ジャスト日本です。
プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。
かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。
プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。
プロレスとは何か?
その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。
そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。
有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。
それが「私とプロレス」です。
2023年最初のゲストは、プロレス仲間であるファイプロエディット職人のよろず屋さんです。
(画像は本人提供です)
よろず屋/1980年生まれ。静岡出身大阪在住。自称「ファイプロエディット職人のパイオニア(のひとり)」。小学生のときにファイプロでプロレスと出会う。2017年にファイプロワールドの制作が発表されるまで、それまでの最新作であった「ファイプロリターンズ(2005年)」のエディット機能を使って、最新の実在レスラーを作成したり 実装されていない技や名勝負のシーンを 複数の動画を繋ぎ合わせたgif動画で再現し、Twitterで国内外のプロレスファン及びプロレスラーからも注目される。なんば紅鶴にてプロレスゲームイベント「プゲー」やトークイベントに出演中。
Twitterアカウント @mannoji_gatame
是非ご覧ください!
私とプロレス よろず屋さんの場合「第1回 ファイプロからリアルへ」
『ファイプロ』がプロレスの入り口だった
ーーよろず屋さん、このような企画にご協力いただきありがとうございます!今回は「私とプロレス」というテーマで色々とお伺いしますので、よろしくお願いいたします。
よろず屋さん よろしくお願いいたします!
ーーまず、よろず屋さんがプロレスを好きになるきっかけを教えてください。
よろず屋さん 僕は『ファイプロ(ファイヤープロレスリング)』経由でプロレスファンになっていたんですよ。元々プロレスってよく知らなかったんですけど、ファミコンからスーパーファミコンに移り変わる頃に自宅にたまたまPCエンジンがあって、そのソフトの中にあった『ファイプロ』で遊んでいたんですよ。ただそれがリアルに行われているプロレスという認識はなくて。
ーープロレスの入口は『ファイプロ』だったんですね。
よろず屋さん はい。『ファイプロ』に登場するキャラクターって実在のプロレスラーがモデルじゃないですか。でもそこはあんまりピンときてなくて、『ストリートファイターⅡ』みたいにゲームの中にいる架空のキャラクターだと思って遊んでました。だからプロレスと『ファイプロ』が「=(イコール)」になってなかったんです。
ーーよろず屋さんの年代は『ファイプロ』経由でプロレス好きになった方が多いですよね。
よろず屋さん その通りですね。でも、僕はプロレス中継って知らなくて、数年くらいは『ファイプロ』で遊んでいるだけだったんですよ。バラエティー番組にプロレスラーが出て芸人と絡んでいるコーナーを見たことがあっても中継や試合は見たことがなくて。
1995年、プロレスにハマったよろず屋さん
ーーそこからプロレスにハマるきっかけは何だったんですか?
よろず屋さん たまたま深夜に放送されていた『ワールドプロレスリング』を見たんですよ。それで『これがファイプロの実写版か!』と (笑)
ーーハハハ(笑)。
よろず屋さん 武藤さんがスランプになって欠場して、寺での修行を経てから復活するじゃないですか。あのへんからリアルのプロレスにハマっていきましたね。
ーー1995年の春頃(2月~5月)ということですね。
よろず屋さん そうですね。1995年5月3日の福岡ドーム大会で橋本真也さんを破って、IWGPヘビー級王座を奪取して、「新生・武藤は驀進します!」とマイクで宣言したじゃないですか。あの試合をテレビで見て感激して、その次の週から『ワールドプロレスリング』を毎週録画するようになったんです。
ーーそうだったんですね。
よろず屋さん ちょうどその頃に転校してきたクラスメイトが新日本プロレス好きだと知って、彼から『闘魂Vスペシャル』のビデオとかを借りて見てましたね。
ーー今の話を聞くとやっぱり武藤選手の影響が大きいわけですね。
よろず屋さん 大きいですよ。『ファイプロ』で遊んではいましたけど、実際のプロレスとは違う部分ももちろんいっぱいあって、レスラーももっとゲームみたいに細身だと思ってましたし、昔の『ファイプロ』って飛び技がめちゃめちゃゆっくりなんですよ。スローモーションみたいで(笑)。
ーートップコーナーからのボディプレスとかゆっくり落下しますから(笑)。
よろず屋さん ハハハ(笑)。だから実際に映像で武藤さんのムーンサルト・プレスを見た時は衝撃でしたよ。「こんな凄いことできるんだ!?」って。黒タイツの選手が多い中、一人だけオレンジ色のショートタイツを履いて華があったんです。とにかくカッコよかった。
ーーということは初めて好きになったプロレスラーは武藤さんということですか?
