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ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスやエンタメ関係の記事を執筆しているライターのブログ

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはXで「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを運営されているプロレスファンの山茶花究太郎さんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
山茶花究太郎(さざんか きゅうたろう)
毎週Xで水曜21:00から「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを開催しており、時には臨時営業も。その週に視聴する作品は、当アカウントの固定ポストなどでご確認をお願いします。

 

山茶花究太郎(@holyShitsuckit)さん / X

 

 

 

 

 

 
第2回では、山茶花究太郎さんが国内外のプロレス団体の魅力と心を掴んだ選手たちについて熱く語っています。各団体の個性やレスラーの魅力が掘り下げられ、プロレスの多面的な楽しさが浮き彫りに。山茶花さんのファン目線での深い洞察と情熱が、プロレス愛をさらに引き立てる回です。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 

私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合 第1回 「プロレスとの出会い」 

 

 

 

 

 
 
私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合
第2回 「プロレス愛と情熱」
 
 
 

 


選手離脱、体制が変わって今や全日本プロレスはブランド化している



── 山茶花さんが好きなプロレス団体・全日本プロレスの魅力について語っていただいてもよろしいですか。
山茶花さん 自分がちゃんとプロレスを見るようになってハマったのが全日本プロレスでした。当時は四天王プロレスの真っ只中。そこからずっと全日本を追いかけてましたが、そこから三沢光晴さんを筆頭に大量離脱が発生したり、経営危機があったり、体制が変わって今の全日本プロレスは経営母体が全く違うじゃないですか。
 

── 確かにそうですね。
 

山茶花さん それでも看板が残っているということはある意味、全日本はブランド化しているんですよね。例えばキティちゃんは、昔は「女子児童向けキャラクター」だったんですけど、今では靴下とかさまざなコラボ商品になったり、男女問わず広い年齢層に支持されているんです。これはもう立派なブランドなんですよ。そういう領域に全日本は突入しているような気がします。創設者のジャイアント馬場さんの影がうっすら見えればそれでいいんですよ。

──それは素晴らしい。新しい見方ですよ。
 

山茶花さん ありがとうございます。
 

──昭和、平成、令和と時代が変わっても全日本はスーパーヘビー級の選手たちが集結する怪物ランドなんですよね。
 

山茶花さん そうですよね。これは僕の趣味の話になりますが、かつてコクサイというモデルガンメーカーがありました。そこはリボルバー(回転式拳銃)のモデルアップを中心に映画やドラマのプロップガンのベースに使われる位のメーカーでしたが、2000年代に工場の火災によって金型が焼失してしまってメーカー活動を終了したんです。その後、別の会社が残った金型を引き取って製造を再開して「コクサイ」のブランドを引き継ぎました。その流れに全日本の歴史は近いのかなと思うんです。
 

 

──それは全日本プロレスの金型を引き取っている方が今の全日本を運営しているという意味ですよね。
 

 

山茶花さん そうです。金型って大事で、300万円から下手すると一億くらいしますし、そこから商品を量産するわけですから、きちんとメンテナンスをする必要があるんです。金型は常に磨いて油をひいて綺麗にしておかないといけない。これはプロレスラーも一緒ではないでしょうか。

DVDがきっかけでハマったWWE


── 山茶花さんが好きなプロレス団体・WWEはどんなきっかけでハマったんですか?

山茶花さん  そうですね、WWEは最初は遠い世界の話で『週刊プロレス』のカラーページでチラッと見る程度で、「なんか派手なアメリカのプロレスだな」くらいの印象しかなかったんです。その見方がガラッと変わったのがTSUTAYAでレンタルされていたWWEのDVDを見てからなんですよ。

── ということは2002年以降ですね。

山茶花さん トリプルH、ショーン・マイケルズ、ブロック・レスナー、カート・アングルが活躍していた時代で、長時間見ていても飽きないんですよ。うちの父親、昭和の日本プロレスや国際プロレスを見てた世代なんですけど試しに一緒に見せたらハマっちゃって(笑)。特にロイヤルランブルが家族全員のお気に入りで、ブザーが鳴るたびに「次は一体誰が出るのか!?」ってみんなで盛り上がってましたね。

──素晴らしいです!

山茶花さん WWEは吉本新喜劇とか一般層が見ていて分かりやすい魅力がありますよね。ロイヤルランブルでは。コフィ・キングストンがリングアウトを回避するムーブとかを見せると、家族で「ブンちゃん(山茶花さんのご家族の間でのキングストン選手の愛称)、今回どうやって残るの!?」って盛り上がってました。


──ハハハ(笑)

山茶花さん 1月のロイヤルランブルで始まって、4月のレッスルマニアでドカンと一度締めるけど、次の日からまた新しいドラマが始まるのがたまらないです。そういえばプロレス知らない友達に『アメトーーク!』(テレビ朝日系)のWWE芸人の回があって、「レッスルマニアはどんなイベントなのか」と聞かれたので、「プロ野球のオープン戦と日本シリーズを一緒にやっている祭典だよ」と説明すると納得してくれましたよ。


──それは的確な例えですね!

山茶花さん WWEは超メジャー団体なので、どんなものだってWWE流にガラッと変えちゃうとこがあるんですよ。それが素晴らしいところでもある一方で最初は「ん?これどうなんだ?」って思うこともあって、その最たるものがECWの再興とかですね。元のハードコアな感じが薄れて、WWEのエンタメ色が強すぎた時はちょっとモヤッとしたかな。でも、慣れるとそれもWWEの魅力だなって(笑)。




お金がないから頭と身体をフル活用したECW

──ありがとうございます。では次はECWの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん ECWは最初は『週刊プロレス』のモノクロページで「この団体、崩壊したんだな」って知った程度だったんですよ。ちゃんとハマったのは、たぶん2000年代中盤くらいに、ネットレンタルで借りたECWのDVDで田中将斗 VS ザ・グラジエーター(マイク・アッサム)を見た時に「こんなに凄い団体だったのか!!」と衝撃を受けたんです。

──そうだったんですね。

山茶花さん そこからECWのDVDをレンタルビデオ屋で借りてさらにハマったんですよ。ECWはWWEやWCWに比べてお金がない中で、頭と身体をフル活用してリングで表現してるところに惹かれました。クリス・ベノワがサブゥーを危険な角度のショルダースルーで首を壊すとプロデューサーのポール・ヘイマンが「お前は今日からクリップラー(壊し屋)だ!」と言ったり、タズがシュートファイターキャラでブレイクして、片羽絞め(タズミッション)があんなに怖い技なのかと思い知りましたよ。


──現地実況できちんと「片羽絞め」と日本語で言ってましたね。

山茶花さん そうなんですよ。試合や実況も含めてECWのスタイルには日本のプロレスへのリスペクトに溢れているんです。ECWって、なんか泥臭い魅力があるんですよ。メジャーなWWEやWCWとは全然違う、「お前らにこういう試合が出来るか!」みたいな反骨精神みたいなものが心に刺さりました。


── 先ほどお話にもありましたが、ECWは2001年に崩壊後に、WWEの1ブランドとして復活します。こちらに関しては賛否両論ありました。山茶花さんより「元のハードコアな感じが薄れて、WWEのエンタメ色が強すぎた」とのことですが、改めてWWE版ECWについて振り返っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  WWE版ECWは、なんかWWEのフィルターが掛かっていて、元の荒々しさが薄れた感じがしましたね。あくまでもWWEの1ブランドであり、ハードコア革命を掲げていたあの頃のECWではなかったです。テコ入れでクリス・ベノワが入りましたけど…。例えるなら、これはオリジナルではなくカバー曲なのかもしれません。


リングスの魅力

──では次にリングスの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  リングスは前田日明さんの存在がデカかったです。プロレスにハマる前から、前田さんの名前はなんか知ってたんですよ。テレビで取り上げられたり、読切漫画「前田日明物語」でめっちゃカッコよく描かれていたのも印象的でした(笑)プロレスに目覚めてからリングスの存在を知って、世界中の格闘家が集まって1つのルールで闘うというのは凄いリングだなと思いました。

──確かに!

山茶花さん だから「これ、絶対見たい!」ってなったんですけど、秋田じゃレンタルビデオ屋にリングスのビデオが全然なくて。母がWOWOWに加入していた職場の同僚に頼んで、リングスのビデオを録画していただいてました(笑)。初めて見た時、プロレスと格闘技の間みたいな独特の雰囲気にハマりました。


──そうだったんですね。


山茶花さん  高校に入ってから活動範囲が広くなって、そこで新しく見つけたレンタルビデオ店でリングスのビデオを見つけて借りるようになりました。あと新旧UWFも後追いで見てましたね。リングスって国別に所属が分かれていて、対抗戦の緊張感やそこからくる不穏な空気にドキドキしていました。それと国別の個性の付け方が上手かったですよね。立ち技ベースで荒くれ揃いのオランダ勢、複雑にも程がある関節技を見せるロシア勢に、前田さんの格闘人生の原点の一つである空手で猛威を振るったグルジア(現ジョージア)勢みたいに。リングスジャパンはその中で初期の長井さんの奮闘や山本さんがヒクソンと戦って名前を上げたり、田村さんの移籍があったりしてまた違ったドラマが好きでしたね。

 


三沢光晴さんの魅力

── ありがとうございます。では山茶花さんの好きなプロレスラーについて語っていただきます。まずは三沢光晴さんの魅力です。

山茶花さん  三沢さんは特別な存在なんですよ。エルボーを中心に試合を組み立てる技術とタフさ、相手との駆け引き、リング上での存在感、全部が「これがプロレス!」と思わせてくれる不世出のプロレスラーです。でも生観戦した時は、残念ながら三沢さんが6人タッグで負ける試合ばっかりだったんですよ。

──なかなか三沢さんが勝つシーンは生観戦では見れなかったんですね。

山茶花さん 三沢さんがプロレスリング・ノアを旗揚げして以降はDVD買い集めて、何度も見返してました。2009年に三沢さんが亡くなった時は、本当ににショックで…プロレス界にデカい穴が開いた感じでしたね。でもジータスで全日本やノアの試合は見続けて、三沢さんの魂がまだリングに生きてると思いましたね。


── 三沢さんが亡くなって今年(2025年)で16年なんですよ。

山茶花さん  早いですよね…やっぱり三沢さんは偉大ですよ。今でも三沢さんの試合を見るたび、プロレスの奥深さに引き込まれてますね。
 

 

プロレスをもう一度好きにさせてくれた救世主・棚橋弘至

 

 

── では棚橋弘至さんの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  棚橋さんは、僕の中でプロレスをもう一度好きにさせてくれた救世主みたいな人です。1999年のモヤモヤ期、プロレスから離れそうになってた時に、2002年の棚橋さんの「僕は新日本のリングでプロレスをやります!」と宣言したのが心に刺さったんですよ。2006年以降から何度もIWGPヘビー級王座のベルトを背負って、いろんな批判やプレッシャーの中で新日本を支えてた姿が本当にカッコよかったです。

──同感です。

山茶花さん  棚橋さんの試合見ながら、「プロレスってやっぱりスゴいな」って再確認できたんです。でも、オカダ・カズチカ選手が出てきてから、棚橋さんが少しずつ後ろに下がっていくのは切なかったですね…。でも、それもプロレスの歴史の流れならばって納得してます。


──確かにそうですね。


山茶花さん  棚橋さんといえば2001年から赤と白のショートタイツで躍動していた時代があって、ハーフハッチ・スープレックス・ホールドを使っているのが印象的でした。棚橋さんがいたからプロレスをもう一度好きになれたので本当に感謝しかないです!今の新日本プロレスがあるのは棚橋さんがいるからですよ。

──それは棚橋さんが聞いたら喜びますよ。

山茶花さん 誰かがいなくなれば、誰かが出てくるということを見事にプロレス界で体現したのが棚橋さんだったと思います。


──ちなみに2023年に当ブログで掲載した棚橋選手と作家・木村光一さんの対談をご覧になられたそうですね。


山茶花さん はい。昭和プロレス至上主義のような方々っていらっしゃるじゃないですか。2000年代にプロレスがK-1やPRIDEにひたすらしゃぶりつくされている時に、「あの時にプロレスはいっそ消えてなくなればよかったですか?」って問いかけてみたいです。リアルタイムで視聴した昭和プロレスファンの思い出の中に、ただ美しく残ればいいのか。今のプロレスを全否定して、昔のプロレスをひたすら賛美する人たちがSNSにいるので…今のプロレスに対する悪口を聞くのは、やっぱりつらいじゃないですか。過去あっての現在だし、未来は過去があってこそだと思うんです。

──そうですよね。あの対談は今のファンにも昔のファンにも届けばいいなと思ってやらせていただきました。


山茶花さん 木村さんはアントニオ猪木さんに近い方でしたし、古いプロレスファンの代弁者的立ち位置にいるイメージがあったんです。まさかその方と棚橋さんを繋ぐとは…棚橋さんと木村さんの対談を実現させてくれたジャストさんには本当に感謝しかないです。しかも緊張感がある内容だったんですけど、対談はロジカルな会話をされていて素晴らしい内容でした。

天龍源一郎さんの魅力

──ありがとうございます。では好きなプロレスラー・天龍源一郎さんについても語ってください。

山茶花さん  僕がプロレスを見る前から天龍さんの名前は知ってました。天龍さんのプロレスを見始めたのはWAR時代で、新日本との対抗戦がひと段落ついて、大仁田厚さんと電流爆破デスマッチや冬木弘道さんとの抗争を繰り広げていた時期です。

──そうだったんですね。

山茶花さん 本当に荒くれていて乱暴なんですけど、一本道を歩いているプロレスラーだなと。天龍さんの生き様がカッコいいんですよ。オカダ・カズチカ選手を引退試合に選んだ際に、一人新日本プロレスのリングに現れてリング上で受け身を見せた時は本当に痺れました(笑)。様々な大物レスラーに勝ちを重ねてきた記録だけでなく、CSやネットの時代になって鶴龍対決やサベージ戦をやっと見たり、またSNSで天龍さんの様々な逸話を知ったりして。元々好きな選手ではあったんですけど、改めてこの時代になって好きになったという感じです。引退近くに放送された天龍さんのドキュメント番組のタイトルが、「すべて天龍の生き様」だったのですが、まさに、という感じですね。

ショーン・マイケルズの魅力

──ありがとうございます。では好きなプロレスラーであるショーン・マイケルズの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  ショーン・マイケルズは真のエンターテイナーですよ!1998年に一度引退して2002年に復帰してから見るようになったんですけど、本当に攻めも受けも身体を張ったプロレスをしますよね。イリミネーション・チェンバーの金網上からダイビング・エルボードロップを見舞ったり、スイート・チン・ミュージックのキレとか、空中技の美しさ…彼は別格です。

──同感です。

山茶花さん  あと試合のクオリティーに外れがないのがショーンの魅力です。それから引退試合となったレッスルマニア26(2010年3月26日)でのアンダーテイカー戦は、プロレスの歴史に残る名試合ですね。最後、アンダーテイカーが「立つな」と首を振っているところをショーンが思いっきり顔を張って、首をかっ斬るポーズを見せて「やれるものならやってみろ!」と挑発して、アンダーテイカーが一気に白目になってジャンプしてツームストン・パイルドライバーを決めて勝利したときは正直ゾッとしました。



──アンダーテイカーに介錯されたショーンは以前、リック・フレアーの介錯人をしているので、介錯した人は誰かに介錯されるのかもしれませんね。

山茶花さん  歴史の数珠つなぎですよね。


クリス・ベノワの魅力

──ありがとうございます。では好きなプロレスラーであるクリス・ベノワの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  ベノワは、新日本時代から見ていたので思い入れが深いです。ダイビング・ヘッドバット、スープレックス、クリップラー・クロスフェースの精度、めっちゃ鳥肌立ちました。テクニックの化身ですよ!アメリカではECWを経てWCWに移籍しますけど、なかなか上に行けない印象でした。WWEに行ってからは、実力で一歩ずつトップにのし上がっていったのが嬉しかったです。


──確かに!

山茶花さん 2004年のレッスルマニア20で、ベノワがショーン・マイケルズ、トリプルHとの3ウェイを制して世界ヘビー級王座を獲得した試合後に親友である当時WWE王者のエディ・ゲレロが登場してベノワのベルト奪取を祝って抱擁したシーンは感動しました。でもその数年後…

──2007年6月24日、CMパンクとのECW王座戦に出場予定だったベノワがPPVを「家庭の事情」を理由に急遽欠場。翌25日にジョージア州の自宅で妻のナンシー・ベノワと息子とともに遺体で発見されました。捜査の結果、ベノワが22日に妻を縛ったうえで絞殺、翌23日には息子に薬物を投与し意識を失わせた状態で窒息死させた後に、自宅地下のトレーニングルームで首吊り自殺したと断定。自宅における多重殺人事件と自殺事件であると発表されました。アメリカでは無理心中という概念がないので、残念ながら彼は殺人者なんですよね。

山茶花さん そうなんですよ…WWEでは今後もベノワについて語ることはできないのかもしれませんが、彼の名前を語れるのがSNSのような場所なんですよ。ベノワの技術は今でもプロレスの教科書だと思います。人生の結末は残念でしたが、彼の功績は今でも色褪せないのではないでしょうか。
(第2回終了)






 

 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはXで「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを運営されているプロレスファンの山茶花究太郎さんです。
 
 
 
 
 
 


(画像は本人提供です)
 
 
山茶花究太郎(さざんか きゅうたろう)
毎週Xで水曜21:00から「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを開催しており、時には臨時営業も。その週に視聴する作品は、当アカウントの固定ポストなどでご確認をお願いします。

 

山茶花究太郎(@holyShitsuckit)さん / X

 

 

 

 

 
インタビュー初回は山茶花究太郎さんがプロレスとの出会いを振り返ります。ゲームから始まった興味が、深夜放送や生観戦へと発展する過程を詳細な会話で追体験。ファンとしての純粋な感動が、時代背景とともに語られ、プロレス入門の醍醐味を感じさせる内容となっています。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合
第1回 「プロレスとの出会い」
 
 
 

 


プロレスに対する興味の芽生え

 


──山茶花さん、この度は「私とプロレス」をテーマにしたインタビューにご協力いただき、本当にありがとうございます! 今日は山茶花さんのプロレス話をじっくりお聞きしますのでよろしくお願いします!
 

