睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

休むと言ってみて。今日は比較的動けて。

 

大きい問題を整理したのと、ふと気づいたのは、少し休憩するということができなかったと言うことで。

 

心理的負担を軽くしてからこうなったのでそのせいかもしれないけれど。休憩にしっかり休むと言う習慣もなかったかもしれないなと思ったり。

 

ベランダは今いちばん寒い季節で先日は新芽を鳥に食べられて悲惨で悲しかったけれど。

 

齧られた間から新芽が出てきたり、諦めて土を掘り返していたところから球根の芽が出たり。多分アイリス。細いからお花は咲かないかもしれないけれど生きていただけとても感動。

 

春に咲くクレマチス・ペトリエイ、夏場は止まったままで大丈夫なのか心配だったけれど調子悪くて数日見れなくてベランダを整理していたらいっぱい花芽がついてました。春には咲くね。

 

お花がないベランダが寂しくてメルカリで春用のタネを少しずつ買い集めていたので春は楽しみ。3月と5月、秋の反省から蒔くと決めたら一気にやってしまった方がうまく育ってくれるのでこの春はその作戦。

 

今年は香りのあるお庭を目指してタネを集めてます。本当はメルカリは高い気もするけれど珍しいものやその方のお庭で採れたタネ、挿し木などが出品されているので。あとおまけをつけてくださる方が多いのでこれが嬉しい。北海道から送っていただいたタネは東京で春蒔いて育つかわからないので秋と2回に分ける。

 

精神的にこの趣味はとても良い気がしていて。ずっと前の阿佐ヶ谷の物件の時から少しはやっていたけれど今はベランダ広々なので。朝起きて、ぐだぐだしてからベランダに部屋着ででて、状態を確認して植物に触ると何か良いみたい。スポーツとか体を動かした方が鬱にはいい説もあるけれど。調子が悪くてもできる趣味という感じはする。

 

朝顔とかつるのあるものは今の季節はお休みなので。たくさんあるけれど夏ほどやり過ぎ感はない。朝顔の種は昨年取ったので夏になればまた華やかになりますが。しかもその辺からタネを拾ったりして取ってあるのでさらに増えるかも。拾い物なので期待しない。

 

その季節にはその季節なりのそれぞれの植物の過ごし方があるので。絶対待たないといけない。先日寝込んだ後にベランダに出て良かったのは同じ1月でも一日一日で太陽とか気温とかで芽の伸び方なんかも違う。株が弱るから鳥や虫に食われてしまうのでありそれってメンタル弱った私の身代わりかもしれないです。生き物だと結構凹みますが。植物はダメかと思うと復活したりするので諦めないことという元気をもらえます。

 

寝込んだくらいの時は全滅かなという悲惨さだったけれど、本当にギリギリのところで大丈夫な新芽が多かった。というのが今日の時点の感想。100均でみつけたネットを割り箸立てて支えて覆って、鳥には食べられないように工夫している。

 

ハーブ類も地上は枯れるものが多いので春になって植え替えたら華やかになります。昨年はあんまり使わなかったけれど今年はちゃんとお料理に使おうと思います。苦手なハーブティーにも挑戦したい。

 

このお花とか植物育てたいのっておそらくおばあちゃんの影響なんだけれど、おばあちゃんのことを最近はあんまり遠慮なく思い出すことにしていて。母と仲が悪かったので以前は悪者にしようとしていたけれど思い出して感謝できるようになり。

 

おばあちゃんがお風呂で倒れていたのを助けてしまったこと、悪かったかなあってずっと思っていて。母にはお金がかかるし本人も記憶もなく半身不随で死んだ方が幸せだったのではないかなとか悩んで自分を責めたりしてしまったり。実際助けなければ良かったのにと冗談で笑われることがあって冗談でも時折本気で考えて悩んでいたりしました。でも、人が死にそうなら助ける、何かおかしいなと思ったら助けに行くのは人として当然だよなと思い直せてさっき横になって休みながら泣いたら少し楽になったんです。

 

