前々回からの続きです。
タイトルの「なぜ書くのか」(小説、シナリオ等の創作を)に対する私自身の答えは「楽しいから」、でもしんどくて嫌になることの方が断然多いと書いた。
創作をやめてしまった仲間もたくさん見た。そうなる理由は私にも山ほどある。だけれども、まだ書くことをやめていない私は、それらをクリアしたわけではなく、適度に折り合うことを覚えただけ。
やめたくなる理由を7つあげて、前回までに、2つ目「物語が迷走する」、3つ目の「時間が取れない」問題に、どう折り合ったかを書いた。
今回は4つ目の「キャラやストーリーがどこかで見たようなステレオタイプになってしまう」問題に対して。
最近、ドラマを見ていても「破天荒な刑事」「とんでもない教師」等と銘打つキャラが、全然破天荒でもとんでもなくもないと感じてしまう。
もちろん、実際にそんなのがいたら間違いなく破天荒だしとんでもないと思うだろうけど、虚構の世界では、そういう設定がもうやり尽くされている感があって、どっかで見たという既視感ありありになっているような気がしている。
となると、キャラを作るにあたって、「破天荒」や「とんでもない」が、逆にステレオタイプになってしまっているのかなあ、と悩む。
つまり、例えば元暴走族の教師とか、島流し部署なのに勝手に捜査してしまう刑事、などと設定すると、視聴者にしてみれば「またか」となるのでは、と。
ストーリーについても同じで、昔少し関わりの合った編集部の方に、「『ちょっといい話』はもういいから」と言われたこともある。つまり、ちらっと感動するような話は溢れ返っている、と。
では、一生懸命調べて専門的分野の話を書こうとしても、例えば現役のお医者さんやら元銀行員さん作のものにはリアリティやネタの意外性にどうしたって叶わない。
となると。
もう自分なりの世界を描くしかない。
以前、社内恋愛を描いたことがあり、その時に件の編集さんに「OLさんてそういうこと実際にやってるんだ?」と聞かれ、返答に困ったことがあった。
それは「よくある一般論」から作ったエピソードに過ぎず、実際自分で見たことや感じたことではなかったから。
だから今は、「自分が何を見てどう感じたか」を一番に考えるようにしている。
自分の経験談を巧みに組み入れたファンタジーとか、知り合いをモデルにしたキャラを作るとか、毎日の生活の中で感じた違和感を極端にアレンジしてみるとか。
それが他の何らかの作品と被ったとしても、おそらくどこか違う感覚のものが出来上がるだろうし、少なくとも「今ってそうなってるの?」と聞かれて答えに詰まることもない。
5つ目「賞に受からない、受かってもデビューにつながらない」以降はまた次回。
(了)
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