11の魔法で子ども指導  -25ページ目

11の魔法で子ども指導 

池上正さんの「サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法」という本を教科書に、

フットボール指導から学んだノウハウを活かして、

戦術的ピリオダイゼーション理論をベースとした『複雑系の指導』を追求中!!






PTP(戦術的ピリオダイゼーション理論)の概要をぼんやりと掴んだ僕は、PEP(教育的ピリオダイゼーション理論)の構築のため、”PEPノート”というのを作成し始めました。


そのきっかけは・・・

上記の写真にある本を、2回目に読んだのがきっかけでした。



初めて読んだ時は、PTPの概要すら掴めなかっため、何がなんやらわけわからん状態でした。


でも!

PTPが頭にあって読むと、ものすごく理解できるんですよね!?

PTPへの理解はもとより、PEPに対するイメージもここには詰まっています。


ますます”ジョゼ・モウリーニョ”という人に興味を持ち始めました。


この本にも書いてあったのですが、やっぱり自分の理論をノートに記して、資料としてアウトプットすることは良いこと。

何でもやってみないと気がすまない性格なので、PEPノートを作り、データをまとめたいと思います。




僕は来年の4月から常勤講師をします。
要するに担任を持つわけです。


小学校の担任も、サッカーチームの監督もよく似た職業。
僕の学級には、PEPな学級運営を展開したいと考えています。


初めての担任なのに大丈夫?


僕の頭の中には、失敗しない、普通の学級運営なんて描けています。
そんなのおもしろくない。
やるだけ時間の無駄。
ビビるぐらいなら、TT(ティームティーチング)の補助でもやっとくよ(笑)


現場の先生方には、目から鱗落とさせますよ(笑)



仕事は楽しんでやるものだ!



僕は4月からPEPの探求も含め、担任としての第1歩を踏み出します。



もうすでに、プランは組み立てていますけどね。



今週のフットサルスクールですが・・・

FCバルセロナジュニアコーチ:村松 尚登さんのブログ と、講義動画 のおかげで、自分なりに解釈したPTP的な指導を行えました!




と言いましても、まだまだ本当の意味でのPTP的な指導とは、かけ離れている部分はたくさんある。


・ 僕自身のチームコンセプトが詳細化されていない(メインコンセプトしか存在ていない)

・ あくまでもスクールなので、トレーニングしか行っておらず、大会にチームとして参戦していないため、本当の分析になっていない

・ PTPはシーズン制のリーグ戦にのみ存在する理論であると解釈しているので、現状では実行できる環境ではない

・ クラブチームの方で実行すればいいのかもしれないが、まだ立場がアシスタントなので行えるわけない




しかしながら、今回のフットサルスクールでは、PTP的なトレーニングのコツを掴むことできた。


・ W-UPから「攻」「攻→守」「守」「守→攻」の場面が存在するメニューでオーガナイズできたこと。

・ 「W-UP」から「GAME」まで、序ヶに戦術的負荷を上げられたこと。

・ 最後のGAMEで、子ども達全員が集中し、テーマ(というよりコンセプト!?)が発揮されたプレーを行わせることができこと。

・ 子ども達が「もっとやろうや!」と言いながら、今までのトレーニングの中で、過去一番のフィジカル的負荷を与えられこと。




トレーニングの詳細は邪魔臭いので、ここに書き込むことはできませんが・・・(興味ある方はメッセージ下さい)

PTP(戦術的ピリオダイゼーション理論)のフラクタル なトレーニングを行うことができ、僕の頭の中に、PTPがやっと形作られることとなった。




まだまだ僕自身、独学状態であるので、これが本当にPTP的な指導なのかはわからない。


ただ!


子ども達はかつてない程集中し、

かつてない程フットボールを楽しみ、

かつてない程走っていたのは間違いない。





<P・S>

僕自身の欠点は・・・

・ フットボール理論の知識不足

・ ゲーム分析力不足

・ 言語技術の低さ

僕は今、学級崩壊している小学校2年生のクラス補助に9月から入っています。

ここ最近は、やっと通常の授業体制になりつつあり、やっと指導のスタートラインに立つことができました。

そんなクラスを観ていて、最近一つ疑問に思うことがあります。




小学校2年生(8歳)という年齢を考慮しても不思議に思うのですが・・・


子ども達は何かにつけて、

「先生!これでいい?」

「先生!○○していい?」

と言います。


何かをやる時には、必ず他人を観ます。

そして一人で何かをする時には、必ずと言っていいほど、一瞬フリーズ(固まる)します。




「これでいい?」とか「○○していい?」というのは、先生(または大人)の価値観に合っているかどうかの話で、対象そのものが良いのか悪いのかを判断してないんです。(大人の言動や思想が正しいとは限らないのに・・・)

こういう子ども程、何か失敗した時にコーチングで問うと・・・


「だって(必ずこの言葉)、●●君がしていたから・・・」

と、言うんですね。


要するに、自立へ向けて歩み出していないのです。

(8歳の場合はこれからですけどね)




このパターンの子どもというのは、親ないし教師が、圧倒的な権力によりリーダーシップを発揮し、子どもに命令して指導(子育て)している場合が多いです。

これを「知らぬ間の過保護(甘やかし)」と僕は呼んでいます。


僕達大人が何を言っても・・・

「いや、俺は●●と思ったからやってん」

という子どもが非常に少なく感じます。





例えば、僕がある女の子の髪を撫でて、褒めていたとします。

果たして、これは良いことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?


良いとしたら、なぜ良いのでしょうか?

悪いとしたら、なぜ悪いのでしょうか?



現行の学習指導要領に記載されている「生きる力」を養った子なら、この質問には答えられるはずです。

この問題が解ける子ども達を育てようと学校教育はしているのです。




果たして、学校現場ではできているのでしょうか?

果たして、家庭教育ではできているのでしょうか?