ジャスト日本のプロレス考察日誌

ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスをもっと広めたいという思いブログをやってます。新旧洋邦のレスラーを取り上げた「俺達のプロレスラーDX」を連載中!
ご愛読よろしくお願いいたします。


 




 





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俺達のプロレスラーDX
第205回 熱き握り拳の行方~日本インディー界の最高男物語~/黒田哲広

 

 

「俺の場合は、何事も次はないよ、という人間だからね。明日、頑張ればいいじゃないか、というけど、いや、それは違うんじゃないか、と。人生には、たら、ればがないと思っている人間なんで、ああやったら、こうやったら、そんなことあとから言ったって始まらないじゃないですか。一生できるもんじゃないですからね。やれるうちは一生懸命やろうよ、ということですよ」

 

かつて三沢光晴が残した名言。

「人生に"たら・れば"はない」

後悔をする人生を生きたくないから、三沢はプロレスのリングを己の生き様を全うし、殉職していった。

 

しかし、プロレス界には「もしも」や「たら・れば」という言葉を抱かさせながら、開花しなかった多くの選手達がいる。

プロレスセンスが抜群だった者、基礎体力に恵まれた者、シュートに強かった者、体格とパワーを誇った者…。

 

私は以前、バリー・ウィンダムという選手を取り上げたことがある。

 

「If」が付きまとう男~才能だけでは王になれない~/バリー・ウィンダム【俺達のプロレスラーDX】

 

プロレス界における「もしも」を抱かさせる典型的なレスラー。それがバリー・ウィンダムだった。

そして今回取り上げるのは「もしも」を抱かさせたインディー界の実力者である。

この男の物語を取り上げる前に、時代を20世紀末まで戻ることにしよう。

プロレス考察という名のタイムマシンで…。

 

1999年2月27日。この日、作家の内館牧子はインディー団体FMW後楽園ホールにいた。だが人気脚本家の彼女は原稿に追われる日々を送っていた。それでもどうしても彼女はあの試合が観たかった。担当者から「先生、締め切りに間に合いませんでいい加減に書いてください」と泣きつかれても…。

 

田中将斗VS黒田哲広

 

"弾丸戦士"と呼ばれたタフガイ・田中はこの頃、エース・ハヤブサに次ぐFMWのナンバー2に君臨していた。一方の黒田は長年田中をライバルとして追い求め、トップレスラー達と好勝負を連発し、赤丸急上昇中だった。この二人の試合が内館氏が見たくて何度も何度もFMWの会場に足を運んだという。

 

あれから20年が経とうとしている。

田中はその後ゼロワンに移籍し、新日本を始めさまざまなメジャー団体で実績を残し、日本プロレス界屈指の実力者として活躍している。一方の黒田は田中と双璧の実力を持ちながら、そこまでブレイクすることはなかった。

 

今回取り上げるのはこの黒田哲広である。180cm 100kgのバランスの取れた体格、得意技のラリアットとスープレックスを駆使した真っ向勝負からエンタメ路線、ハードコアまであらゆるスタイルにも対応できるオールラウンダー…それが黒田である。「黒田最高」を何度も連呼し、その中できちんと結果と内容を残してきた最高男・黒田。なぜ彼は田中ほどブレイクしなかったのか。それでは最高男のレスラー人生を追うことにしよう。

 

黒田哲広は1971年11月23日北海道函館市に生まれた。プロフィールでは高野俊二率いるPWCでデビューしたとあるが、実はその前にW★INGやオリエンタル・プロレスというインディー団体に上がっていたという。その後PWCに入門し、ブレット・ハートを育てたミスター・ヒトの指導を受けて1993年3月18日愛知・露橋スポーツセンターの保坂秀樹戦でデビューを果たす。この頃は「黒田哲」というリングネームで上がっていた。

 

だがPWCは経営不振に陥り、ギャラは選手達に渡ることはなかった。1993年秋、黒田は戸井マサル、保坂秀樹と共にFMWに移籍する。そこでリングネームは本名の「黒田哲広」となった。黒田は若手でありながら、なかなか当時の前座試合では見れないラリアットを得意技にしていた。そのことを窘める先輩がいたらしいが黒田はそれでもラリアットを使い続けた。理由は至ってシンプルである。

 

「ラリアットが好きだったから」

 

FMW移籍後、黒田は前座で精進を続ける中で見つけた同世代のライバル、それが田中だった。田中は若手でありながら、大仁田厚と組んで、メイン戦線に絡んだり、大仁田引退後の新生FMWでトップレスラーとして活躍していた。黒田はそんな田中の姿をいつもセコンドで見つめていた。「田中に負けたくない」という想いはこの頃から内に秘めていたのだろう。FMWの若手では田中に次ぐ実力を持つと目されていたのになかなか浮上できない日々を黒田はFMW移籍後の4年間に渡り、過ごしていた。

