プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 後編「神の悪戯」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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今回は特別企画として、さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開する場を立ち上げました。それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

 

今回はプロレスラー・棚橋弘至選手と作家・木村光一さんによる激論対談をお送りします。

 

 

 

(写真は御本人提供です)

 

棚橋弘至

1976年11月13日岐阜県生まれ。立命館大学法学部時代にレスリングを始め、1999年に新日本プロレスに入門。同年10月、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。2003年に初代U-30無差別級王者となり、その後2006年に団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座を初戴冠。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の“歴代最多防衛記録”である“V11”を達成した。プロレスラーとして活動する一方で、執筆のほか、テレビ番組等に多数出演。2016年にはベスト・ファーザー賞を受賞、2018年には映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演など、プロレス界以外でも活躍している。「100年に一人の逸材」と呼ばれるプロレス界のエースである。

 

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「プロレス界の一年の計はイッテンヨンにあり!!」

新日本プロレス2024年1月4日・東京ドーム大会

 

新日本プロレス「WRESTLE KINGDOM 18 in 東京ドーム」 特設サイト 

 

 

 

 

 

(この写真は御本人提供です)

 

 

木村光一

1962年、福島県生まれ。東京造形大学デザイン学科映像専攻卒。広告企画制作会社勤務(デザイナー、プランナー、プロデューサー)を経て、'95年、書籍『闘魂転生〜激白 裏猪木史の真実』(KKベストセラーズ)企画を機に編集者・ライターへ転身。'98〜'00年、ルー出版、いれぶん出版編集長就任。プロレス、格闘技、芸能に関する多数の書籍・写真集の出版に携わる一方、猪木事務所のブレーンとしてU.F.O.(世界格闘技連盟)旗揚げにも協力。

企画・編著書に『闘魂戦記〜格闘家・猪木の真実』(KKベストセラーズ)、『アントニオ猪木の証明』(アートン)、『INOKI ROCK』(百瀬博教、村松友視、堀口マモル、木村光一共著/ソニーマガジンズ)、『INOKI アントニオ猪木引退記念公式写真集』(原悦生・全撮/ルー出版)、『ファイター 藤田和之自伝』(藤田和之・木村光一共著/文春ネスコ)、Numberにて連載された小説『ふたりのジョー』(梶原一騎・真樹日佐夫 原案、木村光一著/文春ネスコ)等がある

 

木村光一さんによる渾身の新作『格闘家 アントニオ猪木』(金風舎)がいよいよ発売!

 

格闘家 アントニオ猪木【木村光一/金風舎】

 

 

 

 

 

YouTubeチャンネル「男のロマンLIVE」木村光一さんとTERUさんの特別対談

 

https://youtu.be/XYMTUqLqK0U 

 

 

 

https://youtu.be/FLjGlvy_jes 

 

 

 

https://youtu.be/YRr2NkgiZZY 

 

 

 

https://youtu.be/Xro0-P4BVC8 

 

 

 

 

棚橋選手は長年、所属する新日本プロレスだけではなくプロレス界のエースとして活躍してきたプロレスラー。木村光一さんはアントニオ猪木さんに関する数々の書籍を世に出し、猪木さんのプロレス論や格闘技論に最も迫った作家でした。

 

なぜこの2人が対談することになったのか。そのきっかけとなった出来事がありまして、詳しくは私のnoteで経緯や諸々をまとめております。こちらをご覧いただければありがたいです。私と棚橋選手、私と木村さんについてもこちらの記事で説明させていただいています。

 

 

昔もいまもプロレスは面白えよ!|ジャスト日本 

 

 

 

私は棚橋選手と木村さん双方と繫がりがあり、立場やお気持ちも理解できました。だからSNS上で妙にザワついてしまった状況があり、「何とか打開策はないのか」と考えたりしてました。

 

 

そんなある日、棚橋選手とやり取りをしている中でこのようなことを言われたのです。

 

 

「木村さんと、直接、話したいですね」

 

 

 

棚橋選手はシンプルに木村さんという人物に興味を持ったのかもしれません。これまでまったく接点がなかった棚橋選手と木村さんが、新日本プロレスや猪木さんというキーワードを元に言葉を交わす場として今回、僭越ながら私のブログ上で対談することになりました。

 