なんであれ、死にそうだけどまだ生きているという状況なら助ける方を選ぶのが常識だしわかってて見殺しにしたら殺人だし、そこ、自分が悪いって責めたら病気じゃなくても精神おかしくなるよねとかそんなふうに思えたり。大学出てすぐぐらいのときのまだ病期になる前だったから、そういう変な理屈が重なって病気になったのかもしれないなと。

 

完全ではないけれど、いい方に、いい方に、考えられていたりします。

最近ずっと考えている、というか心掛けていることで、休むと言うこと。

 

音楽を続けながら、あとちょっとだけ金銭的になんとかできるということでやっと双極性障害なら休まなきゃと思えて。

 

今まではいろんな意味で恐怖でバーンアウトしてしまったところもあるのかもしれないなと。

 

焦って動いて失敗してがあまりにも多すぎて投げ出したくなって。早く回復したら牛丼屋さんやりながら活動充実していた時みたいに。その程度でいい。会社に入らなきゃと言うプレッシャーが大変だったのはある。動いてはいるけれどダメだと落ち込むし。

 

休めなかったのは「双極性障害だからライブとかその人間関係を断ち切りなさい」「一度しっかり管理下に置く」というある意味脅しがあったわけで相手は脅しているつもりはないけれど脅しになっていて。それもネットの読み齧った知識くらいしかない人をそばに置く人がが何故か力を持ってしまったと言うのがこの年齢になると見えてくる、社会にいて浅い知識の人か、深い経験による人か、失敗してたくさんの人に会ってきたからわかるような気がします。

 

音楽も。前ほど必死にならなくても。自分の中にある力を使えば声が出て、ピアノを信じればいい音が出てくれる、その練習を楽しめるという状態になってきてその境地に達することができたので休まなくていい、むしろ辞めることは後悔にもストレスにもなるというのがわかってきたから。多分。得意なことを全部捨てると言うのはストレスになります。

 

昨日話していた中で思ったけれど、音楽の中にも間違った意見を上からきつい調子で自信たっぷりに言ってくる人がいて。理由より先に具合が悪いことが先に来ておかしい人となっていたけれど、たくさん演奏を聴いて判断できる耳になってしまうとおかしい人たちの演奏というのはまず「違和感」がくるわけで。

 

どんな音楽をやっていても音が合っていれば違和感はないので。楽器が自分を見せる道具にしかなってない人はチューニングが合っていない、もしくは狂いやすいことに平気なのでこちらとしては全くよく思えないんだけどって喧嘩になってしまう。

 

合わないなら合わないで単音にすればいいのだけれど合わないのに和音を弾きたがるから響きがなくなる。不協でないのに不協になるというあたり。ぱっと見が人間としては同じ感じなので初対面ではわからないんだけど合ってない人は合ってない、もともとそこを意識しない人は何年でも何十年でもそれをやり続ける、結局年数だけは過ぎていくからそれが自信になってしまうと言うことなんだと思ったらスッキリした。

 

エレピで音を重ねて演奏したら「レイヤーを使う人」というワードが会話の中ででてきてびっくりしたんだよね。よくよくお話ししたらメーカーの人でした。

 

潜在意識とかホ・オポノポノとかたくさん読んだり調べたりしたけれど、結局心身ともにリラックスしていないと全ての力を封じ込めてしまうんだなと思ってまして、力を抜くために、頭の中で違和感グルグルにならないために、少し休んでみようと言うのが実際のところです。

 

ネックになるのはお金の話なんだけど。そこはなんとかなると思っていればなんとかなるのかなと思ったりしている。焦ると逆に無駄な支出が増えているここ半年くらいの傾向だったので。真面目にやろうとして失っていくなら休んだ方がいい。目当てがお金だけでやりたいことでもなんでもないと言うのがよろしくない傾向だ。

 

イーブンならいいけれど、マイナスとか、ルールを破るようなリスクであればそれは回避してしまった方がいい。ルールを守らないことに関してはちょっとくらいと思ってもどこで誰に危害が及ぶかわからない。それも自分の根底で「やめた方がいい」というサインが出たら従うこと。

 

休むって決めたら、脳がシュワシュワーってする感じがして、痛くて疲れていたなあって。

 

できれば短い方がいいけれど。ある程度休むにも覚悟いるなあって思っていたりします。春になったら動き出せたらそれでも早い。

 

