睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

やっと生きようとしてます。


歯医者さん行ったけど歯がダメらしくて、若い頃にもう少し大事にしておけばよかったななんて。


本当に、あれじゃ辛いよって人生で、今生き方を変えてみて、自分を大事にと思える。


見事に自分に厳しすぎる人生、人に尽くしすぎてしかもありがたみもなく悪態つかれるような。まだ足りないって言われてました。


反発して反抗すればよかったんだと。失礼な扱いには言っていいんだなと。


そして、大丈夫だよって助けてくれる人がいなかったんだなって、だから今はありがたみを感じる。


小さい水の中で生活するカエルちゃんを飼おうと思いまして、あと水草と、お迎えしたい子がたくさんいて、こうして部屋で生き物と暮らすの幸せとか。


はっきり言って、無駄なものっちゃ無駄だけど、好きみたいなんだよね。植物とか動物。


そのお金を貯金して最低限でってうちだったけど、家族は結構好きに使って、私の好きなものだけ無駄、なのでタダ酒飲めるとことか自分を粗末にしたし危ない目にもあって、心が傷つく方がロスがある。


歯医者さんも、もっと行っておけばよかったし、好きなことしてるからと生活詰め込んで苦しかったんだなって。


仕事していて、今自分の仕事に集中することして、人を助けることでめちゃくちゃ時間使ってた、なので評価も低かった、全ては自分を粗末にした結果なんだと。


昔は今より綺麗だったのに気づかないで、歯がガタガタになってもうひとりでいるのも覚悟しなきゃだけど、今からでも幸せでいい。


こないだ少し母と話して、そのうち兄と住んでご飯作ってみたいに言われたけれど、兄妹は夫婦じゃないので、夫婦みたいに助け合うこと期待しないでと思う。


やっぱり好きな人はいますし。


そういうことがとことんわからない人ではある。


それに戻るとまた壊れるから。もう戻らないし好きにやる。


髪と歯だよね、もったいない

いろいろ整理して考えられるのは、今まで苦しめていたものがどうでもよくなる、つまり許す状態になったからだと思います。


一緒にいるだけでよくなる人って考え方はツインレイみたいな考え方なんだけど、別にひとりじゃなく、またスピリチュアルな話でもなく、考え方やレベルがあっている人といれば自然とよくなる話、なりたい人に近づいていくのも、あり。


これの勘違いした人がいて、一緒にいて常に助言してあげて相手を良くしてあげると読んだ人がいるけれど、本来の自分をその人の価値観に変える必要はなくて、読解力のなさと、負のスパイラルな人だと思う。


助言をするほどたいそうな人間と思っている時点で調和から離れていたりします。


人より優れているって思いたいんだろうな、自己愛性パーソナリティ障害の人。自分の無知を知らない時点で賢くないんだけど。


あと、人は本来楽したいものだ、とか、怠けるものだとか、性悪説を唱える人ってその人自身がそうなわけで。言葉が鏡なのよね。私は努力するのが好きだけど、そんなはずないってキレたりして。


努力や人の笑顔、ポジティブが好きな人の集まりにいれば居心地がいいんだと学んだし、卑屈さがずいぶん抜けたと思います。


あと、前よりお金使うようになったけど。必要なものを思い切って買うようになったら、お金が減らないし入ってくるようになりました。


お金の使い方にガタガタ言ってくる人がいたけれど。そもそもマイナスになってる人がお金の使い方を教えても貧しくなるだけとははっきりわかってきたりして。


あと、人に使うお金を惜しんではいけないとも学び。特に人に使うお金は回るから、ちゃんと使わないといけないなって。


自分を過小評価してたから自分の責任ではあるけれど。私によこすものが異常にケチっていたり、お値下げ品だったりして。今思うと1円でもありがたくというより、それなら自分で買うからいいよって気がする。


どうにもならない、世の中不公平って人のせいにする人で完全にやるべきことやってない人がいて、求めればタダで勉強できて、仕事につくことができたこと考えると、もう無理かもって状態で扉を叩いて出口を探し続けることは、大変だけど重要だし、できないことじゃない。叶ったら感謝すること。全てに。