 

前座・中堅に留まっていた黒田が遂に行動を起こした。1997年10月、現役復帰した大仁田厚がハヤブサや田中の本隊に反旗を翻し、「ZEN」というユニットを結成する。金村ゆきひろ(現・キンタロー)、保坂秀樹、非道(現・BADBOY非道)といった元W★ING勢、ミスター雁之助や大矢剛矢のならず者の中にFMW本隊を抜けた黒田がいた。そこには大仁田の思惑があった。

 

野球漫画「巨人の星」の主人公である投手・星飛雄馬にはチームメイトで友人の伴忠太がいた。だが、飛雄馬の父である一徹は飛雄馬の成長を敢えて敵となり、飛雄馬の友人の忠太を移籍させ、飛雄馬のライバルとして立ちはだかさせようとする。大仁田にとって飛雄馬は田中、そして忠太は黒田だった。エゴの強い大仁田のことだから自身がより目立つことが第一だろうが、田中の成長をさらに促進するため、そして黒田の引き上げという部分を考えての黒田の「ZEN」入りという大仁田の思惑があったのではないだろうか。

 

ZEN入り後、タッグ戦で田中を破るほどの活躍を見せる黒田だったが、その勢いが長くは続かない。ZENのメンバーだった金村、保坂、非道、雁之助と外敵・冬木軍の冬木弘道、邪道、外道が合体し、TNR(チーム・ノー・リスペクト)を結成する。派生ユニットのブリーフ・ブラザーズの大ブレイクもあってTNRの勢いは強烈で、団体の枠を越えてプロレス界全体に波及するほどの影響を与える。ZENは次第に失速していく。そしてTNRにことごとく敗れ、裏切りに合ってメンバーが抜けていき、解散に追い込まれる。黒田はTNRとの全面戦争に敗れ、TNRの奴隷扱いされることになる。

 

TNRの雑用係をさせられる黒田。セコンドにつくときは首輪で繋がれ、黒のロングタイツの下に白のブリーフを履かされる屈辱、強制的にコマネチをさせられ、コントにも参加させられる。試合後の記者会見では理不尽にTNRのメンバーから暴行を受けた。あまりにも惨めでかわいそうな仕打ちを受け続けた黒田は大仁田がZEN解散後に立ち上げたチーム0のリーダーとなった。そこで黒田はシングルマッチで次々と好勝負を展開する。勝敗を抜きにして、黒田の試合に外れがないというファンからの信用を得るようになる。

 

評価を上げる黒田と共闘したいと声をかけてきたのが、アメリカECWから凱旋した田中だった。田中はエースのハヤブサを越えるためにアメリカに活路を求め、そのタフネスぶりとプロレスセンスで頭角を現し、ボールズ・マホーニーと組んでECW世界タッグ王者となった。そしてFMWでの天下取りを目指し帰国した。だが田中の眼前に広がるのはスーパーインディーと呼ばれた元祖ハードコアのFMWではなく、エンタメ路線に突き進むFMWの姿だった。これではいけない。俺の色を出すと意気込んだ田中は黒田と組むことで、FMWを変えようとした。だが黒田にとって田中は最大の標的、組むつもりはなかった。

 

そこで二人の生き方をぶつけ合ったのが内館氏が夢中になった1999年2月27日の一騎打ちだった。

 

いきなり、リング上で始まったイス・チャンバラ。
机やイスが飛び交うハードコア戦と、まるで全日本プロレスの四天王プロレスのようなハイレベルな攻防が入り混じった二人ならではプロレスが展開されていた。
当時の田中は120kgの巨漢にも関わらず、脅威のタフネス、パワーとスピードを併せ持つFMWのターミネーター。
一方の黒田はラリアットと各種スープレックスで相手を追い詰め、好勝負を連発し、なぜか応援しがいのあるFMWの越中詩郎。
試合は激闘の末、田中が勝利する。
試合後、田中は黒田に一緒に組もうと誘う。
黒田はその声を無視し、リングを下りようとする。
だが、そこに思わぬ男が黒田の前に立ちはだかる。
それは当時若手の佐々木嘉則、後のマンモス佐々木である。
黒田がリーダーであるチーム0には大仁田も去り、メンバーは黒田と佐々木だけ。
どうやら黒田は最後までついてきた佐々木のために田中と組むのを拒んでいたのだ。
佐々木は黒田を説得する。
 
「リング上に戻って、田中さんと握手してください!」
 
佐々木の熱意に根負けした黒田はリングに戻り、田中と握手した。
そして、田中は黒田を説得した佐々木にも声をかけて、3人でFMWを変革することを決意する。
【田中将斗と黒田哲広 20世紀末の日本インディー界に誕生したライバルストーリー/ぼくらのプロレス】

 

