睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

何か、ずいぶんとよくなってます。

 

長年鬱だったと言うのがやっとわかってきて、仕方ないとも思えました。

 

ご近所に買い物に行って迎えてくれる人がいて変わってきた気がするのだけれど、人生でたまに、気が合って気に入ってくれる人がいる。その安心感でいいのだなと。

 

風邪を引いてしまい。どちらかと言うと「うつしたら悪い」と言う気持ちでマスクしていた。

 

心配してくれて、ちょっとした物をもらった「元気になってね」って。それだけで元気になるのだと。

 

運のいい行動の本に書いてあった、他人の幸せを祈ってくれる人、近所がそう言う雰囲気に満ちている気がして、やっとわかってきました。近所の雰囲気で、子供の頃を思い出して、ちょうどいい本が見つかり、さらに行動を変えているというところだろうか。

 

あとは、ちょっとした気に入った物を買ってみたら天然石とか私には効くような気がしますが、最初は否定する言葉がたくさん聞こえた、そんなの、お金が勿体無い、これを振り切る行動を何度かとっているうちに解除されたようにも思います。

 

家庭は、密室。あと、女性同士の人間関係って、本当に危険人物だった場合、やんわりと人が離れていくものだ、うちの母の場合はそれ。空気読めずに突っ込んで揉めることがあるので人が離れる、離れると子供に依存する、もともと遺産絡みで私が生まれたくらいから揉めていた時点で、薄ら何かおかしいと思っていた人はいたのかも。子供だからわからなかったけれど。

 

猫が安心できる人にスリスリする動画をみて、これかもと、ちょっと体験する機会があり、スキンシップが欠けていたのだとも思う。私がそう言うのがあまり好きじゃない子供だった気がするけれど、それって子供の時からみんな意識して自分から正しい行動をとるのかと言ったらそうじゃないんだと思う。常に、揉めてたんじゃないかなって。

 

何か。甘いと切り捨てる人が周りに多くて、自分が引き寄せていたのかもとも思うけれど。

 

そう言う人って言いたいだけで中身なかったり、肝心なところでは助けられなかったり、下手するととんでもない要求を出してきたりしてきた。それは、断るべきだったなと思う。

 

母親について、疲れて一度もう意識から排除したい気がして。嫌いになるとかではなく、人間だから間違うこともあるし、一人で全て決められればおかしい判断もする、そこを引き継がない。あまり社会経験があるとは言えないので、無意識に引き継ぐと周りに悪影響な習慣がいくつかあるんだと思う。

 

指摘したことについて掘り下げて考えられるのが思考の忍耐力なんだけれど、指摘されると否定されたと思って攻撃し始めるので、離れているのも別に冷たいわけではない。むしろ、大事にしすぎた結果、思い通りにしてくれると間違った形で記憶されてしまったのかもしれない。自分のためなら喜んでなんでもしてくれる、共依存関係だったなと。

 

アルコールの悪い習慣が長年続いてしまって脳に影響があって認知症のような行動だったようにも思って。それで言うと、私が昨年くらいから、お酒をやめたというより飲めなくなってしまったのでいいことなんじゃないかなって。私自身も発達障害のような傾向がないとは言えないので、そこにアルコールというのは良くない作用をする気がします。もはやノンアルビールでも胸焼けとか吐き気を起こすほどになるとは思わなかったけれど、心身ともにもう少し回復すれば飲めるかもしれない。

 

ビールしか飲めなかったからビールをやめたんだけど、もう少しいいお酒を少しだけ、美味しくいただくような大人の飲み方ができればいい。飲んで場が盛り上がると言うことさえわかっていれば飲めなくてもいいようには思えてきた。私が若い時は付き合いとしては飲めた方が偉い人と仲良くなれて仕事には都合がよかったけれど、今はそこまで無理して飲まなくてもやれる気はする。

 

どうやって生活できているのか、詮索してくる人も避けていいと思ったけれど。母が作った金融商品をまるっとぶんどった罪悪感があったけれど、これができたのは、父とおばあちゃんのおかげもあるので。そうじゃなきゃ、私と兄が大学を出た時点でなくなっているはず。本当にないのだと思って頑張ってきたけれど、気づいたらそうでもなかったと言うことなので。

 

期待してないから頼らなかった分なのだと、早く立ち直るようにと少しずつ使っている。

 

少しずつ人間関係が変わってきたので、行動を習慣化して慣れること、そしてそういう職場に行けるようになること。音楽頑張ってきたんだから、そこまで諦めなくてもいいのではとも思う。フロントは正直年齢的には厳しいですが。

