睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

ずいぶん良くなってきてはいるのですが。

 

久しぶりにちょっと調子を崩し、くるのが一瞬で怖いのですが。

 

大体そういう時に列に横入りされたり横から手を出されたりする。ちいさいから。

 

前ほどどうしようもならない状態にはならないので。疲れているんだなとビタミン剤を買って帰る。ちゃんと食べる。食べ過ぎではあるけれど落ち着くまでは、食べないことよりは食べることを優先する。横になるのを責めない。イライラするのも責めない、そんなところだろうか。

 

無理をしすぎて。完全にエンプティになっても走り続けてしまった、なので充電して動くのですが、エネルギーの予備が今のところないので、充電しても使い切ってしまう状態。うつの治療の動画なんかでよく見るのですが、頑張ってもある程度エネルギーが残っている状態で充電に入る、というサイクルに入れば普通に生活できると考えてます。悩むとその分エネルギーも使ってしまいますので。

 

いままでも少し動いては失敗してきたので、休んでいると言えば休んでいて、1ヶ月くらいで回復できればいいなあとは考えていますが、諸々の処理でもう少しかかってもなんとかなるという状態にできたので焦らず。

 

諸々の処理で。おおかた内容はわかっていてそのままでも良いかと悩んで思い切ったら悪い霊が離れたのではないかというくらい変わって、ひどい状態に落ちる前に「これは疲れだ」とか「今日は考え過ぎている」とか「寒さだ」とか「空腹だ」とかそういう認識ができるようになったんだけど。

 

よくわからなかった体調不良も自律神経失調症だったのではないかと。常に不安で緊張状態で交感神経優位、常に威嚇している状態だったので仕事もうまくいかない、一人で仕事をしているのに不安で攻撃されているような妄想のような状態でもあったんだと思います。しかし内容がわかっているという意味ではなぜこんなに変わったのかは不明。

 

発端が父が亡くなった頃なので。何か父がいない分受け取って良かったはずのものが受け取れなかったということなのかもしれないです。その分助けてもらえていれば良かったのだけれど。精神的にはお悔やみ的に慰めてくれる人が誰一人いなかった、むしろ助ける側に回らざるを得なかったというのがすべての運を奪っていたような。

 

ここ数年の悪化からすると。前の部屋の間取りが悪かったとかそんな気もしますが。5年で3人、発狂している人を見ましたので。ベランダを開けると建物の合間が歪な形をしていて。きちんと植物なども植えられているのですが。最初は向かいのおばさんが叫んでいて、次が2部屋となり、こちらは本人が張り紙に書き込んでいた内容からも重症の統合失調症と思われる、最後は隣に建った戸建ての外国人の奥さん。こちらは正常なんだろうけれどヒステリックで日曜日の朝から大声で夫婦喧嘩をしているという。

 

今は。ちょっとだけ高いけれど。部屋は長方形、ベランダも広くて長方形、いわゆる普通の形の家なので。部屋の中が狭いのであまり選ぶ人はいないだろうけれどとてもいいお部屋。

 

療養として。考え過ぎてしまった時にベランダに出ると。地味な作業でも心が落ち着くというか。今日は土をふるいにかける。冬の間に鳥やら土の中の虫やらに相当齧られて悲しい状態になっているので。園芸についてもYouTubeでいろんなものが出ているので。土をふるいにかける動画を昨日やっていたので真似してみた。ふるいはないけれど似たもので。土に触るだけで落ち着く。

 

以前の家と違って、数種類食害にあったところで植物はたくさんあるので。それぞれ状態が違って落ち込むばかりではない。一番状態が良いのが昨年200円で買ってきた白いミニバラのアイムーン、昨年春に買って蕾がいっぱいのクレマチスペトリエイ、この辺りは元気の元。ヤグルマギク他一年草たちは、こないだ雪に当ててしまったためちょっと弱ってしまい茎はしっかりしているので折れた葉っぱなどを整理、あと半月はかかるかの休眠中のハーブ類、それでも微妙に新芽が出たりして、枯れた昨年の葉っぱなどをそのままにしていたのでそれを整理。自然に任せたほうがいいのかと思ったけれどこういうのは手を抜いてはダメ。