こうして田中と組むことになった黒田。ハヤブサ&新崎人生が保持するアジアタッグ王座に挑戦し、名勝負を残し、FWMタッグリーグ戦優勝を果たす。

 

1999年5月5日横浜文化体育館。黒田はメインの冬木が保持するFMW2冠統一王座の挑戦権をかけたタッグ戦に勝利し、挑戦権を獲得する。かつてはTNRから奴隷扱いされた男が1年かけて昇りつけたメインのリング。だが試合はTNRが再三試合に介入、いつの間にか黒田は大流血に追い込まれる。だが黒田は諦めなかった。熱き黒田はどんなにやられても、どんな屈辱を味わっても左の握り拳を作って耐えてきた。そして反撃する時も、左の握り拳を作って渾身のラリアットをぶち込んでいくのだ。この日もそうだった。だが黒田一人に対して、冬木はTNRという強力な援軍を得て、やりたい放題を繰り返す。最後は冬木のラリアットを食らい敗れた。試合後、この結末に納得がいかない観客からは物が投げ込まれる異常事態に発展した。

 

黒田は硬派路線だけでなく、エンタメ路線もそつなくこなせた。それは1999年5月以降の冬木コミッショナー体制になってから判明していく。「黒田最高」というキャッチコピーを売りにする最高男となり、観客や対戦相手との言葉のキャッチボールをすることで、会場をいい空気に作るムードメーカーとしての才能が彼にはあった。そこはどこかエンタメ路線のFMWに馴染めなかった田中とは違った。

 

2000年1月5日、黒田はライバルの田中を激闘の末、見事に勝利を収め、第3代WEWシングル王座を獲得する。これがシングル王座初戴冠だった。この時期になると黒田はFMWのトップレスラーの一人となっていた。そしてエンタメ路線のFMWになくてはならない存在となった。

 

トップレスラーの一人だった黒田が団体の看板を背負うことになったのは2000年11月。エース・ハヤブサがケガで戦線離脱。そこでハヤブサに代わり、FMWのエースに名乗りを上げたのが黒田だった。ハヤブサ欠場前最後の試合で、黒田はハヤブサを襲撃し、実力行使。その後、パートナーの田中を裏切り、黒田をエースに指名した冬木をも襲撃し、傍若無人を繰り広げる。黒田がリーダーとなったユニット「チーム黒田」はとにかく最低の集団だった。冬木にブラジャーと口紅を塗りたぐり、欠場中のハヤブサを痛めつける。そんな黒田には観客はブーイングを飛ばした。だが観客は知っていた。汚れ役を引き受けてでも団体を守ろうとする黒田の姿を。脳天から大流血し、医療用ホッチキスで傷口を止めた状態でもリングに上がり試合を続けた黒田の姿を。だからハヤブサが復帰し、シングル王者だった黒田に挑戦表明した時、黒田が「お前が休んでいた間、俺は団体を守ってきたんだ!」と叫ぶと歓声が飛んだのである。

 

エースのハヤブサが半身不随の重傷を負い欠場しているなかで団体を守るために外敵と闘ったのも黒田だった。WARの天龍源一郎とタッグ戦で対戦した時、正面から天龍の攻撃を受け止めた黒田。中盤に天龍から脳天にビール瓶攻撃を受け大流血。あまりにも出血がひどくまるで赤いペイントをしたかのような形相になった黒田。だが黒田は左の握り拳を作って耐える、反撃する、観客を沸かせた。

 

黒田はマイクパフォーマンスで雄弁に語り続けたが、FMWに捧げる想いはあまり語ってこなかった。そこには無言で団体を支えようとする黒田の美学があったのかもしれない。

 

2002年2月FMWは経営不振に陥り倒産。生き場所を失った黒田は冬木が旗揚げしたWEWに参加し、その後アパッチプロレス軍に所属する。その中で黒田は金村と共にゼロワンに参戦し、炎武連夢(大谷晋二郎&田中将斗)と名勝負を残す。2002年の第2回火祭りにエントリーした黒田は準優勝を果たす。さまざまな団体に参戦しながら、きちんと高水準の試合内容を残す黒田はプロモーターから重宝された。

 

PRIDEを運営していたDSEのプロレスイベント「ハッスル」のレギュラーになった頃は年間1000万円を稼いだという。だが「ハッスル」が低迷し崩壊し、リーマンショックの影響もあり、ギャラの相場も下落した。また盟友・金村の事件もあり、金村についていった黒田への批判も上がった。そして次第に黒田の姿はメインストリームで観ることがなくなり、基本的にどインディー団体でしか見ることはなくなった。今、黒田はさまざまなどインディー団体でゲスト参戦している。タイトル戦線にもあまり絡んでいない。

 