 

山茶花さん  こちらこそよろしくお願いします。

 

──まずは山茶花さんがプロレスにハマったきっかけは何でしたか?
 

 

山茶花さん  実は最初はプロレスにあまりピンときてなかったんです。子どもの頃、うちの祖父母がテレビで大相撲と一緒にプロレスを見てて、よく夕方の時間帯に放送があったんですよね。でも、正直、テレビから聞こえてくる「ガシャーン!」って鉄柵の音とか、選手の叫び声とか、なんか怖いイメージしかなくて。「何これ、乱暴なやつだな」って、子ども心に敬遠してたんです(笑)。
 

──その気持ちはよく分かりますよ。
 

 

山茶花さん その気持ちがガラッと変わったのは、中学2年生の頃、1994年ですね。スーパーファミコンの『スーパーファイヤープロレスリング』(以下『ファイプロ』)に出会ったのが大きかったです。『ファイプロ』はアクションゲームの延長みたいな感覚で遊んでたんですけど、技の名前とか選手の動きを見てたら、「あ、これってテレビでやってるプロレスと一緒だ!」って気づいて。そこから夜中の全日本プロレスの中継を見るようになって、どんどん引き込まれていったんですよ。
 

 

──『ファイプロ』きつかけでプロレスに興味を持つようになったんですね。
 

 

山茶花さん そうなんですよ。そして、気づいたら『週刊プロレス』とか『ゴング』とか、プロレス雑誌を本屋で買って読み漁るようになってました。もう毎週、発売日が楽しみで。高校で電車通学になった時は懐に余裕があれば『週刊ファイト』も買ったりしましたよ。本当に、『ファイプロ』がなかったらプロレスにハマることはなかったかもしれないですね。

── めっちゃいい話ですね!

山茶花さん  1994年からプロレスを好きになって、当時僕は14歳、中学2年生。ちょうど多感な時期ですよ(笑)。特に衝撃を受けたのが1994年6月3日・日本武道館で行われた三沢光晴VS川田利明さんの三冠ヘビー級選手権試合です。三沢さんが封印していたタイガードライバー'91を解禁して戦慄が走りましたよ!

── 確かに!

山茶花さん 僕は秋田県に住んでたんで、放送はちょっとタイムラグがあったと思うんですけど、土曜の深夜に新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』、日曜の深夜に『全日本プロレス中継』があって。関東の放送時間とはズレてたかもしれないけど、ほぼリアルタイムで熱狂してましたね。あの頃は隣室の祖父母に「早く寝なさい!」って怒られながら、こっそりテレビの音量下げて見てたんですよ(笑)。その時間がもう宝物みたいでした。

── 地方ならではのタイムラグですね!

山茶花さん  秋田だと1990年代初頭まで民放が2局しかなくて、放送環境が今より全然貧弱だったんです。でも、1992年くらいに新しい局が増えて、プロレスの放送枠もちょっと変わったんですよ。それで土曜と日曜の深夜に連続で放送があって、まるでプロレスのダブルヘッダーですよ!「今週から新日本と全日本、両方見れる!」って、めっちゃテンション上がってました。

──素晴らしい!

山茶花さん あの頃はビデオテープに録画した放送を正座して見てたんですけど、たまにテープが途中で終わっちゃって「うわ、続きどうなるんだ!」って焦ったこともありました(笑)。あの頃のワクワク感、今でも鮮明に覚えてます。

初めてのプロレス観戦

── 最高のエピソードです!では山茶花さんが初めて好きになったプロレスラーは誰でした?

山茶花さん  やっぱり三沢光晴さんです!あの人の試合を見て、プロレスの深さにハマったんですよ。三沢さんのエルボー一発一発に魂がこもってる感じ、本当にカッコよかったんです。

──同感です。

山茶花さん あと、動きのキレとか、相手との駆け引きとか、全部が「これがプロレス!」って感じで。翌日録画したビデオを見るのが楽しみでした

──ありがとうございます。

山茶花さん  生観戦は1995年5月30日・秋田県立体育館での全日本プロレスの興行です。あの時の興奮、忘れられないです。リングが目の前にあって、選手の息づかいとか技の音が直で聞こえてくるのが、テレビとは全然違いましたね。

──生観戦では体感する音がテレビとは全然違いますよね。

山茶花さん そうですね。当日は前もってチケットを買って、特リンの席で見たんですけど、リングサイドでの試合の迫力に圧倒されて。試合後に「これ、生きてるうちに何回見れるだろう」って本気で思いました(笑)

── 東北地方は全日本プロレスの興行多かったイメージがあるんですけど、実際はどうでした?

山茶花さん  そうなんですよ、東北は全日本のなんだか聖地みたいでしたね!秋田でも青森でも、結構ビッグマッチが組まれてたんです。スタン・ハンセン失神事件や小橋健太さんとスタン・ハンセンがブチ切れの大乱闘を繰り広げたりとか、東北ってちょっと事件性の強い試合が多いですね(笑)。

──そのイメージがあります!

山茶花さん 特に秋田では、秋山準さんが6人タッグマッチで川田さんに垂直落下式ブレーンバスターを決めて失神させて、会場が騒然となったのを専門誌で読んで今も覚えてますよ!あの頃の全日本、東北でかなり熱かったんです。テレビ中継も多かったし、地方のファンとしてはありがたかったですね。東北のファンの熱さもあって、会場全体が一体になってた気がします。プロレスのパワーってすごいですよね。


新日プロレスは独特の世界観で紡ぐ大河ドラマ


── ありがとうございます。ではここから山茶花さんには好きなプロレス団体について語っていただきます。まずは新日本プロレスです。


山茶花さん  新日本プロレスは独特の世界観で紡ぐ大河ドラマですよね。なんていうか、選手が一度出て行っても、また戻ってきてもちゃんと受け入れる懐の深さがあるっていうか。長年見てると、初期のメンバーから今に至るまでの変遷がドラマみたいで面白いんですよ。


──確かにそうですね。


山茶花さん たとえば、長州力さんとか、藤波辰爾さんとか、いろんな選手が出たり入ったりしても、新日本はちゃんとその選手のストーリーを紡いでいくじゃないですか。あの包容力が好きです。で、僕が特に印象に残ってる試合が、2015年のG1クライマックス、8月8日・横浜文化体育館での棚橋弘至さんVS柴田勝頼さんの試合なんですよ。

──2015年G1棚橋VS柴田は語れる名勝負ですよね!

山茶花さん あの試合、棚橋さんと柴田さんがそれぞれ影響を受けた先輩レスラーの影が何度もチラッと見えるんですよね。柴田さんがあの頃、ちょっと迷走してた時期から這い上がるきっかけになった試合で、めっちゃ心に刺さりました。決着も、なんか前田日明さんや藤波さんがいた頃の新日本を彷彿とさせる愛おしさや切なさ、それとどこか爽やかさがあったんですよ。

──同感です。

山茶花さん 後に棚橋さんが藤波さんと共にスカパーの番組でこの試合を見て振り返っていたことがあって。平成から令和に時代が移っていく中で、2015年の棚橋VS柴田は大事な一戦だったと思っています。

──この試合は活字プロレス要素が強かったですね。

山茶花さん 以前、フリー時代の柴田さんが対角線ドロップキックを放ち着地の際に左腕から不自然な体勢で落下して、左手首を骨折したことがあって。それをネットでめっちゃ叩かれてて、「柴田、なんでだ!」ってファンもザワついてたんですけど、僕は逆にその不器用さが柴田さんらしいなって思ってました。あのG1の試合は、そういう批判も全部背負ってリングに立ってる柴田さんの覚悟が見えたんですよ。

──柴田選手はG1では語れる名勝負が多いんですよね。 

山茶花さん そうですよね。試合内容も、棚橋さんとのぶつかり合いがリアルで、活字プロレスの要素も詰まってて。なんか、プロレスの歴史を体現してるみたいな試合でしたね。あと、僕、昔から『週刊プロレス』の山本編集長時代の誌面の影響をガッツリ受けていて、その頃の文章を読んでプロレスの奥深さにハマったので、こういう試合見ると、活字で読んだ感動がなんだか蘇ってくるんです。

── ちなみにプロレスから離れた時期とのことですが、どのようなことがきっかけでしたが?

山茶花さん  1999年の1.4東京ドーム、小川直也さんと橋本真也さんの試合、あれで一回プロレスから心が離れたんですよ。あの試合、なんかプロレスの枠を超えたセメント感が強すぎて、「これ、俺が見たいプロレスじゃない」ってモヤモヤしました。

──そうだったんですね。

山茶花さん 『週刊プロレス』の定期購読もやめて、しばらく深夜放送だけは一応チェックする感じになってました。でも、2002年2月の札幌でのいわゆる猪木問答で棚橋さんが「俺は新日本のリングでプロレスをやります!」と語ってから、プロレスに対して前向きな気持ちになれたんです。


──出てくる登場人物の言葉のやり取りが嚙み合わない中で棚橋選手が普通に「新日本でプロレスをやります」といったのは素晴らしかったですね。

山茶花さん あの時、みんなが格闘技にベクトルが行く中で棚橋さんだけが真っ直ぐだったのかなと思います。

(第1回終了)
 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストは伝説のプロレスラーであるドイツで発売されたローラン・ボック自伝『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス)日本版発売に向けて奔走されたボック本発起人であり、翻訳を務めた沢田智さんです。
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
沢田智(さわだ さとる)
島根県生まれ。学校を卒業後、放送局のエンジニアとして働く。オリンピックやサッカーワールドカップなどのテレビ中継で、ドイツをはじめ、南北アメリカやアジアなど、世界各地で業務を経験。放送業界専門誌への寄稿多数。プロレスファンとして独自のホームページを立ち上げて情報を発信。ブログ・ライター名は『FavoriteCafe』の管理人。2020年よりWebプロレス専門誌『週刊ファイト』に連載コラム『ファイトドキュメンタリー劇場』を執筆中。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
インタビュー最終回は、ローラン・ボック自伝の翻訳出版エピソードと心動かされた部分、好きな名勝負、今後の展望、そしてプロレスとは何かを問う。沢田さんの情熱がクライマックスを迎えます。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

私とプロレス 沢田智さんの場合 第1回「出会いの記憶」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

 

 
 
私とプロレス 沢田智さんの場合
最終回 「価値がないからこそ価値がある
 
 
 


ローラン・ボック自伝の出版秘話


──ありがとうございます。沢田さんはボック本の日本語翻訳を担当されています。この本が出版される経緯について教えてください。


沢田さん 2021年に、ローラン・ボックの自伝『BOCK!』がドイツで発売されたことをSNSの書き込みで知りました。しかし、日本語版の出版に関する情報は一向に見当たらず、気になりながらも時間だけが過ぎていきました。それでもどうしても読みたいという思いが募り、2023年の秋に原書を入手する決意をしました。

──どのような形で原書を入手したのですか。

沢田さん 日本国内で販売している店舗やサイトが見つからなかったため、ドイツのAmazonに直接アクセスし注文しました。慣れないドイツ語の注文画面で確定ボタンを押しながら、「本当にドイツから届くだろうか」と不安もありましたが、たとえうまく注文できていなくても仕方がないと思っていました。そして約10日後、予想以上に早く本が無事に届いたことに驚きました。


──そうだったんですね。

沢田さん 手に取った原書は写真も挿絵もなく文字だけがぎっしり詰まっており、まるで魔法の書のような印象を受けました。私のドイツ語力は学生時代に学んだ程度でしたので最初は最後まで読み切れるか不安でしたが、単語を調べながら読み進めるうちにボックの壮絶な人生に引き込まれ、約2ヶ月かけて一気に読み終えました。


──なかなか読み終えるだけで大変な印象を受けます。

沢田さん この本の魅力を昭和プロレスを知るファンの皆さまにぜひ伝えたいと思い、自分のホームページで一部を紹介しました。また、1978年のアントニオ猪木の欧州遠征や1981〜82年のローラン・ボック来日に関する報道と自伝に書かれている出来事を照らし合わせることも楽しみの一つでした。

──歴史研究的な意味合いもあったんですね。


沢田さん そうですね。この自伝はボック本人による「自伝」(正確には口述をライターがまとめたもの)であるため、多少の誇張や自己弁護、脚色も含まれている可能性があります。一方で、当時のプロレスマスコミが伝えきれなかった事実もあるかもしれません。そうした視点を持ちながら読むことで、より深く興味を持って読むことができました。感想や部分的な翻訳、検証記事をホームページに掲載すると、当時を知るファンの方々から反響もいただきました。


──それは素晴らしいですね。

沢田さん しかし、この本の魅力を完全に伝える難しさも感じました。また、著作権的な問題もあります。それでも、どうにかしてこの本をプロレスファンの皆さまと共有したいと考え、「それなら権利をクリアして日本語の本にしてみよう」と決意しました。しかし昭和プロレス、しかもローラン・ボックという非常にニッチなテーマの翻訳出版に理解を示してくれる出版社を探すのは容易ではありませんでした。



ボック本人から応援メッセージが届くもクラウドファンディングに苦戦



──確かにハードルが高そうですね。

沢田さん 紆余曲折の末、クラウドファンディングで資金を募る方法なら実現の可能性があると分かりました。しかし、実際にやるとなると、目標金額を達成できるかどうか不安しかありませんでした。ところがクラウドファンディングのスタートダッシュは思いのほか好調で、当初は最初の一週間で30%の達成率を目標にしていましたが、惜しくも届かないとはいえ、なんとか25%に達したため、まずまずの滑り出しと言えました。


──そうだったんですね。

沢田さん さらに、ローラン・ボック氏本人からも応援メッセージをいただきました。過去の人だからもう亡くなっていると思われているファンの方が多いのですが、まだご存命です。ボック自身、2021年にドイツで発行された当初から日本語版の実現を強く望んでいたそうです。ならば、この出版を成功させ、ボック氏に喜んでいただきたいと心から願いました。しかし、プロジェクトはスタートダッシュ後に徐々に停滞していったんです。

──そこから沢田さんの苦闘が続くんですね。

沢田さん 目標達成は自分自身への“通信簿”のようなもので、達成できなければ「企画に価値がない」と突きつけられるように感じ、期間中は不安と闘う毎日でした。「自分の夢はローラン・ボック自伝を日本語に翻訳して出版することです」と、顔写真付きでSNSに発信するし、リアルな友人にも面と向かって夢を語るのは恥ずかしい時もありましたが、それでもクラファンを成功させるためには、メッセージを発信し続け、支援をお願いするしかありませんでした。



──プロレスファンが集まるイベントにも足を運んでプロジェクトに向けて動いていたんですよね。

沢田さん そうなんですよ。イベントに行って最前列に座り、イベントの休憩時間には登壇者に直接挨拶をしました。これまでなら、絶対にしなかった行動でしたが、覚悟を決めれば何でもできると実感しました。突然の挨拶にも関わらず、どの方も快く応じてくださり、とても感謝しています。

──ありがたいですね。

沢田さん もうひとつの課題は「クラウドファンディングの仕組み」を理解してもらうことでした。ローラン・ボックが活躍したのは1980年前後の短期間で、その時代を知る方々は現在60歳前後。多くの方に「クラウドファンディングって何?」、「詐欺なのか?」という状態でスルーされるので、そういった方たちには、まず仕組みを丁寧に説明して理解してもらうことが重要でした。



──クラウドファンディングがどのようなものかという理解も広めないと支援は広がらないですからね。

沢田さん そうした課題を抱えつつも、熱烈な支援者が徐々に現れ始め、知らないところでも広がりが生まれて、プロレスファンの底力を感じる展開となりました。そして、目標額達成目前にはSNS上で「ローラン・ボック祭り」とも言える盛り上がりを見せました。
このプロジェクトは私一人の力では成し遂げられず、多くの方の力があってこそ『BOCK!』日本語翻訳出版プロジェクトが実現したのだと心から感じ、感謝しています。


──個人的には沢田さんの執念がプロレスファンを動かし、ボック自伝日本語版が発売されることになったと思いますよ。

沢田さん ありがとうございます。



ローラン・ボックは人を深く愛しつつ、その愛に溺れてしまう側面も持っていた



──では翻訳者として、この『BOCK』という本の中で特に心を動かされたエピソードや言葉はどこでしたか?

