睡蓮のひとりごと(仮) -2ページ目

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

もしかしたら解決する直前、夜明け前みたいなものかなと、考えがとまらなくなり。


お金のブロックというのがあり、緩めて洋服かけとフロアマット買ったのです。他に掃除用品とか。


洋服かけが思いのほか大きかったけれど、服が散らかる状態は良くなりそう。新居は収納が最小限なんでごちゃごちゃになっていたし、フロアマットは床が冷たくて寒かった。フローリング用のクリーナーが家具の再配置と同じタイミングで届いたので、スッキリ。


このレベルのお金のブロックがかかるとまずい、というか、お金の使い方がバランス悪かったなとか。


ちょっといいニュースではないもので、自分を大事に、というと、やっぱりしっくりこなくて、それって親を優先して親を大事にと言われてきたからかなと。


自分の体を大事に、とか、自分の心を大事に、とか。


毒親的な人は、悪気はないんだけど子供と自分の境界線が引けないので、自分の発想にないものは違ってると思ってしまうし、こだわりが強すぎる場合は世の中に出るとかなりズレてしまう。


あと、先日書いた正義中毒、自分が正義、教える、から支配の習慣がつくのでなかなか手放せない。


夫婦なら極端なものはどちらかが制御するんだろうけれど、制止を聞かない、もしくは制止できる人がこの世にいないと暴走して、やはり世の中とズレる。


指摘するとそれが耐えられないタイプだと、自分を譲って親の気持ちを考えるから、自分を大事にできなくなってしまう、実際今も自分を大事にできてないのかもと思ってしまうときがある。


世の中とズレる、周りに気を遣ってヘトヘトになる、このふたつがあると、結婚できないし仕事も安定しない。


何しろ子供が選ぶ結婚相手を自分が気に入った人にしたかったり、支配したかったりじゃ結婚できない、相手には相手の親もいるんだけど、それがわからない。純粋に悪気もなく、わからないだけ。


世の中とのズレ、あと不安と恐怖からくる爆発的な怒り、これだと仕事できないので克服して安心して仕事ができるように。


どうしても、自分を雑に扱う職場にしか縁がなかった気がするし。


だから、親を恨もうとか自分が不幸とかではなく、仕事してパートナーがいて安心して暮らしたいというだけの話だったり。


そのために怒りが必要だし、反抗期に普通はそういうのを学ぶんだろうと思うけれど、毒親あるある、子供に反抗期がない、反論は許さず叩き潰す、それだと自立できないという、本当にそういうことなんだな。


パートナーというとまたおかしいこと言い出す人もいるけれど、結婚=子供じゃないから。


先日の件で、やはり性的なことがとにかく苦痛というのをみて女性にはある程度そういう人がいて、男性任せで我慢して子供作る人もいるみたいだけど、それとも違うんだ。ダイレクトでなくても、ハグしたり笑いあったりして、励まし合って生きていける人。


家族っていうのも、笑いあったり、励まし合ったりする家はあるんだろうけれど、うちはご飯食べさせて生活させるのが親の役割というのがあり、あとは躾なので、安心できる場所ではなかったのよね。


ずっと愚痴と、あれダメこれダメみたいな会話ばかりだったので、そうじゃないパートナーがほしいです。


まだ、もうちょっとだと思うけれど。


自分を大事に

なんか世の中的なことは言わない方がいいとは思いつつ。


中居正広さんのニュースがたくさんで、やっぱり女性ながら女の人に恐怖を感じたりして、謝っても身ぐるみ剥がさないと気が済まないみたいな、お金を受け取ってからさらに社会に晒して悪趣味なエンターテイメントなんだろうなと、メディアは儲かるし。

 

裏があると言う人がいればまた叩き潰すような、悪者の味方すると許さないみたいな、以前あったな。


許さない脳の快楽物質、本読んでみようかな。


この裏というのが、本人のことか、日本のことか、はたまた世界のことかはわからないけれど。


知りたいニュースよりトップに出てくるのは間違いなく、これに騒ぐ人はそんなことばかり普段考えているのだろうとか思う。


ガザとイスラエル、ウクライナとロシア、北朝鮮が参加して、アメリカがイヤでも影響してくる、国連の制止も効かず今度のアメリカ大統領が何するかもわからない。


イスラエルの停戦に関しては決まった途端、停戦までにどれだけパレスチナ人を殺すかと、戦争とはこんなに狂ったものかと。もはや一日10人の人が死ぬなんて当たり前になっている。停戦決まったらやめるものだと思うけれど、その逆だった、リミットまでにたくさん人を殺すのだ。


ロシアもウクライナもマズいんだろうけれど、それでも兵士同士が闘ってる話で、ガザは無差別に人が殺される、いちばん弱い子供や女性を狙って、親や子供を目の前で殺されたそれぞれが何もできずに諦める。


