あまり、人に記事に興味はないのだけれど。
さっきのブログを書き終えて、たまたま目にしたブログでちょっと納得というかインスパイアされたものがあり、もし自分のことかなで削除して欲しいなとかあれば連絡あれば消すのでこっそり教えてください。
基本的に、子育てとかママとかそういう人のブログは苦手なんだけれど、苦手な理由もその人のブログでわかったというか。
こう、おしゃべりに付き合わないと、付き合い悪いなとか、なんで先に帰っちゃうんだろうとか。
子育て大変とか家族の愚痴で盛り上がりたいという人がいそうだなって、ちょっと主婦の中に入って場違いだったことがあるけれど。それって個性なんだけれど、そのみんなで盛り上がりたい人の方が女性は多数派なのかもと、しかし、面倒だなって思ったら私だけではなかったかもと。
大変とか愚痴とかって、外向いている人で、自分で作り上げることが楽しくない個性の人(disっているわけではない、私が理解できないだけ)、共感して欲しい人なんだけれど、そういう人って女性は共感を求める生き物とかひとくくりにしたがるけれど、そうじゃない人もいる。共感を求める人が多いというだけのことだと思う。
全ての女性が、共感脳ではないということ。
それって、教育もあるのだろうけれど、私の中高時代は、みんな個性的で自分で勉強する人ばかりだったので自分を出して話し合う難しい話が多く、いじめにもならないし、共感とかもそんなになかったんじゃないかなあって。
あくまで、ブログを見たからではなく、自分の経験として。自分がミスったから仕方ないけれど、お花の学校でほとんどが主婦から就職を目指しているようなところに入ると、みんなそうですよねみたいなこととか、みんな家事大変ですよねとか専業主婦認められないですよねとか「ですよね」が多い。
なんだ、「ですよね」って、そうじゃないけど、と、周りを見ると、とても素直な顔でみんなうんうん頷いたり、時に涙を流したりして、場違いだと思ったわけです。
そういう人はそういう人で集まるのだけれど、そういう人たちの方が同化したいので「そうですよね」って言わせたいわけで。地域性もあるのだろうけれど。それで落ち込んでいた部分もあるけれどちょっとスッキリした感じ。
私は。子供も家庭も結局持てなかったし、今の子育て世代からするとどちらかというと「おばあちゃん」の域に入っているけれど。昔は井戸端会議という。これをやっている間に家事をすればいいじゃんみたいな、東京だったから短めだけれど、地方だと村八分にされるのかもしれない。その職業訓練も井戸端会議感がある。先生がそうだから仕方ない。
でも、別に、井戸端会議が苦手な人なんていくらでもいるし、その井戸端会議の中では「料理作るの大変で」とか「掃除が大変で」とかいうんだけれど。料理を作るのが楽しみな人だっていると思うし、ハンドメイドで子供のもの作るのが楽しい人だっているかもしれない。私も似たような感じで、形あるものは作れないけれど、曲やアレンジやボーカリゼーションを一人で考えたりするのが好きだから音楽をやっている。
それを、出来上がった姿をみて、私も賞賛されたい!みんな賞賛されたくてやっているんでしょ!!「ですよね」なんだよね。
賞賛を求める以外の目的でやっている人がいるわけがない、みたいな。
だから、インスタにあげたり、お仲間を作ることに喜びを感じていたりして、やっぱり「ですよね」だったりして、そちらの方が同化は求めてくるはず、賞賛してくれる人をとにかく増やすことが喜びだから、共感してくれないと困るし、井戸端会議に時間を長く割いてくれる人が必要なんだけれど。それって社会的な変化かなとも思ったり。
男女問わず、だけれど。「会社員です」という人がいるし、子供にも「会社員になってほしい」という人がいるけれど、それ、変だよねって実は思っている。
何の会社で、どんな仕事をして、その人がどういう人なのか、なので。
私があちこち仕事してきたからかもしれないけれど。
例えば、外資系電子部品メーカーの設計さんだったら、図面が読めて書けて部品を作る構造を知っている、英語で設計の打ち合わせができるとか、それが営業さんだと、ある程度部品の詳細はわかって売り込めるだけの交渉力、設計の人がやりたくないお金や取引の話。
食品メーカーの国際部営業さんなら、海外にどんなものが売れるかと貿易のルールを知って取引できる、これが開発部門だと化学とか食品に詳しくて成分の研究や商品開発ができたり、そこの人事なら、どんなスキルや勉強をしてきた人間が会社に貢献できるかを見極めるし、経理なら外貨取引や帳簿の付け方、決算の出し方まで、分業しているので、同じ会社員を長くやればやるほど、専門分野は変わってくる。