沢田さん 私が翻訳を通して感じたローラン・ボックの人物像を一言で表すなら、「無謀なまでに真っ直ぐな人」という印象です。貧しい家庭で育ったことも影響してか、逆境に強く、人生を自分の力で切り拓こうとする強い意志を持っていました。

──良くも悪くも真っ直ぐな人ですよね。

沢田さん また、「稼ぐ」ことに対する執念が非常に強い、筋金入りのハードネゴシエーターでもありました。子ども時代の小遣い稼ぎから始まり、ステーキハウス経営、プロレス転向、アントニオ猪木さんを巻き込んだ興行、映画出演、ディスコ経営、タイでの事業、そしてドイツ帰国後の起業活動まで、常に経営者としてビジネスの現場に立ち続け、サラリーマン経験は一度もありません。実は翻訳から省略した部分ですが、自分に似たプロレスゲームのキャラクターを見つけて「肖像権はどうなっているのか」と真剣に憤る姿もありました。そういった記述からは、歳を取ってもビジネスについては妥協しない部分が垣間見えました。

──そうなんですね。


沢田さん 自伝ではボックの家族への思いが随所に感じられますが、その中に印象深いエピソードがありました。とくに最初の妻カローラと別れ、彼女が家を出て行く場面が心に残っています。カローラは家を出る際に、ボックがなんとなく買って帰ったメキシコ五輪のお土産を持って出て行ったのです。そのことに気づいたボックは、彼女がそのお土産を喜んでいたことをあらためて知り、空虚な気持ちになった瞬間がありました。彼が本当に彼女に申し訳ないと思った心情に触れて胸が締め付けられるような思いでした。私の訳文で日本の読者にその感情が、うまく伝わったかどうか不安はありますが。


──ボックの心象描写が沢田さんの翻訳で見事に伝わった印象がありますよ。

沢田さん ありがとうございます。また、母親への優しさや、最初の妻や再婚した2番目の妻も幸せにできなかったことに対する後悔も伝わってきます。自伝ではありませんが、最近の現地スポーツ紙の報道では80歳になった今も悔やんでいる様子が伝えられており、家庭を顧みなかった自分を責めている姿が浮かびます。不倫相手にも真剣であった彼は、ある意味で「愛にあふれた男」だったのかもしれません。ゲイ疑惑も含め、ボックは人を深く愛しつつ、その愛に溺れてしまう側面も持っているように感じます。


──確かに!

沢田さん そして、何より印象的なのは「無謀さ」です。自分の体力に過剰な自信を持ち、過酷なアマレスのトレーニング、酒場での喧嘩、飛び入りのチャレンジファイト、妥協なきプロレス――どれも彼の身体を蝕んでいきました。経営者としても大胆すぎる判断で事業の拡大と失敗を繰り返しています。結果として、現在は事業も家族も失い、妹と息子が時折訪ねてくれるだけの質素な暮らしに戻っているようですが、それでも「後悔はしていない」と語る彼の姿には、どこか清々しさを感じます。

 

 

沢田さんが選ぶプロレス名勝負


──ありがとうございます。ここで沢田さんが選ぶ好きなプロレス名勝負を3試合挙げてください。


沢田さん まずは1976年6月26日・日本武道館で行われたアントニオ猪木vs.モハメド・アリです。当時は「つまらない試合」だなと思いましたが、なぜか「本当に猪木VSアリはつまらない試合だったのか」と気になってしまって、後年に猪木VSアリを再評価する番組が放映されたりして、色々と調べたり、映像を見直すと実は凄い試合だったと感じるんです。


──では2試合目を教えてください。


沢田さん これは1978年11月25日・ドイツ・シュツットガルトで行われたアントニオ猪木vs.ローラン・ボックです。最初見た時は「猪木さん、全然ダメだな」と思ったんですけど、やっぱり何度も見直すと、実はそうじゃないことが分かってきます。ボックと闘う猪木さんのプロレスに毎回新しい発見があるんです。


──あと3試合目ですね。

沢田さん 1980年2月5日・東京体育館で行われたアントニオ猪木vsスタン・ハンセンです。この試合のフィニッシュのエプロンの猪木に向けての横殴りのウエスタン・ラリアートは壮絶で、「猪木さん、死んじゃった」と心配するほどでした。技が決まった瞬間の衝撃は、ホーガン戦の舌だし失神のアックスボンバーどころではありません。


今後について

 



──ありがとうございます。では沢田さんの今後についてお聞かせください。

沢田さん 「次は何を翻訳しますか?」とよく聞かれますが、そもそも翻訳がしたいわけではないので、おそらくもう翻訳出版はしないと思います。ただ、ネットの海外記事でレアな面白そうなネタを見つけたら、ホームページ上で紹介したりはしたいと思います。


──それは楽しみです!

沢田さん 一方で、今回のクラウドファンディングで交友関係が広がった昭和プロレスを楽しむ仲間たちとは、昔のことを掘り起こしながら「猪木とは何か?」を探り続けていきたいと思っています。あと実はこんな夢を抱いていまして、現在、個人的に『週刊ファイト』の全紙コンプリートを目指すプロジェクトを密かに一人で進めております。


──それは気になります!

沢田さん 1977年から2006年の休刊までの分は、ほぼ収集できており、1970年以前については「縮刷版」で補完可能です。 しかしながら、1971年〜1976年の5年間分については入手が非常に困難で、現在のコンプリート率は10%程度にとどまっています。メルカリやヤフオクで高額なものを無理して購入したり、SNSでつながった昭和プロレスファンの方々にご相談したりしながら、少しずつ収集しています。 とはいえ、現存数が少ないようで、なかなか手に入りません。保存されている方にとっては貴重なお宝であり、譲っていただくのも難しいのではと感じています。

──確かにそうですね。


沢田さん そのため、譲渡が難しい場合は、借用してスキャンし、資料化するという方法も取っています。 何人かの方とは、手持ちの『週刊ファイト』の中から希望される号をデータ化して交換するなど、協力し合いながら進めている状況です。このブログをお読みになっている方で、古い週刊ファイトをお持ちの方がいらっしゃらないですかね。



沢田さんにとってプロレスとは何か⁈

 



──ありがとうございます。では最後に沢田さんにお聞きします。あなたにとってプロレスとは何ですか?


沢田さん プロレスって本当はあってもなくてもいいものなんですよ。でも、そんなどうでもいいものに一生懸命になるのが面白いわけで、価値がないからこそ価値があるのがプロレスなんですよ。それでも定義するなら私にとってプロレスとは…アントニオ猪木一代かぎりのエンターテインメントです。自分のプロレス世界観の中では、その彩りとして、ジャイアント馬場がいて、長州・藤波たち、その後の世代、闘魂三銃士などがいるのです。

──なかなか深いですね。


沢田さん 世の中に役に立たないものに対して、価値を見出す行為って結構楽しいことなんですよ。プロレスは存在しなくてもいい娯楽なのかもしれない。でもそこに大きな意義を見つけていくことがプロレスの奥深さであり、面白さじゃないでしょうか。


──よく分かります。

沢田さん 今のプロレスを見ないと話すと、「食わず嫌い」や「老害」と言われることもありますが、私にとっては、今のプロレスは形が似ていても全く別のエンターテインメントだと感じています。たとえば私はガス燈時代のプロレスに対して、知識としての興味はありますが、夢中になることはありません。しかし、その頃のプロレスをこよなく愛する人がいることは、否定する気はありませんし、プロレスの見方が違って当然です。ガス燈時代も昭和プロレスも、そして今のプロレスも、好きに楽しめば良いのですし、それぞれの楽しみ方を尊重し合うべきだと考えています。

──これでインタビューは以上です。沢田さん、今回のインタビューにご協力していただきありがとうございました。沢田さんの今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

 

沢田さん こちらこそありがとうございました。








【編集後記】
このインタビューを通じて、沢田さんのプロレス愛が幼少期から一貫して猪木中心にあり、ボックの翻訳出版のような行動力に繋がっていることが明らかになりました。インタビューを通じて、ファン心理の深みを浮き彫りにし、プロレスを「なくてもいいもの」として価値を見出す視点が印象的でした。全体として、昭和プロレスの魅力を現代に伝える貴重な証言となったのではないでしょうか。

(私とプロレス 沢田智さんの場合・完)





 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストは伝説のプロレスラーであるドイツで発売されたローラン・ボック自伝『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス)日本版発売に向けて奔走されたボック本発起人であり、翻訳を務めた沢田智さんです。
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
沢田智(さわだ さとる)
島根県生まれ。学校を卒業後、放送局のエンジニアとして働く。オリンピックやサッカーワールドカップなどのテレビ中継で、ドイツをはじめ、南北アメリカやアジアなど、世界各地で業務を経験。放送業界専門誌への寄稿多数。プロレスファンとして独自のホームページを立ち上げて情報を発信。ブログ・ライター名は『FavoriteCafe』の管理人。2020年よりWebプロレス専門誌『週刊ファイト』に連載コラム『ファイトドキュメンタリー劇場』を執筆中。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
インタビュー第2回は、沢田智さんがアントニオ猪木さんとローラン・ボックの魅力を熱く語ります。猪木さんの無謀さとやられっぷり、ボックの謎めいた存在感が、インタビューを通じて鮮やかに伝える内容です。さらに自身が運営しているホームページ『Favorite Cafe』の立ち上げ理由も明かされます。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

私とプロレス 沢田智さんの場合 第1回「出会いの記憶」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

 

 
 
私とプロレス 沢田智さんの場合
第2回 「アントニオ猪木とローラン・ボック
 
 
 





アントニオ猪木さんのプロレスは真剣勝負に見える


──ここから沢田さんには好きなプロレスラーについて語っていただきます。まずはアントニオ猪木の魅力です。



沢田さん いや、もう生き方もプロレスも含めて何もかもむちゃくちゃなところですよね。あと猪木さんの最大の魅力…それは徹底した“やられっぷり”にあると思います。


──確かに!

沢田さん 猪木さんは潔いほどに相手の技を受け止め、まるでボロ雑巾のようにマットに叩きつけられる姿をさらすんですよ。タイガー・ジェット・シン戦をはじめ、スタン・ハンセン戦やハルク・ホーガン戦においても、試合中に相手に対して「もっとハードに来い」と何度も挑発したという逸話があります。

──そうなんですね。

沢田さん 近年、よく1996年1月4日東京ドームで行われたビッグバン・ベイダー戦について語られることが多いじゃないですか。あれは本当に凄い試合で興奮しましたよ。


──あの試合は名勝負として語られますよね。

沢田さん プロレスラー・アントニオ猪木の晩年は衰えもあって力がなくなっていく中でやられる凄みを見せつけたのがベイダー戦でした。あとベイダーの自伝には興味深い記述があるんです。

──どんな記述なんですか⁈

沢田さん ベイダーのデビュー戦でリング上で交わされたやりとりで、猪木さんは「もっと徹底的に俺を殴れ」と言い続けているんですよ。まさに「壮絶」の一言に尽きます。猪木さんは自身の身体のすべてを差し出し、相手を引き上げ、リアルな試合を作り上げる。そのプロレスは、まさに猪木にしか成し得ないものです。これを真剣勝負と呼ばずして、何と呼べばよいのでしょうか。

──確かに!

沢田さん 猪木さんのプロレスは真剣勝負に見えるんです。例えばパンチの入れ方にしても、本気で怒って殴っている。その一方で自分が殴られてもいいという覚悟がある。自分も本気で、相手を本気にさせる。本気の果たし合いでずっと競っているのが猪木プロレスの魅力なのかなと思います。



ジャイアント馬場がいてこそのアントニオ猪木



──ちなみに猪木さんは40歳を過ぎてから衰えが見え出してくると思うんですが、その辺はどのようにご覧になってましたか?

沢田さん 衰えたら衰えたなりの見せ方を猪木さんはちゃんとやってましたね。ダメなところも見せるし、よだれを垂らしながら殴るみたいなこともやるし。40歳、45歳、50歳になっても、自分が出来る精一杯のプロレスを見せてきたのが猪木さんの生き方じゃないですか。

──それは79歳の生涯を終えるまで貫いたような気がします。

沢田さん そうですね。もうベッドで動けなくなってもエンターテイナーだから、動けない自分をさらけ出してきた。死ぬまで「アントニオ猪木」の生き方をやり通した猪木さんは凄いですよ。


──では1998年4月4日・東京ドームで行われたドン・フライとの引退試合はどのようにご覧になられましたか?

沢田さん そもそもめっちゃ強かったら引退試合なんてやる必要ないですし、自分ができる精一杯のプロレスを見せてくれていたと思います。



──対戦相手がドン・フライ(猪木引退試合対戦相手決定トーナメント優勝)になったのが意外でしたね。

沢田さん あれはもう一波乱ほしかったかな。小川直也が「俺がやる!」と言ってドン・フライを殴って交代してもよかったし、藤波辰爾さんが「ちょっと待った!」と出てきたら面白かったですね。ハプニングに期待をしてたんですけど(笑)。波乱もなくすんなり引退試合が終わった感じでした。

──確かにそうですね。猪木さんは2022年10月1日、79歳で逝去されました。猪木さんの訃報はどう受け止めましたか?

沢田さん 遂に…という感じですね。体調が悪いのは分かっていましたので覚悟はしてました。でも、心にぽっかり穴が空いたのは馬場さんが亡くなった時の方が大きかったですね。馬場さんの死には衝撃を受けました。猪木さんを好きになってからはそこまで馬場さんを応援していませんでしたが、やっぱり馬場さんがいてこその猪木さんなんだなと。



ローラン・ボックの謎めいた存在感


──ありがとうございます。では沢田さんの好きなプロレスラーであるローラン・ボックについて語ってください。


沢田さん ローラン・ボックはとにかく分からないレスラーなんですよ。謎が多くて分からないから好きなんです。噂とか報道ばかりが先行していつまで経っても、シュツットガルト以降の彼の試合が見れないし。やっと来日したと思ったら数試合しかやらない。IWGPリーグ戦に参加するのかと思いきや来ない。そのまま日本のファンの前から消えてしまった。ボックは何をしているんだろうと…何十年もずっと気になっていたんです。

──謎が多いプロレスラーですよね。

沢田さん その謎めいた存在感が彼の魅力ですね。メディアに登場する以前は、プロレスファンにとって、まるで未知の存在であったこと。そして、新日本プロレスと関わっていた約5年間も来日回数が極めて少なく、その間に多くの謎や幻想が膨らんでいったことも挙げられます。そのまま、弱さや人間らしい部分を見せる前に、突然マット界から姿を消してしまった点が、彼の神秘性をより一層強めていますよ。


──では実際にテレビでボックの試合を見た時にどのような印象を受けましたか。


沢田さん 投げ技が凄いなと。でも長い時間は闘えないんだろうなと感じましたね。あんまり技も多彩じゃないし、来日したときは、血栓症で体調が悪かったということなんですが。プロレスは全くうまくないけど、恐ろしく強いだろうなと思わせてくれた選手です。


──私がローラン・ボックという名前を知ったのは1992年、当時UWFインターナショナルで殺人スープレックスでKO勝ちを量産していたゲーリー・オブライトについて書いた記事でした。その記事でも「現在、ボックの消息は不明」と書かれました。


沢田さん 記事にも書かれているように、専門のマスコミでさえ知らないし、すべてが謎と幻想で包まれているからこそ、彼の真実の姿がどうであったのか、いつまでも興味が尽きることがありませんでした。そうした思いから、ドイツ語の原書を手に入れてでも読みたいと強く感じたのです。


アントニオ猪木とローラン・ボックは似ているけど…


──ドイツ語で書かれたボックの原書を読まれたときはどのような感想を抱きましたか?

沢田さん 破天荒な人生を生きてきたんだなと感じました。ボックさんはご存命なので、過去形はおかしいですけど。そして、この破天荒さはアントニオ猪木と似ているなと(笑)。


──ハハハ(笑)。

沢田さん ボックは著書で「猪木を目指していた」と書いていました。新日本プロレスのようなプロモーションを作りたかったと。あと青少年育成でもボックと猪木さんは意気投合したらしいので、あまり表には出てこない隠れた善行と言った部分でも、本当に二人は似てますね。


──なるほど。


沢田さん ただ猪木さんは金だけじゃなくてロマンをかけて大事業をやっていましたけど、ボックはひたすら金を追いかけていたという印象ですので、その点は違いますね。

──沢田さんが翻訳したボック本を読ませていただきましたが、ボックはプロレスラーのこだわりとかプライドとか言うんですけど、最終的には金に負けてやるんですよ。

沢田さん 猪木さんは最終的には金じゃなかったような気がするんです。もちろんお金をは好きなんだけど、最終的には誰かがなんとかしてくれるだろうという思いがあるんですね。それよりも優先したのは、自分の理想を実現すること。だから「5億円ほど集めてくれ」と、スタッフに軽く頼んでしまう。新間さんの苦労もかえりみず(笑)。でも最後は「しょうがねえな、俺が行くよ」と佐川会長にでも頭を下げる覚悟がある。30億円の借金だって、「どおってことねぇよ」ですからね。

 

──猪木さんらしいエピソードですね!

 

沢田さん ところがボックは、金が儲かるなら何にでも挑戦する。レスラー時代は世界チャンピオンになって、アンドレの様に世界一稼ぐレスラーになりたかったし、実業家時代でも世界一のディスコを経営して大富豪になることを目指していたんです。
夢を追って失敗するか、金を追って失敗するか、まあ、二人とも数々の大失敗をやらかしているところは共通してますけどね。


──ボック本なんですけど、読ませていただきました。本当に不思議な作品で、やや官能的な部分もあったり、先の展開が読めなかったです。以前、「Gスピリッツ」で那嵯涼介さんが担当したボックのインタビュー記事を読んで、「この人はナルシストだな」「過大に自己肯定していないか」という印象を受けました。

沢田さん はい。



──でもボック本を読むとなぜ、彼がナルシストにならざるを得なかったのかという理由が分かるんです。生い立ちや家庭環境、結婚や離婚、さまざまな成功と失敗といった壮絶な人生があるからこそなんだと。本人自身は愛情に溢れているんだろうけど、それが周囲に伝わりにくい。彼の人生そのものが、ずっとそのジレンマに包まれているような気がしました。



沢田さん はい。最初の奥さんが出て行った時の描写などからは、「本当に愛してたんだな」と感じます。彼女が亡くなったときの描写からも伝わってきます。ボックはその都度、出会う人みんなを本気で好きになっちゃう人なのかなという気がしました。無骨で取っつきにくくて不器用だけど、本当は愛に溢れた人なんです。


ホームページ『Favorite Cafe』を立ち上げた理由


──ありがとうございます。沢田さんは1970年代から1980年代のプロレス雑誌とテレビ番組から「昭和プロレス」を振り返るホームページ『Favorite Cafe』を立ち上げた理由

沢田さん もともと、自分のパソコンにはさまざまなプロレス関連のデータが蓄積されていました。特に手持ちのビデオについては、「いつの試合か」「どこでの試合か」をビデオの背表紙に正確に記入して、きちんと保存しなければ気が済まないA型で几帳面な私の性格なんです。それをやろうとすると、その都度ネットや雑誌の記事を調べる必要があって、非常に手間がかかっていました。

──そうなんですね!