私にはこの2人に対談していただくことによって棚橋選手にも、木村さんにも、そしてプロレス界にも少しでも恩返しする機会になればいいなという想いがありました。

 

 

そして、棚橋選手と木村さんの対談は、こちらの5つのテーマに絞って行いました。ちなみに私は進行役としてこの対談に立ち会いました。

 

1.映画「アントニオ猪木をさがして」について

2.棚橋選手が新日本のエースとして歩んできた生き方

3.新日本道場にある猪木さんのパネルを外した理由とパネルを戻した本当の理由

4.棚橋選手と木村さんが考える新日イズムと猪木イズムとストロングスタイル

5.これからのプロレスについて

 

 

これは永久保存版です!プロレス界のエースとアントニオ猪木を追い求めた孤高の闘魂作家による対談という名のシングルマッチはどのように決着したのか!?


最後まで見逃せない対談、是非ご覧ください!



プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 前編「逸材VS闘魂作家」 


 


プロレス人間交差点 

棚橋弘至☓木村光一

 後編「神の悪戯」

 


 

 

 


 


猪木パネルを外した理由「誰かがそれをやらねば…」

「猪木ファンと棚橋選手、あるいは新日本プロレスとの溝を決定づけた出来事」(木村さん)

「パネルを外すという行為によって『新日本は次のステップに進むんだぞ』と世間にアピールしたかった」(棚橋選手)




──では次の話題に移ります。新日本道場にあった猪木パネルを外した理由と戻した理由についてです。こちらに関しては猪木パネルを外した棚橋選手がさまざまな媒体のインタビューで理由を語っておられますが、個人的にはその説明があまり足りてなかったように感じました。


木村さん 猪木ファンと棚橋選手、あるいは新日本プロレスとの溝を決定づけた出来事でしたから、私もその真意をきちんと伺いたいと思っていました。


棚橋選手 今でもその件に関しては色々と言われてます。「あの野郎、猪木さんのパネルを外しやがって!」と。でも、あの当時、新日本の誰かがそれをやらなければいけなかったんです。


木村さん といいますと?  


棚橋選手 パネルを外したのは猪木さんがIGFという別団体を旗揚げしたからです。そのとき、僕は猪木さんから「俺も好き勝手やってんだからいつまでも飾っておくなよ」と言われたような気がして。決して猪木さんが憎いとかじゃなくて、むしろそれが筋だし礼儀だと思ったんです。あとは、それをすることによって、新日本が猪木さんとは別の道でやっていくんだという意思表示でもありました。パネルを外すという行為によって「新日本は次のステップに進むんだぞ」と世間にアピールしたかったんです。




猪木パネルを戻した理由「王の帰還」

「帰還した王が戻る場所はやはり新日本プロレスの道場しかない。『ここに戻さないでどこに戻すんですか!?』というのが僕の偽らざる心境」(棚橋選手)

「このままでは猪木さんの帰る場所がないですね。だとすれば、過去の経緯はどうあれ、あのパネルが飾られるのに相応しい場所はたしかに新日本プロレスの道場しかありません」(木村さん)





──木村さんはどう思われていたんですか?


木村さん 私は棚橋選手がパネルを外したという行為については、今おっしゃったことが真意なら正当だったと思います。猪木さんは新日本に対するアンチテーゼとしてIGFを旗揚げし、はっきり対立姿勢を示したのですから。むしろ、それに呼応しなければ猪木さんのいう「プロレスは闘いだ」という根本原則に反しますし嘘になります。そこまでは納得できました。しかし、『アントニオ猪木をさがして』の中で、その棚橋選手がパネルを道場の壁に戻すシーンはあまりにも唐突で違和感がありました。


棚橋選手 たしかにパネルを戻したのはあの映画の演出の一部です。でも、嘘のない僕の正直な想いでもありました。


木村さん といいますと?


棚橋選手 2020年からコロナ禍になって、プロレスも含めてあらゆる娯楽やイベントで集客するジャンルはどん底まで落ち込みました。そこからもう一度這い上がって盛り上げていこうという矢先に猪木さんが亡くなられて…。都合のいい話ですけど、「猪木さん、もう一度、力を貸してください」と、素直にそういう気持ちになれたんです。


──今、新日本道場には再びアントニオ猪木のパネルが飾られ、その前で選手は練習をされています。何か変化はありましたか?


