武蔵丸が住んでいたアパートを管理していたモリカワさん
共通の知り合いが何人もいるスタン・モリカワさんという日系人から、彼の書いた本の翻訳を頼まれました。今日は、その中から、一部抜粋して紹介したいと思います。
友人の、ガラス会社のオーナーから電話があり、マカハ(オアフ島西部)に家を買ったのだが、そこに住んで管理をしてくれないかと言う話がありました。私は、冗談で、神様が家賃を払ってくれるのなら、どこにでも行くよと答えました。彼は、家賃はただで、彼が全部面倒見ると言うのです。家を見に行って分かったのですが、それは、以前、ハリケーン・イヴァの後、知人と点検した家で、そのときは、ハリケーンの前はきれいな家だったのだろうなと思ったものです。砂で覆われたデッキをこすると、下から高価なタイルが見えてきました。あのとき点検した家だと気づいたときは、「やったー!」と思いました。
しかし、マカハは、人口の半分が生活保護を受けているような場所ですので、あまり安全なところではなく、家内は悲観的でした。しかし、一緒に見に行って、プール、ジャグジ、2階のオープンデッキ、海まで続くデッキの通路などを見た家内は、すぐに、いつ引っ越せるの、と聞きました。家は、海辺に面していました。私たちはそこに住んで、1ヶ月か2ヶ月に一度、会社のパーティーをやって、私たちもそれに参加してよい、と言うのが条件でした。とても信じられない条件でした。唯一の問題は、町から遠く離れていて、仕事がないと言うことでした。
マカハに引っ越す1週間前に、アイエアのレストランで席に着くと、オーナーから声をかけられました。
「どうしているの。ちょっと一緒にドライブに行かないかい? マカハに物件を持っているんだけど、見に行かなきゃいけないんだ。」
「いいよ、来週そっちに引っ越すんだから。」
「えっ、本当? じゃあ、管理してくれない?」
「オーケー。じゃあ、見に行こう。」
その物件は、引っ越す家から60秒もかからないところにありました。家から見て、海の反対側で、砂利道の両側に12戸のユニットがあったのです。ここには、地球上のすべての人種が住んでおり、みんないがみ合っていました。後ろの右のほうにサモア人、その前がトンガ人、その隣がハワイ人で、その前がミクロネシア人でした。道の反対側にはポルトガル人の家族、フィリピン人の家族、プエルトリコ人の家族、中国人の家族、そして白人の家族が住んでいました。敷地のあちこちにごみが散らばっており、雑草は生え放題でした。建物は無秩序で、壊れかけていました。ある家族がフィリピン人の闘鶏を毒殺し、その仕返しである家族の犬が軒下から死体で発見されたそうです。プエルトリコ人の男が家の前の階段でナイフを研いでいて、緊張感が漂っていました。その向かいのサモア人の家では、みんな真ん中に集まって、近くに寄ったらただではおかないと言う雰囲気でした。その中の一人は、その後日本で相撲取りになり、有名になった武蔵丸でした。後ろの白人は、警察官でした。彼には、家にいるときは休みたいので、問題が起きても連絡しないようにと言われました。この役立たず! 家主は私のほうを向いて言いました。
「あんたの仕事は、ここをきれいにして家賃を上げること。」
冗談でしょ。彼は私のほうを向いてにこっとし、私たちは帰路につきました。私は、こんな仕事してたら、そのうち殺されるんじゃないかと思いました。
引っ越した翌日、私は物件に行って、みんなに挨拶しました。最初に会ったのはミクロネシア人で、入り口で熊手を持って立っていたのですが、まるで警備員のような感じでした。彼は、思ったよりいい人で、仲良くなりました。彼は、私の助手になり、メンテに関しては、頼りになりました。私のジャーマン・シェパードが死んだときには、その片付けもしてくれました。私にとっては悲しい想い出です。全部の家に行って、自己紹介し、苦情の聞き手になりました。次は私がしゃべる番です。私は、神の愛について語り、神がなぜ十字架にかかって死んだかを説明しました。私は、神は私たちが敵対し合うのではなく協力し合うことを望んでおり、そうすればここでの生活が変わると話しました。誰も、私の信仰について、失礼なことを言ったり、馬鹿にしたりする人はいませんでした。実際、何か神に対する畏敬の念のようなものを持っていました。彼らは、みな神を敬っていましたが、彼らが毎日のように飲んでいた火酒が、彼らの性格を変えてしまったのだと思います。
私は、何度も、差別が理由でアパートを貸してくれないのだと言い張る怒った人たちから暴力的な脅かしを受けたことがありますが、神様はいつでも守ってくださり、髪の毛一本落ちることはありませんでした。実際、私は、人種を理由に貸さなかったことは一度もありません。私が勧めてクリスチャンになった、ある大きなフィリピン人男性は、以前、「野蛮人」と呼ばれて入居者の子供たちに恐れられていたのですが、ある日私にこう言いました。
「あの怒ってるやつらに脅かされたのが俺だったら、俺は殺されてたよ。俺もあんたのような本物のクリスチャンになりたい。」
ある男は、相手が警察だろうと上司だろうと、気に入らないことがあれば誰にでも暴力を振るうことで有名でした。私は、この借家人を引き継いでしまったわけですが、彼が暴れだしたら、どうやって出て行ってもらうか、見当がつきませんでした。ある日、私は、彼が私を捕まえて、殴り倒し、通りを引き吊り回してみんなの見世物にしてやると、近所の人たちに言いふらしていたと聞きました。電話でそう聞いたとき、私は家の家族を守ることを第一に考えました。私は祈りました。