沢田さん そんな苦労を重ねてデータが徐々に蓄積されていくうちに、いっそのこと、資料を調べる手間を省くために、自分でまとめようと考え、それがきっかけでホームページを立ち上げました。つまり、自分自身が調べるためのメモ代わりに作ったものなのです。なので、閲覧数も全く気にしていませんし、収益化するつもりもありません。ファンの方が調べたいときに、何かのお役に立っているとしたら、それでいいんです。

(第2回終了)




 
 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストは伝説のプロレスラーであるドイツで発売されたローラン・ボック自伝『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス)日本版発売に向けて奔走されたボック本発起人であり、翻訳を務めた沢田智さんです。
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
沢田智(さわだ さとる)
島根県生まれ。学校を卒業後、放送局のエンジニアとして働く。オリンピックやサッカーワールドカップなどのテレビ中継で、ドイツをはじめ、南北アメリカやアジアなど、世界各地で業務を経験。放送業界専門誌への寄稿多数。プロレスファンとして独自のホームページを立ち上げて情報を発信。ブログ・ライター名は『FavoriteCafe』の管理人。2020年よりWebプロレス専門誌『週刊ファイト』に連載コラム『ファイトドキュメンタリー劇場』を執筆中。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
昭和時代からのプロレスファンである沢田さんがなぜローラン・ボック本出版に向けて動くことになったのか?まずは沢田さんのプロレスファン遍歴を追うことにしましょう。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス 沢田智さんの場合
第1回 「出会いの記憶」
 
 
 



沢田さんがプロレスを好きになった理由

 


──沢田さん、この度は「私とプロレス」をテーマにしたインタビューにご協力いただき、本当にありがとうございます! プロレス愛をたっぷり聞かせてください。よろしくお願いします!
 
沢田さん こちらこそよろしくお願いします!
 
──まずは沢田さん、プロレスにハマったきっかけを教えてください。
 
沢田さん 物心ついた頃から、金曜夜8時は父と一緒に日本テレビのプロレス中継を見るのが習慣でした。幼少期から毎週のように見ていたので、いつからハマったのかは覚えていません。やっぱりアントニオ猪木さんの試合を見ているうちに、だんだん好きになっていったという感じですね。
 
──物心がついた頃ということは、幼少期からだったんですね。
 
沢田さん はい。あと当時の少年マンガにも「プロレス悪役物語」「大火炎放射」など、大げさなプロレスのイラストがよく載っていて、そうした世界観にも強く惹かれました。テレビ放送で特に印象に残っているのは、1969年5月の猪木 vs クリス・マルコフ戦。卍固めで猪木が勝利した試合です。その前のシリーズでは新必殺技の名前募集もあり、ワクワクしながら見ていました。
 
──そうだったんですね。
 
沢田さん あと翌年にザ・コンビクト(1968年から1970年にかけて活動した囚人姿の覆面悪役プロレスラー)来日も衝撃を受けました。「こんな危険な大男にジャイアント馬場さんが勝てるのか?」と子ども心に本気で心配しました。実際の試合内容はあまり覚えていないだけに、ザ・コンビクトはいまだに自分の中で“最強レスラー”の一人なのです。
 
──ちなみに沢田さんがご覧になっていた頃の日本プロレスはどのような印象を受けましたか?
 
沢田さん ひたすら馬場さんと猪木さんを応援してました。あと外国人レスラーが悪いヤツというイメージが根強かったですね。あの頃の日本プロレス界は日本人VS外国人がメインの図式だったので。日本プロレスで見ている一方でTBSで水曜夜7時から30分だけ放送されていた国際プロレスを見てまして、父がまだ帰宅していない時間帯だったので、自分の意思でチャンネルを合わせていたのだと思います。
 
──国際プロレスもご覧になられていたんですね。
 
沢田さん 特に外国人なのに反則をしないビル・ロビンソンの登場には驚きました。さらにカール・ゴッチとの夢の対決。アキレス腱固めの掛け合いから、その体勢のまま握手してブレイクする場面は、今も鮮明に覚えています。ゴッチがモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)にジャーマンを決めたシーンも感動的でした。他にも、シャチ横内が味方から敵に寝返ったときの衝撃や、ミスター珍がゲタ攻撃で笑わせつつ、めったに勝たないのに一度だけ勝った試合が放送されたときの大喜び——あの瞬間の嬉しさは、画面越しにその喜びを共有したような気がします。そうした毎週のワクワクと驚きが、私をプロレス好きにした原点です。
 
 
初めて好きになったプロレスラー
 
──ありがとうございます。では沢田さんが最初に好きになったプロレスラーは誰ですか?
 
沢田さん 最初に好きになったのは、もちろんジャイアント馬場さんですね。当時は馬場が絶対的に世界最強だと思っていました。
 
──そうなんですね!
 
沢田さん だいたい我々の年代はまず馬場さんでしょう。ところがある時期から、「もしかするとアントニオ猪木さんの方が強いんじゃないか?」と思うようになって——これは当時の常勝の読売ジャイアンツに対して、あえて阪神タイガースを応援したくなる心理に近かったかもしれません。
 
 
 ──それは分かりやすい例えですね。
 
沢田さん テレビ中継を見ていると解説者が「猪木君はここ1年、ロープブレイクしていないんですよ」と言っていたんです。「あっ、そうなんだ」と気にして見ると本当に猪木さんはロープブレイクしないんです。技をかけられてもロープに逃れずに自力で外している。ちなみに猪木さんのロープブレイクはロープをつかむんじゃなくて、エプロンに頭を突っ込むんですよ。これも独特で、猪木さんの意地や負けん気を感じまして好きになりましたね。
 
──ロープブレイクの話はなかなか興味深いです。
 
沢田さん そのうち猪木さんがテレビから消え、気づけば別チャンネルの中継でタイガー・ジェット・シンに毎週首を絞められている姿を見るように(笑)。しかもローカルの時差放送地域に住んでいたため、日曜の昼の放送、家族そろってのお昼の食卓でそれを鑑賞するという、なかなかカオスな時間でした。
 
──確かに!
 
沢田さん  振り返ってみれば、決定的だったのは1976年6月26日・日本武道館で行われたアントニオ猪木 vs モハメド・アリ戦です。中学時代、土曜日の半ドン授業を終えて、学校近くの電器屋に駆け込み、立ち見で中継を見ました。正直、そのときは何がすごいのか理解できず「世紀の凡戦」と思ったのですが、大人になってから4万円も出してビデオを探し求めたくらいです。今思えば、あの独特の緊張感に惹かれていたんでしょうね。
 
 
初めてのプロレス観戦

 
 
──ありがとうございます。では初めてのプロレス観戦はいつ頃でしたか?
 
沢田さん 私は新日本プロレスのファンでありながら、初めて観戦した試合は全日本プロレスでした。
 
 
──これは意外ですね!
 
沢田さん おそらく1982年頃のことで、その大会の招待券をいただいたことがきっかけだったと思います。対戦カードはあまり詳しく覚えていませんが、国際プロレスが消滅した後に全日本のリングに上がっていたアポロ菅原選手の回転エビ固めのスピードと迫力だけは、今でも鮮明に覚えています。
 
──アポロ菅原さんに目をつけるとはマニアックですね!実際に生観戦した感想はいかがでしたか?
 
沢田さん うーん、なんかテレビの方がしっかり見えるなぁっていう気がしましたよね。解説もありませんから。
 
 
──そうですよね。
 
沢田さん 僕が社会人になって、自分の自由に使えるお金ができてからは、年に2~3回のペースで試合を観戦するようになりました。当時は広島に住んでおり、主に広島県立体育館に足を運んでいました。特に第一回IWGP広島県立体育館大会の猪木対キラー・カーンの試合は、非常に印象深い思い出です。
 
 
──1983年のIWGPリーグ戦も観戦されているんですね!
 
沢田さん そうなんですよ。さらに、広島で行われた試合の中で、猪木&アンドレ対マシーンズの試合では、絶好調のアンドレが試合終了後に何度も「ダーッ」と叫んだシーンを目の当たりにできたことも、私にとってラッキーな体験でした。
 
──それは貴重な体験をされましたね。
 
沢田さん また、旧UWFが広島に来るたびに足を運びました。あの時代の旧UWF、特に一瞬だけ社名が変わった「海外U.W.F.」のチケットは今では貴重なものとなっています。ただ、旧UWFの試合では、仕事の疲れからか居眠りしてしまったことも何度かありました(笑)。
 
 
──ハハハ(笑)。
 
沢田さん テクニック合戦なんですけど、なんか退屈な気がしてそんなに面白いとは思わなかったんですけど、プロレスの教養になるので見ておこうと。
 
 
 
昭和新日本プロレスの魅力


 
──素晴らしいです!ここで沢田さんに好きなプロレス団体・昭和時代の新日本プロレスについて語ってください。
 
沢田さん 昭和というか、猪木さんが出ていれば何でもよかったというのはあります。だから長州力VS藤波辰巳は早送りで見る感じでした。
 
──そうだったんですね。
 
沢田さん 個人的な見方ですが、プロレスは、「ロープに振られれば必ず返ってくるもの」、「ジャイアント馬場が左足を上げれば16文キックは必ず命中するもの」、「ラッシャー木村が場外で額を押さえれば流血するもの」、「8時49分の延髄斬りでは必ずスリーカウント」といった程度には理解しつつ、楽しんでいました。それでもなお、私がプロレスに強く惹かれたのは、どこかで選手同士に本気の火花が散るような瞬間が垣間見えたときです。
 
──本気の火花ですか。
 
沢田さん 今にして思えば、それらはほとんどが一流レスラーの見せ場だったとはいえ、いまだに「あの○○のシーンの猪木は本気だったに違いない」と言えるような場面が数多く存在することこそが、新日本プロレスの大きな魅力だと思います。毎週テレビを見続けたのも、どこかで予期せぬアクシデントが起こった場合、それを見逃したくないという思いがあったからです。だからこそ、第1回IWGPの猪木選手の舌だし失神シーンには大いに興奮し、猪木さんの選手生命を本気で案じたものです。
 
 
──なるほど!
 
沢田さん 昭和の新日本では暴動がありましたけど、あんなの台本を書いてもその通りになりませんよ。それだけ一寸先がハプニングで何が起こるか分からなかった。
 
──暴動は起こしたくても起きるものではありませんよね。
 
沢田さん そうですよ。だから結構暴動待ちのところもあったかもしれないですね。暴動は演出では生み出せないリアルな出来事であり、それはかえって私のテンションを上げる出来事でもありました。
 
──テンションが上がったんですね!
 
沢田さん 普通の終わり方だと物足りないんです。猪木舌出し失神事件もそうですし、暴動もそうですが、意外性のある終わり方でないと、次に見に行こうかとならないんですよ。裏切られたら裏切られるほど嬉しいんです。
 
──ちなみに平成以降の新日本はご覧になってましたか?
 
沢田さん ほとんど見ていないです。ビデオ録画しても結果を見るだけで早送りしますから。猪木さんに関してもショータ・チョチョシビリ戦が事実上の引退試合だと思ってますから。これはちょっと面白いなと思ったのは1989年の日米ソの三国対抗シリーズ。でもいいカードが多く組まれていて、逆にお腹いっぱいになったんです。もういいやと。平成新日本に関しては猪木さんが出ている試合は喜んで見てました。昭和新日本というよりも、昭和のアントニオ猪木ワールドに魅せられて惹かれてしまったんでしょうね。
 
(第1回終了)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはアメブロ『へこんだ気持ちに空手チョップ★』を運営されているプロレスファンはゆみおさんです。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です) 
 ゆみお
北海道在住。2015年から新日本プロレス棚橋弘至選手のファンに。
その後は大日本プロレス、DDT、全日本プロレス、ドラゴンゲート、仙女にも足を運びました。
趣味でプラ板にプロレスラーを描く#プロレスプラバン をたまに作っています。
 
 
(インフォメーション)
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アメブロ「へこんだ気持ちに空手チョップ⭐︎」

プロレスはゆみおさんの日常にどんな彩りを与えているのか? ブログ『へこんだ気持ちに空手チョップ★』の裏話、プロレスで感じた喜びと葛藤、好きな名勝負、そして未来への思いを紐解きます。プロレスが人生に寄り添う存在であることを伝えるゆみおさんインタビュー最終回です。
 
 
 

  

 

 是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス ゆみおさんの場合
最終回「プロレスは私の日常にある」
 






ブログ『へこんだ気持ちに空手チョップ★』に込めた情熱


──ゆみおさんがブログ『へこんだ気持ちに空手チョップ★』を始めたきっかけは何だったんですか?

ゆみおさん   棚橋選手のファンになって、プロレスにハマったきっかけを残したかったんです。自分の経験を整理する意味もあって、プロレスの楽しさや棚橋さんの魅力を伝えたいなって。タイトルは、昔の栄養ドリンクのCMからインスパイアされました(笑)。プロレスを観ていると元気が出るから、このタイトルがピッタリだなって。  


── タイトルのネーミングセンスが素晴らしいですね。ブログでプロレスの魅力を発信するのは本当に大変だと思いますが、意義深いことをされていると思います。  


ゆみおさん   ありがとうございます! たまたまネットサーフィンして私のブログに立ち寄って読んでくださる人がいたら嬉しいなと思って更新しています。特に棚橋さんの意図とか、たくさんの方に伝わってほしいと思ってるんです。プロレスって、選手の言葉や行動に深い意味があると感じるので、それを私なりに伝えたいと思ったんです。  


──プロレスの魅力って、試合だけじゃなくて、選手のストーリーやファンとの繋がりにもある。ゆみおさんのブログは読んでみてエッセイみたいだなって思います。感情や熱量が伝わる文体が、プロレスファンの心に響きますよね。  


ゆみおさん エッセイですか?!ありがとうございます! そう言ってもらえると嬉しいです。記事数は多くないけど、読んでくれる人に何か感じてほしいなと思ってブログを書いてます。
サブタイトルの「プロレスで落ち込むこともあるけど、プロレスに救われるのも事実です」は、闘いで勝敗のある競技なので、負けたら悔しい悲しい、勝ったら喜びと楽しさでいっぱい、そういう意味合いです。棚橋さんは今年のラストG1の札幌で、11年ぶりにメインで勝利したんです。これまでG1やタイトルマッチのシングル戦で勝利をしたことがなく、最初で最後の「愛してま〜す!!」を地元で聞けて、もう歓喜でした。


──ゆみおさんの文体は、プロレスの熱さを伝える力がありますよ。ファンじゃない人にも刺さる魅力があると思います。  


 
ゆみおさん   ほんとですか(笑)。嬉しい! ブログ書いてると、自分のプロレス愛を再確認できるんですよね。棚橋さんの言葉とか、試合の感動を書きながらワクワクしてます。  



忘れられない名勝負

──ありがとうございます。ではここでゆみおさんの好きな名勝負を3つ教えてください。  


ゆみおさん   1つ目は2025年1月5日東京ドーム大会のケニー・オメガVSゲイブ・キッドです。この試合は第2回で語らせていただきました。

2つ目は2015年8月16日のG1 CLIMAX優勝決定戦、棚橋弘至VS中邑真輔です。

──良い試合でした!棚橋選手と中邑選手は永遠のライバル関係ですからね。

ゆみおさん 私がプロレスファンになったばかりで、思い入れがあって未だに見るんですよ。令和の新日本の大技が連発する攻防に比べると、派手な技が少ないかもしれませんけど、すごい熱い闘いにドキドキして吐きそうになりました(笑)。


──ハハハ(笑)。

ゆみおさん 中邑さんのプロレスを見たのが2015年だけなので、棚橋さんとのG1決勝戦を配信で観られて幸せでした。

──これが棚橋VS中邑で行った唯一のG1決勝戦だったんです。

ゆみおさん そうですよね。試合後に中邑さんが棚橋さんの腕を挙げたシーンは印象に残ってます。

──あの時点で中邑選手は新日本を離れる決心がついていたのかもしれません。

ゆみおさん そんな感じがしましたね。あとG1 CLIMAXという過酷なシリーズを走り抜けるプロレスラーは凄いなと…リスペクトしかないです。


──ありがとうございます。では3試合目を教えてください。

ゆみおさん 2018年8月12日、日本武道館で行われたG1 CLIMAX優勝決定戦・棚橋弘至VS飯伏幸太です。


──これまた素晴らしい試合ですね!