 

と、書きながら、まだ考えるだけで何もできない状態です。どこからが鬱だったかわからないと考えると人生のほとんど。毒出しは思ったより時間がかかるのかもと。ちゃんと計算した上で休める限りは休んでいます。

 

そんなでいい。

そろそろ、戻りたいなと思いながら。

 

書いたり消したりすることで整理はついてきている。

 

どうしてもYouTubeをみてしまうのは、そろそろ音楽に切り替えないとだけれどなぜか怖いというのはあります。

 

2chまとめに行き着いたところでさらに楽になったところがありますが。

 

明らかに話が通じなくて自分が正しいと思っている人、これが発達障害傾向なのか、ナルシシストなのかという感じだけれど。いくつかの話を総合すると、親の親が育ててないんじゃないの?って部分もあり。

 

なんであれ。母の教育が違っていたと言う前提で動いた方がうまくいきそうということで楽になっている。

 

2010年あたりから2chでやっていたものが当たっていて、この時代ってまだ今ほどパソコン買えなかったという気はする。一度にたくさんの人がいるところに相談できるので常識のすり合わせができていたということ。

 

リアルには。いまだにそうだけれど、お母さん大変だからということで、「母親に問題がありそう」と問題を相談しても「大人なんだから母親を持ち出しても仕方ないでしょ」となる。コーチングとか支援機関があまり役に立たないよねって、下手したら子供にとっては悪い方向に行ってしまっているのではと言う気がする。

 

私の場合は、いろいろ書いているように、母を育てた親ではなく、事情があってのおばあちゃんと同じ敷地に住んでいたので。はっきり言ってお医者さんに説明しても難しすぎる話だったのが却ってラッキーだったという気がします。

 

それを、まだ何もわからない幼児のうちから混乱するようにしているのがわからないとか、母方親族がみんなそうなっている時点で「共感性がない」状態で、それぞれがそれぞれ「自分は被害者」みたいな自分のことしか考えていないような状況が発達障害傾向なのかと思ったり。みんながみんな勝手なことを言っているというのは東京の下町の地域性のようにも思う。

 

ずっと問題が解決していなかったのは。お金の面で握られていたからで。長いこと知らなかったから自分でやっていくつもりだったけれど、変な話が続いた結果取り戻すことができたこと、それがすごく罪悪感だったけれど。

 

これは非科学的な話になってしまうけれど、名義を勝手に使われていると生霊をもらってしまっている感じになるのかなと。もうどうにもならないから少しずつ復活のために使えばいいと思ったら、自然とお掃除したり行動に気をつけたり、あと、自分の環境を整えるためのものにお金を使えるようになった。

 

自分が変人だから、会社員として働くのは嫌だって思っていた。非常に変わった人と見られていたけれど、今になればその感覚で良かったんだろうなと。父親が歯科医で独立していたから、どこか組織に属したとしてもチャンスがあれば独立できる仕事がいいと思っていて、それを相談するところがなかった。投げやりで死ぬつもりでボーカルスクールに入ったのは、ある意味アリだったなって。最初からそんなぶっ飛んだことを考えていたわけではない。

 

そこで。まだ高校生だから可愛いと周りに言われたのと、あと、それにしても変わった子と言うのもあったので、先生がついて指導されることで、「あなたは努力して次のレッスンにはマスターしてくる子」「もう少し、お化粧とか気をつけた方がいい」とか、今になれば必要なことを仕込んでもらえたなと。あと、音楽があったのでバイトでフルタイム的な働き方をして、そこでも非常識なところを散々指導してもらえて。母親は、遊びに行っているとしか思っていなかった時間に情緒的な育て方は周りにしてもらったところはある。

 

今話すとほとんどの人が信じないけれど、本当に人と喋れないような状態。それでつまづいたのがオフィス電話。これが話せるようになっているから、周りに育てられた感はある。当時はその時代だけ、非正規でもおかしくない時代だったのでそれでもきちんと教育してくれていたという気がする。

 

おそらく。発達障害の人に育てられた何かはあるのだろうと思う。その分厳しくされることに耐えられたので、ああ、あの人困っているかなとか、それこそ、おばあちゃんがお風呂長くて大丈夫かなとか、そういう察し方はできるようになったし、そこで一命取り留めたことは良かったと思った方がいい。そこが、見つけなかった方が良かったという親族がいるのがおかしいところではある。