棚橋選手 僕より猪木さんと関わりがあった上の世代の人は、道場に入るとピリッとしてますね。猪木さんに見られている感覚があるから練習にも熱が入ります。あとは新日本にいる新弟子の中には15歳の子もいるんですが、猪木さんのことは全然知らないと思います。そういう若い世代にもあの猪木さんのパネルから何かしら感じてほしいと僕は願っています。


木村さん 映画をきっかけにして、棚橋選手も心の整理がついたんですね。


棚橋選手 猪木さんは新日本プロレスを旗揚げして、激しい戦いで1980年代にプロレスブームを巻き起こして日本プロレス界を牽引するメジャー団体に成長させ、その一方で異種格闘技戦や総合格闘技の舞台で格闘技界全体を盛り上げ、国政にも出て参議院議員になって、あらゆることをやり尽くした上で自らが創設した新日本に帰ってきた。このシチュエーションはプロレスの領土をむちゃくちゃ広げた王が元にいた場所に凱旋した「王の帰還」のドラマのエンディングだと僕は考えたんです。そしてその帰還した王が戻る場所はやはり新日本プロレスの道場しかない。「ここに戻さないでどこに戻すんですか!?」というのが僕の偽らざる心境でした。


木村さん 「王の帰還」とは言い得て妙です。プロレス界も格闘技界も未だにまとまらず全体を統括する組織もできていない。そうなると棚橋選手がおっしゃった通り、このままでは猪木さんの帰る場所がないですね。だとすれば、過去の経緯はどうあれ、あのパネルが飾られるのに相応しい場所はたしかに新日本プロレスの道場しかありません。実は、私が猪木事務所のブレーンをやっていた頃、格闘技アリーナ(猪木記念館)を作ろうというプランがあって、その企画書を作成したことがありました。結局、実現には至らなかったんですけど、そこにはプロレスや格闘技の専用会場のほか、あらゆる格闘技や団体において貢献のあった選手たちのパネルや記念品を飾る記念館も併設し、後世にその功績を伝えていこうという夢のあるプランでした。




新日本が長年温めている常設会場計画

「僕が新日本の社長になったら『イノキアリーナ』を作ります」(棚橋選手)




──それはプロレス界や格闘技界のために今後も挑んでほしい素晴らしいプランです。


棚橋選手 新日本にはずっと温めているアイデアがあるんです。東京都内に2000~4000人くらいのキャパの後楽園ホールに代わるような常設会場を作りたいという夢があるんですよ。もし実現したら、僕はその施設を「イノキアリーナ」と名付けますよ。そうすれば大きな話題になりますし、世代を超えてプロレスファンが集える場にもなる。そしてプロレスが未来永劫、続いていくのならこんなにいいことはないですよ。


──その「イノキアリーナ」に猪木さんの資料や記念品なども収蔵して公開すれば、猪木さんの多岐にわたる功績もきちんと後世に伝えることができますね。


棚橋選手  いいですね!僕が新日本の社長になったら「イノキアリーナ」を作ります。


木村さん それは公約ですね。その言葉、忘れませんよ(笑)。



──話は少し戻ります。さきほど棚橋選手が猪木パネルを外した理由として、猪木さんのIGF旗揚げを上げていました。棚橋選手はIGFについてはどのようにご覧になってましたか?


棚橋選手 IGFは総合格闘技でもプロレスでもないという印象でした。有名な選手も出ているし、きちんと技術を持っている本物の選手もいるのですが、もし僕がひとりのプロレスファンだったとしたら乗れなかったと思います。さすがの猪木さんもIGF時代は迷走していたのではないでしょうか。




木村さんの猪木論

「猪木さんが考える理想のプロレスとは格闘技術をベースに緊張感を生み出しながら観客を魅了するプロレスだった」(木村さん)




──猪木さんでも混沌が続いたIGFをコントロールすることはできなかったのかもしれませんね。木村さんはIGFについてどのように感じてましたか?


