音楽にまつわる思い出~その10 | 日々のできごと

音楽にまつわる思い出~その10

合唱組曲 「筑後川」 (作曲:團伊玖磨) は


源流から河口まで、河の様子を歌う 5楽章になっていて、それぞれの楽章に



第1楽章 みなかみ


第2楽章 ダムにて


第3楽章 銀の魚


第4楽章 川の祭


第5楽章 河口


というタイトルがついている。 


「みなかみ」 と 「河口」 を 卒業生全員で、

「ダムにて」 「銀の魚」 「川の祭」 を 2クラスづつで歌う。


まず、クラスの曲が決められた。

この中学では生徒が何かを決めるということは皆無で、

決め事というのは、すべて職員室で決められる。


私のクラスは 「銀の魚」 の担当になった。

朝、静かな川面に漕ぎ出した船で、男女が魚を採る様子。

ものすごく美しい情景が思い浮かぶ素敵な曲。


吠えたり怒鳴ったりでは、到底この美しさは表現できない。

静かな曲ほど、音程のズレは聞き苦しいし、

リズムもごまかしが効かない。

難しい曲にあたったな・・・


さらに、2クラス、80人の指揮はますます難しく、

相手のクラスの指揮者はすぐに降りた。


難しいのは3年間、毎度のことだったし、

何より、最後にこの美しい曲をどうしても美しく合唱して欲しかったから、

これまで以上に、一生懸命やった。


そしてもう一つ、最後の「河口」。

圧倒されるような盛り上がりでしめくくられる

この華々しい曲を、絶対に指揮したかった。


「河口」は、単独でこれまでも何度も歌ってきて

最も音程がよくとれている。

曲の美しさを加える余裕がある!


3年間、なんとか音楽を、管理教育の道具じゃない、

美しい音楽をと思って、苦しかった。

学校では、教室では泣かないと決めてたから、

涙はいっぱい、お腹のなかにたまった。


それがこの 「河口」 の最後に、

ぱーっと放たれて、苦しかった毎日から開放されるんだと思った。

240人のフォルティッシモで、この合唱活動から卒業するんだ。



なのに、


ある日、


廊下で、担任ともう一人、若い女の先生が言い合いしてるのを聞いてしまった。



「あなたのクラスばかり、目立ちすぎてる」


「頑張ってるからでしょう。うちのクラスは一番まじめに頑張ってる。」


「わたしは音楽の教師なんです。

音楽では、わたしのクラスが1番にならなくては。

指揮はわたしの生徒にさせなくては、わたしの面子が立ちません!」


「でも、3年間つづけた子は他にいないでしょう?」


「あの子は散々もう目立ったじゃないですか!

多くの子にやらせるべきなんですよ。不公平ですよ。」


いつも元気満々熱血教師だった私の担任が

若い先生に、だんだん、言い負かされていく。

最後には黙ってしまった。



「河口」の指揮は、その若い先生のクラスの男子に決まった。



そして私は、「みなかみ」の指揮者に。

「みなかみ」も、もちろん、美しい曲。

静かに、アウフタクトのピアニッシモで伴奏なしで入る。


つまり、240人が揃って美しい出だしを歌うのは、

ものすごく難しいということ。


この240人が、歌うために集まった人たちならば、

それはやりがいもあり、素晴らしい思い出となったことだろう。


でも、卒業式という誰だって失敗したくない場面で、

身勝手な人たちの思いが、たった一人、自分の指揮にかかる。

思い出どころか、やっかいごととしか思えなかった。



その決定に、私以外の誰も、

異論を唱えなかったことに、ものすごく傷ついた。


担任の先生も、クラスメートも、親も、

「決まったことは仕方ない」


頑張っても頑張っても、報われなかった気持ち。

涙しかない。


今でも思い出すと涙がにじんでしまうくらい、

悔しくて、情けなくて。


今でも中学生時代のことは

つまらなかったことしか思い出せない。