「ハノン」 、「ブルグミュラー」、「ソナチネ」
「ソナチネ」は初級向けの曲集。
ところが、発表会前になり、急に「ショパン」をやるとおっしゃる。
「ショパン」は、どう考えても、上級。 中級とばしてますケド?
練習しても、弾けない弾けない・・・ 全然曲にならない。
結局、先生もムリと判断。
発表会では、別の曲「アルプスの夕映え」という曲を弾きました。
初級の上くらいかな・・・
その辺りで、じゅんものやる気はだんだん・・・ ![]()
「ショパン」がなぜそんなに弾けなかったかというと、
まぁ、実力がない、というのは当たり前なのだけれど、
大きな問題点は、「手が小さい」 ということ。
う~~ん、と手の平をいっぱいに広げても
1オクターブ(8個の鍵盤の距離)で、ギリギリ。
ギリギリでは やっと鍵盤にさわれても、叩けない。
ショパンの曲の中には、それ以上に離れた音の和音だって出てくるし、
離れた音と音の間にもタッチしなくてはならない音が2つとか、3つとか・・・
そうなると、もう絶対にムリなので、
音を間引きして和音を演奏するのだけれど・・・
そんなことは、楽譜に対して、インチキだし・・・ と、 その時は思ってた。
今になってみれば、
ピアノ弾くこと = クラシックの演奏家 というわけじゃなし、
好きな曲を楽しんで弾けるように練習すればよかったのだろうけど。
そんなことは自分では思いつきもしなかったし、
先生も、親も、まわりで音楽の道を目指し始めてる友達も、
やっぱり同じ考えだった。
「わたしにはピアノは無理。」
そう思い込んでしまったら、もう練習する気もなくなって・・・
もう一つには、
両親は、せっかく買い与えてくれたものの、
わたしがピアノを弾くことが、あまり好きじゃなかったみたい。
母には 「間違えるなら、弾かないで」 と よく言われたし、
(練習してんだから、普通、間違えるワサ)
結局、父の 「受験生が、ピアノ弾いてるかと思うと、こっちがイライラする。」
という言葉で、
ピアノのレッスンはおしまいになった。
お気に入り~
寝る前に必ずお香を焚きます~~
このところずーっと
お気に入りは、
ESTEBAN の 「アンバー」
http://www.esteban.co.jp/collection/products/list.php?category_id=22
気に入った香りで部屋が満たされると
気持ちが落ち着きます~
旅行
にも、お香や、ルームフレグランスを持って行きます。
ホテルのお部屋って、きれいにお掃除してあっても、
なんとなく、タバコの臭いが残っていたり、
その建物独特の匂いがあったりして
なかなか、くつろげなかったり・・・
海外だと、時差とか、移動や街歩きの興奮で
目がさえて眠れなかったり。
一人旅だと、ちょっと寂しかったり。
いつもの香りがしてると リラックス~~
ところで・・・
朝、じゅんもと一緒に寝たわんこは、
お香の香りがします~~
最近だと、だびんち。
朝のだびんち、 「アンバー」の香りです ![]()