何故黒田が田中将斗ほどブレイクしなかったのか。色々考えたのだが、それは田中と黒田には一つ決定的な違いがある。田中にはキャリアを重ねても貪欲なまでの向上心があった。肉体改造を重ね、試合内容もよりシンプルな技の構成に移行したり、田中は常に試行錯誤を繰り返し、ブラッシュアップをしてきた。それが田中の凄さだ。一方の黒田はFMW崩壊以後から現状に甘んじることに慣れてしまった。だからFMW時代には持ち合わせていた向上心を見失っていたのではないだろうか。以前、黒田はこんな発言をしている。

 

 

「プロレスの再浮上は厳しいと思いますよ。団体も多すぎるし、レスラーも多すぎる。だから貯金をした方がいいですよね、絶対。だって将来性がまったくないですもん。辞めても保障はゼロじゃないですか。マイナスはあってもプラスはないじゃないですか。失業保険もないですし、国民保険、退職金もない。家も何もない状態から就職活動をしなきゃいけないってことですよね」

【Kamipro No.136/エンターブレイン】

 

恐らく黒田自身がレスラー人生を歩む中で業界に対して絶望してしまったのだろう。夢や希望を与えられていない業界も問題だが、保身に走り絶望している選手の試合を観て、我々の心に響きにくいのではないだろうか。

 

それでも私はどんな時でも左の握り拳を作って立ち向かっていった熱き最高男の雄姿を忘れない。最高男は日本インディー界の重鎮となった。まだ引退はしていない。その熱き握り拳の行方は徐行運転のようにゆったりと進んでいる。もし引退をするとき、私は彼に聞いてみたい。

 

「あなたはプロレスラーになって本当に幸せでしたか?」

 

でもやっぱりこんな風に声をかけたい。

 

「黒田さん、あなたは本当に最高でしたよ…」

 

 

 

 

 

 

「If」が付きまとう男~才能だけでは王になれない~/バリー・ウィンダム【俺達のプロレスラーDX】


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俺達のプロレスラーDXを久しぶりに更新しました。今回は黒田哲広選手を取り上げました。


是非ご覧ください!

さて次回はライトニング・キッド、1-2-3キッド、シックス、Xパック、シックスパックなどさまざまなリングネームで活躍したショーン・ウォルトマン選手を取り上げます。お楽しみに!

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ジャスト日本です。プロレスTODAYさんで連載中の「俺達のプロレス名勝負列伝」を久しぶりに更新しました。


この連載も更新を再開しましたので、チェックしてください!

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ジャスト日本です。

7月28日に東京・新宿で初のトークイベント「俺達のプロレストーーク vol.1~新宿の中心で愛を叫ぶ~」とトークイベント後の飲み会「ジャストプロレスナイト2018 in 東京~俺達の大プロレス飲み会 vol.2~」を開催させていただきました。

今回はそのトークイベント&プロレス飲み会レポートと東京遠征記について書かせていただきます。

まずは7月27日。仕事が終わり、東京遠征に必要な買い物を済ませて、いざ大阪・難波へ。




難波から東京駅に向けた夜行バスに乗りました。去年から電子書籍に関わるようになってから実に4度も東京遠征にいっている私なのですが、今回は一番緊張しました。人生初のトークイベントの本番なのです。お金をいただいて、人前で話すわけです。それならきちんと「チケット買ってよかった」と思えるものを提供したいという想いがありました。なので移動中に私のコーナー部分の原稿に赤ペンをいれながらイメージトレーニングをしていました。そしてイメージトレーニングが終わると持ってきたケンドー・ナガサキ選手の自伝を読んで就寝。

翌日7月28日朝8時頃に夜行バスは東京駅前に到着。この日は台風が直撃するのではと予報があり、天候不安を抱えておりました。いざ東京駅前につくとやはり雨は降っていました。嫌な予感がして参りました。トークイベントとプロレス飲み会、決行できるのでしょうか?

朝食をどうしようかなと前日から考えていた私は急に朝ラーメンをやりたくなったので、東京駅の地下にある東京ラーメンストリートでラーメンを食べることにしました。





ソラノイロのベジソバ。ほぼ野菜のみの体に優しいラーメンでした!美味しかったですよ!

その後、どうしましょう(笑)

前回はここで水道橋にいきましたね。後楽園ホールと東京ドームを外から見学しました。今回もプロレスの聖地にいってみたいなぁと漠然と思っていました。そこで数日前に奥さんから「新木場に行ってくれば(笑)」と言われたことを思い出す。そうだ!新木場だ!

JRの都内一日パスを購入した私は電車で新木場へ行くことしました。

新木場につきました。



なぜか気になった店を発見。

とにかく私はあそこに行かなければいけないのです。後楽園ホールとともにプロレスの聖地と言われる新木場1stRINGへと。だがここでハプニング。どんなに歩いても目的地につかない。どうやら歩いているのは高速となりの歩道だった!そんな道を歩いていたら目的地なんて着かない!急いで引き返してJR新木場駅へ。

どうやら新木場1stRINGは工業団地の一角にあるようです。その辺らしきところを歩いてるものの、やっぱり見つかりません。どうやら目的地を通りすぎてしまった模様!私としたことがこれで大きく体力ゲージを消費(笑)

おおっと!ここでようやく歩き果てた中で見つかった漆黒のジムナジアム!これが新木場1stRINGであります!