スピリチュアルって、単なる迷信とかじゃなく、先人の知恵みたいなものだったりするのねって思います。


感謝であり、感謝を否定する人だけは、距離をおきながら接するのがいい。その距離を置くことで、大事な人たちがその位置に入ってくることができる。


楽しく、楽しくね。


明日はやっと歯医者さんに行けそう

一日、歯が痛かったけど。


全体的にいい方に回り出したような、長かったけど、長かったほど、幸せ。


やりたいようにやれるようになったのと。


賢い人の中に入ったというのがあり、勉強したあたりから流れが変わりだした。自信ついたし、そもそも勉強するタイプの人。調子に乗るなで抑えられてるとこを離れた感じ。楽しい。


あの、バカでも元気ならいいとかいちばん苦手で、そういう人はいていいんだけど、明るく元気じゃなくても勉強してがんばるのが個性。音楽も勉強なとこあるから。


小さいとき、バカの方が可愛い、真面目に勉強して可愛くないと先生にいじめられたのがトラウマというのもある。暴力や痛みを伴うトラウマって強い。


土日は結構楽しくて。土曜日は写真撮影、日曜日はスタジオとライブ。写真も腕なんだなって。そこまで考えてなかったけどロケーションや撮り方まで知っている人で経験と技術と人間力、勉強なんだなって。


日曜日のライブはどっちかというと別ブログで書くとして。バロンさんにドラムセットじゃない形で頼むので、まずどういう音になるか試したら、めちゃくちゃ楽しかったです。


試行錯誤があるので多分ゆったり話しながらとなったけれど、お互いの考えとか、こうやっぱり音楽で面白い、いいもの作ろうというあたりで突飛な発想するとこが似ていて心地よくてたくさん笑いました。


適当なんだけど、技術的にははっきりしてまして。こんな音、こんな感じ、楽器を前にして話と音で進める、お互い似ているのは、自分の音を追っかけていいもの作ろうとしてきたとこで、他人の評価ではないとこ。


楽しくやりたいね、なんて、今までのスタジオと違う感じでした。


音楽って楽しむものだなと当然のことを思い出して。私が音楽に魅せられたのも、物心つくころ言葉がわからなくてもテレビの音楽に夢中だった、そんな頃、信念だなんだなんてない、観て、楽しいから真似する、そのままバンドの音、そして海外のHRに行って、どっちかというとギターの音に憧れる女の子だった。


ハードロックとかって、うまくないと楽しくなくて、プログレ的なとこになるとさらにテクニカルな面白さだったりして、バカでもいいとならないのは、私があまりパンク方向に行かなかったからだと思います。


バロンさんはパンクとか好きだったらしいけど、有名どこのジャズ聴きに行ったりしてる話を聞くと、ストレートなとことテクニカルなとこなんでもわかるから楽しいのだなと。


とにかく。リズムやグルーヴのセンスが聴き直すと素晴らしくて、おおらかそうな見た目で結構こだわる、それが暗い繊細さみたいのじゃなくて、細かいとこが私と違って雑じゃないという。


私が個人的にファンだから頼んでるのありますが。


あの、昼間に。ネガティブなことも思い出したんだけど、いろんなこと言われて、だいたい音がそっちのけで言葉で伝えるのが当たり前みたいな。合わないとこにいたのが、ものすごい苦しかったんだと思います。


表現といえば表現というのは、今回パーカッションで試した音で、バロンさんはバロンさんの音だなあって。表現ってそこで、私ももちろんそういう方向。


ピアノも歌も音。それって結構なレベルでできているから自信持とう、過小評価はやめようって思えたんです。


冷静に聴けば、かなりのレベルのものできてるから。


きっとこの先もうまくいく

穏やかな人と会えて穏やかになって新しい日を過ごしてる。


とりあえず怖がらなくなったのがいいことで、失敗してもまたやり直せばいいさって思えるようになりました。


手に入らなかったものがたくさんあるだけに、ちょっと早いけど余生、終活、やりたいことを今のうちにやっておく。捨てるものがなくなったのだとも思います。


いろんな不幸なことは、正義感とか正しさと価値観の偏り。正しく生きようというのはある程度必要なことだけど、正しさが価値観によって変わる以上、絶対じゃないこと、そして幸せがいちばんということ。