よろず屋さん そうですね。プロレスにハマりだした頃に、1994年の年末に発売された『ファイヤープロレスリングSPECIAL』をプレイすると、元ネタが分かるようになって、さらに『ファイプロ』が面白く感じました。
ーー答え合わせができたんですね。
よろず屋さん そうそう、佐々木健介という人がパワー・ウォリアー(ファイプロのキラー・ブラスター)だったのか、とか。あと『ワールドプロレスリング』を見てるとよく出てくるけど、『ファイヤープロレスリングSPECIAL』にはいない選手もいて。
ーー収録されていないレスラーということですね。
よろず屋さん その通りです。天山広吉さんは、『ファイヤープロレスリングSPECIAL』発売後に海外遠征から凱旋しているので入っていなんですよ。だからこれは自分で作らないと!と思いまして入ってないレスラーはエディットで作りました。金本浩二さんとか大谷晋二郎さんとか。獣神サンダーライガーさんの試合を見た時は、「(ファイプロの)スーパー・カイザーだ!」と思いましたね(笑)。確かライガーさんが長期欠場からの復帰戦だったんです。
ーー1995年8月11日に両国国技館で行われた獣神サンダーライガー&エル・サムライVS金本浩二&大谷晋二郎ですね。
よろず屋さん その試合ではライガーさんがトップコーナーから場外へのトぺ・コンヒーロを敢行して、回転が不十分で頭を打ってレフェリーストップ負けをしちゃうんですよ、自分の復帰戦なのに(笑)。それで試合後に金本さんがマイクで「所詮、病み上がりなんてこんなもんじゃい!」と言うんですよ。あれがカッコよかった!
ーー金本選手、ブーイングを食らったんですよ。
よろず屋さん ライガーさんという主人公キャラに歯向かっている金本さんと大谷さん、好きでしたね!それで色々と調べると、「金本さんはかつて三代目タイガーマスクだった」ということを知るんです。
ーートンガリ・コーンズですね(笑)。
よろず屋さん 懐かしいですね(笑)。
初めてのプロレス観戦
ーーよろず屋さんがプロレスにハマった1995年は激動の一年ですね。武藤さんのスランプからの驀進、天山広吉選手凱旋&大ブレイク、狼群団結成、北朝鮮興行開催、新日本vsUインターの対抗戦…。
よろず屋さん そうでしたね。新日本vsUインターも当時はよく状況が理解できてなかったですね。新日本は『ワールドプロレスリング』で知っていても、他の団体のことはほとんど知らなかったので。『ワールドプロレスリング』のG1CLIMAX特集が終わった翌週に平成維震軍特集があって、そこで元Uインターの山崎一夫さんの試合が放送されたんですよ。平成維震軍の自主興行が山崎さんのフリー転向後の初陣で。
ーーありましたね!1995年7月25日、横浜文化体育館で行われた後藤達俊戦ですね。
よろず屋さん 平成維震軍特集も面白くて、長州力さんと佐々木健介さんが髪を切られたりとか。まだヤングライオンだった永田裕志さんがよく長州さんのパートナーに抜擢されていましたね。
ーー永田選手は平成維震軍興行では齋藤彰俊選手とバチバチの蹴り合いをやっていて、よく参戦してましたね。ちなみに初めてプロレス観戦されたのはいつ頃ですか?
よろず屋さん 1995年11月14日に浜松アリーナで行われた新日本の『WCW WORLD in JAPAN』という当時アメリカメジャー団体WCWの選手が大挙参戦した興行です。ビデオを貸してくれた友達と一緒に観戦しましたよ。
ーー実際にプロレスを生で観戦されていかがでしたか?
よろず屋さん その日は大雨でバスで向かってたんですけど興行スタートに間に合わなくて、第3試合くらいから見たんですよ。とにかく音がでかいなと思いました。チョップの打撃音や相手を叩きつける音が「テレビと違う!」と(笑)。あと実況がないんだ!って。
ーーそうですね。『ワールドプロレスリング』を見ると実況のない試合はほとんどないですからね。
よろず屋さん というか実況が場内に流れているのかと思ってたんですよ、お客さんに聞こえるように(笑)。試合内容とか全然覚えてないんですけど、ゲームやテレビではない本物のプロレスラーとか会場の雰囲気に圧倒されて、感動というかとても興奮しましたね。
武藤敬司の凄さと魅力とは?