正直これって。会社員だろうが役員だろうが派遣だろうがバイトだろうが、経験は違ったりするのに何故か属性が「会社員」になることが不思議で仕方ない。けれど、会社員という言い方がものすごく増えている。
そして、食品の研究所とか部品の設計は理系、経理や人事は文系だったり(理系の人が入ることもあるけれど)、そういう得意分野が根本的に違ったりするのに、何故か最近それをすっ飛ばす。これが不思議。
それが、最初の方に書いた、主婦の井戸端会議の「ですよね」だったりするのかなって。
いや、べちゃべちゃ話さなくたって、子育てはできるはずなんです。お母さん同士が仲良くしないから子供がいじめられるなら、いじめるような教育をすることがそもそも悪いです。私の子供時代だと化石のようなものだけれど、基本クラスにいる子だから話すし、子供同士もお母さん同士も、気が合う人と必要なだけ話せばいいのにって。
その、家に帰ってお茶を飲んで一息つきたいとして。それはお茶がリラックスという習慣だろうし。お茶を入れて、好きなカップに注いで、お気に入りの場所に座って一息ついて、誰とも話さず落ち着きたい。
私が料理が好きなのがそんな時間だから、え、当たり前だよねって。
べちゃくちゃ喋っているよりエネルギーチャージできるし、愚痴とか悪口って体に悪いらしいよ。
その、お花の学校のいかにも校長先生が、今考えれば承認欲求のおばあさんで、何かとインスタあげたり、人にもインスタでお仲間つくれば商売になりますとか、その起業できそうな何かを目指して引っかかったのあるけれど。
インスタって「長い文章って面倒」とか「素敵なお花を飾ってる私素敵」「みんなもこうなりたいでしょ」「憧れるでしょ」って感じが出ていて。そういう人ばかりでインスタ始めたけれど疲れてXに戻ったんだよね。
Xも承認欲求の人は結構いるけれど。一部、屁理屈捏ねたり大喜利したりブラックジョークみたいな人が多くて、一人で落ち着いたりクスクス笑うタイプだったり、キラキラ私素敵、みてみて、ではなく、「こう考えた」みたいな感じの人が多い気がする。一人遊びしていて面白いのは個人的には石野卓球さんだったりする。
その、写真とか動画が流れてキラキラしていると、「何が言いたいの?」ってなってしまって。
それって個性なので「ですよね」じゃなくていいんだと思うのよね。そこが悩みどころだったので、読ませていただいたブログがありがたかったなって思う。
琵琶湖花火の詐欺事件というのがあって、どうやらインスタだったらしいのだけれど、その特別感、スペシャル感、VIP感とそれに出店する何かで興味を持った人が多いのかなって。
お花の学校もそうだけれど、結構ポンポン出来上がったものをたくさんお金払って買うとか、そこに大金使うことで達成される何かを感じることがあったり。
いや、地味に作り上げるとか、その作り上げている過程を楽しむとか、そういう人もいるんだよなって。作り上げているときは邪魔されたくないのであまり人に入ってほしくない。あと、ライブで人と演奏するにしても本当に信用している人と感覚的に作り上げたいため(スタジオの予算の関係もあるので)、あんまり安易にお金をかけて手っ取り早く手に入れることに意義を感じないんだよね。その楽器ができれば誰でもいいわけではなく、理解が近い人じゃないとストレスになってしまう。
個性の違いとして分かれていればそれでよろしい、なんだけれど、どうしても承認して欲しい人ほど入ってくるから、「入ってこないで」となるし、その性格の人ほど気を使うから「どう思われるかな」って思って言えなかったりする。
多様性と平等を何故か同時に語る人が多いし、それって何か女性の方が多い気がするから、窮屈だなあって思いますけれど。多様性と平等ってちゃんと考えれば共存しないものだし、棲み分ければいいから勝手に帰る人がいてもいいはずなんですけれどね。
密かに2人園芸部というのをやっているけれど、好きな時間に咲いた花や育っている植物の写真を送って「うちはこうです」ってやっているだけで、返信できない時は返信しないので、そのくらい時間が自由になった方がいいし、その、集まっておしゃべりというのは好きな人だけでやればいいと思うんですけれどね。
だから社会から離れて療養になっているのだと思いますが。社会に戻れるんだろうか。