 

良くなってくると当たり前になってしまうけれど。長年重度の躁鬱で、最後の仕事では感情が全くコントロールできないとか、睡眠障害なのに無理をしたりということがあって。休んで回復するべきだったと。周りが大変だから。

 

お酒も。ここ数ヶ月飲まなくなり。無理にやめたと言うよりは、体の機能が落ちすぎて胸焼けしたり気持ち悪くなることが増えたから自然と飲まなくなった。私にとって、お酒は邪気になるかもと。体力が戻って歌って汗をかいた後だと意外と変な酔い方はしなかったりする。母の場合は。飲み方自体も自己流だった気がする。お酒の失敗で叱られたり学んだりすることがなかったのと、私が未成年の時はそんなものかと思っていたので。無理しないで救急車でも呼んでしまえば解決の糸口はあったかも。こじらして修復不能になる前に、私からおじさんに連絡できたかもとか、今考えてもどうにもならないけれど。

 

自分はおかしくて周りに迷惑かけているのではとはいつも気をつけてはいて。それでもそれなりに友達はできたりするし、特にこちらにきてからパン屋さんに行くのでたくさんおしゃべりしてくる。近所だから適当な格好だけれど「ちゃんとしているから大丈夫よ」って声をかけてくれるので、あとは周囲への恐怖感だったり躁鬱の発作が落ち着けば社会に出たいとは思う。

 

その強迫的な感じがあったから、歌と作曲あたりでは突き詰めてやりきったところでおやすみとできた気がする。

 

おやすみではなくて予定を入れていないだけなので、条件的に折り合いがつけばお話は受けられるようにスタジオには入るようにしている。

 

ずいぶん、気持ちに整理ができたなあって。

 

今月中には、溜まったお写真だったり動画の曲目とか今更だけどやってみようと思います。

お医者さんに行って話してきて。

 

やはりややこしすぎて時間は足りなかったです。

 

コンパクトに説明できなかったけれど、コンパクトに説明できない内容だったと仰っていただいてそれだけでも安心しました。

 

また小出しにとのことなのですが、話せなかったこと。

 

私が家族から「あなたは世間知らずだから」と意見を一蹴されてしまうこと。

 

決めてあげたから、あげるからと言って、当然の落とし穴にハマるわけだけれど、警告出していた話は忘れるから毎回同じことをする。

 

なんであれ「決めてあげる」「選んであげる」は、はっきり言って「〜してあげる」と言えばなんでもそうなってしまうので、ありがたくもなんともないのですが、その口癖がある。離れた方がいい。

 

これが子供の頃からずっと続くと。外の世界でも「私の話はどうせ聞いてもらえない」っていう感覚でいるから主張できずに失敗する。これの繰り返しだったような気がします。

 

だから歌だったのかなって。特に最初は「他の人が作ったものを歌う」だったので、人の言葉を借りればいいという方があっていて、歌詞を解釈されるのが嫌いだったりする。

 

今は、予定を入れていないけれど、続けている時の方が「いつ干されても仕方ない」とは思っていたかな。

 

その時に。演奏的にちゃんとしたものをキープしていれば、急にチャンスがきても演奏できる。逆に井の中の蛙で調子に乗るとその時点で演奏は落ちるという感覚があった。

 

とにかく。生活を探られたくないので、ノルマのたくさんある話だけはお断りさせていただいている。

 

あとは、最近ちょっとおかしかったのは、怪しいお金が流れていそうなところ。なんでも現金がそれなりならいいだろうという話だったけれど、あまり額が増えた時にはきちんと申告したいので。そこを税金なんか払うな的なことを言う人のお金は受け取りたくない。

 

払えたら払った方がいいと最近は思っている。何より確実に困っている人に回せる寄付なので。

 

一部その払うな的な人の話で、政治家が持っていってしまうような言い方をする人がいるけれど。それ以外に税が何に使われているかというところでいけば。失業保険なんかも一部税金が入っているという話、道路工事も、警察も、区役所も。特定の団体の寄付だと中抜きがあるとか聞けば、まず税金、そして被災地公式の寄付。

 

そんなのが払えたらいいなと思うので、簡単な帳簿はつけてます。もう少し使いやすくフォームを変えたりしたいなって。

 

何をやるべきか、で、止まってそのままダラダラなんだけれど

 