よくやく出会えた目的地に満足した私は素早く退散。いつまでも居るつもりはありません。するとせっかくだからあそこにいってみるかと思い立った私が向かったのはこちらです。



プロレスではあまり使われていませんが、新木場スタジオコースト(新木場ageha)。この会場はテレビ朝日で放映されている「フリースタイルダンジョン」の収録会場であり、総合格闘技パンクラスの定期使用会場なのです。この場所に来れたことに満足した私は早速新木場を離れることにしました。

向かうのは新宿です。



曇り空は広がっているものの、雨は降っていません。新宿についたときは強い雨が降っていましたがどうやら止んだようです。

ここで宿泊場所であるカプセルホテルに荷物を預け、昼飯。



ガストで豚カツ!「台風に打ち勝つ」という私の強い想いがあったのですね!

昼飯後、この日は長丁場になるなと確信していた私はマッサージで体をほぐすことを決意し、いざマッサージ屋でリラックスタイムを導入。いい気持ちでしたね。体がほぐれました(笑)

マッサージ後、いよいよトークイベントのリハーサルかと思いきや違うんですよ、それが!

向かったのはなんと駒込!私申し訳ありませんがどんなところかほとんど知らない状態でした。なぜ、そこに行くことになったのか。それはある女性に会うからです。

駒込でなかなか味のある看板を発見。




これは国際プロレスのTシャツを来ていた私。恐らくこの日、このTシャツを着て東京中をさすらっていたのは私だけでしょう。いつも心に国際プロレス!



駅からすぐの喫茶店に到着。



近くにはラーメン屋日高屋があったり、100円ショップのキャンドゥがあったり、東京なんだけど、どこかのどかさも漂う町・駒込。国際プロレスのTシャツを着た私の眼前に現れたのはライターの池田園子さんです。





ちなみにこの写真はご本人に提供していただきました。ありがとうございます!

ここで池田園子さんについてご説明しましょう。

DRESS編集長。楽天、リアルワールドを経てフリー編集者/ライターに。関心のあるテーマは人間の生き方や働き方、性、日本の家族制度など。趣味のひとつはプロレス観戦。DRESSプロレス部 部長補佐を務める。著書に『はたらく人の結婚しない生き方』がある。

ちなみにDRESSとは「自分らしく輝きたい女性のためのWebメディア」です。つまり見る限り女性受けをしない「ザ・マン」の私とは無縁のメディアなのかもしれません。

ちなみに池田園子と私はなんと誕生日が同じ5月11日なのです。

そんな池田さんとの繋がりを持つことになったのは池田さんが以前私が書いた飯塚高史選手の記事をTwitterで紹介してくださったからです。


元々ライター志望だった私はかなり恐縮しておりましたが、池田さんにTwitterで紹介された頃はTwitterを休止していたのでその事に触れることはありませんでした。ただプロのライターさんに記事を誉めてもらった。しかも「丁寧にまとめている」という一文に感激しました。私の文章がプロのライターに届いたのだと…。

そして池田さんについて調べるとどうやら東京MXのテレビ番組でコメンテーターをしたという情報まで入る。まさに池田さんはこれからもっと世間やメディアに出ていく人だったことに気がつくんです。凄い方に誉めてもらったのですね、私は。

それから電子書籍を出し、もっと宣伝活動を強化し、もっとプロレスを広めるナビゲーターになりたいと決意した私は「二度と帰るか!」と思っていたTwitterを復活することにしました。そこで池田さんをフォローさせていただき、相互フォローの関係になりました。

そこからご縁が生まれ、電子書籍「俺達が愛するプロレスラー劇場 vol.1」のレビュー記事を書いてくださいました。


本当にあの時の恩は一生忘れませんよ、池田さん。いつか池田さんに直接ご挨拶する機会を私は待っていました。そしてその機会がこの日ようやく訪れたのです。



トークイベントのために作ったこの名刺を最初に受け取ってくださったのは池田さんでした。これは嬉しかったです!

池田さん、本当に可愛らしくて清楚で素敵な女性なんですよ。年齢は僕よりも年下なのですが、かなりのしっかりされていて私よりも大人だなと感じました。

ここからノンストップのプロレス話!池田さんからのあらゆる角度からの質問に僕がどんどん答えていきます。「奥さんはプロレス好きなのですか」に始まり、女子プロレス、全日本、ゼロワン、レッスル1、新日本プロレス…。その質問は止まりません! 

