8月も2週目に入り、虫の声がよく聞こえるようになりました。
焦げつくような暑さと雨の前後のムシムシの繰り返しのなか、
少しずつ、季節が秋に向かっているのを感じます。
東京オリンピックも無事に終えて、良かったですね。
わたしは、オリンピックの戦いより、JIMINのほうに行ってしまって、
ちょっとだけ旅に出てましたw
ヒロシマの日となって、あわてて別記事にして、書いております。
(そしてもう、9日も終わる・・)
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6日の夜中、1年前に一部しか録画できなかった番組の再放送が、ありました。
NHKスペシャル 選
「証言と映像でつづる 原爆投下・全記録」
原爆関連の番組はまだありますが、とりあえず、この一つの番組から・・
アメリカによって、二度にもわたって原爆投下を受けた経緯を知っておきたくて、
少しまとめてみました。
原爆投下の指令を出したのは、アメリカ軍の原爆開発計画のトップNo.2でもあった、陸軍のトーマス・ファレル准将。アメリカ軍は、秘密裏に原爆投下の準備を進めていました。
1945年7月16日、人里離れた砂漠で人類初の核実験を行い、その威力に驚愕しながらファレル氏は、一網打尽に日本にダメージを与えることができることを確信しました。
日本による真珠湾攻撃とバターンの死の行進から、何十万のアメリカ兵士を救うことができる、そして、たとえ何が起ころうと、それが正義なのだと、ファレル氏は信じて疑わなかった。
(つまりファレル氏には、これからすることを正義と断定できるほどの、日本への憎しみの感情があったわけです。)
グローブス少将とファレル准将
真珠湾戦争が形勢逆転し、優位に変わったと見るや、7月26日、アメリカは無条件降伏を迫るポツダム宣言を連合国として日本に発令した。そこには、これを拒否した時に、予告なく原爆を落とす、ということが隠されていた。そんなことを夢にも思わなかった日本では、降伏を巡って内部対立が起き、宣言を受諾する意向の東郷外務大臣や昭和天皇に、軍部は猛反対し、決議には至りませんでした。
アメリカ軍はテニアン島に実戦部隊を集め訓練を行い、エノラ・ゲイに核爆弾を積み込みます。原爆の威力を評価するために、空爆がまだ落ちていない広島などが選ばれました。そして原爆を落とすまでは、決して広島に他の爆弾を落とさないようにとまで指示されていました。
そして宣言を受け入れる様子がないと見なされた日本の広島に、8月6日、予定の原爆が落とされました。
エノラ・ゲイから撮影した直後の上空
原爆を投下したアメリカ兵士たちは、その爆破したときの衝撃や巨大なきのこ雲の不気味さを上空から見て、二度と見たくない光景を目にした、と言っていました。これらの兵士は称賛されました。そして投下を指令した時のファレル氏は、とても興奮していたという。。
人類史上初めての想像を超える破壊力。日本の軍部に走った衝撃は大きく、日本の敗戦はこれで見えていはすだった。けれど、日本が原爆の威力を知るにはもう1発落とす必要があるという捕虜のことばを理由に、たった3日後の8月9日に次の原爆が長崎に落とされたのでした。
アメリカ軍は原爆の威力を世に知らせるために、長崎への投下の時にニューヨークタイムス紙のウィリアム・ローレン氏に取材させます。そのローレンス氏は、長崎への投下の前夜、日本の夜空の下に眠る多くの民を思い、こんなことを手記に書いていました。
「(前略)私は運命そのものだ。今夜が彼らにとって地球上で最後の日だということを知っている。もうすぐ死ぬ可哀そうな悪魔に、人は同情や憐れみを抱くだろうか。(中略)決してそんなことはない。」
番組で見る写真は、あまりに無残で、吐きそうになりました。被爆して、真っ黒こげになって人間じゃない別物の丸焼き(手足も顔もいびつ化している)になって、まるで心など持ってない塊のように顔も変形し、転がっていたり。丸焦げの頭蓋骨となり丸まったままの婦人とか。正視できないものばかり。
これはその、黒焦げの亡骸です。
左足と幽霊の手のように曲がった左腕だけにカットしまし
頭部まで全部映っていたのですが、そこまで載せたくなくて。
ごめんなさない
「虚空をつかんだ幽霊のような姿」と形容されてます。
屈辱的な成り行きに降伏を巡る意見の対立が続いたあと、軍部の抵抗が抑えられ8月15日、ついに天皇による終戦の宣言が行われました。アメリカは、実は第3弾目を用意していました。日本がもし、降伏をさらに先延ばしにしていたら、次には、東京の皇居に落とされるところでした。
・・・
原爆が落とされた翌9月、アメリカ軍は原爆の実態を調査するために来日して各地を回りました。そしてその惨状を見て、初めて、自分たちが行ったことの重さを知らされます。海兵隊のジューオダネル軍曹は、その残酷な光景を撮影していくうちに、それまでの日本人に対する憎しみが消え、同情に変わっていったのでした。。
これは、まとも・・
