今年の夏も、終わりに近づいてきました。
大雨の影響か、秋の入り口がいつもより早く来た感じがします。
前記事では、大変読みにくいものを提供してしまいました (_ _*) ha~
8月に入ると、原爆や終戦のことがやっぱり真っ先に浮かぶんですよね。
でも結弦くんのことも書きたいし。で、結び付けちゃうの。で、ああなる。ha~
(アメリカを悪く書いちゃったけど、どこも同じだよね・・多少訂正しました )
今ですね、ブログのことをもう少し何とか、
もうちょっと読みやすくできないか、デザインを見直してるところです。
(・・あたまん中を変えない限り何やっても同じ気もするけども。)
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いよいよ、結弦くんのアイスショーが迫ってきましたね。
24時間テレビ44 想い~世界はきっと変わる~
8月22日(土) 13:45 ~ 14:15 (?)
結弦くんのメッセージ・・
内容は以下の通り・・
笑えなかったり苦しい時だったり、たくさんあるんですけど、
それでも前を向いて一歩ずつ歩いて行こう、という想いが届けばいいなっていうふうに思って
たくさんの方に支えられて僕は滑っているんだなと強く思っているので、
僕が滑っている = 皆さんと一緒に滑っている
皆さんの力と皆さんのエネルギーみたいなものと一緒に滑りたいなと思っています。
今年はどのプログラムを見せてくれるのかな。
「震災から10年の節目に」とあるので、気になって。。
結局、過去の映像など、今日に先立ち、流れをもう一度追いました。
すでによく知られているところだと思いますので、自分用のまとめです。
今ある結弦くんは、被災地のことなしには語れない。
震災直後に立ち上がるときに起きた、結弦くんの葛藤。
被災地の人間の自分が、スケートやってていいのか、という自責の想い。
2011年の震災直後、結弦くんはスケートしてる場合じゃないと、あきらめた。
でも同じ高校の野球部の頑張る姿に刺激され、やる気を出す。
将来を嘱望されていたことで声を掛けられ、都築先生のいらっしゃる
横浜のスケートクラブで、震災から10日後に、練習を始めていった。
この幸運が、返って彼を苦しめることとなった・・
この時の(12回目の)「逃れていて」という響きが・・
詰まってましたよね。。
他の人ならどうだったろう。
こんなに悩んだだろうか。
普通だと、申し訳ないと思いながらも先生方々の好意なのだからと、
感謝してそのまま流し、普通に練習していくんじゃないんだろか。
(自分ならありそうだと思ってしまった・・)
そこで踏みとどまって考える、結弦くんの深い人柄が伝わってくる、
わたしたちが知る羽生結弦選手の、大きな始まりを教えてくれる、
ここは大事な大事な、場面ですよね。
それから、ちょうど神戸で4月9日に行われるチャリティーに呼ばれて、
アイスショーに出演した。
後ろで、うつむいている宮本さんがいる。
リンクインする結弦くんは、顔を上げる・・
能登さん、よく捉えたよね。 (´;ω;`)
そうしてホワイト・レジェンドを演じ切った時。
凄い歓声が沸いて・・
都築先生の解説のことばがありました。
湧き上がる拍手に心が動いて、自分はスケートしていいんだと、
スケートしていく気持ちに変わったんだよね。
この、傷ついた白鳥が立ち上がるプログラムホワイトレジェンド。
演じたことで、まさに自分が立ち上がることになった。
だから、都築先生の言われるように、スケーター羽生結弦にとって、
忘れることのできないプログラムになったのでしたよね。
羽生結弦というスケーターの大きな根源になったと思う
大事なので繰り返しました。
4月からは八戸を借り拠点としアイスショーで練習を重ねて行って。。
7月24日にアイスリンク仙台が再開されて、結弦くんは仙台に戻るのね。
アイリンに戻ったとき、久々に逢った
この抱きしめ方が・・
なんかもう、ため息がもれました・・
結弦くんの、愛情の深さ。
すごく、すごく、感じるシーンでありました (´;ω;`)
結弦くんは、この後もしばらく悩んだのね。
被災地の希望とか言われることに、重荷を感じて。
馴染みのお店のおじちゃんに、「がんばれ東北」て書かなくていい、
自分が頑張る、そうしたらみんなが喜ぶ。って言われて、解放され、
そして、2012年の世界選手権で銅メダルを獲った時、
自分が支えてるんじゃなくて、みんなに支えられていたんだって、
お母さまに言われて気が付いて。
3月に怪我をしたまま試合を迎えました