しかも池田さんは僕が「黒田哲広」「ジェリー・リン」というかなりマニアックなレスラーの単語を言って簡単に二人について説明すると興味津々となり、すかさずスマホで調べようとしてくれるんです!これは多分、家に帰って調べたのでしょう(笑) どこまで貪欲なのですか、女神様は!

これだよ、これ!待っていたんですよ!こんなに質問されて答える快感ですよ!もう池田さんにインタビューされている気分。なんだか天国か夢心地か。しかし、時間が過ぎるにつれて私は感じていたことがありました。

そもそも池田さんはプロレスファン歴2年なんですが、現在、過去も含めてさまざまな団体の情報や歴史を知ることにものすごく貪欲なんです。 情報や見方をアップデートしていく意欲には本当に凄くて…。多分池田さんがプロレスに接している理由がそこに見えてきて。彼女にとってプロレスは自身のライフスタイルをもっと充実させるためのカンフル剤のようなものなんですね。そこに人生を漫喫するための最高の趣味のひとつとしてプロレスを選んでいる。私にはそう思えました。少なくても私が今まで出会ったことがないタイプの方です。でも池田さんは本当に頭が柔軟なので、疑問に思ったことをすかさず聞いてこられても、納得されるとその知識や見方は自身の頭に吸収されているんですね。本当に凄いです。見た目や雰囲気、話す口調はまさしく夏目三久さんのような池田さんですが、実は学んだことはどんどん吸収してしまうライター界の飯伏幸太選手だったのですね!ちなみに飯伏幸太選手についてディック東郷選手がかつて「教えたことや学んだことをどんどん吸収して自分のものにする」と評していたのですが、その発言を池田さんとのお茶会で感じていました。

池田さんのどんなことでも吸収する姿勢はプロレスのマニアも初心者も見習う点が多いと思います。「プロレスはこうじゃなければいけない」という固定観念で見るのではなく、常に動き続けている「運動体」としてプロレスを見ているのかなと私は感じました。これは見ている年数ではなく池田さんのプロレスファンレベルは相当高いですよ!これは実際に会って話してみて確信したことですね!

何やらトークイベント前に一戦を終えたくらいの充実感とやや素敵なデートをしている錯覚に陥りながら池田さんとの実に一時間半に及ぶプロレスお茶会を楽しんだ私。だが喫茶店から外に出るとどしゃ降りの雨。異空間から現実社会に戻された私は急いで駒込駅に向かい、新宿を目指すのでありました。池田さん、素敵な時間をありがとうございました!

そうだ!DRESSにはプロレス部がありまして、そこで近々にイベントがあるのですよ!


池田園子さんのこれからのご活躍をお祈りしています。そしてこれからもこのご縁を大切にしていきましょう!よろしくお願いいたします!

新宿駅についた私。急がねば!タクシー乗り場は人集りができていてとてもじゃないけど乗るのは厳しい。向かうはトークイベント会場の新宿モリノス19F。すでに強風・どしゃ降りで気が滅入りそうになりながら地下を歩く私だったが、トークイベントの会場になかなかたどり着かない。どうやら迷子になったようです。いつのまにか新宿駅に戻ってしまった私。どうしたものか(笑) 体内ナビシステムが崩壊しているようだと判断した私は地下から地上を出ることに。台風による強風がまとめに受けて傘がなかなかさせない中で黙々と歩く私。そしてようやく会場にたどり着いたわけであります。

「俺達のプロレストーーク vol.1~新宿の中心で愛を叫ぶ~」のリハーサルと準備がスタートです。




会場には先にトークイベントのゲストの澤宗紀さんとごきげんビジネス出版の担当者がいました。そこで打ち合わせをして、本番を迎えました。

トークイベントとプロレス飲み会の内容につきましては今回参加してくださったプロレスブログ界の大御所・カクトウログさんが詳細にレポートしてくれていますのでこちらをご覧いただければ分かります!カクトウログさん、本当にありがとうございます!澤さんによる関本大介講座、最高でした!



ちなみに右側の黒覆面が私です(笑)


ここでは私が澤さんが登場するまでの間に「ジャスト日本かく語りき」と題して約30分ほど独り語りをさせていただきました。その内容の意図について書かせていただきます。

まず自己紹介、プロレスファンになるきっかけ、ブログ運営の経緯、電子書籍出版の経緯とざっくりと語らせてもらいました。なかなか緊張もしていたので最初はカミカミでしたが、大きな声とハッキリと話すこと、身ぶり手振りを加えながら話すこと、たまに参加者に質問するなど事前に心掛けようとしたことはやったつもりです。