とりあえずケータイにあるモチーフを作品にする、できればそれをパソコンのソフトと連携させて仮のアレンジができて、HDに保管できればいい。この、パソコンプリセットのソフトが私にできるのかが疑問だけど、早くに方法を見つけられれば家でいろいろ作業ができる。

 

とにかく、YouTubeの情報は有用ではあるけれど、それだと作業の挑戦が怖くなる。なので、やれと。

 

このブログで書いておく。

 

何か、コストのかからない部分でできることを見つけたら、都度挑戦するつもり。

 

何より。放置してあるワンマンの映像を勇気を出して再度確認せねばならぬ。

 

勉強もしなきゃだけど、まずは好きな方から。一人だと誰にも否定されることはないので、やれたらやる、やってできなきゃ時間がかかる、それだけのこと。

 

いつもは長いのだけれど眠くなってきたので寝るつもり。

 

政治とも音楽とも関係ない話で今日好きだった動画。

 

フランスに行っているメイショウタバルというお馬さんの動画がめっちゃ可愛くて満足。競馬どころかギャンブルは私はやらないんだけれど、タバルは一回買ってみたい。なんなら実物見てみたいとか思うようになった。あと、誘導馬さんがみたい。

 

趣味が増えるのはいいこと。競馬好きなかたがいらしたらお誘いください。入り方もわからないので。

 

 

なんとか整理したことを書こうとするけれど。

 

自分の事情を書こうとすると怖すぎて、誰が見るかわからないところに書くべきではないだろうとは思う。

 

明日が通院なので、話せるところまでお医者さんに話そうと思う。

 

 

今日。とにかく空回りだから休もうと思って横になっていたら。

 

18歳までは子供だよねって思った。特に。義務教育までは子供として扱っていい。

 

中学生は大人と同じなのだからと言われたけれど、精神的に限界はあるし、世の中の知識、お葬式とかお寺とか、そういうものまではわからないの当たり前でいいと思った。

 

もっというなら、無抵抗な老人も労われという話です。

 

 

あの、子供だろうが老人だろうが、人のものを盗む、壊す、人を傷つける、これに関しては怒っていいと思う。子供が無駄に走り回るのは怒らないといけないのは、転んだり、怖い人にぶつかったりした時に危険だから。お店の中では、商品が行き交うから全部ダメにしたら弁償で、そういうのは子供のすることだからでは済まさず、誰かが責任を取ることは教えないといけない。

 

そういうことはしていないので。おばあちゃんもね。

 

 

それ以外で、他人の子供がその辺歩いていたからってこちらが優先ということもないし、困っていたら助けるし。あんまり子供が可愛いという感覚はなくなったけれど、猫とか可愛いから許す、の範囲で、ご飯あげたくなっちゃうし。

 

ご老人も、困っていたら助ける。人を押し退けてくる老人には容赦しない。それ以外なら。

 

基本的には、助ける存在という基準が私の中にはある。

 

子供が苦手になったのは。一部やはり、その最低限の躾を怒る親が増えているからというのはある。

 

近所に、大学と中高一貫校があるけれど、やはり微笑ましく見ているし、どちらも私立なので道を占領したりしないから賢いなって思う。たまに黄色いおしゃべりが聞こえてくるけれど、それはそういうものだよなって。電車の中とかでなければ。

 

 

全体的にイヤなタイプって、年下と見るとマウントとってくるタイプじゃない?って。それを自分の子供にしているとしたら、それ、単に性格悪いだけでしょって思う。

 

以前。年下の人に「私がこの中で一番年上ですよね」と言われて内心ムカっときたのだけれど、わかるまでは自分が一番年上と思って偉そうに振る舞っていたんだよね。こういうの表は取り繕っても失礼な人が多い。

 

いや、なんで勘違いするかわからんというくらい、私としてはわかっていたし、自分も年相応だよねって思うけれど。基本的に身長が低いので肌が劣化していても背の高い人には若く見えるんだろうと思うけれど。3歳年下だった。

 

年上か年下かはどうでもいいんだけれど。何かしらで上か下かで設定して、下と見るとマウント取る人ってナルシストだったりする。下であれば親切にする、上であれば敬う、同等であれば同等。ノーマルはこれだと思う。

 

無抵抗で、なんならちゃんと挨拶ができる子供であれば、親切にする対象なのであって。だから、子供のうちは親切にされていいということ。

 

 

必死でこれを考えているのは。解決するたびに自律神経の乱れがよくなるということで。

 

睡眠のための「自立訓練法」が全くできなかったのだけれど、重心が下がる感覚わかってきた。そうなると、ずっと肺の辺りに力が入っていたのがわかったし、肩もいくぶん楽になる。

