大切にされることの大切さ
私が結婚式を挙げたカップルの中には、今頃子育てにいそしんでいる人も多いと思います。私は、最近、「子供が聞く必要のある言葉」という本を、一部分、訳す機会がありました。デイビッド・スタールという牧師の書いた本ですが、ブログでも、いくつか内容をまとめて紹介したいと思います。
子供は、自分が親にとって特別な存在だと感じたいものです。そのフィーリングは、親の心から直接伝わります。これは、何かをしたからでも、容姿がいいからでもなく、獲得するものではないのです。子供は、お父さんやお母さんから、言葉はいろいろあると思いますが、大切で、貴重で、価値あるもの、また大事なものだと思われていると感じたいのです。子供は、大切にするだけの価値あるものだからです。
特に理由なしに大切にされると言うのは、子供にとっては理解しにくい概念かもしれません。子供達の生活は、いつも、成績、運動能力、偏差値、容姿などによる価値評価に染まった社会で、常に数値化されているのです。これは残念なことですが、事実です。この現実に対抗するために、親は、二つの方法を使って、子供を大切にしていると言うメッセージを補強しなければなりません。それは、意図的であることと、反復です。
条件なしに子供が大切であるということを意図的に子供に確信させることは、親にとって大変なことです。親は、子供が褒められるだけのことをしたから褒めることには慣れています。しかし、褒めることと、大切にすることには、雲泥の差があります。
褒める言葉は、聞いて悪い気はしません。良いことをしたとか、容姿がかわいいということだけで子供に肯定的なことを言う親は、知らないうちに、子供が自分を他人と比べることを奨励してしまうかもしれません。なぜでしょうか。子供は、気がついてもらうだけのことをしたかどうか、知りたくなるのです。これは、他の人を全員、潜在的な競争相手とみなす自己中心的で不健全なものの見方です。それは、間違いなく、子供にとってはつらいことです。
しかし、大切だというメッセージは、自分の価値を伝え、自分に価値があると感じることのできる子供は、他の人の価値も尊重するようになるでしょう。
「お前が大切だ」と言う言葉は、それを言う理由ができるのを待つ必要がありませんので、常に、頻繁に、いろいろな方法で伝えることができます。必要なのは、親が、そうするべきだと心に決め、実行に移す決断をすることだけです。
あなたは大切な子
わたしの目にあなたは価高く、貴く
わたしはあなたを愛する
聖書、イザヤ書43章4節
18人家族
以前のブログ、「ハワイのホームステイ」にも書きましたが、私たちの家にはいつも誰かがホームステイしています。今年の夏は、一ヵ月半泊まる知り合いの4人家族、ご主人がハワイ大学の博士課程に入るので、落ち着くまで一学期くらい泊めてほしいと言う若いカップル、そして、ハワイの高校に編入するクライアントの息子さんが次男のルームメイトになることになっていました。それだけでも家族5人以外に7人、全部で12人になるのですが、もう一家族、親子5人が一ヵ月半ほどどうしても泊めて欲しいということで、泊めてあげることにしました。これで4日間だけですが、17人になります。
ところが、予期しない出来事がありました。息子の友人が弟とけんかをして、止めに入ったお母さんを殴ってしまい、目にあざができて、鼻の骨を折ってしまったのです。彼は、去年短大を卒業した後、仕事が見つからなくてぶらぶらしていたのですが、この事件で勘当されてしまいました。そこでうちに助けを求めてきたのですが、寝る部屋がありません。結局リビングに寝ることにして、日本人、アメリカ人、中国人の共同生活が始まりました。政府のやっている職業訓練のプログラムがあるので、彼はそれに入って、そこの寮に入ることにしましたが、今は空きがないので、いつになるかはまだ分かりません。彼は、精神障害もありますので、自立するのは大変かもしれません。
日本から来る方も、単なる観光や英会話の勉強が目的の人もいますが、日本の厳しい社会で落ちこぼれてしまった人もたくさんいます。心の癒しのお手伝いが少しでもできればと思っています。
知らないで拝んでいた神
私たちの教会のある奥さんは、日本の田舎の大きな古い家で生まれ育ちました。熱心な仏教のおうちで、彼女はいつも仏壇の前で神に祈っていたそうです。仏教のことはあまりよく知らなかったそうですが、とにかく、一番偉い神様に祈っていたのだそうです。仏壇の前で祈っていたのは、ご先祖様に祈っていたからではなく、そこが家の中で一番神聖な場所だと思っていたからです。
彼女は、あるアメリカ人の英語教師と結婚しました。そして間もなくハワイに引っ越すのですが、ご主人が入った会社には、クリスチャンが多く、彼はそれまでクリスチャンのことを馬鹿にしていたそうですが、その彼がある日突然神を信じたのです。彼は奥さんを誘って教会に行きました。生まれて初めて教会に行ったこの奥さんは、そこで語られていたこの聖書の神こそ、自分が子供のときからずっと祈ってきた神だと気づいたそうです。彼女は、仏教からキリスト教に改宗したのではなく、今までただ漠然と信じていた神の正体を発見したのです。
神は、「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせ るようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。」(聖書)