木村さん うーん…。要するに猪木さんが考える理想のプロレスとは格闘技術をベースに緊張感を生み出しながら観客を魅了するプロレスだったはずなんです。つまりプロレスという大枠の中にどれだけリアルな要素を詰め込めるのかという。猪木さんは現役時代、プロレスと格闘技の両方でそれができてしまった稀有なレスラーでした。プロレスに格闘技を引きずり込み、異種格闘技戦もハイレベルなプロレスとして成立させたのは猪木さんの最大の功績のひとつであり、誰もできなかった離れ業なんです。猪木さんとしてはそれをIGFのリングで誰かに再現してほしかったんだと思います。しかし、残念ながらあまりうまくいかなかった。そこで猪木さんは苦肉の策として格闘家たちにプロレスをやらせる方向に持って行こうと考えたのでしょうが、やっぱりプロレスはそんな簡単なものじゃなかった。と、そういうことだったのではなかったかと。


──同感です。


木村さん 猪木さんが力道山に弟子入りした当時は、まだプロレスというジャンルが確立しておらず、先輩レスラーも格闘技の精鋭揃いでした。ズラリと幕内力士が揃っていて、他にも柔道の猛者、高専柔道やレスリングの実力者もいて、凄くスキルの高い格闘家が大勢いたわけです。そういう環境の中で猪木さんはプロレスの基本としてさまざまな格闘技の技術を叩き込まれた。だから猪木さんがよく言う「俺はプロレスと格闘技に分けたことがない」というのは、そもそも猪木さんの中で最初からプロレスと格闘技は同じものだったからなんですよ。



棚橋選手 なるほど。


木村さん その考え方をもとに猪木さんはずっとプロレスをやってきたのですが、時代と共にプロレスが変化してギャップが生じていった。今回、僕は『格闘家アントニオ猪木─ファイティングアーツを極めた男』と言う本を上梓させていただいたのですが、いちばん伝えたかったのがその点なんです。もしかすると、次の時代のプロレスのヒントの一つになるんじゃないかと。周知の通り、猪木さんはプロレスや格闘技に対して具体的なことはあまり語りたがらない人でしたが、幸いなことに私はお話を伺うことができましたので、それをもう一度整理し直して、「アントニオ猪木のプロレスとは? 格闘技とは何だったのか?」あるいは「アントニオ猪木はそもそも格闘家だったのか、プロレスラーだったのか」といったテーマで深掘りさせていただきました。


棚橋選手 猪木さんはプロレスラーだったのか、格闘家だったのか…。猪木さんはファイターですよ。炎のファイターだったんじゃないですか。


木村さん この本のサブタイトルは“ファイティングアーツを極めた男”。猪木さんにとって、プロレスも格闘技もファイティングアーツだったんです。


棚橋選手 格闘芸術!


木村さん 猪木さんにすれば、何をやってもいいけど、やるなら芸術と呼ばれるくらいの域まで高めてみろよと言いたかったんだと思ってます。


──芸術にまで昇華させられれば表現方法は問わないと。


木村さん 猪木さんも実はスタイルに関してはそこまでこだわりはなかったように思います。ただ猪木さんが身につけたプロレスのベースが格闘技だったので、志向としては格闘技寄りになりがちでしたが、ご本人はあまりジャンル分けに興味はなかったし、そもそも自分が若い頃に修得した技術に関しても「これがレスリング」「これがCACC」「これが柔術」「これが高専柔道」とか整理されていたわけではなかった。全部プロレスとして呑み込んで咀嚼してしまったのがアントニオ猪木なんですよ。したがって格闘技が上位概念だという考えもない。すべてをプロレスと捉えているからアメリカンプロレスだって誰よりも上手かった。


棚橋選手 タイガー服部さん(元・新日本プロレスレフェリー)も「アントニオ猪木はアメリカンプロレスだよ」と言っていました。シチュエーションを作り上げて正義と悪の対立構造をはっきりさせ、前哨戦で盛り上げて状況を整えてから決着戦という勧善懲悪の世界観をきっちり作り上げていたということですね。


木村さん 猪木さんはただ漠然と試合をするのではなく、その2人が闘うしかないというシチュエーションを作ることを重視してました。だから猪木さんのプロレスは感情移入できてなおかつ緊張感と爆発力があったんですよ。


棚橋選手 試合前のセットアップをするか、しないかでファンの方の試合への集中力や期待感も変わってきます。激しい過酷な試合内容で盛り上げた全日本の四天王プロレスとの対比にもなりますよね。試合で凄いことをして魅せるのも大事ですが、あらかじめ試合前に闘う必然性をはっきり打ち出すことを猪木さんは一番大事にしていたんですね。「お前は怒っているのか!?」と言っていたのも「怒っているから闘うんじゃないのか」という問いかけだった。全部、繋がるような気がします。




棚橋選手にとって新日本イズム、猪木イズムとは?