ーーありがとうございます。よろず屋さんが好きなプロレスラー・武藤敬司選手の凄さと魅力について語ってください。
よろず屋さん 一言では言えないですけど、やっぱり華がある。グレート・ムタとの二面性があるとか。中学生の時に武藤さんのプロレスに出会えてよかったですよ。1997年に武藤さんは蝶野正洋さんとnWo入りを巡るストーリーがあったじゃないですか。その頃の新日本は小川直也さんやドン・フライといった格闘家が参戦してきましたよね。
ーーその通りですね。
よろず屋さん ビッグマッチになると橋本真也さんが異種格闘技戦をやってましたよね。格闘技の波が来ている中で、武藤さんはそれを見透かしていたのかは分かりませんが、ムタで勧誘されたのを武藤で匂わせといて、ムタでなびいたと思わせてすぐ裏切って。(笑)でもそのあとムタとしてnWo入りしたら今度はnWoの中で素顔に戻るっていうストーリーを半年に渡りアメリカンプロレスのような展開をしていたんですよ。あれは格闘技の波に対して、「そんなの知らねえよ」という武藤さんの姿勢だったのかなと。ひとりだけ独自路線でしたから。
ーー確かにそれはあるでしょうね。
よろず屋さん 1997年2月の両国国技館大会でグレート・ムタVS越中詩郎の試合後にnWoが現れて、ムタを勧誘するんですよ。その翌月の6人タッグマッチで武藤さんがパートナーの小島聡さんにフェースクラッシャーを仕掛けて、場内は騒然となって(笑)。試合後に武藤さんは「間違っただけだよ」と言うけど、このストーリーが気になって気になって仕方がなくて。新日本とnWoのイリミネーションマッチでの混乱とか。あの辺の武藤さんの動向には目が離せなくて、完全に虜になってましたね。
ーー新日本とnWoのイリミネーションマッチは1997年3月の名古屋大会だったんですけど、武藤選手が天山選手にムーンサルト・プレスを決めた後に、すっと立ちつくしてフォールにいかないんですよね。業を煮やした味方の佐々木健介さんがラリアットを見舞ってからの天山選手のダイビング・ヘッドバットで武藤選手はフォール負けしてますね。
よろず屋さん そうそう!虚々実々のやり取りを言葉じゃなくて、リング上のパフォーマンスや行動で示すんですよね。あれは凄かったですね。ここから格闘技の波がさらに加速していって、武藤さんもドン・フライとIWGP戦をやって、「プロレスを守る!」といって防衛するじゃないですか。つくづく武藤さんはプロレスがしたい人なんだなと。
ーー武藤選手のそのスタンスは未だに変わらないですね。
よろず屋さん 武藤さんは純粋にプロレスをしたいんですよ。今でもよくリング下からイスを持ちだして凶器に使ってみせたりするじゃないですか。あれはべつに相手を痛めつけたいわけじゃなくて、いかにもプロレスらしいムーブのひとつとしてやってるんですよ。これは他の格闘技にはない光景で、アメリカで染みついた「これぞプロレス」というスタイルを武藤さんはずっとやっているんですよね。
ーーよろず屋さんが見始めた頃の武藤選手がちょうどプロレスを好きなっていく時期なんですよ。元々はリング外ではプロレスの話をしない人で、仕事とプライベートを分けていたんですよ。プライベートは周りからプロレスの話を求められても、「プロレスの話はいいよ」と言いながら麻雀をやったりしていて。そんな武藤選手がスランプになって、プロレスについてより考えるようになって、普段でもプロレスの話をするようになるんですよ。
よろず屋さん そうですよね。僕が見始めた頃の武藤さんは言葉では「プロレスLOVE」とは言ってなかったけど、試合でプロレスへの愛を表現されてましたね。だから武藤さんが輝いて見えましたし、僕みたいなファンが支持したんですよ。
ーー天才と呼ばれる武藤さんにプロレスへの愛情が増していったからこそ、業界で突き抜けたのかもしれませんね。
よろず屋さん ヒールユニットであるはずのnWoも、武藤さんが入るとたちまちベビーフェースになりましたし、格闘技に対しても一貫して「プロレスを守る!」と己が信じるスタイルでやり続けたわけですよ。そこが武藤さんの凄さであり、魅力かなと思います。
ーー武藤さんは一時期はプロレスの砦でしたね。
よろず屋さん はい。僕は高校3年間は部活とかでプロレス観戦に全然行けなくてテレビや雑誌でプロレスをチェックしていたんですけど、大阪の大学に進学するとプロレス観戦しまくってました。だから大阪府立体育会館はよく行ってました。1999年のG1大阪二連戦は興奮しましたね。あの年のG1が闘魂三銃士の三人が揃ってエントリーした最後の大会なんですよ。
ーー確かにそうですね!