向き合ってきた人に出会うことが多くなり私は急激に変わってきた気がします。


下書きにしたブログがあるけれど、これも価値観正義感の話だなとか。


イスラエルが戦争していて、もはやガザ以外にも影響がでていて。やられたからやり返す正義に支持する人もいたみたいだけど、戦争ってその繰り返しなんで。


どこかで連鎖を止めなきゃいけないんだけど、それは知恵のある方がやるもの。


日本では。テロリスト許さないような意見だったけどISとハマスではちょっと性質が違うらしく、イスラエル側に立つとハマス悪、イスラエルの報復となる。


だけど。思うのは。イスラエルは第二次大戦のときにはなかった国なのだという、つまり戦争を国家としては知らない国なはず。もちろん祖先は悲惨な目をみている民族かもしれないけれど、国家としては存在しない。


そしてモーゼを信じるとすればなかなか過激な話だったりして、出エジプト記は私も歌詞で使ってる、神の残酷さを感じる文書だったりして。


イスラエルは正義感強いと思うし、正義感強いほど周りが悪になる、悪なら根絶やしにしていい、これは危険な思想。


戦隊モノの悪の枢軸みたいに根っこから悪意の人っていなくて、みんなそれぞれの正義で生きている。


下書きしたのも、実は女性で正義感価値観強い人って多いんだよねって話だったりします。


自分を振り返って、その正義感で幸せになっているのか考えてみることなんだよね。


敵の根絶やしは無理です。だからユダヤ人が絶滅しなかったというのは、出エジプト記を読み物として読んでみてください。


あれで聖書が本当に言いたかったのはそういうことなんじゃないかなと。


聖書は奥深いので、まだ読み取られていない真のメッセージがあるかもしれないです。


全てがわかるわけではない、人の力の及ばない、神、宇宙、そういう見えない力のことです。


人間は、生かされているので。


平和がいいです

何か、風向きが変わり。


身軽になったような。


自信回復をしたからだと思いますが。


今まで自分を過小評価しすぎていたから回復できると体がこわばったりしないんだなとか。先日もつい会話の中で自分を落とす癖があってやめた方がいいと言われたり、ありがたい。


過小評価というより謙虚でみんなに頭を下げるというのは、スクールのときの大きなイベントのスパルタ、もはやパワハラみたいな状況で身についたけれど、謙虚は必要だけど極端なとこがバランス取れたらという。


この謙虚にしてるのを勘違いしてくる人もいて、それは向こうの問題だなって。


スクールのスパルタはある意味合っていて、広く売り出すときには、たくさんの組織や個人が絡むので、ただ自分がやりたいこととか才能ではなく、周りの人あってのこと、なので中心に立つ人間は自分のことだけではいけない。


ステージに立つとき以外は、普通の人と思ってやってます。


それを勘違いしたのがモラ男くん周辺で、それで精神的におかしくなってたけどおかしくなったから取り戻したとこある。


私としては自分でわかっていたから苛立っていたけれど、自分の方がそこらの人間より経験も技術もあり、そこを技術じゃないって言われたら腹立つけれど、今考えると別世界なんで、それは勝手に身内サークルでやってねって。


ひとりじゃないと、言葉がないと、言いたいことがないと、なんて制約だらけの音楽って、自由になりたいはずだったので。それが別物とわかってよかったし、それぞれ存在はしていい、好みの問題だし客がつくかつかないかの話だったりして。


音寄りなアプローチなんだとわかって、最近する音楽の話でも数字がよく出てきて、どっちかというと理系アプローチなのかなと。サボテンって曲書いたけど、あの歌詞もパズルを組むような作詞の作業。


時系列かなとか。


それを気持ちのままにしろとか命令されるからイヤなんで、好きにするさって思うと楽になる。


もう、自分がやりたいようにやればいいって、最初からそれでよかった。


言いたいことがなくてもやりたいようにやればいいと思えたら。


誰でも言いたいことはあるはずっていう人はいるんだけど、自分の中にある感情はあんまり言いたくもないっていう。言ってもわかってもらえなかった子供時代があると思うから、言いたいことじゃない。


だいたい曝け出すと言って、言っていることが嘘や虚栄の人もいるのだから、言いたいことじゃなくていい。


なんとなく。讃美歌の、神様に捧げる歌みたいな、ソロはそういうのになってる。


そこにはそんなに決まりはない。ただ、音は周波数で決まりというよりは、理屈通りに音がなってしまうことがあり。先日ノイズを流しながら歌う時に、微妙な共鳴により鳴らしていない音が鳴っていたりして、波形とか、諸々数学的に計算したら理屈通りかもと。


それが不調和だと人体に影響があるので気をつけないと。そんなとこかなとか。


思いました。