ゆみおさん 飯伏さんにはケニー・オメガがセコンドについてくると想定していたのですが、棚橋さんが入場してきたときに柴田勝頼さんがセコンドについた時は「ギャーー!!」となりまして、本当に驚きました。あれで新日本VS外敵という図式にもなりましたし、棚橋さんが会場の空気を掴んでいったような気がしました。

──同感です。

ゆみおさん 私はいい意味で「それはズルいよ、棚橋さん!」と思っちゃいました(笑)。


──飯伏選手を破ってG1制覇をした棚橋選手を試合後、柴田選手が肩車するんですよね。

ゆみおさん そうですよね。飯伏さんが後にインタビューで柴田さんが棚橋さんのセコンドについた時に「やられた!」と語っているんです。だから飯伏さんにとっても想定外だったのかなと思います。棚橋さんもヒザも腕も悪くて満身創痍になりながらも勝ちあがって、G1を優勝したので泣きました。その時はあの「情熱大陸」も密着して放送したんです!
あと棚橋さんは映画『パパはわるものチャンピオン』で主演を務めたのが2018年だったんですよね。そのG1を終えた直後に長かった髪を切って撮影に入ったんです!


──『パパはわるものチャンピオン』は良い映画でしたね!あの演技は棚橋選手にしかできないですよ。棚橋弘至をそのままやっているんです。それが妙にリアリティーがあって、プロの役者じゃないからこそできた彼らしい演技かなと思います。寺田心くんが役者として棚橋選手の師匠に見えましたから(笑)。


ゆみおさん 以前、『A–Studio』というテレビ番組に『パパはわるものチャンピオン』でプロレス記者役を演じた仲里依紗さんが出演していたことがあったんです。『パパはわるものチャンピオン』プロモーションも兼ねたものだったと思うんですけど、司会の笑福亭鶴瓶さんが「この棚橋という人、ええなぁ~。本当のプロレスラーなんやで」と絶賛してました。それが嬉しくて、棚橋さんのXにリプライすると「マジですか!!」と反応されて引用リポストされたんですよ。


──ハハハ(笑)。あの方らしいエピソードですよ!!

ゆみおさん 棚橋さんが鶴瓶さんに褒められたことを喜んでいたのが凄くほほえましかったです(笑)。


これからのプロレス愛


──ゆみおさんは今後、プロレスとどう関わっていきたいとお考えでしょうか?  


ゆみおさん   棚橋さんが2026年1月4日に引退しても、新日本プロレスを応援し続けたいです。引退したらもう見ないという人もいるかもしれないけど、新日本の選手たちがオモテに立ち並んでいて、その奥に棚橋社長が全力で奮闘していると思うとやっぱり応援せずにはいられないです。棚橋さんは全方位に明るさと楽しさをくれる方ですし、棚橋社長にはずっと新日本にいてほしいし、新日本にいる限り揺るがない気持ちで! です。 ブログでも、私なりのプロレスの楽しさを伝えていけたらなと思います。プロレスはいろんな人に元気をくれるから、もっと広めたいなって。  


──素晴らしいです! 棚橋さんが切り札として新日本を引っ張る姿、楽しみですよね。ゆみおさんのブログはプロレスファンの輪を広げる力になってると思います。  


ゆみおさん   そうですか?!ありがとうございます!棚橋さんは「3年後理論」をお持ちなんです。今、新日本の未来のために種まきと水やりをしていると思うので、いつか大輪の花を咲かせてほしいです。また可能であればなんですけど、ファンとの繋がりも続いてほしいですし、これからもプロレスを楽しみ続けたいです。  


プロレスは私の日常


──ありがとうございます。では最後の質問です。あなたにとってプロレスって何ですか?  


ゆみおさん   私にとってプロレスは…日常にあるものです。最初は敷居が高く感じたんですけど、ファンになって10年間見てきて、今ではプロレスは生活の一部なんです。楽しいものだし、いろんなジャンルのプロレスがあってワクワクさせてくれるんです。だからプロレスが存在してくれて、心から「ありがとう」と言いたいです。

  
──最高の答えです! 1950年代アメリカのプロレス興行の映像を拝見すると、観客はタキシードやドレスでビシッとしていて、本当に敷居が高かったんですけど、今は日常にあって、誰でも楽しめる娯楽ですよね。

 
ゆみおさん   日常にあって楽しい、こんな素晴らしいものはないなと思うんです。プロレスがあるから、毎日がちょっと明るくなるんです。  


──これでインタビューは以上となります。ゆみおさん、ありがとうございました!
今後のご活躍をお祈り申し上げます。

ゆみおさん こちらこそありがとうございました!




【編集後記】
このインタビューは、ゆみおさんのプロレスファンとしての10年間の軌跡を辿る旅でした。2015年の「Number」をきっかけに新日本プロレスのファンになり、棚橋弘至選手の人間味や言葉に救われたエピソードは、プロレスの深い魅力の一端を示しています。石川勇希選手の神秘的なオーラ、ゲイブ・キッド選手の日本人らしい情熱、そして棚橋選手の揺るがない決意に心を掴まれたゆみおさんの語りは、プロレスが単なるスポーツではなく、人生に寄り添う存在であることを教えてくれます。ブログ「へこんだ気持ちに空手チョップ★」を通じて、プロレスの楽しさを発信し続けるゆみおさんの情熱は、ファン同士の繋がりをさらに強くするでしょう。ゆみおさんの「プロレスは日常にあるもの」という言葉は、プロレスの普遍的な魅力を象徴しています。これからも、ゆみおさんのプロレス愛が多くの人に届くことを願います。

(私とプロレス ゆみおさんの場合・完)


 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはアメブロ『へこんだ気持ちに空手チョップ★』を運営されているプロレスファンはゆみおさんです。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です) 
 ゆみお
北海道在住。2015年から新日本プロレス棚橋弘至選手のファンに。
その後は大日本プロレス、DDT、全日本プロレス、ドラゴンゲート、仙女にも足を運びました。
趣味でプラ板にプロレスラーを描く#プロレスプラバン をたまに作っています。
 
 
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アメブロ「へこんだ気持ちに空手チョップ⭐︎」
第2回となる今回はゆみおさんが心から愛するプロレスラーたちの魅力を語ります。 リング上での輝きや、ファンとしての心の揺れを深掘りします。それぞれの選手がゆみおさんの人生に与えた影響と、プロレスの深い感動が伝わる第2回。推しへの愛が溢れるトークをお楽しみください!
 
 
 

  

 

 是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス ゆみおさんの場合
第2回「私が愛するプロレスラーたち」
 




石川勇希さんの鬼気迫る魅力

──好きなプロレスラー3人を教えてください。まず1人目は?  

ゆみおさん   元、大日本プロレスの石川勇希さんです。2023年4月、大日本プロレスの北海道大会で初めて見て惹かれました。リング上での鬼気迫る雰囲気と、リングを降りたときの穏やかなポワンとしたギャップにやられました! なんか、リングではめっちゃ闘志に燃えてるのに、リングを降りたら本当に優しい笑顔でホワンとしていて、不思議な雰囲気の選手だな〜と感じましたね。そしてファンを大切にする人柄が伝わってくる気がしました。

  
──そのギャップ、いいですよね。石川選手って、独特のオーラがありますよね。大日本のデスマッチシーンを牽引してた選手ですし、ファンからも愛されてました。   


ゆみおさん   そうなんです!リングに上がると目がキリッとして、まるで別人みたい。デスマッチは苦手だったんですけど「めちゃくちゃカッコいい!」って思えるようになったんです。血を流しながら闘う姿が、なんかアートみたいで。なので、デスマッチが見られるようになったのは本当に石川さんのおかげなんです。
そしてこれは1番思っていることなんですが、何よりも石川さんに血がとても似合うんです!!石川さんは顔立ちがクールなので、頭やオデコから流血するとその姿がめちゃくちゃ絵になるんです!!


──デスマッチにハマるって、相当なフリークですよ! 蛍光灯の破片や血が飛び散る中でも「綺麗」って感じる人、いますよね。僕も大日本の試合を見たとき、選手の覚悟に圧倒された記憶があります。  


ゆみおさん   石川さんが流血してから覚醒する感じがたまらないんです。
蛍光灯の破裂のバンッ!ボンッ!ていう音と、ガシャーン!バキバキ!っていう音と観客の歓声が混ざって心臓バクバクでした。でも見ながら「うわーー!」「きゃーー!」「カッコイイ〜〜!」って発しながら見てました(笑)


──地方興行もそうですが、コンパクトな会場の場合、デスマッチの迫力はより直に伝わる。


ゆみおさん   そうなんです!大きすぎる会場だと迫力が伝わりにくいと思うんです。
石川選手は試合後リングを降りた後のサイン会でも、流血したままファンの皆んなにサインをしてくれて。私はそれまで、デスマッチを終えた選手のサイン会に参加したことがなかったので驚きでした!なんてタフなんだろうって。一人一人に笑顔で接してる姿を見て、なんか人間味に溢れてるなって。プロレスって、リング上だけじゃなくて、選手の人柄にも惹かれるんですよね。  



石川勇希さんの引退




──石川さんが2024年8月12日の大日本プロレス・後楽園ホール大会で引退された時はどんな気持ちでした?  


ゆみおさん   7月に引退発表を聞いた時は、とてもショックでした。もう頭真っ白というか、素直に受け入れたくなかったです。引退発表されて、仕事の都合で現地に行けず、友達と集まって配信で引退試合を見ました。ショックだったけど、怪我の影響で思うように動けない状態だったみたいで、彼の体を思うと受け入れるしかないなって。でも、心の中では「まだ見ていたかった」って気持ちが強かったです。



──選手の決断は尊重しないといけないですけど、ファンとしては辛いですよね。僕も以前、単行本の取材で竹田誠志選手に注目してる若手として石川選手を挙げられていたので気になってたんです。

ゆみおさん   そうなんですね! 私は葛西純選手とのエピソードも印象的で、試合で葛西さんから託されたバンダナをコスチュームに付けてたんです。それが再び闘おうっていう約束の証だったみたいで、引退時に葛西さんがそのことに触れてて、ジーンときました。プロレスは選手同士の絆も見えるから、余計に心に残るんですよね。  

──プロレスラー同士の絆は特別ですよね。
  
ゆみおさん   引退試合の最後、リングで石川さんがファンに挨拶してる姿を見て、涙が止まらなかったです。でも、彼の闘いを見てきたからこそ、これからも応援したいなって思いました。プロレスって、引退しても選手の魂が残る気がするんです。  
私がファンになったのは、わずか1年4ヶ月という短さでしたけど、デスマッチファイターとして生きた、プロレスラー石川さんを忘れることはありません。




ゲイブ・キッドの情熱
 
──2人目の好きな選手、ゲイブ・キッド選手について教えてください。  

ゆみおさん   ゲイブ・キッド選手は、LA道場で柴田勝頼選手に育てられた外国人選手。日本人より日本人らしい振る舞いをするんですよね。言葉の発信力が強くて、試合もめっちゃカッコいいんです! 特に、リング上での闘志溢れる姿と、インタビューでの真っ直ぐな言葉に惹かれます。  

── ゲイブは行動や言動が日本人のようですよね。柴田さんの厳しい指導を耐え抜いた強さがすごい。LA道場出身の選手って、なんか独特のハングリー精神がある気がします。  

ゆみおさん   そうなんですよ。2021年頃、札幌大会でセコンドについて献身的に頑張っているゲイブを見ました。当時はとても細身な好青年って感じだったけど、今のワイルドな姿とのギャップもいいんです。7月4日の東京武道館での棚橋さんとの試合を生で見たかったので、遠征しました。

──あの試合、熱かったですよね! ゲイブが棚橋選手の全盛期を一瞬、過らせるほど見事に引き出して、棚橋選手の攻撃を受け止めた上で勝ちましたね。そして、試合後にゲイブがマイクで日本語で「2022年、オレ、メチャ、精神的病気ネ。メチャ、精神的病気。棚橋サン、1時間、2時間、FaceTime……」と泣きながら棚橋選手に感謝を伝えて、「
棚橋さん、まだ6ヵ月。プロレス人生。あと社長人生頑張って。新日本プロレス、ゲイブ・キッド、大丈夫だ。新日本プロレス、トップに行く! 最後、タナハシさん、愛してま〜す!」で締めると大の字になって聞いていた棚橋選手も泣いてしまうという感動的なシーンがありました。

ゆみおさん    本当に素晴らしい試合でした。「100%、1000%で来い!」という戦前の煽りも凄かったですし、私にはゲイブの試合はなんか胸に刺さるものがあって見てて引き込まれるんですよ。ゲイブがコロナ禍でイギリスに帰れなくて、新日本の道場で過ごしていた時も、棚橋さん、柴田さんや辻くん達がピザパーティーやハンバーガーパーティーを開いて励ましていたんだなって。これまでの背景があるので東京武道館の試合は、棚橋さんとの絆に感動しました。  

──同感です。

ゆみおさん 2022年の精神的病気を告白してから棚橋さんに「愛してます」に繋げていくゲイブの”言葉力”に胸がいっぱいになりました。 

── ゲイブはワードセンスが抜群で、言葉の魔術師のような選手かなと思っています。新日本のアメリカ興行を宣伝するために、ニュース番組に出てWWEやAEWをこき下ろして、新日本を絶賛するんです。英語でも日本語でもメッセージを届ける力がありますよね。


ゆみおさん あと綺麗な日本語を話しますよね。日本人が話しているような感覚になるんですよ。


ゲイブ・キッドの尋常じゃない闘志


────彼は1990年代、2000年代という言葉を日本語で言いますからね(笑)。
ゲイブの試合スタイルはどう思いますか?  


ゆみおさん 柴田スタイルで、猪木さんを意識してるような選手は新日本でもゲイブしかいないような気がします。1.5のケニーとの試合は、血を流して生きざまが見えた試合でした。終盤は泣きながら見てました。


── あの2025年1月5日の東京ドームの試合、ウォードッグスのジャージからライオンマークのコスチュームを見せた瞬間、会場が沸きましたよね。新日本の誇りを体現したパフォーマンスでした。  


ゆみおさん 東京ドームに立つ選手は目立つコスチュームで入場したいと思いますよね。でもあのジャージ姿で入場からの、ジャージを脱いでライオンマークが見えたとき、画面見て「わーー!!」って声が出ました(笑)そして画面越しでも、あの試合の最初でドームが沸いた瞬間でしたよね。あれでファンの心を掴んでいったような気がします。
ケニーとの試合なので、間違いなく血を流すことは必然だと思ってたし、どんなにやられてもやられても向かってく姿が胸に来ましたね。闘志がみなぎる姿に感動をもらいました。


魅力が詰まりに詰まったプロレスラー・棚橋弘至選手

──3人目は棚橋弘至選手ですね。改めてになりますが、彼の魅力について語ってください。  


ゆみおさん 棚橋選手はプロレスを好きになったきっかけの選手。「棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか」って本を読んで、ポジティブシンキングの前に全てを受け入れる考え方に救われました。

──あの本、名作ですよね。どんな部分に衝撃を受けましたか?

ゆみおさん ファンになる数年前に婦人科系の手術を受けて、ずっとモヤモヤしてたんです。自己啓発本を読み漁ってたけど、棚橋さんの「全てを受け入れる」って言葉で、子供が産めない事実に向き合ってなかった自分に気づきました。だから棚橋さんには感謝の気持ちでいっぱいです。



── 棚橋選手のどんな魅力に惹かれましたか?  


ゆみおさん 棚橋さんは魅力が詰まりに詰まっていて。リング上で険しい顔して闘ってる姿と、リングを降りた柔らかい表情のギャップ。筋肉ムキムキの王子のようで、ファンサービスもすごくて、こんな人が世の中にいるのかって衝撃でした。初めてプロモーションの屋外撮影会に参加した時、途中から雨が降ってきて、棚橋さんが「そのまま置いたらカバンが濡れちゃうよ」の一言で荷物置き場のパイプ椅子が用意されたのには驚きました!選手がそんな配慮まで?!と。笑顔で、頑固で、あざとくて、涙もろくて、とてもファン想いで、人間味が溢れ出ているところが本当に魅力です。
あと思い出深いのが、欠場からの復帰宣言で、クルクルヘアーにして登場したり、短パンで登場したりしたことがあったんです。お客さんに悲壮感を与えないよう、別のところに注目させるのは凄いなと思いました!


──ファンサービスの神様ですよね。リング上での闘志と、リング外の優しさの相反するギャップが、棚橋さんのカリスマ性を際立たせてますよね。  

ゆみおさん そうなんですよ。プロレスとファンに対する愛情が凄いんですよ。
あと棚橋さんの言動ですね。「チャンピオンは社員と家族を食べさせていく頼りになる男のこと」「楽しいことがなかった日は僕を見てください」とか。
2020年頃にアメリカと札幌の大会が同時開催されたことがあって、棚橋さんや他の選手も札幌は欠場になったことがあったんです。「解決方法はもう分かってる、同時開催しなければいい」とピシャリとポッドキャストでおっしゃっていたのも、とても印象深かったです。あとネット媒体で「お悩み相談」とか、プロレスを例えつつ私たちの生活に入り込む言葉で残してくれていて、発信力がすごいなと感心しました。ほぼ毎日更新してくれるアメブロの記事や、ポッドキャストも、ちょっと砕けた文章や話もホントにおもしろいです!