よろず屋さん nWoTシャツやNBM(ナチュラル・ボーン・マスター/一時期の武藤選手の愛称)Tシャツを着て会場に行きましたね。
ーーNBM!!懐かしいです!
よろず屋さん あと2000年12月31日の大阪ドームで行われた『猪木祭り』でアメリカ遠征から帰ってきた武藤さんがスキンヘッド姿を公開したのも生観戦しましたよ。当時、魔法のiらんどでホームページを作り始めて、好きな音楽や映画、プロレスについての掲示板とかやってたんですけど、この頃になるとWWE(当時はまだWWF)を見始めてゲームも『ファイプロ』のほかに『エキサイティングプロレス』で遊び初めて、やっぱりエディットレスラーを作ってました。
あの頃のジェフ・ハーディーが好きだった
ーー『エキサイティングプロレス』ではどんなエディットレスラーを作ったんですか?
よろず屋さん 武藤さんはもちろんですが、全日本移籍直後の小島さんが入場時に仮面をつけていて、その仮面をエディットで作ったりとか。
ーーさすが細かいエディットですね!
よろず屋さん それでエディットデータを自分のホームページで公開したりしてたんですけど、何番のパーツをどのへんにとか、テキストだけで表現するのはちょっとムリがありました(笑)あとWWEではジェフ・ハーディーが好きでした。あの頃のジェフがいいんです。
ーーハーディー・ボーイズとして、ダットリ―ズやエッジ&クリスチャンとやり合っていた頃のジェフ・ハーディーですね!
よろず屋さん そうなんですよ。ジェフって尖っていてアーティスト性が高いレスラーじゃないですか。毎回違うペイントをしたり穴の開いたアームバンドをつけていて、それでいてあの向こう見ずなファイト。かなりハマりましたね。のちにヘビー級王者にもなったけどハードコア王者が似合ってました。
ーージェフは一時期はカリスマ的人気がありました。後に新日本にも参戦しましたよね。
よろず屋さん 2011年1月4日の東京ドーム大会で内藤哲也さんと対戦したんですよ。試合は「ちょっと…」と思いましたね。楽しみにしてたんですけど、ちょっと萎えちゃいました。当時の新日本がうまく使えなかったのかも…。ジェフの新日本参戦を告知する映像に「私がアメリカンプロレスの凄みを見せる」みたいな字幕がついてて、ジェフは「私」なんて言わないだろうと(笑)。
ーーハハハ(笑)。
よろず屋さん あの演出は「これじゃない!」感がありました。内藤戦はジェフが勝つんですけど、ジェフの凄みが全然伝わらなくて。
ーー新日本はアメリカンプロレスを使うのがあまりうまくないのかもしれませんね。ロブ・ヴァン・ダムの新日本参戦も微妙でしたから。
よろず屋さん 確かに!でも2022年、ノアに上がった時はよかったですよね。
ーーこれは持論なんですけど、アメリカンプロレスの試合のリズムってあるじゃないですか。全日本系のリズムで、間がきちんとある。新日本は速いリズムなんですよ。BPMで言うと全日本系やアメリカンプロレスはやや低めなら、新日本はやや高いんですよ。全日本系とアメリカンプロレスは同じリズムだから、海外のレスラーも入りやすいんですけど、新日本の場合は、速いリズムにまずは合わせたり、乗らないといけないんですよ。
よろず屋さん 2000年代の新日本は元WWEのレスラーが結構来てましたね。
ーーブロック・レスナー、マット・モーガン、マーク・ジンドラック、チャーリー・ハースが参戦した時代ですね。彼らはなかなか新日本で苦戦していた印象があります。元WWEで新日本にハマったのはジャイアント・バーナードでしたね。
よろず屋さん Aトレインですね!当時の新日本はエンターテインメントとして微妙だな~と思うようになることがでてきて、僕が今まで新日本を追っていたのは武藤さんがいたからなのかなと。武藤さんは別格なんですけど、武藤さん以外のエンターテインメントとしての新日本の演出はちょっと当たっている感じはしなくて…。当時の僕にとって武藤さんが新日本にいない違和感を、WWEが埋めてくれましたね。
(第1回終了)