2018年11月17日(土)
TOHOシネマズ新宿で、『ボヘミアン・ラプソディ』。
音楽映画でこんな爆ヒットになるなんてチョービックリ~。MJ『THIS IS IT』以来じゃね? FBでもツイッターでも知り合いの人たちがみんな早くに観て感想書いてるし、クイーンっていつのまにここまで人気バンドになってたの? 今やもうビートルズみたいな存在なの? へぇ~。なんて感じで観るまでちょっとフシギさ込みのビミョーな心境ではあったんですが。
なるほどねー。こりゃヒットするはずだわ。驚くほどのテンポのよさと省略の上手さと題材の扱い方が実に見事に2018年的。LGBTに対する世の中の理解度とか、マスコミのあり方とか、あれこれひっくるめて5年前だったらこういう作りにはなってなかったかもしれないし、ここまで世に響かなかったでしょうね。だからか僕の観に行ったTOHOシネマズ新宿のIMAX上映はそこそこ若い人たちもたくさんいて。決してオジオバばっかじゃなかったのがよかったところ。
実在したミュージシャンに迫った多くの音楽映画はそのミュージシャンに思い入れのある人たちの確認だったり新事実発見だったりの欲求を満たすべく作られてるわけだけど。これは人種的及び性的マイノリティの部分をしっかり描いてフレディのヒューマンドラマとして仕上げることで、彼や彼等をそんなに知らなかった人たちが感心や感動を得てそこからクイーンに入っていくことになる、そういう“出会いの映画”としての役割をきちんと果たしているのが勝因なんだろうし、映画として素晴らしいところなんじゃないかと、そう思いましたです。だって、これ観たら絶対好きになるでしょ、クイーンのこと。今までさほど強い思い入れを持ったことのなかった僕も、観てからクイーンのことばっか考えてて、改めてちゃんと1作目から聴いてみようと今更ながら思ったもん(未だ聴いたことないオリジナルアルバムもいくつかあるんです)。パンフも買って、帰りに紀伊國屋書店で赤尾さんの作ったクイーンのムックも買いましたもん。わーい、わくわくぅー。新しいバンドと出会っちゃった感(笑)
いや、それにしても、あっという間の2時間13分。テンポのいいこと、この上ない。その分ひとつひとつの掘り下げは足りなくて、恐らくそのへんにダメ出してる批評家もいるんだろうけど、でも結成前からライブエイドまでの約15年を(最後のライブシーン除いて)1時間50分くらいで語り尽くすんだから、このテンポ感は然るべきだし、大正解。どこまでがブライアン・シンガーの手柄で、どこからが交代したデクスター・フレッチャーの手柄なのかは知らないけど、お見事と言えましょうぞ。
とりわけ(こういう女性がいたことを僕は全然知らなかったけど)ずっとフレディの心の支えになり続けたメアリーの描かれ方がとてもよかった。メアリーを演じたルーシー・ボイントン(『シング・ストリート』で好きになりました)はメアリー本人とは会ってなくて、ブライアン・メイからメアリーとフレディのエピソードをいろいろ聞いて役作りしたそうだけど、そのあたりからはブライアンらがいかにメアリーを信頼してたかが見えてきて。あの時代に人種的及び性的マイノリティのしかも超絶スターの孤独な心を理解して支えであり続けた彼女は本当にステキだし、こういう言い方もなんだけど人として立派だなぁ、とも。電気つけたり消したりのあのシーンとかも、とても好きです、僕。
あと、最後のライブエイドのシーンに胸熱くなったのはもちろんだけど、僕的にはフレディがまだ何者でもなかった時代からレコード契約したばかりぐらいまでの前半がとりわけ好き。バンドストーリーにおいて最も純粋で美しき時代。始まりはいつだって夢と希望と情熱と自信に満ち溢れてるんだ。で、ものわかりとお行儀のいい今の若いバンドマンくんたちも観て触発されたらいいのに、とか思ったりも。
あと、史実改変については、僕は“ドキュメンタリーじゃないんだからいいんじゃね?”派です。ブライアンとロジャーがよしとしてるんだから尚更のこと。だってそれ言い出したら大河ドラマとか、今なら『まんぷく』だって楽しめないじゃん。
追記: あ、大事なこと書き忘れてた。ライブエイドのシーンがどうしてあんなにもグッとくるのか。あれって、そこに至るまでに描かれてきたフレディの人生観やらショーマンシップやら孤独の思いやら死生観やらに歌詞がリンクしてたってことがすげぇ大きいからだよね。で、それまで書いてたことがあの瞬間、I(アイ)じゃなくてリアルにWe(ウイ)になって、それをバンドが目の当たりにしながら演奏してるっていう。そりゃあグっとくるっしょう。つまりはやっぱり音楽の持つ力なんだよなぁ。