そしてこのコーナーのクライマックスに語ろうと思っていたのは「プロレスとは?」

ここではホワイトボードを使いました。何人かに聞いて回りました。「あなたにとってプロレスとは?」。その上でホワイトボードにこう書きました。

「プロレスに答えはない」

ここで言いたかったのはプロレスほど決めつけや思い込みが通用しないジャンルはないということです。持論を言いたい強欲が沸きやすいのがプロレスだったりします。SNSではディスり合い、揚げ足とり、八つ当たりがかなり横行しています。そしてプロレスはその渦に巻き込まれているジャンルのひとつです。だから「もっと柔軟にプロレスを見ませんか」と問いたかったです。でもそれを強制感を持たせるわけにはいきません。そこで今のプロレスを見るなかで必要な考え方として提案させていただいたのがこちらです。

「多様な価値観を受け入れる器量」

今の時代に合わせた愛し方をしてみませんか。少しだけでもこの考え方をもつことでプロレスファンスキルはワンランク上がりますよ、皆さんのプロレス観は否定しませんがさらによりよくプロレスに接してもらうための提案を私はどうしてもしたかったのです。

今より少し進んだプロレスの見方をすることでプロレスファンレベルが上がる、そして最終的にはプロレス業界全体のブランドが上がることを信じていますという言葉で締めさせていただきました。恐らく澤さんの講座が強烈すぎてあまり覚えていない皆さんのために、ここでその意図を書かせていただきました。

ちなみに澤さんが登場されて、参加者全員を円で囲むように集めて自身のスマホで見せようとしたのがこの動画です!


どうやら直前に見つけたらしく、嬉しそうにみんなに見せようとする澤さんは本当に関本大介選手について語ることに、或いはいじり倒すことに幸せそうでしたね!

トークイベントは澤さんのおかげで大いに盛り上がりました。人生初のトークイベントのパートナーが澤さんで本当に良かった。澤さんが引き受けてくださったからこそ、私はここまで張り切れましたし、全面に出ることができました。あと澤さんの突っ込み役と交通整理もやらせていただいたのは私の宝物です!また次回に期待!



こちらが全員集合写真。「プロレス、愛してます!」と叫んで一枚撮りました。

さてトークイベントが終わり、あのヘンテコ衣装のままの澤さん、即売会で売れ残った書籍の段ボールを抱える私。二人で遅れながらもプロレス飲み会の会場へ。

実はこのプロレス飲み会にサプライズゲストを投入しておりました。現BJW世界ストロングヘビー級王者・鈴木秀樹選手です。鈴木選手を招聘することになったきっかけは4月のプロレス飲み会。そこのメンバーを見て、私自身が「今一番プロレス話を聞いてみたい選手は?」と考えて導いた結論が鈴木選手でした。でも鈴木選手との繋がりはまったくのゼロ。そこで登場するのが池田園子さんです。池田さんと鈴木選手は取材で交流がありました。そして私は池田さんと繋がりがあります。ここで池田さんに鈴木選手に「7月のプロレス飲み会に是非サプライズゲストで参加していただけませんでしょうか?」と伝言をお願いすると、なんと池田さんは直接鈴木選手にやり取りできるように計らってくださいまして、そこから鈴木選手サイドと交渉させていただき、見事にサプライズゲストとしてプロレス飲み会に参戦してくださったのです!池田さんとの出会いがなければ鈴木選手のプロレス飲み会参戦はありませんでした。なので個人的プロレス飲み会MVPは池田園子さんなのですね!

池田さん、ありがとうございます!
そして今回のオファーを快く受け入れてくださった鈴木選手、鈴木選手のマネージャー様、本当にありがとうございました!

そしてもう一人、澤さん枠でゲストとして参戦してくださったのがプロレスリングBASARAの阿部史典選手です。阿部選手は澤さんのお弟子さんで、澤さんに憧れてプロレスラーになった選手です。日本インディー界若手注目株として期待されているのです。

ちなみに鈴木選手、澤さん、阿部選手。この三人はUWFスネークピットジャパン出身。つまり源流は同じだったのですね!

(撮影・渡邊翔一さん)

今回はプロレスラー以外でも大物が次々と参戦。なんと「ネットプロレス大賞」を主催するプロレスブログ界のレジェンドであるブラックアイさん(杉さん)、電子書籍も出されているプロレス・格闘技ブロガーの男マンさん、アメブロで「DaIARY of A MADMAN」を主催する大ベテランプロレスファンのOZZYさん、プロレス・格闘技を長年見てきた重鎮・高倉仮面さんなど「見る側の巨人」も集結しました。凄い飲み会になったものです!

またレンブラントさん、ノリ齋藤さんといった若手も台頭。ノリさんには急きょ会計係を担当してもらいました。若い世代でプロレス伝道者が躍進していくことに期待したいです。

なかなか濃いメンツに5人の女性陣が参戦。本当にありがたいです。特にイケメン母ちゃんさんには感謝。彼女は参加が決まるとトークイベント&プロレス飲み会について継続的にTwitterで告白してくださいました。私一人の力ではトークイベント&プロレス飲み会は成立しないことをここでも実感。そしてイケメン母ちゃんさんも素敵な女性でしたよ。次回のトークイベント&プロレス飲み会にはもう少し女性のプロレスファンの参加に期待したいです。

そこに北村バンベイダーさん、スコット北村ーさん、北村バグバクウェルさんという北村系アカウントと呼ばれる曲者がいるわけですよ。そりゃ、狂乱の宴になるわけですよ!