自分なりの宣言として書いておきます。

次に書こうと思っていた政治の話、書いてみたらやはり危険すぎて公開できない状態になりました。

 

そのあとでたまたま貧乏マインド、金持ちマインドみたいな話をみていたんですが。

 

今必死で足を引っ張ろうとしたり、国会で喧嘩腰で不規則発言が多い人とかはやはり貧乏マインドでそういう人たちは貧しいのでもっと不満というループだったりするのだなと。そういうマインドの人たちが国を動かしていた時期というのはやはり厳しい時代だったなと思ったりするわけです。

 

昨年末の国会中継は結構面白かったわけですが。批判するばかりの野党というのとは別に。こういう案はどうか、どうしてこうできないのか、などの建設的な議論をする野党が多くてそういうのが健全な国家ではあろうなと。

 

喧嘩腰で意地悪なことを言う人でも真剣に明るい声で回答しようとするところにいい経済は降りてくるのではと期待している。

 

北風と太陽ではないけれど、喧嘩腰で浅いところでキレたりするのと、笑いながら逃げ道がないくらいに完璧な理屈でこられるのって、反論できないのは後者ではあったりしまして。意見は違って議論することは必要なんです。粗探しと議論、討論は違うので。

 

いい表情、いい言葉、いいマインドで。

 

自分自身がうまくいかないと悩んでいたんですが、我慢しすぎていたのが原因というのは前にも書いたのかもしれないです。

 

相手が望んでいない我慢をして恩を着せてもそれは相手にとって迷惑だし失礼というものです。逆にサービスしてしまうとそれが当たり前になってしまう。

 

いくつか。確実にこれは貧乏マインドな行動だよねというのを緩めてみたりして。話すと批判する人もいそうだから言わないけれど。買い物もするけれどコンセプトと自分の好きなものしか部屋に置かないということにするととりあえず買っておくということはしなくなる。あといつも使うもの。絶対必要なものを100均にするのをちょっとやめてみたりしている。

 

以前よりは高いものも揃えているけれど、ああ、絶対足りなかったし世の中お金がないっていう人は多分持っているものばかりだぞと買ってから思ったりします。

 

マインドが違うと価値があるものも変わってくるので無理しないで気分よく過ごしながら、自分に合った生き方を遠回りでも探そうと思います。

 

というマインドチェンジ宣言。

結構色々書いては下書きにしているけれど一度文章にすることで整理できているような気がします。

 

実は授業を受けるのは苦手で教科書を読み直して勉強するタイプなので読むこと、書くことが整理できるのかもしれないと。動画で勉強するのは苦手で「一回で覚えられないタイプ」だったりする。

 

まあ、気持ち的に。できれば数週間で済ませたいけれど休養する、ということ。

 

また今後の方針として難しく考えずに不利なものは断る。断ったら終わるとか考えなくても隙間には何かが入ってくる、と考えるようにする、という気がします。

 

昔だったら。できる限り相手のためを思ってと思ってやると相互にいいことがあるようなところあったけれど。今は年代によってはこの人ならやってくれるからと悪気なくどんどん追加で要求が来ることがある、という状況を自分でなんとかしようとして、最悪は犠牲になればいいくらいに思っていて自分の根本のところが「犠牲にはなりたくない!!」って反発していた気がする。

 

言語化とか認識するのがちょっと遅い、体感とか直感的違和感が先に来てその事情を整理する前に考えが溢れてしまうので文字にするのは重要なことだったりする。音楽をやっているのはその言語化が音楽の部分で作品になるということで無意識に自分に合っていたのだと思います。

 

考えすぎると頭が空回りして脳が疲れるんだろうなと。それを昨日あたりから意識して。夕方くらいまでは頑張れるんだけど夕方になると鬱に落ち込む傾向なんだなとは思います。体力が落ちているので休んで使わなかった体力を自分に温存する形で。タンクがある程度溜まってくれば精神的にも体力的にももう少し長時間持つのではないかと思います。

 

ライブの時は。もう長年やっているから体が勝手にそう反応してくれるんだけど。

 