 

いつもやってしまうとやることがなくなるので、自分の体を治すペースでやっているくらいがちょうどいい。

 

冬の間に珍しい種をメルカリで安く集めたので。3月初めには種まき第一弾をやれるかな。

 

食べられてしまった葉っぱに関してはおそらくはヨトウムシ、どんどん食べてしまいそうなので動画でおすすめされていたゼンターリという農薬を導入予定。そのうちいなくなるかと思ったけれど気に入ったものは根こそぎ食べてしまうので。日照とか環境とかで決して園芸向きではないことはわかっているので。それにしてもメンタル的な効果は非常に高いです。

 

私のメンタルが崩れたのって。もしかしたら実家の庭がおばあちゃんのものではなくなってしまった頃からなのかな。そこから取り戻している気がします。

 

なんでもお金に換算するのは良くないなと思います。

本当に、一つ片付けたことで悪いものが落ちたようなそんな感覚なので。

 

罪悪感なく良く眠るし以前ほどの悪夢もみなくなってきた。いい夢ではないけれど恐怖ではない。お野菜もよく食べるし一つ一つのことに罪悪感がない。

 

なんとか生活していかないといけないんだけれど、罪悪感があると何か嘘をついているような雰囲気とか相手を信用していない感じになり自分も信用されない何かになるんじゃないかなと。人に雇われる以上はそこはいちばん見られるところだから変化の入り口、いまの普通の感覚をしっかり自分に身につけていくことだと、頑張らなきゃだけどそこまでギチギチではない。

 

正直に周りに感謝して笑顔でいるようにするのがいちばん。

 

もう親のことを思い出してもトラウマ反芻的なことはなくなってきているけれど、これが周りと調和するという考えではなくとにかく優秀であれば仕事はやっていける、頭がいいこと、学歴があることを盲信している母でした。が、これはいちばん揉める、本当に揉める。これを露骨に出している人だとそれに見合う人がくる、私たちの時代でこういう親たちって多かったため毒親という人たちは意外と多いのかもしれない。

 

毒親という言い方になってしまうから「イヤな人」とか「悪い人」という、わからない人にはそういう解釈で育ててくれた親に何事だとなってしまったりするのですが、毒というのが「悪影響」とかそういう意味なんで。毒子とか毒娘とか言いたがる人もいたようだけれど自分が育てた子供に影響されて自分の人生が変わるのかというとそういうことではないわけです。元が海外で書かれた本の和訳なのでいまいち違う理解になり本当の毒親育ちの人はいまだに苦労するということだと思います。

 

拡大解釈の影響もあるけれど。機能不全家族がどこまでかという。微妙なラインの人の方が攻撃受けてきついのかもしれないなと思う時もあり、私の場合はまず父が亡くなったことで父親という本来あるべき機能がなくなり母がおかしくなる(元々おかしかったかもしれない)という、それ以前に両親のその前の世代が養子だなんだという問題でややこしいというのも大人がそれを露骨に出したら間に挟まれるなというのは今になると思う。この年齢になって「あ、そういうことか」とわかることが結構あって、そりゃ揉めるわなということでおばあちゃんに同情する部分もあったわけで。

 

本当の毒親育ちの人の方が信じてはもらえないです。毒親を説明するのに暴力のない薬物中毒者に育てられるというのがいちばんわかりやすいかもしれなくて。薬物中毒だから100%暴力を振るうわけでもないし言ってみれば「薬物所持がなぜ犯罪なのか」という部分では人を殺したわけでもなくお金を奪ったわけでも相手をボコボコにしたわけでもなく一人でラリっていても犯罪、ということは見つからなくてもラリっている状態で子育てしても子供に悪影響なわけで。ラリっていてもご飯は作れるだろうしやらなきゃとなれば掃除洗濯もできるとは思う。でも犯罪だしラリっておかしい話に四六時中付き合わされれば子供はしんどいだろうし、というのと似ている、アルコール。認知症の親という話を聞くといやそれ私10代からそんなだけどとは思う。