──ここからはお二人が考える新日イズム、猪木イズム、ストロングスタイルについて、持論をお聞きしたいです。木村さんは先ほど(前編 参照)新日イズムは「どんな手を使ってでも客を入れてやるという意気込み」、猪木イズムは「“できない”“やらない”は絶対に言わない決意」とおっしゃってましたが、棚橋選手が考える新日イズムとは何でしょうか?


棚橋選手 僕はプロレスというジャンルは昔も今もマイノリティーだとずっと思っています。なので、「もっと有名になってやる」「もっと強くなってやる」という反骨心が新日本プロレスと新日本プロレスのレスラーには一貫してベースにあったんじゃないでしょうか。世間や物事に対する反骨心が新日イズム。「こんな面白いものを何でみんな知らないんだよ!もっと知ってくれよ!」という想いなんじゃないかなと。


──棚橋選手はマイノリティーであるプロレスをもっと世の中に広めるために全力でプロモーション活動を長年、実践されています。そこにはそういう新日イズムが流れていたわけですね。


棚橋選手 猪木さんが言っていたように、プロレスというジャンルに市民権を得たいんで

す。




──では棚橋選手が考える猪木イズムとは何ですか?


棚橋選手 僕にとっての猪木イズムは「見る前に飛んでしまえ」「とにかくなんでもやってしまえ」です。結果を気にするなと。今の時代は保険をかけて行動するじゃないですか。みんなが忘れてしまっている「成功するかどうか分からないけど、やってしまえ」というのが猪木イズムなのかなと思います。だってそっちの方がワクワクするし、どう考えても面白いんですよ。結果が失敗に終わっても猪木さんは「別に死ぬわけじゃない」位の感覚だったんじゃないですか。


木村さん そうですね。チャレンジの結果、数十億の借金を背負ってどん底に落ちても何度だって這い上がった人ですから。




「ストロングスタイルはただの言葉です。企業のイメージ戦略だと思っています」(棚橋選手)



──では、棚橋選手はストロングスタイルについてはどのように考えていますか?


棚橋選手 ストロングスタイルはただの言葉です。企業のイメージ戦略だと思ってます。ストロングという強い響きにスタイルという言葉をくっつけるとスタイリッシュでかっこいい。実態は掴めないけど、何となく強そうというニュアンスが伝わるじゃないですか。散々「棚橋の試合はストロングスタイルじゃない」と言われてきましたけど、ストロングスタイルという言葉そのものが曖昧で抽象的でしかないんです。僕は以前、猪木さんと対談した時に「ストロングスタイルとは何ですか?」と聞いたことがあって、「そんなものは知らねぇよ」と言われました。「そういうもんですよね」と思いましたよ。


──ちなみにプロレスライターの流智美さんが『詳説!新日イズム』(集英社)という書籍の中で、「ストロングスタイルとは新日本プロレスは本物・本流であり、全日本プロレスはショーマンシップが主体の見世物プロレスとファンを洗脳するために新日本関係者によって作られた和製英語」と綴っていて、ショーマンスタイルの対義語としてストロングスタイルという言葉が生まれたのだと述べています。


棚橋選手 なるほど。やっぱりイメージ戦略なんですよ。新日本は企業イメージの持っていき方が抜群にうまかったんでしょうね。

    

  


「猪木さんから直接伺った言葉ですが『カール・ゴッチをプロレスの神様にしたのは俺だ』と、はっきりそう言っていました」(木村さん)




──木村さんはストロングスタイルについてどのようにお考えですか?