本番直前までは、エネルギー切れの状態で構わないわけで。ステージに上がって40分の短距離走をすればいい、さらに歌ものだとそれが一曲ごとの短距離走でもあるので。曲が変わる数秒の間で切り替えだったりペースをあげたり下げたりもできるわけで。

 

なのでライブ自体は休まなくていいかなと。

 

就職活動というか収入源をさがすところだけ、ちょっと冷静に止まるように、休むように。

 

仕事するとしてもフルタイムなら一社、掛け持ちするにしても2〜3社しか選べない。恋人みたいなもんでそんなにたくさん焦って受けても何百社と雇われるのは無理。顧客でも何百人っていうのはないんじゃないかと思いますし。

 

真面目にやってうまくいかなかったんだから真面目にやるという選択肢が間違っていたのかもしれないし、休むというのがとても苦手な人でもある。

 

もしかすると私くらいの年代の人ってそういう人多いかもしれなくて。社内でも仕事がないと干されるんじゃないかと焦ってしまう。昔一緒に仕事をしていた課長さんなんかも部長から管理職としての仕事をしろと指摘されても、プレイヤーとしての仕事で忙しくしていないと不安になるような人は複数いたりしました。

 

店舗の仕事だとお客さんが少ないと店が潰れるみたいに思う人も多いんだけど、最近の傾向だと暇な方がラクという人もいて。暇でも給料もらえるという安心がどこかであるんだろうけれど経済的に回るとか店が儲かるとかは前者であったりして。

 

重要な考えではあるけれど。無駄な動きをして無駄なロスを作っているようなところがあるので私の場合はそれを一旦我慢してでも休むようにしようということで。真剣に考えない。利用されているのか相互関係ができているのかを見極める。

 

意識してから。脳が楽しいことを考えたり休んでゆっくりでもいいやとか作業に時間がかかっても無駄に時間が過ぎてもOKにしたらその数時間だけでも体力が回復してくるのがわかります。

 

年齢的にも。未来に向かってフルパワー!でなくて良くなってきて。結果的に守るものがなくなって一人暮らしの若者みたいな生活でいいという状況になってしまったので。未来に結婚した時の貯金とか蓄えとかそういうことを考えなくて良くなった。結婚して蓄えが必要だとしてももう子供は作れないと思うのでマイホームとか大きいものにも多分お金がかからない。裏返せばもう少し若い時はそんな焦りもあったけれど、多少蓄えておいても持っていく方は足りないと不満そうに人のお金を持っていってしまうのであまり持っていない方がいいと思えたりしました。

 

もらい慣れている人って。人には絶対あげないけれど結構なお金を渡してもこれっぽっちという、貰えば味を占めてしまう人っていたので。人をみる目がなかったりして。

 

今回もこれに近い感じではあったんだと思い。反省はするけれど自分が悪かったのではないかという考えはやめておこうと思う。

 

営業系のことしていて。電話とかでお願いをしたりすることあるけれど。

 

なんとか通る時と、なんと言われても無理な時がある。でも仕事だから「無理です」とは切り捨てず、頑張るけど厳しいっすねみたいな。そういう返しをお互いすることがあって。そういう取引に慣れている人だととんでもない押し方はしてこないんだけど。

 

まあ、ずっと頑張りますがなんともと言われているだけでは時間の無駄ですから自分が提案するか相手からできる方法を聞くかどちらかをやって進んでいかないといけない、というやり方が古くなってしまって通らなくなってしまったというか。いる場所がちょっと変わってきたのはある。

 

長く仕事してきているならこのくらいのことわかってよで揉めずにやれると思わずに、無理ですって言わなきゃいけない時代になってきたりしてきたのよね。これから戻っていくかもしれないけれどニュース見ていたら偉い人たちの間で変化してきたことなんだろうなと思ったりして。庶民の感覚はいいんだけれど、意見を言うところまでで、解決策自体は知識と経験のある専門家がやらなきゃいけなかったのにそれができていなかったし、自転車操業的な世の中になっていたんだと思います。

 

あ、このあたりは次で書こう。

 

そんな感じ。

一回ブログを書くとなんとなく勢いがついてしまうというか。

 

