政党政治について
ご無沙汰してました。
しかも、ご無沙汰の間に日本の情勢は非常に大きく変わってしまいました。参議院で野党が過半数を占めたことは、野党も法案を通すプロセスを経験することになり、日本の政党政治の成熟をもたらすのではないかと期待しております。
そもそも、政党政治については、日本においてはあまり機能していないと考えています。それは、今までは自民党が派閥を利用して、党内で政権交代を行ってきたからであり、その結果として、与党も野党も世論に擦り寄るという状況になっていました。
そのような状況のもとでは、社民党や共産党のような定まった価値観を主張する政党(価値観政党とします)は選挙では非常に苦戦します。それは、彼らの価値観が力を発揮する論点と違うことを論点設定されてしまった場合に、彼らは何の存在価値も持たなくなるからです。
ですから、自民党に対して政権交代を実現するには、政策の価値観を議論するのではなく、政策の進め方を議論する政党が必要です(やり方政党とします)。ただ、やり方政党として与党と戦うのは生半可では行きません。それは、与党には日本最大のシンクタンクである官僚組織がついているからです(自画自賛になってしまってますが・・・)。
しかし、今回は「消えた年金問題」で民主党は自民党の「やり方の間違い」を指摘することで、選挙に勝つことに成功しました。まさに、自民党が頼っていた官僚組織の犯した大失態です。これはこれで今の民主党の戦略としては正しいと思います。
けれども、これから日本の政党政治がより成熟していくために、自民党と民主党が互いに相手の「やり方の間違い」を指摘するのではなく、お互いが自分の「やり方の正しさ」を主張しあうような傾向に移っていって欲しいものです。
個人の力を活かすために
日本は、経済社会において個人がゼロから成功するのは非常に難しい社会である気がします。
個人が経済社会で成功するためには、才能だけではなく、お金や人脈といった内面以外の要素が必要になります。全く新しい産業を興すならともかく、日本では既存の産業で成功するためにすら、個人はお金や人脈といったハードルを自分で越えることが求められています。お金や人脈といったハードルは大きな参入障壁として存在しているのです。確かに、お金や人脈といったハードルは、才能に比べれば、誰でも越えることのできる可能性があるハードルです。しかし、日本ではこのハードルのために、優秀な才能のある個人がその才能を活かせずに終わってしまっている例が多いような気がしてます。
海外はそうしたハードルを踏まえた支援(必ずしも政府に限りませんが)が存在しています。例えば、フランスのイェール(Hyeres)という田舎町で行われているデザイナーの新人コンテストがあります。これは地方自治体が中心となっているのですが、個人の才能を見極めるために参加基準はやや高め(5着ほどの作品を提出)なのですが、選ばれた人はパリコレへの参加への道が開かれるとともに、その費用も負担してもらえることで、お金の問題が解決するだけでなく、多くのデザイナー、バイヤー、ジャーナリストと会うことができ、この世界でやっていくのに必要な人とはほとんど会って知り合いになることができます。
日本ではこのようなコンテストは過剰な支援というイメージすら持たれてしまうのではないでしょうか、でも、ここまですることで、個人の才能を最大限に活かしていく、才能を無駄に眠らせない、そうした支援が今後日本が人的資源で生き抜いていくためには必要不可欠なのではないでしょうか。
生産と流通の関係
商品の「価値=価格」がどう決まるのか。経済学では、需要と供給で決まるというのが一般的である。つまり、欲しがっている消費者の数と生産者が商品を作る数というのが基本的には大きな「価値=価格」の決定要因となっている。
しかし、現実にはなかなかその通りにはなっていない。グローバル化の進展で、一国の中で生産し、消費するという構図が崩れつつあるからである。売れない商品は海外にその市場を求めていくことになるし、売れる商品は海外で作ってでも輸入されることになる。したがって、商品の他国との融通により、商品の供給量はいくらでも変化することになる。一方で、全世界で単一の市場として成立しているような商品はそれほどない(石油にしてもアメリカとドバイのほぼ二極化)。そんな中で今一番価格決定に大きな影響を与えているのは流通である。とは言っても、ここで言う流通は、単に商品を右から左に流すだけではなく、生産の状況の情報と、市場(消費者)が何を欲しがっているかを十分に理解しており、さらには、マーケティング戦略により、消費者の需要に対してすら影響を与えている。
流通というものは商品の生産と違いニッチを狙う利点というのが限りなく低い、例えば、新潟-静岡間のフライトに特化した航空会社がいても、そこに需要がなければ、たとえサービスを充実されて、高付加価値化しても生き残るのは困難である。したがって、流通はどんどん規模を追求し、寡占化、独占化が進むことになる。最近で言えば、ヤマダ電機やユニクロの大規模化がいい例であるし、コナカとフタタ、大丸と松坂屋のような合併も相次いでいる。
しかし、流通のそのような流れにつられて、生産においても規模の追求がなされるのは、懸念が残ると思われる。生産こそがそれまでの狩猟生活のような不安定な生活から人類が抜け出した決めてであり、その生産においては、ニッチな商品の価値が大きいこともしばしばある。例えば、大田区の小さな工場がNASAのロケットの先端部分を作っていたり、北陸の小さな機屋が海外大手ブランドの生地を作っている例もある。
流通の進歩は消費者の利益には確実につながるが、その流通の進歩が生産にどのような影響を与えるかをしっかりと分析し、特にニッチな生産が守られていくような仕組みを作る必要がある。生産が衰退することは、消費者の購買力の低下につながるのは明らかであるし、特に日本において高付加価値なものづくりをベースに豊かな国民生活を維持するためには、トータルで見た経済活動の設計というものを今一度行う必要があるのではないか。