── 棚橋選手は才能型ではなく努力を積み重ねてきたプロレスラーで、普通の人が頑張って超人になったと思うんです。また試合を始め、営業、芸能、文章、SNSなどありとあらゆる活動を通じて、多くの人々にフックとして引っかかってもらって、プロレスに触れてほしいというのが彼の原動力でありモチベーションなので、本当に業界のために尽力している。まさにプロレス界のエースですよ。 


ゆみおさん 同感です。そういったことをファンになるずっと前から、長い間行なってきてるんだと思うと本当に尊敬しかないです。いつも棚橋さんに惹きつけられっぱなしです(笑)。




棚橋弘至選手と作家・木村光一さんとの対談  


──あと棚橋選手は24時間オンで生きている人かなと。その生き方はアントニオ猪木さんに近いかもしれません。


ゆみおさん 公開時に観れなかった、映画「アントニオ猪木をさがして」を観て棚橋さんが猪木さんに近づいてる感じがして、ファンとして入り込めました。  

──あの映画、賛否ありましたけど、良い作品だったと思います。

ゆみおさん 猪木さんの歴史を知らない私にもわかりやすい映画でした。賛否両論があったかもしれませんが、この映画を観たり携わることで、各々が「アントニオ猪木をさがして」、想いを馳せるといいのではないかなと思います。


プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 前編「逸材VS闘魂作家」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌
 

プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 後編「神の悪戯」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌


棚橋弘至選手☓木村光一さん対談 前編・後編を読ませていただいて | へこんだ気持ちに空手チョップ☆




──ゆみおさんは 棚橋選手と作家の木村光一さんとの対談を読まれて後日、感想記事をブログで更新してくださいましたが、こちらの対談はいかがでした?


ゆみおさん 棚橋さんと木村さんの対談記事を読ませてもらって本当によかったなと思います。

──ありがとうございます。

ゆみおさん 最初、読む前は「どうなるんだろう…」とドキドキしました。でも双方の想いが伝わってきて素晴らしい記事でした。私は棚橋さんが「(猪木さんが)あらゆることをやり尽くした上で自らが創設した新日本に帰ってきた。このシチュエーションはプロレスの領土をむちゃくちゃ広げた王が元にいた場所に凱旋した『王の帰還』のドラマのエンディングだと僕は考えたんです。そしてその帰還した王が戻る場所はやはり新日本プロレスの道場しかない」と言われた時は鳥肌がたちました…。

──同感です。私も木村さんも対談中、棚橋選手の「王の帰還」という言葉には大きく頷きましたよ。そこから猪木アリーナという話が飛び出した時も木村さんも賛成されてました。

ゆみおさん 対談中に出てきた常設会場のくだりなんですけど、もし猪木アリーナが設立されたら東京に移ります(笑)。おばあちゃんになっても通いたいです。設立当時はヤングライオンだった選手がベテランになって「あの人、昔から来ている常連なんだよ」 と言われたいですね(笑)。

──もはや”新日おばあちゃん”ですね!

ゆみおさん 今、思い描いている将来の目標です(笑)。



「棚橋引退」の衝撃


── 去年10月の両国大会で棚橋さんが引退を発表したとき、どんな気持ちでした?

ゆみおさん 25周年をお祝いしに東京に遠征して両国大会を生観戦したんですけど、急に引退発表されて唐突すぎて、思わず泣きましたよ。東京から北海道に戻ってもずっと頭が真っ白でした。


──確かにいきなりの引退発表でしたね。

ゆみおさん その時が来たのか…と。でも棚橋さんは一度決断したら絶対曲げない頑固な人だから、社長に専念して新日本を立て直す覚悟を感じました。


──同感です。

ゆみおさん そんな棚橋さんが引退を決断したのだから、ファンも覚悟を決めて受け止めないといけないなと思うようになりました。とにかく怪我には気を付けていただいて引退試合まで走り抜けてほしいです。

(第2回終了)



 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはアメブロ『へこんだ気持ちに空手チョップ★』を運営されているプロレスファンはゆみおさんです。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です) 
 ゆみお
北海道在住。2015年から新日本プロレス棚橋弘至選手のファンに。
その後は大日本プロレス、DDT、全日本プロレス、ドラゴンゲート、仙女にも足を運びました。
趣味でプラ板にプロレスラーを描く#プロレスプラバン をたまに作っています。
 
 
(インフォメーション)
Xアカウント: @smile_chop
Instagram : smile.chop
アメブロ「へこんだ気持ちに空手チョップ⭐︎」
 北海道在住のゆみおさんが、新日本プロレスの世界に飛び込んだ瞬間とは? 2015年のスポーツ雑誌「Number」の表紙をきっかけに始まったプロレス愛、初めての会場観戦での胸の高鳴りや、プロレスの奥深い魅力が詰まった第1回。ゆみおさんの情熱が、プロレス初心者にも熱く響きます!
 
 
 

  

 

 是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス ゆみおさんの場合
第1回 「プロレスとの出会い」
 
 
 





プロレスの扉を開いた瞬間


──ゆみおさん、この度は「私とプロレス」をテーマにしたインタビューにご協力いただき、本当にありがとうございます! プロレス愛をたっぷり聞かせてください。よろしくお願いします!

ゆみおさん  こちらこそよろしくお願いします!


──ゆみおさん、プロレスにハマったきっかけを教えてください。  

ゆみおさん   2015年7月に発売されたスポーツ雑誌「Number」がきっかけです。普段、書店に行ってもプロ野球やサッカー、フィギュアスケートの選手が表紙のことが多いですよね。でも、その号はドーンと「新日本プロレス」って書いてあって、めっちゃ目を引いたんです。

──「Number」がきっかけだったんですね!

ゆみおさん プロレス自体は、弟が1990年代に全日本プロレスを見てたので名前くらいは知ってましたけど、こんな有名なスポーツ雑誌がプロレスを大々的に取り上げるなんて!って、なんか新鮮で興味が湧いたんです。それが私のプロレスへの入口でした。  


──確かに、「Number」がプロレスを本編で取り上げるのは珍しいですよね。過去にも三沢光晴さんや中西学さんが表紙になったことはありますけど、年に1回くらい。1990年代だと、ボクシングや柔道、PRIDEとかK-1が多かった印象です。  

ゆみおさん   そうなんですね! なんか、いつもと違うインパクトがあって、表紙の棚橋弘至さんのギラギラした姿に引き寄せられました。肌が黒くて、焼けてて、とてもエネルギッシュな感じ! なんか、「この人、ただ者じゃないな」って思っちゃって。  

──あの表紙、確かに棚橋さんのオーラがすごいですよね。2015年は新日本が上昇気流に乗ってた時期で、中邑真輔選手、内藤哲也選手、オカダ・カズチカ選手、飯伏幸太選手、柴田勝頼選手、AJスタイルズ、ケニー・オメガとか、錚々たるメンバーが揃ってました。プロレス界全体が熱かった!
 
ゆみおさん   そうなんですよ! 今思えば、すごい時代だったんだなって。棚橋さんの表紙を見て、なんか運命的なものを感じたんですよね。そこからプロレスの世界にどっぷりハマっちゃいました。  

──運命的って、いい表現! あの頃の新日本は特に団体の勢いもありましたし、どんどんファンを増やしてました。ゆみおさんがハマったのも納得です。  

ゆみおさん   あと棚橋さんがロングヘアーなのもカッコイイなと思いました。ロープに走ると髪がなびいたり、ポニーテールにするのもカッコよくて。それまで私には、プロレスラーがポニーテールをするという概念がなかったので、他にこんなに似合う人いるかなと思うくらいカッコイイです!



初めての推しレスラー


──初めて好きになったプロレスラーは誰ですか?  

ゆみおさん   先程お話した棚橋弘至さんです! 「Number」の表紙で初めて知ったんですけど、北海道に住んでるんですが、ちょうどその直前にG1の札幌大会が終わってて、見逃したのが悔しくて!「こんなカッコいい人が地元に来てたのに!」ってショックでした(笑)

 ──それは残念! 札幌って、昔は新日本が年1~2回しか来なかったですよね。  

ゆみおさん   そうなんですか! ハマっていくうちに冬の札幌大会が開催されるようになって。弟から聞いた話だと、藤波辰爾さんがトランクス一枚でタクシーに乗って帰ったってエピソードがあって、笑っちゃいました(笑)。  


──そうそう、雪の札幌の伝説! 藤波さんが「こんな会社辞めてやる!」って飛び出したんですよね(笑)。あの頃のプロレスって、選手の個性がめっちゃ濃くて、リング外のエピソードもドラマチックだった。  

ゆみおさん   ほんと、プロレスってリングの中も外も面白いですよね。棚橋さんのことをもっと知りたくて、ネットで調べたり、試合の動画を見たりして、どんどんハマっていきました。棚橋さんの笑顔とか、ファンへの優しさとか、なんか人間味があって惹かれたんです。  

──棚橋さんの人間味は特別ですよね。2010年代の新日本を支えたエースで、ファンサービスもバッチリ。ゆみおさんがハマったのも、棚橋さんの魅力が大きいんだろうな。  

ゆみおさん   そうなんです! 棚橋さんの試合を見ると、元気が出るんですよね。プロレスって、ただの格闘技じゃなくて、ストーリーや感情が詰まってるんだなって気づきました。特に、棚橋さんがリングで輝いてる姿を見ると、自分も頑張ろうって思えるんです。  


初観戦のドキドキ

 
──初めて会場でプロレスを見たのはいつですか?  

ゆみおさん   2015年12月11日の青森県武道館大会です。札幌の試合日程がわからなかったから、思い切って初遠征しました。ファンクラブでチケットを購入したら最前列で。初遠征で初最前列でした!!(笑)

──最前列!初めての生観戦、どんな感じでした?  

ゆみおさん   もう、めっちゃドキドキしました! リングが目の前にあって、選手たちがキラキラ輝いてるんです。最初はちょっと怖いくらいだったけど、なんかパワースポットに来たみたいで、感動が止まらなかったです。テレビや配信で見るのと全然違って、選手の息遣いや汗、リングの振動まで感じられて、鳥肌ものでした。

──生のプロレスって、女性ファンだと特に「パワースポット」って感じる人多いんですよ。

ゆみおさん   そうです!メインが棚橋さんとKUSHIDAさんが組んで、対戦相手はオカダ・カズチカさんと外道さんでした。とにかく 棚橋さんがリングで輝いてる姿を見て、感激して。青森まで行った甲斐がありました! なんか、選手たちがリングに上がる瞬間って、神聖な感じすらするんですよね。リングのロープをくぐる姿とか、入場曲に合わせて会場が盛り上がる瞬間とか、全部が特別でした。  

──ほんと、リングって特別な空間ですよね。プロレスは、選手の入場曲が流れた瞬間から空気が変わる。ゆみおさんが最前列で感じたそのドキドキ、めっちゃ伝わります!  

ゆみおさん   場外で選手が近くに来た時は物凄いドキドキしました。隣のファンはめっちゃ叫んでて、私はというと初めてで声を出せませんでした(笑)でも、そういう一体感が楽しくて。プロレスって、選手もファンも一緒になって作り上げるものなんだなって思いました。 



プロレスの魅力とは


──プロレスの魅力って、ゆみおさん的にどこにありますか?  

ゆみおさん   やっぱり生で見る贅沢さ! 第1試合から何試合も見られて、サイン会や撮影会まであるんですよ。大げさですけどテーマパークみたいな夢の世界ですよね(笑)。配信も便利だけど、絶対に生で見た方が感動します! 選手の表情とか、場外でのファンとの絡みとか、カメラじゃ映らない部分が面白いんです。  

──ほんと、移動型のテーマパークですよね。プロレスって、試合だけじゃなくて、ファンサービスも含めて一つのエンターテインメントですね。

ゆみおさん   そうなんです! 青森の時は最後に棚橋さんKUSHIDAさんが勝って、その時初めてリングの外をグルッと一周する棚橋さんを目の前で見て、手も声も出ず直立不動でした(笑)両隣や後ろの人達の熱狂も凄かったのを初めて味わいました。


──それが初観戦の醍醐味! リングに立つ選手の輝きって、ほんと圧倒的ですよね。プロレスって、リング上のドラマだけじゃなくて、会場全体で作り上げる空気が特別だと思うんです。  


ゆみおさん   ほんとそうです! プロレスって、試合の勝敗だけじゃなくて、選手の表情やファンとのやり取りが全部繋がってる。青森のあの夜は、リングの熱気とファンの熱が混ざり合って、忘れられない思い出になりました。  

それと、後楽園ホールでの初観戦はもっと感動しました!!リングや鉄柵に叩きつけられる音。選手の腹から出る声。何より東京でこのぐらいのホールで、こんなに近くでプロレスが見られることに感動しました!いまだに後楽園ホールは憧れの場所です!!


新日本プロレスの魅力とは?
  

──新日本プロレスの魅力って何だと思います?  

ゆみおさん   選手層の厚さ! いろんなタイプの選手がいるから、初めて見る人でも絶対に気になる選手が見つかるくらい充実しているところだと思います。黒パンのヤングライオンの選手から、自由な中堅選手、懐の深いベテラン選手やキラキラな外国人選手など、生で見るといろんな選手の個性が光ってるんです。

あとは今年3月の後楽園ホールの試合前に、コーナーポストの鉄柱が折れるっていうアクシデントがあって大会は中止に。でも、来てくれたお客さんに対してファンサービスのユニット別の写真撮影やトークショーを急遽やってくれたりして、そういった対応ができる団体って素敵だな〜と思いました。ファン想いというか。
それから、試合にストーリー性がある。あの時のアレがココに繋がるの?!っていう、いわばドラマですよね。

──新日本の魅力って、ストーリー性も強いですよね。選手同士のライバル関係とか、ユニット間の抗争とか、まるで連続ドラマみたい。
  
ゆみおさん   そうなんです! 試合後のコメントとか、バックステージでのやり取りも面白くて、プロレスってリングの外まで楽しめるんだなって気づきました。棚橋さんとオカダさんのライバルストーリーとか、見ててハラハラドキドキしました。  


熱い観戦の日々

 
──どのくらい生で観戦してるんですか?  

ゆみおさん   北海道に住んでるので札幌に来る試合を中心に。去年は北海道巡業が復活して、登別、エスコンフィールド北海道、帯広、旭川、釧路、八雲の6大会に行きました。今年の9月の巡業も全部行く予定! 道内は遠征が大変だけど、北海道に来てくれるならどこでも行っちゃいます!  

──ほぼ制覇! すごい! 北海道巡業って、コロナで一時期中止になったけど、復活してよかったですよね。エスコンフィールドみたいな新しい会場も増えて、テンション上がりますね。  

ゆみおさん   そうなんです! コロナで中止になったときはショックだったけど、復活してからは「全部行く!」って決めて。エスコンフィールドはコンコースだったけどプロレスの会場としても最高でした。いつか球場のほうで大会をしてほしいですね。

──北海道のプロレスファンって、熱いですよね。ゆみおさんのその情熱、めっちゃ伝わります! プロレスって、地方興行ならではの親密な空気も魅力だと思うんです。  

ゆみおさん   地方大会だと選手との距離が近い感じがして、初めて見るお客さんもいるから温かい感じがするんです。場外乱闘というファンサービスもいっぱいあって(笑)毎回幸せな気持ちになります。


(第1回終了)

 

ジャスト日本です。

 

 

 

 

「人間は考える葦(あし)である」

 

 

 

これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。

 

 

プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。

 

 

 

 

さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

今回はNPO法人九州プロレスの筑前りょう太理事長とプロレス団体GLEATを運営するリデットエンターテインメントの鈴木裕之社長の経営者対談が実現しました。団体経営、選手育成、業界の未来といったテーマで有意義な内容となりました。

 

 

 

 

(画像は本人提供です)

 

 

筑前りょう太
・NPO法人 九州プロレス 理事長・プロレスラー 
・一般社団法人 日本プロレスリング連盟業務執行理事
・初代 九州プロレス選手権王者 

185 cm  100kg
タイトル歴/2003ストロンゲストーKチャンピオン
・ストロンゲストーKタッグチャンピオン
・UWA世界タッグチャンピオン
・九州プロレスタッグチャンピオン


1973年福岡県志免町出身。小学3年生の時に見たタイガーマスクがきっかけでプロレスにのめり込む。 1997年春に九州産業大学を卒業後、単身メキシコに渡り1998年1月、現地でミル・マスカラスを相手にデビュー。3年間の修行後、帰国しKAIENTAI-DOJOの所属選手となり、新日本プロレス等でも活躍。 2008年に帰郷し九州をプロレスで元気にするため「NPO法人 九州プロレス」を設立し活動をスタートさせる。中高生の不登校児に「プロレス授業」を毎週開講し青少年健全育成に尽力する。また福祉施設への訪問活動も活発に行い幅広く 元気を発信している。 2013年、鹿児島で“野獣”ボブ・サップと初対決し敗北を喫するも、翌2014年8月に再戦を行い、見事勝利を収めた。 2025年に法人化されたプロレス界初の業界団体「日本プロレスリング連盟」では要職に就任し、プロレス界全体の発展に尽力する。家庭では四児の父親


九州プロレス紹介VTR

https://youtu.be/FpmOL6O-Ec4

 

 

 

 

 

 

 

(画像は本人提供です)
 

鈴木裕之

リデットエンターテインメント代表取締役社長

1989年  3月       私立自由の森学園高等学校卒業
1992年 12月      英国留学
1994年  6月       英国より帰国
2002年  9月       有限会社エス・ピー広告入社
2009年  6月       代表取締役に就任
2018年 10月      リデットエンターテインメント株式会社に社名変更
2025年  8月       現在に至る


 

 

 

 

 

 

 

(画像は本人提供です)

 

GLEATの2025年

最大となるビッグマッチ

 

GLEAT

VER.MEGA in 横浜BUNTAI

11月3日(月祝)17:00試合開始

横浜BUNTAI

 

ローソンチケット、ぴあ、イープラス

発売中

 

詳細はGLEATオフィシャルXにてご確認下さい

 

 

 九州プロレスとGLEATは、地域密着とベンチャー精神という異なるアプローチで、プロレス界に新たな価値を生み出しています。家族連れを入り口に地域を盛り上げる九州プロレスは、NPO法人としての使命を貫き、プロレスの魅力を幅広く伝えています。一方、エンタメ業界全体に挑むGLEATは、商業的視点で新たなファン層の開拓を目指しています。選手育成、今後の展望を通じて、両団体の首脳によるプロレス文化を次世代につなぐための戦略が語られました。そして業界の未来はどのような形が理想なのか⁈ この対談は、プロレスの可能性を広げる挑戦の核心に迫ります。
 

 

 

 皆さん、是非ご覧下さい!