ファレル氏は、自分が原爆投下を指令したことの結果を突き付けられた。そして、1961年には、自分の手記に、こうまとめていました。
「広島と長崎は、このとてつもなく強力な兵器が、我々によって、そして我々に対して、決して使用してはならない理由を示す、恐ろしい証左である。」
「原爆をコントロールできなければ、そして国々が共に生きることを学べなければ、以下のことばが、いずれ現実となるだろう。」
-世界の大都市とそこに住む人々は、徹底的な破壊と、突然の死に直面する-
・・・
なんとも酷い、人類史上最大の汚点。広島、長崎の方々には、ほんとうに、いつまでも忘れるわけにはいかない出来事だったと思います。
広島・長崎への原爆投下は必要だったのかと、正当性が議論されるようになりました。つまり、ポツダム宣言で十分有効だったはずなのになぜ原爆を使ったのか・・?ということです。
原爆を落とさなかったら、ソ連が攻め入って北海道は大混乱に陥っただろうと言われますが、それは問題のすり替えにしかなりません。
特に問題なのは長崎への2発目です。「長崎へのさらなる投下は必要だったのか」世論で上がった疑問に、ファレル氏の上司であるグローブス少将は、犠牲となった兵士の家族から責められるから止めることは難しかった、と理由を述べていました。
ここまで至った当時の世界の背景ですが、もともと第二次世界大戦のきっかけになったのは、一つには1929年の世界恐慌があったことでした。路頭に迷う国民を救うための手っ取り早い手段として、アメリカが武器の大量生産を手掛けて行った・・
それから西欧の各地でも撃ち合いが始まり、1939年8月のドイツのポーランド侵攻が引き金となり、第二次世界大戦に突入していった(ここはWikiで調べた)。西欧の列強国に肩を並べる如く、領土拡大に突き進んでいた日本の、1941年12月の真珠湾攻撃で、世界大戦が激化していったんですね。
日本が恨みを買うような形になったのは残念なことだし、仕方がなかったと思うけど、その恨みをアメリカが返すために採った手段は、もっと、もっと、ひどいやり方でした。
なぜ、一般市民なの?と思う。やっぱり威力を試したかったではないの?とか。ファレル氏に対してというより、原爆を開発し計画を進めたトップの人物に対し、疑問が積るばかりなんですね。
アメリカは、自分たちは謝罪すべきではないという姿勢をずっと張っている。自分の非を簡単には認めない、それ、アメリカ(だけではないと思うけど)の文化の地盤にあると思うんですよね(断言はしません、もし間違っていたら、どなたか教えてくださいませ (_ _ *))。
日本は今でもまだアメリカに謝罪を迫ってはいないようです。優しいのか、気が弱いだけなのか。ただ、言うべきことが言えない日本の姿、というのはずっとこれまで続いていました。
日本の要求があってもなくても、個人的には、すすんで謝罪できてこそ、アメリカは大国の器と言えるんじゃないかと思うんですが。あるべき姿っていうのを、やっぱり当てて見てしまうんですよね。
政治に疎いので、日本政府がアメリカに逆らえない何があるのか、よくわかりませんし、政府が核禁止条約への署名と批准をなぜ拒むのか、また、被爆された方々の傷や痛みを無視してはいないかと、考えてしまうんですよね。。
※肝心なことを書くのを忘れてました。追記します。
アメリカのことばかり書いてるけど、日本軍も、残忍なことをしたところがあると思います。そこに向き合って、アメリカに謝意を示したのかな。相手がどんなであっても、誠意として自分側から示していくことが大事ですよね。あまりに基本的なことで、すっかり抜けてました
あ、そうそう、2014年の中国杯でハンヤンとぶつかってケガを負いながら、真っ先にハンヤンのところに謝りに生き、ハンヤンを心配していた結弦くんのことを思い出しちゃったな。
傷付け合ってしまったからこそ(と言っても傷ついたのは体だけど)、生まれる絆もあると思う。
相手が謝ってくれる、というところから、こころからのつながりが生まれるよね。
「共に生きる」って、駆け引きですることじゃないと思うんだよね。。
そういうことを、アメリカのトップの方々は、お考えにならないのかな。日本は、そういう思想とか哲学とかの土台があるはずなのに、示していくべきではないのかな。
お互いの国が本気を出せば、あきらめなければ、戦争をせずに解決する道が必ず開けるという道を開くために。結弦くんみたいに高い意識をもって、頑張っていっていかれることを、願ってます。
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先述のジミンも、すごい好青年なんだけど、原爆のきのこ雲と万歳する朝鮮国の人たちの絵のTシャツ。どういう経緯であれ、着てしまった以上は、あれがジミンの正直な思いなのかな???と、ちょっとわからずにおりますが。。
日韓のぎくしゃくのことは正直わからないです。日本は確かに虐待した罪があるけど、韓国の主張のように、謝罪がたりないのかしら・・?ジミンもひきずってるんだろうか?
