現場:川内村民間宿舎新築現場
除染作業はお盆休み入ってしまったが、別の仕事が入った。
作業は土木建築作業員宿舎新築工事の基礎型枠解体。
場所は、川内村。
5月に家庭ごみ(特定廃棄物)処理作業に来て以来、2ヵ月半ぶりとなる。
聞けば、この時のと同じ業者が『お盆の休み中、仕事がなければやりますか?』ということで請けた仕事だということだ。
宿舎は“プレハブ”式の建物のようで、基礎部分に部屋となる躯体を載せてゆくという。
私たちはコンクリ打設が終わった基礎の型枠を2棟分、一日がかりで解体した。
型枠は、支えに一部木材を使っているが、金属製で、解体するとコンクリ片がこびりついている。
私は主にこのコンクリを「はつり棒」で取り除く作業をした。
作業中、気温はどんどん上がり、こまめに水分を摂ったがすぐに汗となり、特に上着はその汗を吸って重くなっていった。
作業員の一人は、熱中症らしき症状でダウンしてしまった。
それほどに、暑い日となった。
しかし、救いもあった。
まずはマスクをしなくてよい点。
除染作業ではなく、粉塵作業でもないのでノーマスクで作業をすることができた。
除染現場で味わう息苦しさがなく、救われた。
そして、風。
私が除染をする中通りでは、この炎天下に吹く風は生ぬるく、ちょっとした気休めにしかならない。
だが、ここ川内の風は違った。
東からの風、つまり太平洋からの風で心地よかった。
浜通りは、この風があるから夏も快適だと、二度の夏を経験したいわきでの生活を思い出した。
そして、原発でタイベック越しに感じた太平洋からの気持ちよい風の感覚がよみがえった。
この風に慣れてしまうと、中通りと会津の夏は厳しいだろう。
浜通りから避難している方々にとっては三度目の夏。
彼等の現在の生活や気持ちを思うと、心が痛む。
私は、何とか熱中症の症状も出ることなく仕事を終えることができた。
...帰宅してニュースを見ると、全国的に酷い暑さだったようだ。
この暑さ。
外の作業をする労働者や高齢者への、国を挙げた対策が必要ではないか、と思った。
68年、長崎
『福島市36℃』と朝礼で所長が天気予報の数値を読み上げる。
現場では、予想に違わず気温はグングン上がる。
11時2分。したたる汗をぬぐい、目を閉じ、黙とうした。
長崎にプルトニウム型原子爆弾が投下され約15万人の死傷者が出た日から68年が経った。
*参考:長崎市「原爆の威力 」
長崎は最後の被爆地でなければならない。人類が最後に核兵器を使った場所にしなければならない。
悲劇を繰り返さないために、私達日本人がすべきことは多い。
非戦の誓いと、非核化へ努力を惜しまぬ覚悟を改める一日だった。
68年、広島
午後からは雨も降り、作業は予定通りには進まなかった。
敷き詰められた砂利の上にはえた草をひたすらむしった。
そして、8時15分。作業の手を休め、一人黙とうをした。
広島にウラニウム型原子爆弾が投下され約14万人(*広島市 )もの市民などが犠牲になってから68年。
人類が忘れてはならない日だ。
帰宅して、テレビニュースを見ると、広島の様子が映し出されていた。
マツダスタジアムではプロ野球の試合(広島vs.阪神)があり、“ピースナイター”と銘打たれたという。
非戦の誓いを新たにし、世界の非核化へ向けて、日本が努めなければならないと改めて念じた。