ニュースの力がすごいのはイスラム教が先に手を出したように書かれて信じる人がたくさんいること。旧約聖書の話と歴史を知っていれば盲信はしない話をニュースの選び方によって盲信しているところ。


一日何人死ぬことよりも、中居正広さんの会見だなんだというニュースの方が多いのが不気味だし、こうして気づいたら戦争になっていたような話になるのかもしれないな。


正義中毒にしておいて戦争に突入すれば、相手こそ悪いと若者を戦地に送ることが正義になるのかもしれないと思うと、知って踏み止まることが必要とは思う。


あと。性の問題とか一方的に男性が搾取するもののような女性の被害者意識を強調することはすなわち女性が自立する権利を自分たちで放棄することなのだということは理解しておいた方がいい。


あまり細かいことは言えないけれど、私が女の敵になってしまうことがあったので、憶測で周りを巻き込んで身ぐるみ剥がして社会的な死に追いやるというのに見えて仕方ないので、こないだも昔の話が5割くらい嘘で作られていたのもわかったし。こういう話は相手が反省して立ち直る芽を全部摘み取るのが快感になるので。死ぬまで苦しめという私刑の終身刑だがそこまでの権利はあるのか不明。


キリストが悪いことをした人に石を投げる人に対して、「罪を犯したことのない人だけがこの人に石を投げなさい」と言った話があったと思うけれど。人が人を罰するのには見失うと際限がなくなるのは人間の本性、理性で抑えるのが人間。


キリストの十字架であり、日本人もイスラエル人も似ているのかもしれないというどうでもいい話。



さっきのがとめどなくなったので。


真面目な女性からみるとお化粧とかオシャレをする女性というのは浪費家で不真面目みたいに、それに比べて正しい私!というのがあったりして。


ひたすら倹約こそ賢い主婦というのは実は戦中戦後に国がお金を集めるために銀行や郵便局への貯蓄を推奨したのに乗せられただけで、必要な分は使わないと回らなかったりする。


質素な身なりも倹約も世間体であったりするわけで。


相手に気持ちよく過ごしてもらうための自分のおめかしというのはあったりします。清潔にするというのは基本中の基本だとは思う。


数日考えていたのは、母が「喜ぶかなって思って」とかプレゼントを選んだりすることがない、私だけじゃなく、人様にも、お金で済ませたりして、ものをもらってもお金じゃないってグズグズ言っていたりしたこと。


これって可愛くないんですよね、バレンタインが近いけれど、相手の喜びそうなものをウキウキしながら選んでそれを楽しむ、バカバカしいとか言われそうだけど、これも人としての成長だったりして。


今から学んで経験するよう自分自身でやってみようとか、今までもやってるけれど。理解しながら。


お金のブロックを外すような試みをしているけれど、別にオシャレとかってお金だけでもないので、たとえば手ぐしで髪の毛を整えるだけでも違ったりはして。


でも書きながら、やっぱりお金を使うことに禁止は多かったのだなと思う。


お部屋を暖かくしようとか収納しやすくしようとか、その度に買うのをすごく悩んだりするけれど、「風邪を引くより予防した方がいい」っていう一般的な考え方が感覚的に抜け落ちて、「風邪くらいひいても風邪薬で治るから買わない方がいい」というのが習慣だったりして、やはり育った環境がちょっと変なのだと書き出しながら考えを修正していたりする。


使ったらなくなっちゃうんじゃなくて、働いて稼ぐのは自分なのだ、と、以前の職場のお友達の話を思い出す。健康じゃなければ、というと語弊があるけれど、自分が精神的にも身体的にもエネルギーがなければ稼ぎ出せないということ。


なんでこの歳まであんまり考えないできちゃったのかと思うけれど、子供のときの家庭内のバトルで子供の自分は母の味方だったのだと思うし、小さくてわからないながらも尽くしてきたけど母にとっては子供が尽くしていたのがわからなかった、いや、いまだにわからないんだと思う。


周りの人がしてくれることもね、わからない。


猫とか犬、特に猫は言葉を喋らないから感覚的に人を見分けたりしてるみたいだと最近思う。おばあちゃんが猫を飼っていたわけではなく、野良猫が居着いて毎年子猫を連れてくるからたくさんの猫に囲まれていただけで。


前の家の地域猫と仲良しだったけど、エサくれるからじゃなくて、人間をみては寄っていくという。


人間に投影してエサくれればと思う人がいるけれど、あんまりエサに見向きもせず、遊んで、と寄ってくる猫は結構いる。


多分私が猫大好きだから、この人は自分をかわいいと思ってるから近くに来てくれるんだと思う。


人間もそうかも。どんなにお金をもらえても酷い目に遭わせる状況だと体を壊してしまうのね。


自分が気づいて変わるためねブログだし、安心して生活できるようになれば考えごとも減って、いい思い出になるのだと思う。形はどうあれ安心して幸せに暮らせる日がもうすぐくると信じること。