特にあのヘンテコ衣装のまま、プロレス飲み会に参戦した澤さん、例のハイテンションで場の美味しいところをかっさらう北村バンベイダーさん、なにがなんでも「ユン・ガンチョル」をipad片手に自前パワポで大物ブロガー、選手にプレゼンしようとするスコット北村ーさん。特に澤さんと北村バンベイダーさんのはしゃぎっぷりに隣の席で女子会をしている女子がドン引き&クスクス笑われるという顛末。やりすぎぐらいがちょうどいいという言葉を象徴するようなプロレス飲み会でした。

ここで最後にみんなで記念撮影をしました。


(撮影・渡邊翔一さん)

ちなみに顔は非公開の私はマスクがなかったので、鈴木みのるばりにタオルを被ることにしました。また飲み会会場入りしてから携帯をなくしたことが判明し、探し回っても見つからないという最悪な事態に陥るも、最後の最後で店員さんに「これ携帯ですよ」と渡され、事なきを得ました。もし見つからなかったら新宿の警察に直行するつもりでした!でも、見つかってよかった。

トークイベントもプロレス飲み会も大盛況のうちに幕を閉じました。台風の中、ご参加いただきましたすべてのみなさんに感謝したいです!ありがとうございました!東京・新宿でのトークイベント&プロレス飲み会、できれば年内にもう一回できればと考えております。こうご期待!

そして飲み会の会場を離れる時、なんと元々プロレスファンだった店長が気をきかせてくれて、ゲストの鈴木秀樹選手の入場曲(ビル・ロビンソンの曲でもあります)「Blue Eyed Soul」をかけてくださいました!そのなかでみんなで退場することになりました。ナイス店長!ありがとう店長!ちなみに店長は鈴木選手の来店に驚き、撮影してくださいと直訴していました。飲み会会場には「店長コール」が鳴り響いておりましたよ!

ここから高倉仮面さんによる「高倉仮面放浪記」がスタートして有志一同で二次会、三次会に渡り、プロレスや格闘技の話で盛り上がりました!そこでもスコット北村ーさんは「スコット・スタイナー」についてパワポでプレゼンするのであり、高倉仮面さんからまさかの「セッド・ビシャス」への熱い想いが爆発したり、若いながらもレンブラントさんの様々なプロレス現場レポートがあったりと何かと盛り上がりました。結局三次会が終わりホテルに戻ったのは朝5時でした(笑)本当に長い一日が終わりました!

そして少しの睡眠をとったあとに新宿を離れた私は東京駅でおにぎり屋さんでおにぎりと味噌汁を食し、新幹線で新大阪に到着すると、13時頃にこちらの料理を食しました。美味しかったです!そして二日連続でカツを食べたのでした(笑)



そして16時頃に最寄りの駅に着きまして、歩いて数分、帰宅。帰宅後、少ししたら寝ていました(笑)はい、疲れていました。でも歩きすぎて両足太ももに筋肉痛を抱えましたが、無事に帰ってくることができました。プロレスナビゲーターとしての第一歩、なんとか踏み出せました。めでたし、めでたし。

これでジャスト日本の東京遠征記 2018 夏をお開きにさせていただきます!





テーマ:
澤宗紀が『関本大介を10倍好きになる講座』熱弁! ジャスト日本さん主催「俺達のプロレストーーク vol.1」大盛況【カクトウログさん】

※カクトウログさん、詳細なレポートを書いていただき本当にありがとうございます!

そして今回のトークイベント&プロレス飲み会に関わっていただいたすべての皆さん、本当にありがとうございます!

トークイベント&プロレス飲み会、そして東京遠征につきましては後日、ブログで書かせていただきます。


テーマ:
ジャスト日本です。

いよいよ明日、東京・新宿で初のトークイベント「俺達のプロレストーーク vol.1」を開催させていただきます。そしてこのトークイベント絡みの記事をプロレスブログ界の大御所・カクトウログさんに取り上げていただきました!本当にありがとうございます!

ゲスト・澤宗紀、ブロガー・ジャスト日本さんとプロレスを語れ! 28日(土)18:00新宿「俺達のプロレストーーク vol.1」【カクトウログさん】

まさか僕がカクトウログさんの記事になるとは…。人生どうなるかわからないですね! このトークイベント&プロレス飲み会及び東京遠征につきましては後日、ブログでご報告させていただきます。

それでは明日、新宿でプロレス愛を叫ばせていただきます。よろしくお願いいたします!

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