一旦迷っていた決断をしたところでおそらく良くなると思うのと。これが一気に回復しないことを今までの経験からわかっていることでなんとなく待っていられるような。待つのが大事とここ数年で学んだような。

 

小さい時の私って結構早く結果を出せていて。せっかちで待つのが苦手、仕事もスピード重視のような人でした。

 

うまくいかなくなって、待つのも大事と思ったのと。植物を育ててみると待つことが大事と思えます。特に種から育てると。待つ時間がとても長いものもあり。時にはうまくいかないものもある。次の年に再チャレンジのようなこともある。忘れた頃に目が出てくることすらある。

 

根っこで増えるものは完全に諦めた頃に芽が出ることがあります。

 

音楽をやってきて良かったのかなって悩むことはたくさん。特にここ数年は。音楽以外には何もないなって。

 

ただ歌ってみると、ピアノも弾いてみると。ただ弾けるのではなくて自分の響きがモワッとくるような。多分技術的にはそんなに弾けていないところから徐々に感情とかで演奏できるようになったんだなって。

 

私の曲は。みなさんカバーする時には必ず許可を取ってくださる方ばかりでしかも私より上手な方が多いので別物にはなるけれどただの付け焼き刃でやったとしたら同じような作品にはならないと思う、そういう意味では財産。そして以前はとにかくお客さんを呼ばなきゃと焦っていたけれどわかる人だけ仲良くなっていこうと変えたら良くなり。わからない人を呼ぶととんでもないトラブルに巻き込まれたりということがあったりもしたので。

 

そういう意味で。芸能人のスキャンダルとかの記事が盛り上がってしまうのはそれだけそういう人の不幸以外に興味がない人が増えたのかなと。それっていつか戻ってくるような気がするんですよね。根拠はない、勘だけで。

 

前のブログで田原俊彦さんの話を書いたけれど中森明菜さん、私たち世代の憧れ明菜ちゃんも復活してくれて。本当はずっとやっていて欲しかった。いろいろ悪いこと書かれて信じてしまうほどの酷い書かれようだった。それも何かの力でそうなっていたのだなと思わさせられるような。動画でしか見ていないけれど復活した姿でした。

 

昔は。テレビのスターとか憧れとかそういう部分から、芸能人=お金、お金たくさんもらうんだから根本的に正しい人じゃないといけないような、まあでも社会的にはダメな人の方が多いんじゃないかと思う。たくさんお金もらっている=会社員以上の行動ができないと、という意味で叩かれて損害賠償とかなんとかで正義感が満たされるようなところなんだろうけれど、なんでかわからないけれどできないよねえって。

 

結婚生活もできない人多いし。

 

自分の今の身の回りでは。本当に理解してくれる人が多くて本当にありがたいと思うんですが。特に親戚関係とか病気がらみのお医者さんとかカウンセラーさんだと、楽しくてストレス解消になるでしょみたいなそういう話にしかならなくて。そちら側の人はCDにお金払うなんてとんでもない、楽しいことなんだからタダでちょうだいみたいな話になる。

 

普段ほぼ音楽関係の人としか連絡取らないので普通の人のほとんどがそうなのかもしれないなって思ったりします。

 

ただ。ちょっと時代が変わってきたというか。あまりにもネガティブに叩くことの薄気味悪さが露呈してきたようなそんな気もしていて音楽や芸術がよくなれば世の中変わってくるんじゃないかなと。すでにアニメとかそう言ったものでは日本の重要な文化として大事されていたりするんですが。音楽的には正直私自身日本人は向いていないと思うのですがデジタル的なアプローチとかそこは強いんじゃないかと思います。

 

自分はネガティブで暗い歌、みたいなところあったんですが、ネガティブな苦しさを超えたポジティブというのが見えてきて。いわゆる「元気でーす!!」とかは実はポジティブじゃないと思っていて、あ、光が見えた!みたいな感動がポジティブだと思います。

 

ポジティブってそんなにお安いものではないのでちゃんと価値をわかって受け取る、それをわかるには好きなものを聴きに行くようにするというのはあります。それがわかる人だけに受け取ってもらって、受け取った人それぞれに増幅してもらえれば豊かさがさらに豊かに回っていくものだと思います。

 

そんなことを書いてみました。つらつらと。