 

薬物中毒でもバレてなければ仕事にも行けるだろうし。バレるから捕まるのであってバレなければ子育てする親なんだというと多分否定論者は黙ると思う。

 

このあたりって、たまたまアルコール依存症と思われる人の行動言動がおかしいことで気づいたんだけれど思考回路がおかしくなるのと、自分に都合よくなって、しかも被害妄想とか自己憐憫とかでてくるんだなあって。周りに私可哀想アピールするのもすごく上手でむしろ私が悪い人のような状況になった時に大人としてわかったところある。悪者にされてキレて泣き叫んでというのをされて無視した時、周りの目が冷たかったけれど、どう考えてもその話おかしいよねっていう。本人の話と周りの「水筒に焼酎を入れ替える」話を聞いた時に依存症だと思ったわけだけど周りは「面白い人」「変わった人」「辛いことあったから仕方ない」という解釈になるんだなと。責任ない人は結構味方をするものなんだなと思ってしばらく病んだけれどそれが今の回復のきっかけでもある。

 

水筒に焼酎を入れ替えても人に迷惑はかからないし本人の自由となるわけだけれど依存は脳を侵食して常に一緒にいる人が悪者にされて疲れ切って一緒にいる方がおかしくなってしまう。無力感に諦める。諦めて異常な行動が始まると周りからも依存症患者からも悪者扱いされて身動き取れなくなる。植え付けられた罪悪感の正体。

 

あとは。うちのしきたりとかうちのルールというのが激しくて、誰かに何かの言葉のあやでご身分が高いのでとか言われたのがそうなっているんだけれど、しきたりにしてもルールにしても父と話し合ったものでもなく、代々続くものでもなく、おばあちゃんも元の祖母も言っていない母のマイルール、母と兄の決めたルール、それが常識とかけ離れていることがあり。その常識の一部に「感謝する」とか「笑顔でいる」とか「健康でいる」というそういうものの否定というのがあったので運を落とすようなルールがあったのだと思います。清潔で身なりを整えるとかそういうのも無駄という概念があり。そうするとやはり組織に属して働くには困ることは多いので。学んできた自分を褒めていいなと書きながら思ったりします。

 

以前はこれを書いてイライラ、だったのですが。きっかけ以降「自分よく頑張ってきたじゃない」とか「それでも努力してきたじゃない」って思えるようになりまして。同じ頑張るにしても少しずつ焦らず着実に。数日で身につけなくても一進一退で心がけていけばそのうち自分の居場所がみつかるから、と思えてきたわけで。

 

社会から、周りから学ぶことが多くて、気づかないところでも随分変わったのではないかなと。それはきっかけ前から。

 

今回のきっかけと昨年の引っ越しは本当に魔法のように効いているように思います。

 

必要なことはまだできていないけれど。少しずつ。

 

休養して落ち着いて。

 

でもあと1ヶ月は本当に要注意、その後も状況次第では注意だなと思い。必要なブログが書けなくなったことが病気であるパラメータな気がするけれど、できない自分を責めず、怠ける自分を責めず、できることから先にやる。今日は選挙の期日前投票に行ったので日曜日は選挙を気にせず他のことができる。そんな感じでできることからこなしている。

 

あとは、食べること寝ることのほかにこの季節だと暖かくすることだなと思い。どうしてもケチってしまう電気代のため電気毛布を購入。迷ったけれどビッグカメラで最安値。これ以下だと機能が期待できないので。ポイントもつくし(言い訳)。

 

夕方以降は疲れが出てくるので以前のネガティブなことも思い出してしまったりします。そのときに考えが変わったのは「自分はがんばってきた」「よくやった」と思えるようになったことです。ある問題を解決してから急にそういうふうに考えられるようになったのは魔法のようだけれどこれが普通。以前は呪われていたのではと思うほど自分を虐め抜いていた気がします。