 

以前、キャリコンの資格のある人に「肩の力をまず抜きなさい」と言われたけれど、おそらく肩の力を抜くには何が原因かをはっきりさせないと無理です。「抜きなさい」と言われて抜けたら、最初から力なんか入りません。ちゃんと守られて助けられて育った人かそうでないか。だから「ただ力を抜きなさい」と言うだけの人って、わかってないくらい恵まれていた人は多いんです。

 

 

「毒になる親」も、昨日ちょっと読み直したら、原因不明の頭痛とか体の痛みがきっかけとか突然動けないとか、最初はこれがきっかけらしく。大人になっても親の影響が強い人が多いからこの本を出すきっかけになったということらしく。元々スーザンフォワードの経歴はカウンセラーで、このきっかけがなければ個人のカウンセリングが本業。作家とか研究者ではない。

 

アダルトチルドレンという言葉も。最初は本当の子供でアルコールや薬物依存の子供を治療しているうち、成人している人でも治っていない人は対応が別になるので「アダルトチルドレン」となったのを何かで読んだ。

 

子供の時に誰も対応しないまま成人してしまってから発覚したというパターン。

 

 

子供は子供として、対応してもらっていいし、できなかったら、「自分は18歳までは未成年だったんだから、大人と同じことをできなくてよかった」とそこまでのことは失敗してもいいと許すことかなと思う。

 

楽曲でインナーチャイルドというのを作ったけれど、あの時は、はっきり言ってわからないから「愛してる」と口にしていればいいかなと。それだけを紙に書いて楽曲は別で書いた。なので書いた当初は「愛してる」だけを連呼するような形で、何が言いたいというのはなかった。これを作ってからが苦しみではあったけれど、この曲でたくさんの人に出会えて、いろんなことがわかったという後付けだったりする。

 

何かを伝えようとか思って歌詞をつけるわけではなく。そもそも自分の気持ちは見られたくないので、楽曲に納得行ったときにイヤイヤ歌詞を書き上げるというパターンが多い。そのあとで意味が繋がる曲の方が残ってくれる。

 

自分で書いておいて、何年かしてから、ああ、こういう意味だったんだ、みたいな。

 

インナーチャイルドについては、一生解明が続きそうですがね。

 

 

昨日、何度か書いては消していて。

 

おそらく、非科学的なものは信じてはいけないというような圧をかけられて育ってきたんだなって。

 

ここ数日、体の緊張が抜けて楽になりつつある寝起きで思った。

 

「幸せって概念、科学的ではないよね」って。

 

 

なので、盲信ではなければ、どっちかというと神様は信じたほうがいい。そして、神様は自分の中にいるということ。

 

近所の小さい神社に行くと、中に置いてあるのは鏡だったりする。なので、神社を拝むのは「心の中に神様がいる」ということなんだと思う。

 

幸せが科学というのはできるかもしれないけれど。信じてはいないけれど、幸福の科学という宗教が書いてあることが部分的に合っていたりする。長男自ら金集めと批判して絶縁しているので、実の息子から見捨てられている時点で幸福ではなくなったということだ。

 

おそらくは。普通の家庭の普通のお母さんは非科学的な部分は多いと思う。料理も勘所だし他の家事も勘所。

 

頭がいい=科学的、とどこかで思っていたのではないかなって。

 

東洋医学とかマッサージのほうが副作用はないのだけれど、どうも薬を飲ませたがる母だった。

 

なので、それに近い形で。スピリチュアルに近いものは片っ端から否定していて、そもそも相手が幸せになることを否定してないかと。

 

こう考えたら。自己愛の人たちが周りに教えてあげるというのは、幸せになるためではなく、正しくなるためじゃないかなって。それだと拒否されますね。で、よくわからないけれど気づくと嫌われているという状況でさらに被害妄想ループをしてくれてしまう。

 

自分が正しいと思っている人、そしてそれを固定するのが早い人ほど、知る力が落ちる、なので被害妄想が強かったりする、これが家族にいると、世の中の変質者に気づけないというループだった。

 

 

幸せは、科学的なことではないし。正しいからといって幸せになれるわけではない。

 

幸せになることが重要。

 

間違えないようにいつも緊張しているから動けなくなったんだし、自律神経が乱れてしまったので、ただ、早めには取り返したい。

 

特に「幸せは非科学的でもいい」というところをメモっておきたくて書いてみました。