木村さん 旗揚げ当時の新日本には全く売りがなかったわけで、いい外国人レスラーも呼べないし、そして猪木さんがやろうとしていたもっとスポーツ寄りのプロレスも時代が早すぎて観客に受け入れられなかった。じゃあどうやって客を呼ぶか。そのために無冠の帝王と呼ばれて誰もがその強さを認めているカール・ゴッチを神棚に祀ることで新日本プロレスをブランド化しようとしたんです。これは猪木さんから直接伺った言葉ですが「カール・ゴッチをプロレスの神様にしたのは俺だ」と、はっきりそう言っていましたから。新日本の道場をゴッチさんの色で染めたのもそのため。意図的だったんじゃないかと私は見ています。その妥協なきゴッチ流プロレスをイメージさせるのにもストロングスタイルというコピーはうってつけだったんだと思います。


棚橋選手 ストロングスタイルはレスラーのためというよりファンに対する救済処置だったような気もします。「新日本はストロングスタイル」と言えば、ジャイアント馬場さんや全日本プロレスファンとのプロレス論争でも論破しやすいわけで。その言葉が全日本との対比として生まれたのなら、猪木さんと馬場さんとの関係もずっと続いているということなんですよ。




棚橋選手と木村さんが考えるこれからのプロレスとは?



──ストロングスタイルという言葉はファンからすると守り神のような心強いワードだったのかもしれません。では次にお二人にはこれからのプロレスについて語っていただいてもよろしいですか? まずは棚橋選手からお願いします。


棚橋選手 僕が新日本のエースだった時に、団体がV字回復と言われて、みんなに「ありがとう」と言われましたけど、実は僕のレスラー人生は一度、そこで終結していたんです。「もうやり切ったな」という想いがありました。でもコロナ禍があって、せっかくみんなで盛り上げてきたプロレス人気が下がってしまったので、幸いまだ身体を動くので、もう一回コロナ前以上にみんながプロレスを楽しめる状況を作って役目を終えたいというのが今、僕にとって一番のモチベーションです。


──プロレス界で成し遂げたいことは?


棚橋選手 先ほどちょっと触れましたけど常設会場を作ることですね。そういう突飛なことをやって、最後に僕なりに猪木イズムと決着をつけて終わりたい。僕は猪木さんから一字もらっています。名付けというのは一種の呪いですから。(棚橋弘至選手の至という字はアントニオ猪木さんの本名である猪木寛至が由来だと言われている)


──木村さんはこれからのプロレスについて何か意見はありますか?


木村さん 正直、現状のプロレス界はネガティブな感じがしてなりません。プロレス団体がファンの囲い込みに躍起になっているというか。そんなことをやっていては外に広がりませんし、とくに私のように何十年もプロレスを見てきたファンは、なによりそういう囲い込みを嫌います。プロレス界は一丸となって、もっと外に、世間に対してオープンに発信を行っていった方がプロレスというビジネスのためにもなると思います。そして、昔はプロレスマスコミが色々なことをリードしながら共にキャラクターを作り上げていたと思うんですけど、今はSNSでレスラーも自分から発信できる時代ですから、もっと自己プロデュース力を磨いて自己主張してほしい。プロレス団体も管理するばかりじゃなく、もっと個々のレスラーやマスコミに代わってプロレスに関する情報を積極的に発信しているファンを後押しする環境を整備してほしいですね。


棚橋選手 「プロレスは時代の写し鏡」とはよく言ったもので、僕もチャラ男という言葉が全盛のとき、うまく自分のキャラクターにハマったと思ってます。


木村さん 好みは分かれるところですが、棚橋選手は時代の空気を絶妙に掴んで自分のものにしたいちばんの成功例だったんじゃないでしょうか。それともう一つだけ言わせてください。2000年代半ば以降、新日本を筆頭に日本のプロレス団体の多くがWWEのような方向性を目指して今に至っていると思われます。しかし、私はWWE的なやり方は日本のプロレスには馴染まないとずっと感じています。それについては猪木さんも同意見で、根本的に西洋人の鍛えられた肉体美や豊かな表現力と勝負しても勝てない、日本のプロレスは独自の方向性を目指すべきだと語っていました。



棚橋選手と木村さんにとってプロレスとは?


──棚橋選手は今の木村さんの言葉をどのように受け止めましたか?


棚橋選手 僕はプロレスで盛り上がる状況というのはタイトルマッチ、世代闘争、団体対抗戦と限られたものしかないので、だからそういう自然発生的に生まれる選手の感情を、対戦カードに落とし込んでいく方が、日本のプロレスには合ってるんじゃないかなとずっと思ってます。盛り上がった試合が見たいというのはもちろんあると思いますけど、それ以前に「応援している選手に勝ってほしい」「この試合に負けてほしくない」という勝負論がないと駄目で、「なんで俺が勝ちたいのか」「こいつには負けたくない」という想いとか、闘う理由を後付けするのではなく、自然に理解してもらえたらプロレスがもっと盛り上がるし、もっと外に伝わるんじゃないかなと思います。世代闘争や団体対抗戦は、世間に置き換えると会社に嫌な上司がいたり、競合相手には負けたくないというリアルな実感にも通じて落とし込みやすい。自己投影や感情移入がしやすいところもプロレスの魅力なんです。


木村さん 棚橋選手は、かつて新日本プロレスが発散していた危険な匂いについてはどう思われますか?