 

抜けられそうな時に引き戻す人が誰かしら現れるというのもあって。星のめぐりが変わってきたというそういうスピリチュアルな話もあるんじゃないかなと。ポジティブに考えられるならそれもあり。

 

多分。外に対しては気の狂った困った人だったけれど母親に対してはいい子すぎるほどいい子だったのではないかなと。なので調子に乗らせてしまったような。相手が嫌がることでも「私は私流」でやってしまう母というのがずっとなので私は優しかったんじゃないかなと。それで鬱積したものを外に出す。普通逆なので自分が傷ついたり社会的な居場所をなくしたり失業したりするのだなと。休んで焦らないのは不採用続きで投げやりになるというのもあるけれどまた選択ミスをしてさらに社会的居場所をなくすのではと、キズを作らないというのもある。

 

あとは。この状況になるにあたって。抱きしめるとか優しい言葉をかけるであったりそういう人に出会えたから、「あれ?いままで違った」と気づけたのは大きい。いろいろ話を聞くと小さい時に抱っこしてくれるというのは父が多かったようでそれに近い何かを自分の中で思い出したらその感覚を一人の時も思い出せば肩の力がスッと抜けるという。今までもあったんだけれど「歌える自分」というのがあったので、歌わなくなったら誰も見向きもしなくなるという気持ちもあったのだと思います。

 

最近、ネットで検索しても似たような体験の人が質問したり投稿したりしているのですが、毒親という問題で喧嘩したとか反抗したというのがあるのですが、無抵抗で攻撃され続けて鬱になるという、親に会うのが憂鬱で眠れないとか涙が出るとかそういう気持ちがピッタリで、そういうことだなと思います。一人で可哀想だからなるべくいうことを聞いているんだけどそれでも常に何かには不満で学校から帰る頃には呂律が回らない状態。ご飯は作るんだけれどいらないのに「ごはんはいっぱいあります」と10数回言って最後は寝てしまう。早く帰れば酔わないかと何度も頑張ったけれど結局一日中一緒にいて機嫌を取ってあげないと満足しない、というかつきっきりならつきっきりで文句がでる。何か困っても私の方が大変と愚痴にすり替わって自分の話はできずに延々と愚痴が続く。これです。気に入らないことを言い合いするのではなくひたすら愚痴を聞き続ける、大人になって友達付き合いがあると「裏切り」になってしまう。母が書き出して楽になろうと書いていたであろうものをたまたま見たら「私だけ我慢ばかり」と私のことが延々書いてあった。やはり一番は私に友達がいることが気に入らなかったらしく食事は常に家でと思っていたらしい。

 

もともとの脳の病気ではなくやはりこのストレスだったと思う。逃げるためにしたことが返って自分を傷つけることだったのも今の後悔ではある。心を切り刻むようなことをして実家のストレスから逃げていた。もう中年なので今更だけど若い大事な時を大事にされない人たちと関わって、よく犯罪者にならなかったとそれも自分を褒めたい。よく生きていたし、よく前科がつかなかった。

 

これが。母が未亡人になるのが60代、70代だったらまだ良かったんだけど中学生からずっとくっついておそらく私が結婚したら旦那と住むとか子育ては私がするからあなたは働いてとか言っていたのでそこは不機嫌になるところ、で、正解だったと思う。だれでもいいから種だけもらって子供だけ産んでくれれば私育てるからとかも言っていてそれも言い返さなかったけれど本当に言うとおりにしたら子供に可哀想だよなと、普通はもっと怒るところだよなと思う。

 

私自身が父が亡くなって悲しい思いをしたのだけれど両親から引き離されておばあちゃんに育てられる子供なんて考えただけで残酷だし。周りでやはりお母さんのために子供産まなきゃと言う人はいたけれどそう言う人たちってだいたい成人するまで両親がいた人なんだよね、生まれてくるだけで幸せとか言うけれど年老いて旦那さんがいたり、自分が育つ時点で親が揃っている人ほど、片親でお母さんが苦労して育てたみたいな話に涙を流したりお母さんを一生大事にしなさいとお説教したりする。