彼の家に着くと、彼は車を修理していたので、彼のところに行って、「ここに住みたいのなら、家の前をいつもきれいにしておかなきゃだめだって、言っといたでしょ」と言いました。彼は謝って、ほうきを持ってその辺を掃き始めたのです。奥さんが、網戸の向こうから、中に入るよう、声をかけてくれました。
「今の見たけど、信じられないわ。私も教会に行かなくちゃ。」
とにかく、みんな私の言うことをよく聞いてくれるようになり、奥さん連中は、ご主人たちから暴力を受けて、私の家に来て祈ってもらうようになり、だんだんとお互いに対して良くするようになりました。掃除も、助け合うようになったのです。庭もきれいになったし、雑草も減ったし、家のペンキ塗りも助け合うようになりました。すべてがどんどん良くなって、家賃を少し上げることにも反対しませんでした。ある日、レストランのオーナーの家主が私を迎えに来て、一緒にこの物件を見に行きました。彼は入り口で車を停めて、外に出て言いました。
「神は本当におられる!」
いつものことですが、私は、入居者から修理を頼まれていたことがあったので、ちょっと直すものがあると言って、家の中にすっと入っていきました。以前は、家に入るどころか、近寄ることすら怖いところだったので、私が入居者の許可も得ないで入って行ったのを見て、彼は仰天していました。
スタンさんは、現在ハワイ島のヒロで不動産管理士をしています。
18人家族の続き
去年8月に書いたブログ「18人家族」で、家を勘当されて私たちの家に住むことになった次男の友人のA君を紹介しました。そのときは、政府の職業訓練プログラムに入ることにしたと書きましたが、それは実現しませんでした。彼のように、既に短大を卒業しているような人には、入るのが困難なようです。7月から私のうちに住むことになったのですが、9月には生活保護を受けることになり、少なくとも食費は出るようになりました。しかし、仕事はなかなか見つかりませんでした。毎日のように、2-3ヶ所は求職の申し込みをしたのですが、まったく手ごたえがなかったのです。彼に精神的なハンディーがあるということが、それとなく雇用者にも分かるのかもしれません。
彼をどう助けてあげたらよいか、いろいろと考えていたのですが、2009年3月のブログ「何十人もの里子と養子を育てた夫婦 」で紹介したガーナーさんに相談して、彼らが韓国に引っ越す前にやっていたグループ・ホームに入れてもらうことにしました。(ガーナーさんたちは、日本に住みたくていろいろ調べていたのですが、奥さんが韓国の米軍基地の学校の教師になり、私がブログを書いてまもなく、韓国の基地に引っ越しました。日本と違って、韓国の基地に行きたいという教師はあまりいないので、この仕事に就くことができたのですが、来年は、日本の基地に転勤することができるそうです。)
話を元に戻しますが、A君は、去年の暮れにグループ・ホームに入ってまもなく、かなり前に申し込んでいたサムズ・クラブで雇われることになりました。日本にもあるコストコのような店で、ショッピング・カートを集める仕事です。グループ・ホームでも、独り立ちできると判断されたようで、今月出ることになりました。彼と仲直りをした親御さんからは、職場に近い私のうちにまた住まわせてもらえないかという相談を受けたのですが、まずは自分で探してもらって、その結果を見ることにしました。そうしたところ、最近、真珠湾に近いある軍人さんの家で間借りすることができることになったそうです。これでまた一件落着。多くの人の人生の一端を担うことができるということは、本当にうれしいことです。
再宣誓式
ヌウアヌ・コングリゲーショナル教会と言う教会は、かなり大きくてきれいな教会ですが、結婚式で有名な教会ではありません。しかし、もう何十年も前から日本人向けの結婚式を続けている数少ない教会の一つです。私は、年に一度くらい、ここでの結婚式を頼まれることがあるのですが、30年以上も前にここで式を挙げたご夫婦の子供さんが、親と同じところで挙げたいということで、ここを選ばれることが時々あります。 先日も、以前ここで式を挙げたご夫婦の娘さんが、この教会で式を挙げました。
新郎新婦は、そのご両親のために、内緒で、式の後、結婚の再宣誓式(誓約のリニューアル)をする手配をしました。再宣誓式とは、結婚のときの誓約を再確認する式で、アメリカ人はたまにすることがあります。教会で式を挙げた後、写真を取るからと言って、外のガゼボ(望楼)のほうにみんなで歩いて行き、「ここに立って」と私の前に二人を立たせ、これから再宣誓式をしますと言って、二人を驚かせたのです。
夫婦仲が良くなければ、娘さんもこんな計画は立てなかったでしょう。若いお二人の結婚式よりも、ご両親の再宣誓式のほうが、ずっと感慨深いものになりました。こんなことを言うと、若い二人は気を悪くするかもしれませんが、30年を超える愛の重みは、結婚したばかりの二人の愛とは、比べ物になりません。
30年以上前に教会の鐘の前で牧師さんと撮った写真を1枚持って来られたのですが、その牧師さんはハワイでも有名な牧師さんで、「今日の言葉」と言う短い記事を、新聞に毎日何十年も連載していた方です。亡くなってからは、ご家族が彼の昔の記事を選んで、週に一回、連載を続けています。その写真とまったく同じポーズで、今回は私が若い二人と写真を撮らせていただきました。今から30年後、私はもうこの世を去っているかもしれませんが、また他の牧師さんがお孫さん夫婦と同じ写真を撮るときが来るのかもしれません。