自分だけの力で進もうとしていた自分に
皆さんの頑張れという声で力を与えてくださいました
その時ようやくわかりました
僕はひとりでスケートをしているわけではない
ひとりで生きているわけではないんだと
(東北ハウス応援団就任のときのメッセージより一部抜粋)
ソチで結果をとって恩返しにつなげることができたのも、独りでは
できなかったと、皆から力をもらっている自分を、感じるようになった.。。
ここがひとつの区切りの時期になるのかな、と思います。
そして。
オリンピックで、正直、金メダルとったからって、何もできていないことに、
無力感を覚え、
その気持ちを抱えたまま、被災地を訪問した時、
応援の寄せ書きをくれていた石巻の湊中学の生徒たちに喜ばれ、
自分の金メダルが被災地の多くの人をを元気づけていることを知り、
翌年には、福島のいわき市の仮住宅にある裁縫教室を訪問し、
みんなが結弦くんの金メダルに元気づけられたこと、
金メダルが役に立っていることを、実感していきました。
ケガを抱えての(癒えてないのを隠しての)平昌に出場し、
奇跡の優勝を遂げた時、
あの時の皆さんたちも、TV観戦で、優勝に湧き・・
結弦くんはやっと、胸を張ることができると、言ったんだよね。
自分は返すことができたと。
これが二つ目の区切りになったのかな。
結弦くんの想い、ということでみると。
そして、
オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、
被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、
笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です
今年3月11日、被災地方々へ送られたメッセージから一部抜粋
ひととの繋がりという宝物ができ、苦しんだことさえも宝物に変わった。
単に被災地を助けるというのではなくて、同じ位置に立つひとりとして、
ずっと、気持ちを寄せ続けてきた想い。
その想いには、上から目線なるものが一つもなく、
そうすることが自分にとっての救いだとする結弦くんの純粋さ、清らかさ・・
胸が熱くなるばかりです。
そして、いま、次の段階に入ったのかな、という気がしてる。
結弦くん自身のこれまでのまとめ、そして満天の星のことからの抜粋・・
僕もその小さな光のひとつになれるよう
これからも努力し続けます
今、コロナ禍や自然災害に翻弄され、厳しい世の中をを生きるたくさんのひとに、
あの震災の時のように、
一緒に前を向いて歩いて行こうと呼びかける想いのようなものが、
結弦くんが発信する数々のことばから、伝わってくる、今日この頃です。![]()
長くなったけれど(画像がいっぱいで)、
今、あともう3時間後に迫ってるというタイミングでの記事アップですが・・![]()
震災から今日まで歩いてきた結弦くんの想いを、自分なりにまとめてみました。
番組でまとめて下さると思うんですけどね。 (_ _*)
プログラムはなんでしょうね。
笑えなかったり苦しい時だったり
皆さんの力と皆さんのエネルギーみたいなものと一緒に
マスカレイド?と思ったけれど、オーディエンスと一緒な感じのもの・・
・・レミエン、レックレもありかな??とか。
被災地への想いに重きが置かれるなら花咲く(もれてたので追記)、
世界が変わる、ということで行くなら、クリメモをぜひ
と思ってるところです。
↑
※ぜんぶ、NGものでしたね。
ホワイトレジェンドのこと書いていながら、苦笑・・
前情報を知らせないというのが、なにかサプライズ企画してるんですかね。
大物がコラボで登場するとか・・?それともお初物とか?
楽しみがわくわくしてます ( ღ’ᴗ’ღ )
後からまた、感想を追記(又は新たに投稿か?)しますね ![]()
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
追記です。観させて頂きました。
・・もう、なんていったらいいんだろう・・
美しくて、やさしくて、強い って言ってくださってたけど、
(このタレント名がわからない)
結弦くん・・
あの震災の時と今とを重ねた想い
立ち上がる姿
(そこからの10年の道のりと、強く生きていこうという想い)
笑えない今を笑顔にできるように、という想い
ありがとう・・
(泣いてます)
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