でも・・ジミンは日本語で一所懸命語っている動画もありましたので、反日というわけでもないみたいですし。結弦くんがBTSに嵌ってる発言が韓国のファンダムで話題になり、盛り上がってるのを見ると、お二人の存在が日本と韓国の橋渡しになってくれるかもしれない、なんて甘い期待をしています
こうしてずっと書きつづっていると、何かと結弦くんが浮かんでくるんですよね。
戦争とは全く違う場所だけど、先ほどのように厳しい局面に出くわすこと、たびたび。そして厳しい局面になればなるほど、結弦くんのたたかいは外にではなく内側に向き、乗り超えてきたときには、どこかひとつ大人になった羽生結弦が来てるのね。(郷愁・・)
(・・これ、似たようなことどなたか書かれてたかな?真似したくないのだけど、重なってたらすません~)
そんな結弦くんのたたかいが、また始まってる。
結弦くんが今シーズンのたたかいに、向かう気持ち・・しっかり、感じていきたい。。
それと、戦争には直接関係ないけれど、現代社会に生きて、出てくる感情・・いろいろありますよね。結弦くんはひと一倍、感情というものに敏感だし、みんなの感情を大切にしてますよね、それがたたかうことと直結してることが多いし、結弦くんのプログラムは、ほとんどが「感情」を裏テーマにしてるのかな、と思うこともあります。
たとえば「天と地と」ともつながっている感じがしているんですが、どこかで、書きますね。
原爆~戦争の記事に結弦くんのことまで詰め込んじゃって、
なんだかまたまとまらなくて、話が広がってしまいましたが、
またぼやけてるかもしれませんが
でも、とにかく書いてみました~
UPします・・・
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さらに追記しておきます。8月14日、記事投稿からすでに5日後ですが。
ここに載せるべきか迷いましたが・・
スポーツと違って戦争は、たたかう理由にあるのは感情的な対立が大きいと思い記事にしましたが、そうではなくて、戦いをしかけている国もあるんですよね。それは知っていましたが、
原爆については、わたし自身、あまり知らないところがありました。
アメリカはなぜ謝罪しようとしないのか。駆け引き的と書きましたが、紳士国でもあるとも思っているんですよ。だから、非を認めたら謝罪する、それは当然としているだろう、それなのになぜ、と思っていたところなのですが。。
この原爆関連の他の番組「原爆初動調査・隠された真実」を見て、ぼやけていたものが見えてきた気がしました。
結局、アメリカは原爆を使いたかった。そして、広島・長崎で実験したかったんでしょう。そして今後も、どこかで使いたいってことなんだと。
ちょうど泊りがけの客人が来てたんですが、原爆のことでそんな会話をしたときに、もうそんなことは周知のようなことだと話してましたね・・
たたかう理由に感情は要らない。
そして、ファレル氏をはじめとした戦士たちの憎しみの感情が、戦う理由に使われる、そう考えたほうが、少なくとも、この原爆投下のことに関しては自然なのではないかと思いました。
このご時世、結弦くんのことで浄化したいことがいっぱいなのに、
暗い話で、ほんと、読者の方には申し訳ない・・
でも、こういう話も大事だと思うので、ときどき、入ります、お許しください・・ (_ _ *)
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