 

お気楽で何も考えていなかったのは私ではないし、私は私なりに悩んで頑張ってうまくいかないこともあった、だから私は私の人生を生きていいし自分の判断は違わなかったし頑張ったと褒めてあげていい。

 

歳をとったから子供が一緒にいてあげなきゃいけないということはほとんどの人から言われていたけれど、それが40代後半からとなるとなあ、とか、でも一緒に住んでいたおばあちゃんは近所で友達作って、コンビニの店員さんでも仲良くなって、あちこちで声をかけられるような、家にいても野良猫がたくさんいてお花もたくさんあって、全然一人で楽しんでたんだよね。無理に一緒に住んでも時代劇の時間になると自分の部屋に戻ってしまう。ある意味ハイカラな人たちはそんなもんだ。

 

父方の祖母に至っては。祖父が亡くなってからも山菜取りに山に入ったり、秋田の田舎なので「一人でこっちにいても東京には行きたくない」と言うような人だったので。単に母が依存心が強かったのと、孫に囲まれた他のおばさんたちより上に行きたいという気持ちだけだった気がする。

 

それに比べて母は子供に頼ればいいと言う甘えがあったのだろうしそこもよく私は頑張ったと思う。

 

職場でも周りの人がいじめるとかなんとかで昼休みも家に帰ってきてしまうし、更衣室でみんなと話したくないから家から制服を着て行って制服で帰ってくる。今考えると。母は職場でいじめられると言っていたんだけど更衣室と昼休みで全く関わる気のない人って私が同僚だったら困った人だなと思う。制服は通勤時はNGというのが普通なのでマイルールで押し通したのだと思う。上司が間違っていると喧嘩してきたと言うのはしょっちゅうだったし、いや上司なんだから激しい喧嘩する時点でおかしい人だよと。

 

一人でなんとかすると言う気持ちがあればそのコミュニティでなんらかのつながりはできるものだし上下で見下すとかマウントとかではなく「円」とか「輪」とか何か丸いものをイメージできるはず。それがなかったがおばあちゃんと住んでいて結果よかったなあと、今の自分に気づけたのはおばあちゃんがいてくれたから核家族で母しか知らなかったらもっと大変だった気がする。

 

よく。母を許して幸せになったと言う話があるけれどそれは私に取ってはおばあちゃんな気がして。反抗もおばあちゃんにはした気がするし全面的に母の味方をしている間に亡くなってしまったり。それが最近はもっと優しくしてあげればよかったなと思ったりします。普通はこれを親に思うことなんだろうなと思うと納得する。

 

それも自分を許せるきっかけだったのかもしれないなって。

 

たくさんの植物が、大きな木が、庭園のようなお庭だったのですが、最近沈丁花をみると、あの切ってしまった沈丁花は何年くらいであの大きさだったのかなと。大きな八重桜の木なんて本当に何年か。真ん中に柿の木、玄関に松の木、全部全部なくなってと思い出す。ベランダの広い物件に越してどんどん植物増えても増やしたい状態なんだけれど、植物って不思議な力があるしあのお庭だった時は自分自身も勉強とかできてラッキーなことが多かったんだよね。

 

ちょうど木を切ってしまう頃に発生した問題が解消されたから、あれだけすごいお庭はもう戻ってはこないけれど、毎日ベランダの状態を見ながらリハビリしている、これで良くなって、元気に働けたり歌えたり勉強できたらいいなと思っています。

 

欲を言えば。いつか誰かと植物の楽しめるようなスペースのあるところで一緒に住めて支え合えたらいいなと思います。

ある程度の長期戦と考えながら、結果は出ていて嬉しいので書いている。

 