叶うと書いてしまうのがいい。


叶う、必ず。

昼間にしょうもないことを考えていたけれど


毒親になってしまう母親についてはモテない女子だなと思って、検索が上手くなったので、結構多いのですね、毒親連鎖でいけばモテない女子に育てられて本人のせいだけではないが、時代が変わったのでモテないなら頑張るしかない時代になった気がします。


ある意味真面目なんだけどズレてるんです。遊ばず家にまっすぐ帰って勉強するのがいい育て方と思ってるんだけど、友達とか恋人とかは遊んでいて怠けていて禁止しなきゃいけないという、裏返せばそれで親から褒められて、結果的に友達いなくて旦那と仲悪くて子育て以外しなくて最終的に子供に依存する、頑張ってきたからなおさらだったりして。


親が結婚させるとかお見合いさせるとかの時代で真面目に恋愛しないで結婚しちゃうと何を言っても一緒にいてくれる家族に依存してしまうんだろうなって


意外と旦那さんの方が奥さん愛して大事にしていたりするんだけど。


という感覚があるのは私が女性にトラウマがあるからかもと思います


歳をとった女性でもある意味自立しなきゃいけない時代になった分、大変でかわいそうだけど突き放していいと頭でわかって、でもどこかで突き放すのはかわいそうと思う私もいて兄に押し付けてはいるけれど、どうなんだろ。


恋愛しろとは言わないんだけど、ご近所とかで友達つくるとか、趣味の集まりにいくとか、家族以外の関わりは持った方がいいけど、すでに友達に失礼なことを平気で言う性格が固まってるから、「仲間はずれにされたー!」って帰ってきてしまうのは、帰ってくればなんでも聞いてくれる子供がいるからだったりして。


だいたいネットの話で出てくるのは、子供が成人して旦那に先立たれたあとの話なんだけど、それでいうとうちは早過ぎた、逆に40代、50代ならいくらでも友達作れたのにやらなかったというのはある。


お母さんかわいそうにと言われることはあったけれど、おばあちゃんは友達たくさんつくって猫もいっぱいいて、事情で母が養子のような形で子供産まなかった人だからというのはあるけれど、依存せずに良い関係、その中で孫として育ててもらったから、で、おばあちゃんと母が仲が悪かったから子供ながらに混乱した人格になったのだと思う。


今からでも変わろうと思っているからこれを書いていたりして、人に優しく笑って接すれば頭が良いことより人も猫も寄ってくるわけで。


人が笑ってくれたり、お話してくれることを幸せと思える人が周りから喜んでもらえる人だったりする。


私も職場で揉めたり、訳の分からないトラブルに遭ったりするけれど、どこか母を受け継いでしまうからだと思う、そういうときは感謝が足りないから感謝のない人が寄ってくる、感謝のない者同士は助け合わない奪い合いで自然の摂理に合わないのだよ。


反省だね。


一度親を疑う必要があるのは何かしら自立して生きていかなければいけないからで、毒親話のパターンが、今まで反抗期のなかった子供が突然豹変して裏切ったって話。反抗期のない素晴らしい子育てをしてきたはずの私が今更なぜって聞いている。


本当は反抗期は必要で、親子は恋人ではないので。精神的に親から離れて自分のパートナーを見つけないといけない、特に親が結婚させる時代ではなくなったからなおさら。


あとは、そういういわゆるいいお家のおばあさんたちは、昔は弱ったときに嫁や娘から同じように「黙ってなさい」と自分に返ってきていたのよね。今は老人がやり返せるだけ経済的にも身体的にも元気だからバトルだったりする。


私はまだ生き方変えられるからね。人に優しくしていきたいです。


精神的に安心することが大事で、数日眠れなかったしネガティヴ繰り返していたんだよね。


浄化、自分自身ではできないんだけど、人に助けを求められるようになったのだとは思います。


あとは運動した方がいいみたい。


うまくいかないことがあり実は一日半くらい寝込んでからサイクルがおかしくなり。


毒素を出している人はいるので、うまくいかないときは実は毒素から離れるときだったり、一時的に運が離れたようにみえてもステップでしかない。


あとは、別の情報だと解決するのかもしれないし。


まあ、相性が明らかに悪い時は離れて生きるのがいいんだけど、無理につっこんできて相手を正そうとする人、断りゃいいのにやってあげちゃう人。


いろいろ、離れるにもエネルギーがいるので、そのエネルギー消費を受け入れるか否かであったり。


どうにも気分転換したくて。オトシンネグロが飼いたくて見に行ったけど、思ったより高かったのでやめた。


あとは化粧品売り場で次回購入品の検討でお試しとか気分が変わる。予定が変更になったりして、計画でしかないのでこの時点での出費はない。


ケチというのもあるけれど、余計なもの増やしたくないのと、生き物は飼える自信がつかない時はやめとく。


体が楽になったら気楽に構えていればいいとか


眠たくなった。いいことだ。