「プロレス人間交差点 筑前りょう太☓鈴木裕之〜九州プロレスとGLEATの挑戦〜」前編「独自戦略」



 

 

 

プロレス人間交差点 筑前りょう太✕鈴木裕之〜九州プロレスとGLEATの挑戦〜

後編「業界の未来」

 

 

 

 
 

 

 

 


それぞれの団体が目指すファンづくりの方向性


 
── ファン層の獲得について、九州プロレスのターゲットはどのような層ですか? また、具体的な取り組みは?
 
筑前理事長   九州プロレスは、家族連れや子供たちを主なターゲットとしています。プロレスに詳しくない人でも楽しめる「入り口」になりたいという思いがあります。プロレスの魅力を知ってもらい、他の団体にも興味を持ってもらえれば理想的です。
 
 
──プロレスの入り口を目指しているんですね!
 
筑前理事長 はい。最近はストーリー性のある試合展開を通じて、幅広い層にアピールしています。例えば、子供が中学生になるとプロレスから離れてしまう傾向があるため、ストーリー性を強化することで、成長してもプロレスに興味を持ち続けられるようにしたいと考えています。無料観戦イベントも、初心者が気軽にプロレスに触れる機会として重要です。
 
── GLEATのファン層についてはいかがですか? ターゲット層や具体的な施策は?
 
鈴木社長   GLEATは、将来的にメジャー団体のような、家族連れや3世代で楽しめるプロレスを目指しています。YouTubeの視聴データを見ると、45~60代のファンが多いですが、会場には若年層も来ています。
 
 
──やはり高年齢層が多いが、もっと若年層を取り込んでいきたいところですね。
 
鈴木社長 若いファン層を取り込むのは難しいですが、段階を経て家族連れを意識した施策で、親子や3世代で楽しめる団体を目指したい。世代を超えて愛されるエンターテインメントが理想です。具体的には、試合のエンターテインメント性を高めるだけでなく、イベント全体で家族が楽しめる雰囲気を創りだしていくことと考えます。長く続くエンターテインメントは、家族でつながっていくものだと考えています。
 

 
──ありがとうございます!ではプロレス文化を広めるための戦略や、気をつけていることはありますか?
 
筑前理事長   わかりやすさを最優先にしています。力道山やタイガーマスクのような、誰が見ても引き込まれる試合展開がプロレスの強みです。マニアックになりすぎず、初心者にも楽しめるバランスを意識していますが、その塩梅は難しいです。
 
──確かにそうですよね。
 
 
筑前理事長 退屈にならないよう、常に試合内容や演出のバランスを考え、プロレスの魅力を最大限に引き出す運営を心がけています。地域密着のイベントでは、地元の文化や特色を取り入れることで、プロレスを身近に感じてもらう工夫もしています。
 
鈴木社長   九州プロレスさんは無料観戦が多く、気軽に楽しめる環境が強みだと思います。一方、GLEATは有料観戦が基本で、チケット購入のハードルが高い分、独自性をどう打ち出すかが課題です。
 
──独自色の出し方はなかなか難しい課題ですね。
 
鈴木社長 GLEATでは他団体との差別化として、UWFや格闘技要素を取り入れたプロレスを提供していますが、プロレス主体である以上、さらなる特徴付けが必要です。九州プロレスさんの地域密着の独自性は、業界でも唯一無二だと感じてますよ!


 筑前理事長 ありがとうございます!そういっていただき嬉しいです。


 鈴木社長 だから現在のGLEATとしては、エンタメ業界全体での競争を意識し、プロレスファン以外にも訴求するコンテンツ作りを目指しています。


 
多様なルーツを活かした育成と運営


 
── 団体運営で大切にしていることは何ですか? 選手やスタッフとの関係性についても教えてください。
 
筑前理事長   九州プロレスは、選手それぞれのルーツが異なるため、九州を元気にするという目的のもと、理念を共有することを最重視しています。UWFスタイル、ルチャリブレ、さまざまなインディー団体など多様な背景を持つ選手が集まる中、互いの個性を尊重しつつ、団体の目的に沿って調整しています。
 
──九州プロレスの選手たちは色々な団体から集まってきてますよね。
 
 
筑前理事長 そうなんですよ。多様な背景を持つ選手たちが集まってきたからこそ、「プロレスを通じて九州を元気にする」という目的が明確だからこそ、選手やスタッフの多様な意見やスタイルが自然と一つにまとまっていきます。スタッフにはプロレス以外の業界出身者も多く、彼らの視点が新しいアイデアを生み、団体の運営に深みを加えています。
 
── 九州プロレスの選手育成は、どのような指導スタイルですか?
 
筑前理事長   各選手のルーツを活かし、日替わりで指導してもらっています。UWF、ルチャ、日本プロレスなど多様なスタイルが混在し、若手選手は良いところを吸収してオールマイティーに育っています。
 
 
──九州プロレスの若手選手はひとつの団体にいながら色々なスタイルを学べているんですね。
 
筑前理事長 この多様性が団体の強みであり、選手はさまざまなスタイルを学び、リング上で柔軟に対応できる力を身につけています。例えば、UWF出身の選手からは関節技やグラウンドの技術を、ルチャ出身の選手からはアクロバティックな動きを学ぶことで、若手選手の成長が加速しています。
 
──ありがとうございます。GLEATの運営や選手育成で大切にしていることは?
 
鈴木社長   GLEATも多様なルーツを持つ選手が集まる団体ですが、理念を統一し、お客様を喜ばせることを第一に考えています。
 
 
──GLEATも九州プロレス同様にさまざまなスタイルを持つ選手たちが集まっていますね。
 
鈴木社長 そうですね。GLEATでは過去に各団体の出身者による主張のぶつかり合いがありましたが、今年は所属選手主体でGLEATのリングを創造する方針にシフトしました。私は全社の経営に専念し、GLEATは選手と社員に任せています。
 
──ちなみにGLEATには道場はあるんですか?
 
 
鈴木社長 道場がありません。そのため、週1~2回の合同練習を外部施設で実施しています。自前の道場設立は計画中ですが、コロナ禍での旗揚げもあり、資金面で慎重に進めています。スタッフとの連携では、広告事業のノウハウを活かし、プロモーションやファンエンゲージメントを強化しています。
 
 
会場規模がもたらす影響
 
── 会場規模の選択について、どのように考えていますか? また、選手への影響は?
 
鈴木社長   大きな会場では集客が難しい場合があり、5000人規模で1000~2000人しか入らないこともあります。一方、小さな会場でも集客が減るリスクがあるため、身の丈に合った会場選びを意識しています。後楽園ホールの大会を減らし、新宿フェイスなど新たな会場を活用することで、コストと集客のバランスを取っています。
 
 
──確かに言われてみるとGLEATは今年に入ってから後楽園大会は減りましたね。
 
 
鈴木社長 はい。大きな会場に挑戦しないと集客は増えませんが、失敗のリスクも高いため、戦略的な会場選びが重要です。選手にとっては、会場規模がモチベーションに影響し、大きな舞台で戦うことで新たな力を発揮する機会にもなります。
 
筑前理事長   会場規模は選手のモチベーションに大きく影響します。福岡国際センターのような大きな会場での大会は、選手の意気込みも高まります。
 
 
──確かにそうですね。
 
 
筑前理事長 多くの人にプロレスを見てもらいたいという思いがあり、会場サイズが団体の規模感を反映し、選手のモチベーションにも直結します。地域密着のイベントでは、地元の小さな会場で親しみやすさを重視しつつ、大きな会場ではプロレスのスケール感を伝えたいと考えています。
 
 
プロレス業界の信頼と発展のために
 
── 筑前理事長は一般社団法人日本プロレスリング連盟(UJPW)の業務執行理事を務めていますが、その経緯と目的について教えてください。
 
筑前理事長  もうずっとプロレス業界全体の連携の必要性を感じていました。個々の団体が強くなるだけではなく、業界全体としてプロレス文化を高め、信頼される一文化・産業にする必要があると考えていました。
 
 
──以前から筑前理事長はプロレス界にはもっと連携性が必要とお考えだったんですね。
 
筑前理事長 そうなんですよ。新日本プロレスの木谷高明オーナーが連盟設立を提案した際、これは大きなチャンスだと捉え、積極的に関与しました。SNSやメールを通じてアイデアを伝え合い、現在の形に至りました。各団体がしのぎを削りつつ、全体でプロレス文化を高める取り組みが必要です。業界全体が成長することで、プロレスの価値がさらに広く認められると信じています。
 
──鈴木社長は日本プロレスリング連盟への参加についてどう考えていますか?
 
鈴木社長   GLEATはまだ連盟に加入していません。加入条件は公開されていますが、現時点では申請していない状況です。今後、加入を検討する可能性はありますが、まずは自団体としての基盤を固めることが優先です。連盟の取り組みは業界全体の向上に繋がるため、尊敬していますし、将来的に協力できる機会があれば積極的に考えたいです。
 
──ありがとうございます。プロレス界の未来について、どのようなビジョンをお持ちですか?
 
筑前理事長   プロレスを産業文化として確立し、子供たちにもその価値を知ってもらいたいです。自治体や行政との連携を通じてプロレスが社会的な信用を得る事で、各団体の選手やフロントの頑張りがもっと世の中に届く状況を創れます。そうする事で、この国や世界における一文化としての存在感を増していきたいと思っています。
 
──素晴らしいです!
 
 
筑前理事長 NPO法人としての活動が、その一助になると考えています。プロレスが地域社会に貢献し、信頼される存在になることで、業界全体の地位が向上すると信じています。
 
鈴木社長   最近のプロレス界では怪我の増加が課題であり、プロレスラーのライセンス制度の必要性を考えます。団体ごとの基準設定が現実的で、選手の安全を守るガイドラインが求められます。
 
──同感です。是非とも実現していただきたいです。
 
 
鈴木社長 以前、長州力さんが「今のプロレスはオープンキッチンですね。すべて見えている。選手全員がシェフで、料理を作るところからすべてが見えている」と言われたことがありましたが、今はその意味がよくわかります。プロレスの存在意義を明確にし、ファンに安心感を提供したい。怪我からの復帰がプロレスの見せ場になる一方、ガイドラインがあれば選手を守りやすくなり、業界全体の信頼性が高まります。
 
 
九州プロレスとGLEAT 注目選手と大胆な挑戦
 
 
 
 
── 九州プロレスで注目している選手は?
 
筑前理事長   新潟プロレス出身のシマ重野選手ですね。52歳になってこれまでやってきたことをリセットして九州プロレスに来たんですけど、生き様を見せつけてほしいなと思っています。彼の人生経験と情熱に期待しています。あと台湾出身のジェット・ウィー選手。今、九州が台湾の企業や人の流入が盛んなんですよ。だから彼には日本と台湾の架け橋として、国際的な活躍を期待しています。佐々木日田丸選手は、UWFスタイルへの強いこだわりを持ち、現代プロレスでも結果を出してほしいです。
 
──日田丸選手は自身のプロデュースUWFルール興行『STARLANE』2021年9月6日、福岡・西鉄ホール大会での中村大介戦がめちゃくちゃ面白かったんですよ。
 
筑前理事長 ありがとうございます!
 
鈴木社長 田村潔司エグゼクティブディレクターが考えているUは実は日田丸選手がやっている『STARLANE』で、U-FILE CAMP(田村潔司がUWF、UWFインターナショナル、リングスといったリングでプロ格闘技選手としての活動で培った技術を集約した格闘技ジム)で育った選手たちが参戦してましたし、LIDET UWFより田村潔司イズムが根強いと思います。

 
──確かにそうですね!
 
筑前理事長 日田丸選手はいまでも田村潔司との試合を夢見て頑張ってますよ。
 
 
──2022年8月12日の九州プロレス・福岡アイランドシティフォーラム大会でUWFルール・佐々木日田丸(STARLANES) VS 田中稔(LIDET UWF) が実現しましたが、またいずれ日田丸選手のSTARLANE軍団とLIDET UWFの全面対抗戦とかあったら面白そうですね。それから2023年に元WWEのスーパースターであるTAJIRI選手が九州プロレスに入団されましたが、彼の存在は大きいんじゃないですか。
 
 
筑前理事長 TAJIRI選手は、リング内外でスーパースターとしての影響力を発揮しています。常に「自分らしくあること」を考えて行動や言動を実践している姿はみんなのお手本になってますよね。さまざまな団体を経験してきた彼ですが、入団後は驚くほどのリーダーシップとお手本となる姿勢を見せ、団体の注目度を大きく高めてくれています。
 
 
──九州プロレスにTAJIRI選手が入団してから注目度が上がりましたよね。
 
 
筑前理事長 そうですね。TAJIRI選手の存在は、若手選手にとっても大きな刺激となり、九州プロレスの魅力をさらに引き上げています。
 
──ありがとうございます。では鈴木社長、GLEATの注目選手をお聞かせください。
 
鈴木社長  2025年は選手たちにリングを託していく中で、上半期は石田凱士選手がチャンピオンとして団体を牽引してくれました。中嶋勝彦選手が2大タイトルを戴冠した今、下半期はどうなるのか私には想定できないですね。CIMA選手、田中稔選手や鈴木鼓太郎選手は一歩引きながらも存在感を示し、安定したパフォーマンスでファンを魅了していますし、20代~30代の選手たちが彼らに負けない存在感を出してGLEATを引っ張っていくのか注目していると言うよりも切なる願いです。
 
 
──海千山千のベテランも生きのいい20代から30代が多く在籍しているのがGLEATの素晴らしさですね。
 
鈴木社長  中国出身の俊桀選手にも期待しています。彼はCIMA選手に対するリスペクトが強くて、中国国内のプロレスラーの中でもポジションが高いと感じます。実際に中国の団体にGLEATの選手を派遣するという話もあがってきています。今後、俊桀選手を起点にして中国マーケットを開拓していくという道が見えてくるかもしれません。

 
 
──そうなんですね!
 
鈴木社長 これは新日本プロレスの木谷オーナーもおっしゃっておりましたが、中国市場はWWEさんでも成功していないほど難易度が高いです。でも今、中国にどんどんプロレス団体が旗揚げされていって活性化されているので、そこにGLEATが食い込めたらいいなと考えています。

 
 
 
──GLEATといえば、2024年から中嶋勝彦選手が参戦してますよね。現在(2025年8月5日時点)はG-REX王座&LIDET UWF世界王座の二冠王ですが、中嶋選手の存在はどのように捉えてますか。
 
 
鈴木社長 中嶋勝彦選手はGLEATに混沌と混乱を生んでくれますね。2024年までのGLEATは選手が一致団結、一蓮托生で盛り上げるところが強みでしたが、彼が参戦してから、一気に「VS中嶋勝彦」という対立構図ができて試合のクオリティーが高まりました。中嶋選手は一級品のプロレスラーなのでGLEATにとって良い効果を及ぼしています。とにかく色々な意味で安心して見てられないですね。
 
──中嶋選手はどう動くのか読めないですよね。
 
鈴木社長 そうです。以前、「黒幕」という話もありましたけど結局は中嶋選手の考えがすべて。誰かの意図が働いているわけではなく。「GLEATに闘いがない」と言って、うちのリングに闘いを注入してくれていますけど、「闘いはリング上だけではなく全方位」と痛感しています。

 
──リデットエンターテインメントがオーナー時代のノアでの中嶋選手とはコミュニケーションは取られていたのですか?
 
鈴木社長 実はあの頃、1年間で中嶋選手とはトータルして1分くらいしか話していません。お互いに警戒し合ったのか、あまり近づかないようにしていました。でもGLEATに上がってから「こんなに喋る人なのか」と驚きました。ノアを辞めてからフリーになって色々とアクションしていますが、あれは本人の意思で好きにやっているのですから。
 
──そうなんですね!!
 
鈴木社長 どこまで中嶋選手がGLEATにいるのかは不明ですけど、彼が仕掛けるリング内外での全方位の戦いは、GLEATに新たなエネルギーを注入してくれていて、良くも悪くも活性化しています。

 
── 今後の仕掛けや展望について教えてください。
 
筑前理事長   2028年の20周年で福岡ドーム大会を目指しています。収容人数3~4万人規模の大勝負ですが、この3年間で成長し、プロレス団体として初の快挙を実現したいです。この目標は、九州プロレスの集大成として、プロレスの可能性を広く示す機会になると考えています。準備には時間が必要ですが、地域の支援とファンの期待に応えられるよう、全力で取り組んでいきます。
 
鈴木社長   GLEATは、所属選手で地盤を固めつつ、外部との交流を強化します。今年は8月16~17日にZOZOマリンスタジアム&幕張メッセで開催される「SUMMER SONIC 2025」でGLEATの提供試合が行われます。サマソニでの試合はプロレスファン以外にも魅力を届ける挑戦です。エンタメ業界の一員として、集客拡大を目指し、業界初の試みを通じて新たなファン層を開拓したい。プロレスをエンターテインメントのメインストリームに押し上げるため、斬新な企画を続けていきます。
 
── 対談を振り返っていかがでしたか?
 