休んでみるということ、やらなきゃいけないことは手書きのタスクリストに書いていて進まないけれどいいことにする。仕事の時にやっていた方法だけど赤ペンで朝にタスクリストを作り終わったものは消していく。いまはデジタルでできるけれど手書きのタスクリストの方がなぜか効くらしい。

 

休んでみて思うけれど、ここ数年、言ってみればとっくにエンスト起こしてそれで走って壊れているのにまだ走るということを繰り返していたのだと思い。追っかけてくる何かを整理したのもある。整理すると間違った人の言うことを聞いていたなと思ったりして。

 

脳が回復してくるのがなんとなくわかるんですよね。ケアレスミスが増えているのはせっかちなのと年齢のせいと思っていたけれどおそらく精神的な不安定によるものでもう脳がおかしくなっていたと言うのがあります。選択ミスをするならしばらく選択しない。

 

イライラしたりするのも精神的なものだったと思われる。更年期だと思っていたけれど溜まりに溜まった治してない躁鬱病ということで頭痛と腰痛が少し和らいできて。半端じゃなく痛かったんだと和らぐと気づくというくらい長年麻痺していたり。

 

1ヶ月くらいで回復したらいいなと思っているけれど実際は年単位でかかるかもしれないことも覚悟している。

 

あんまり考えないことも必要なのだけれどそこは一人なので。仕方ないのかなと。以前のような希死念慮のようなものは驚くほど薄らいだ。泣くことも減った。

 

とにかく脳が正常に落ち着いて動いてくれること。やっとそれに気づけた感じがします。

 

ネットでも情報は多いし先日お医者さんと話してびっくりされたけれど、鬱とか躁鬱に落ちた時は休養。まず睡眠と食事、あと安心すること。そこから「できること」から「少しずつ」やっていくこと、それが好きなことを一旦全部捨てることとなってしまっていたので休むのが怖かったのはある。家族の関係だけれど、都合のいいことしか聞かない、都合のいい情報しか取り入れないのだから思いっきり間違っていたわけで。それでも音楽については無理しすぎていたなあというのはあり。

 

本当に。とりあえずタスクをこなせなくても、朝ベランダに出て植物の状態を確認する。植物に触ると少し落ち着いて。お水のあげ過ぎもよくないし虫に食われていたりすることもあるので触れながら状態を確認。冬で気温も低いのであまり栄養も多すぎると良くない、とにかく見守る。

 

昨年末より嬉しい発見が多いからちょうどいいタイミングだったけれど。クレマチスペトリエイのたくさんの花芽、アイリスが忘れた頃に出てきたり。今日も矢車菊の横に何やら小さな芽が出ていて。ニゲラかオルレアの可能性はある。

 

鳥に食べられてしまったディルも随分回復して。100円で買ったネットをかけておいた。割り箸で支えてちょっとしたネットハウスにしてた。お魚料理においしいので春になったら食べられるかしら。ピクルス作るにもいい。

 

回復して忙しくなったらここまで細かくはできないと思いますが。その頃には夏でひたすらお水をあげながら。肥料もしっかりあげてもいい時期なので今ほど「待つ」でもなくなるのだと思います。

 

その前に。3月5月くらいで種まき大会になる予定。早めに種を入手したり、昨年種を取っておいたものがあるので。種まき〜発芽までの待つ時期も、そういうゆっくりとした時間が鬱にはいいみたい。躁状態に関してもクールダウンにはなりますので。

 

パソコンの画面を見ているのもよいのですが、ふと気がついてベランダで変化を楽しむことが回復に繋がりそうだなと。このお部屋に引っ越せたことが感謝だったりして。本当に1Kと思えないほどベランダが広いので。人によっては全く利用価値がないかもしれなかったので私の療養には一番良かったと言える。安心して家賃を払えるような水準まで戻せれば、それまで動いて頑張るというよりは十分エネルギーが充電されるまで我慢する感じです。

 

充電はまだ40%くらい。

選挙が近くて、必要なければ外に出ない、極力SNSは控える、というのありますが。

 