棚橋選手 僕は選手の感情が極みに達した結果、図らずも不穏試合になるというケースもプロレスには必要だと思ってます。


木村さん それを聞いて胸のつかえがおりました。ありがとうございます。


──ではここで棚橋選手と木村さんにお聞きします。あなたにとってプロレスとは何ですか?まずは棚橋選手からです。



棚橋選手 プロレスは生き方です。それはずっと言い続けています。やられてもやられても歯を食いしばって耐えて、チャンスを狙って足掻き続けて反撃するという図式があって、やられてばかりじゃなくて、攻めているばかりじゃない。いいこともあれば悪いことがあるのがプロレス。プロレスは人生と言ってしまうと、プロレスラー以降の人生がなくなってしまうような気がするので、プロレスは生き方なんです。


──では木村さん、お願いします。


木村さん プロレスとは可能性じゃないでしょうか。猪木イズムもそうですけど、プロレスには、やろうと思えば不可能はないんですよ。「やるのか、やらないのか」だけで。やろうと思ったことができるのがプロレスで、ファンはそれを見てカタルシスを味わってきた。棚橋選手もおっしゃっていた挑戦する気持ちですね。「絶対に俺はこれを成し遂げるんだ」という想いをリングの上で表現してみせることが、いつの時代でもプロレスの醍醐味だったのではないでしょうか。その際、表現方法は個々に見つければいい。強さを見せるのか、華やかさを見せるのか。その覚悟と可能性を見せるのがプロレスラーの仕事なのではないかと私は思っています。


──棚橋選手は木村さんの言葉を聞いてどのように感じましたか?


棚橋選手 肝に免じておきます。コロナ禍になってプロレスは衣食住から必要な職業ではないという烙印を押された。でも人が生きていく上での衣食住には関係ないけど、エネルギーをもらえたり、プロレスからしか得られない栄養素はきっとあると思っています。僕がファン時代にもらった原体験があるわけで、これからも「プロレスを見て人生が楽しくなった。元気や勇気をもらえた」僕みたいな少年がひとりでも増えるようにこれからも頑張りたいですね。


2人の刺激的対談、決着!

「僕は古参のファンの皆さんにも現在進行形のプロレスに戻ってきてほしい」(棚橋選手)

「今回の対談で棚橋選手の想いは十分理解できました」(木村さん)




──そろそろ急遽実現したこの対談もエンディングの時間となりました。棚橋選手、率直にこの対談、いかがでしたか?


棚橋選手 楽しかったです。木村さんのお話を伺って、いろんなことが腑に落ちましたね。そして、これは本音として言わせてください。僕は古参のファンの皆さんにも現在進行形のプロレスに戻ってきてほしい。あの熱狂したプロレスの原風景を知っている皆さんにもう一度今のプロレスを盛り上げてもらえたら、プロレスはもっと世間に届くはず。そう思っているんです。


木村さん 私も今回の対談で棚橋選手の想いは十分理解できました。発端こそ棚橋選手のインタビュー記事に対する私の怒りでしたが、それがこんな思わぬ形の出会いになり、ここまで深く、お互いに腹を割って話し合うことができて本当に良かったと思ってます。棚橋選手、ジャスト日本さん、素晴らしい機会を作っていただき、ありがとうございました!


棚橋選手 こちらこそ、ありがとうございました!


──棚橋選手、木村さん、ありがとうございました!


木村さん いや、今、ふと、もしかするとこれって天国の猪木さんのイタズラ? と思いました(笑)。


──ハハハ、そうかもしれませんね。さて、猪木さんと新日本という名のもとに繋がった棚橋選手と木村さんの緊急対談は以上となります。本当にありがとうございました!お二人のご活躍を心からお祈りしております。


(プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一・完/ 後編終了)