筑前理事長   鈴木社長と話すのは光栄でした。プロレス界の発展につながる議論ができ、夢のような時間でした。異なるアプローチを持つ団体同士が、業界全体の未来を考える機会は貴重です。こうした対話が、プロレスの新たな可能性を開く一歩になると信じています。
 
鈴木社長   筑前理事長は業界の良心です。連盟での取り組みが業界を高め、GLEATもその理想に追随したい。プロレスの歴史を尊重しつつ、共に発展を目指したい。プロレスは創造と破壊が同時に進む業界ですが、理事長の熱量に学ばせてもらいました。異なる視点のぶつかり合いが、業界をさらに強くすると感じました。
 
筑前理事長   鈴木社長のような企業経営者がプロレスに関わるのは、業界にとって非常に貴重です。プロレスの50年にわたる独立経営の歴史を尊重し、時間をかけて協調しながら発展させたい。焦らず怠らず、着実に進めていければと思います。
 
── 本日はありがとうございました。今後、両団体の交流や発展に大きな期待を寄せています。
 
筑前理事長 ありがとうございました。
 
鈴木社長  ありがとうございました。
 
 
 
【編集後記】 
九州プロレスとGLEAT、異なる背景を持つ両団体のトップが交差する本対談は、プロレス界の多様性と可能性を鮮明に示しました。筑前理事長の地域密着と情熱、鈴木社長の商業的視点と革新性が、プロレスの未来をどう切り開くのか。無料観戦で間口を広げる九州プロレスと、エンタメ業界に挑むGLEATの挑戦は、競争を超えた協調の重要性を訴え、プロレスが新たなファン層や文化として広がる可能性を示しています。両者の対話は、プロレス業界全体への力強いメッセージとなり、今後の展開に大きな期待を抱かせます。プロレスが地域やエンタメ業界で新たな価値を生み出す未来が、すぐそこに見えるかもしれません。
 
 (プロレス人間交差点 筑前りょう太✕鈴木裕之・完) 
 
 

 

 


 
 
 

ジャスト日本です。

 

 

 

 

「人間は考える葦(あし)である」

 

 

 

これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。

 

 

プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。

 

 

 

 

さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

今回はNPO法人九州プロレスの筑前りょう太理事長とプロレス団体GLEATを運営するリデットエンターテインメントの鈴木裕之社長の経営者対談が実現しました。団体経営、選手育成、業界の未来といったテーマで有意義な内容となりました。

 

 

 

 

(画像は本人提供です)

 

 

筑前りょう太
・NPO法人 九州プロレス 理事長・プロレスラー 
・一般社団法人 日本プロレスリング連盟業務執行理事
・初代 九州プロレス選手権王者 

185 cm  100kg
タイトル歴/2003ストロンゲストーKチャンピオン
・ストロンゲストーKタッグチャンピオン
・UWA世界タッグチャンピオン
・九州プロレスタッグチャンピオン


1973年福岡県志免町出身。小学3年生の時に見たタイガーマスクがきっかけでプロレスにのめり込む。 1997年春に九州産業大学を卒業後、単身メキシコに渡り1998年1月、現地でミル・マスカラスを相手にデビュー。3年間の修行後、帰国しKAIENTAI-DOJOの所属選手となり、新日本プロレス等でも活躍。 2008年に帰郷し九州をプロレスで元気にするため「NPO法人 九州プロレス」を設立し活動をスタートさせる。中高生の不登校児に「プロレス授業」を毎週開講し青少年健全育成に尽力する。また福祉施設への訪問活動も活発に行い幅広く 元気を発信している。 2013年、鹿児島で“野獣”ボブ・サップと初対決し敗北を喫するも、翌2014年8月に再戦を行い、見事勝利を収めた。 2025年に法人化されたプロレス界初の業界団体「日本プロレスリング連盟」では要職に就任し、プロレス界全体の発展に尽力する。家庭では四児の父親


九州プロレス紹介VTR

https://youtu.be/FpmOL6O-Ec4

 

 

 

 

 

 

 

(画像は本人提供です)
 

鈴木裕之

リデットエンターテインメント代表取締役社長

1989年  3月       私立自由の森学園高等学校卒業
1992年 12月      英国留学
1994年  6月       英国より帰国
2002年  9月       有限会社エス・ピー広告入社
2009年  6月       代表取締役に就任
2018年 10月      リデットエンターテインメント株式会社に社名変更
2025年  8月       現在に至る


 

 

 

 

 

 

 

(画像は本人提供です)

 

GLEATの2025年

最大となるビッグマッチ

 

GLEAT

VER.MEGA in 横浜BUNTAI

11月3日(月祝)17:00試合開始

横浜BUNTAI

 

ローソンチケット、ぴあ、イープラス

発売中

 

詳細はGLEATオフィシャルXにてご確認下さい

 

 

 日本のプロレス界において、独自の存在感を放つ九州プロレスとGLEAT。NPO法人として地域振興を掲げる九州プロレス理事長・筑前りょう太さんは、プロレスを通じて九州を元気にする使命を追求する。一方、ベンチャー精神でエンターテインメントの新境地を目指すGLEATを運営するリデットエンターテインメント代表取締役社長・鈴木裕之氏は、プロレスを日本の文化として継承しつつ、商業的成功を模索しています。異なるアプローチでプロレス界に革新をもたらす両者が、団体運営の哲学、コロナ禍での挑戦、そして業界の未来について語り合います。この対談から、プロレスの可能性と直面する課題が鮮明に浮かび上がました。

 

 

 皆さん、是非ご覧下さい!

 

 

 

プロレス人間交差点 筑前りょう太✕鈴木裕之〜九州プロレスとGLEATの挑戦〜

前編「独自戦略」

 

 

 

 
 

 

 

 

独自の立ち位置を活かし、競争の中で輝く方法とは?


──筑前理事長、鈴木社長、「プロレス人間交差点」にご協力いただきありがとうございます!今回は九州プロレスとGLEATという異端のプロレス団体を経営されているお二人による経営者対談をさせていただきます。よろしくお願いいたします!
 
筑前理事長 よろしくお願いいたします!
 
鈴木社長 よろしくお願いいたします!
 
 
──実は当ブログのインタビュー企画「私とプロレス」に以前、鈴木社長にご登場いただいたことがありまして、今年は鈴木社長の対談企画を考えていました。そこで異色のローカルプロレス団体・九州プロレスの筑前理事長との経営者対談を実現する運びとなりました。
 
筑前理事長 ありがとうございます。鈴木社長とはこれまで会場で軽く話す機会はありましたが、業界の功労者としていつか深くお話しする機会があればとは思っておりましたので、対談させていただき嬉しいです。
 
鈴木社長 本当ですか⁈ こちらこそありがとうございます。筑前理事長とはこれまでご挨拶くらいでしっかりとお話しさせていただいた事はないのです、今日の対談を楽しみにしてました。あと筑前理事長とは世代が近いので勝手ながらシンパシーを感じてましたよ。(筑前理事長が1973年生まれ、鈴木社長が1970年生まれ)
 


── では早速、対談を進行させていただきます。九州プロレスはローカルプロレスの異端児として、GLEATはベンチャープロレスの風雲児として、それぞれ独自の戦略で注目されています。それぞれの団体の強みと個性について、まず筑前理事長からお聞かせください。
 
筑前理事長   九州プロレスの最大の特徴は、NPO法人としてプロレスを通じて地域を元気にすることを目的としている点です。おそらく世界初のNPO法人によるプロレス団体であり、株式会社ではなくNPOを選んだのは、地域貢献に最も適した形態だと考えたからです。プロレスはエンターテインメントとして人を楽しませる力を持ち、その力を活用して九州全体を盛り上げ、元気にするという明確な使命を掲げています。この使命が、団体の運営や活動のすべての基盤となっています。
 


── NPO法人の選択は、立ち上げ前から明確な意図があったのですか? 筑前理事長は以前、KAIENTAI DOJOに所属されていました。KAIENTAI DOJO時代から独立を考えた際、福祉や青少年育成を軸にする構想はどの程度具体化していましたか?
 
筑前理事長   KAIENTAI DOJO時代、200人程の会場で毎週試合を行っていましたが、プロレスならばもっと世の中に何かを及ぼせるのではという可能性をいつも感じていました。プロレスはもっと多くの人に感動や元気を届けられるはずで、それが地域全体の活性化につながると考えていました。しかし、立ち上げ当初は具体的な計画や戦略はなく、ただプロレスで多くの人を喜ばせ、それが職業として成り立つという漠然とした情熱だけでした。今振り返ると無謀だったと思いますが、その信念が九州プロレスを形作る原動力となりました。NPOという形態は、運営を進めながら地域貢献の重要性をより強く意識する中で、自然と選択した形です。
 


── 施設訪問や青少年健全育成など、NPOとしての活動も積極的に展開されていますが、これらは当初の構想通り進んでいるのでしょうか?
 
筑前理事長   正直に言うと、立ち上げ当初はそこまで具体的な構想はありませんでした。プロレスなら絶対にたくさんの人を喜ばせられることができるのならば、即ちそれは職業としても成り立つ筈だ、と信じていただけです。地域貢献活動は、運営を進める中で自然と生まれたニーズに応える形で始まりました。例えば、施設訪問ではプロレスを通じて高齢者や子供たちに笑顔を届け、青少年育成ではプロレスの持つ精神的な強さや仲間との絆を伝えています。今振り返ると、初期の情熱が形を変えて現在の活動につながっていると感じます。無謀だったかもしれませんが、プロレスの可能性を信じた結果が今の形です。
 


── 九州プロレスのスタッフには、テレビ局の元ディレクターなど、プロレス畑以外の方も多い印象です。この点はいかがでしょうか?
 
筑前理事長   その通りです。これまでプロレス畑のスタッフで運営した際に、好きなことを仕事にしても数字を上げることが難しいケースを経験しました。プロレスへの情熱は大切ですが、運営にはビジネス的な視点や新たな発想も必要です。そこで、どの業界でも通用する優秀な人材を採用し、プロレス以外の視点を取り入れることで、新しいアイデアや戦略を生み出しています。プロレス界からの視点だけで考えるのではなく、外部の視点を積極的に取り入れることで、九州プロレスの独自性を確立できたと思います。ローカルプロレスの中でも、このアプローチは異端かもしれませんが、それが当法人の強みでもあります。
 


──ありがとうございます。鈴木社長、GLEATの強みと個性についてお聞かせください。
 
鈴木社長   私は長州力顧問のプロデュース興行などを手掛ける一方で、2018年12月にプロレスリング・ノアさんのオーナー企業となり、プロレス事業へ本格的に参入しました。2020年2月にノアさんをサイバーエージェントさんに譲渡しまして、「もう、プロレスに関わることはない」と思っていました。
 
 
──鈴木社長はプロレスリングノアの経営で苦闘と試行錯誤されている中で、サイバーエージェントに経営権が譲渡される期間は見事なつなぎ役として大役を果たされてたと思いますよ。
 
鈴木社長  ありがとうございます。ノアさんをサイバーエージェントさんに経営権を渡してからプロレスに関わるつもりはなかったのですが、ノアさんの時に出会った田村潔司エグゼクティブディレクターとの関係継続やカズ・ハヤシ、伊藤貴則、渡辺壮馬といった選手たちとの新たな出会いが大きな追い風となり、それまでのプロレス事業の経験を活かしてGLEATを立ち上げました。2020年のコロナ禍でのエンターテインメント業界、スポーツエンターテイメント業界は厳しかったのですが、プロレス業界全体は「大会を開催しよう」と前向きに動いていたのが幸いしました。特に、本来は海外を拠点にする予定だったCIMA選手を筆頭に#STORONGHEARTSの4選手がGLEATへ入団してくれたことは、団体にとって大きな転機でした。GLEATが旗揚げから注目を得ることが出来たのは#STORONGHEARTSの功績が絶大です。

 
──CIMA選手やT-Hawk選手、エル・リンダマン選手が所属する実力者ユニットである#STRONGHEARTSがGLEATに入団したのは大きかったですよね。
 
鈴木社長  私の根底には、プロレスが自分を育ててくれた日本の文化として、しっかりと後世に残したいという強い思いがあります。広告事業を基盤にすることで、資金面での安定を図りながら、GLEATをスポーツエンターテインメントとして進化成長させることを目指しています。

 

 
コロナ禍を乗り越えた両団体のアプローチ
 
 
── コロナ禍での旗揚げや運営は、両団体にどのような影響を与えましたか? 具体的な取り組みについても教えてください。
 
筑前理事長   九州プロレスはコロナ禍で約5カ月間試合ができず、非常に厳しい時期でした。それでも、企業協賛に支えられながら活動を継続しました。コロナ禍でも「プロレスで元気を届けたい」という思いから、毎月月曜の夜にYouTubeでの配信を始め、ファンに楽しみを提供しました。今もコロナ禍で背負った借金を返す日々を過ごしています。
 
── そうなんですね。なかなか大変ですね…。
 
筑前理事長 でも借金を抱えながらも、コロナに負けない気持ちで取り組んできました。この時期は、プロレスが持つ「元気を与える力」を改めて実感し、どんな状況でもファンとのつながりを維持することの重要性を学びました。
 
鈴木社長    GLEATは、コロナ禍でエンターテインメント業界全体が停滞する中、プロレス業界の「開催しよう」という強い意欲に救われました。
 
── 九州プロレスも、佐々木日田丸選手がプロデュースを務めるUWFルール興行「HITAMAR-U-STYLE・STARLANE」など、YouTubeを活用した独自の取り組みが印象的でした。この企画はどのように生まれましたか?
 
筑前理事長   「STARLANE」は、YouTubeを活用した九州プロレスならではの取り組みです。私自身、UWFに強い影響を受けた人間で、「UWFスタイル」は日本プロレス界が世界に誇る、日本固有のプロレススタイルだと思っています。
 
──筑前理事長はUWF好きだったんですね!ちなみに筑前理事長はUWFスタイルで闘ってみたいという思いはありましたか?
 
筑前理事長 私はルチャリブレからスタートしているので(笑)。UWFスタイルに憧れはありますが自分が闘う姿は想像出来ないですね。でもUWFスタイルは日本独自のプロレス文化として残したいという思いが強く、コロナ禍で直接の試合が難しい中でも、ファンが楽しめるコンテンツを提供するために「STARLANE」は生まれました。日田丸選手の個性と、YouTubeというプラットフォームの力が結びついた結果、ユニークな企画として結実しました。
 
── GLEATのYouTube配信は、どのような戦略で進められましたか?
 
鈴木社長   YouTubeで道場マッチ配信をスタートしたのですが、これは田村潔司エグゼクティブディレクターのアイデアで、コロナ禍とか関係なく、プレ旗揚げから本旗揚げまでの期間が約一年ありましたのでYouTubeを活用してGLEATの認知度をあげていこうと言う試みでした。本旗揚げ前に多くの皆様と接点をつくることができ、結果的に成功につながりました。GLEATにとってYouTubeは、GLEATの基盤を築く上で重要な役割を果たしてくれたと思います。

 
── 道場マッチは今時ではかなり斬新で面白かったですよ。
 
 
鈴木社長 この取り組みは約1年間続き、GLEATの序章を形成する重要なコンテンツとなり、団体への関心を高める戦略でした。特に、コロナ禍で直接の観戦が難しい時期に、オンラインで選手の人間性や努力を見せることで、ファンとの絆を深めることができました。
 
 
 
プロレス業界でのポジショニング


 
── プロレス業界の生存競争の中で、どのように生き残りを図っていますか? 他の団体や影響を受けた事例についても教えてください。
 
筑前理事長   九州では、プロレスが職業として成り立った歴史がほとんどなく、競争相手がほぼいない状況でした。そのため、伸び伸びと活動できた面があります。専業選手を1人ずつ増やし、九州でプロレスが職業として成り立つ基盤を作ることに大きな意義を感じています。
 
──ちなみにローカルプロレス団体で意識されたり、影響を受けた団体はありますか?
 
筑前理事長 影響を受けた団体としては、みちのくプロレスさんや大阪プロレスさんがあります。みちのくプロレスさんと大阪プロレスさんのように地域に根ざしつつ、その地域性を取り入れた独自のスタイルを創造していくことが大切ですし、それが運営の醍醐味だと思います。
 
鈴木社長    テレビ局で例えると九州プロレスさんはNHKで、僕らみたいな株式会社で運営している団体は民放のようなものと考えます。プロレスを通しての地域振興が九州プロレスさんの目的だと思うんですけど、我々の場合はあくまでも商業です。だからGLEATではプロレス業界だけでなく、エンターテインメント業界全体を競争の場と捉えています。
 
──鈴木社長はエンターテインメント業界でどの分野がライバルだとお考えですか?
 
鈴木社長 2.5次元ミュージカルや音楽業界など、若者が集まる幅広いエンターテインメントが我々のライバルです。コロナ明けでライバル数が増える中、プロレスファンの一途化(固定化)が進むため、他団体のファンや新たな層を取り込む難しさを感じています。九州プロレスさんは地域が必要とする団体として応援されていますが、GLEATは商業ベースでエンタメ業界の中での選択肢にならなければなりません。そのため、プロレス以外のエンタメとの競争を意識し、独自のポジショニングを模索しています。
 
── 鈴木社長が意識するエンタメ業界の具体例や、競争における課題は?
 
鈴木社長   プロレスファンは一途で他の団体や選手を見ないファンも少なくないため、新たな層を取り込むには、プロレス以外のエンタメとの競争が不可欠と感じております。例えば、音楽フェスや舞台公演が若者や家族連れを引きつけるように、GLEATも幅広い層に訴求するコンテンツを作り上げる必要があります。プロレスファン以外にどうアプローチするかが、大きな課題です。
 

 
(前編終了)