Youtubeでいろいろやっていてもあんまり気にしないようにはしています。

 

今回の解散が突然だったのは投票用紙が期日前投票に届かないというお知らせを見て思いますが。そしてなんでもかんでも批判する人たちが面倒だなと思うと、私自身は一度解散して反対だけしたい人を減らさないと議論は進まないと考えていたわけで。

 

高市さんがいままでの首相と全然違うのは、首相になった時におめでたいと舞い上がらなかったところにあるんじゃないかなと。

 

総理大臣も仕事ということをここまでやっている人。私は安倍元首相もすごいと思っていたけれど高市さんは多分そこまでと思っていないので必死にやっていてその姿が特に若い世代に伝わるのではないかなと思います。

 

はっきり言って反対する野党が議論でやりあえるのなら解散する必要もないし高市さんが黙るということもあるんだと思うけれど。失言を狙ったネチネチした質問で本当に誤解される発言を引き出してしまったあたり卑怯なのは野党の方ですね。尻馬に乗って戦争したいだのなんだのと言っているとこも同じ。

 

今の若い人は。学校でちゃんと勉強していれば。年寄り以上に戦争は嫌いなはず。攻めて来られたらどうするのという気持ちにはなっていると思います。わからないけれど私が勉強した時からは現代史が大きく追加されている。世界も日本も。だから若者が興味がないと言った昔の若者像をいまに当てはめるのは見当違いだと思っていたりします。

 

ライブでも、若い子が非常に落ち着いていて。それを何も考えていないようにみるのかもしれないけれど、彼らは無駄なものは言わないということも知っている。というより私が若い時も同年代なら議論はしても歳の離れた人たちに本音は言わないようなところありましたので。学生運動の前後のようなそのままで歳をとってしまった人たちがたくさんいるということで、学生運動も真剣なようで団結することが楽しいという末端には本質がわからないような何かがあった。それに飲まれそうになった時期もあって今の野党政治家のような理屈にならない理屈で会議をして叩き潰されて勉強し直して今の考え方というのがあります。

 

自分は、左に行きやすい環境にいたんだけれど。なぜか先輩たちがそっちにいくことを止めていたりしたんですよね。頭良かったんだと思います。そういうことをするためではなく音楽を純粋にやっていくような何かだったのではないかなと思います。

 

これを書いているのは。実際現場に行くとそういう人たちとも接しなければいけない、そういう歌も聞かないといけない何かだと思います。表現の自由と言いながら反論は許さないような人たちが存在しますが。面倒だし消耗するのでもしかしたら席を立つかもしれないなと。

 

あとは。私が書いているものの中で誤解されるようなものがあるということで。戦争も核兵器も絶対反対なんですがそれは自らの心を常に戒めると言いますか。人を攻撃する気持ちが争いにつながると考えているのでそこを書いているだけです。人を殺すのであれば私が殺されましょうというそういう気持ちであって。頭をすげ替えて革命を起こせば平和になるとは考えていません。革命自体が暴力であり闘いであるためそういった争いも望んでいない、問題は自分の中で起きているというホ・オポノポノの考え方だったりします。

 

それで私の演奏を誰も聞いてくれないとしても。わかる人と出会えるまでやり続けていくことです。

 

あと、核兵器は反対するにしても世界中が核を放棄しないと意味がないので。日本はそもそも核兵器はもっていないことになっているので核兵器反対というなら核保有国に対して言ってねという感覚です。特に増強している国には特に。

 

私の場合は比較的安全に音楽生活を送らせていただいているわけですが、強烈な人だとものを投げられたり、私の昔の友人でわざわざライブに来て卵を投げつけられたような人もいるので、そういう人たちはそれだけの影響力のある人だと思ったりはしました。でもやらないでね、お店の人も大変だから。

 

選挙が終わるまで、終わってしまえば興奮する人も少しは落ち着くのでしょうから。

 

休んで随分良くなっているので戻らないよう、自分の内面に忠実に落ち着いているようにとこれを書いています。