11月26日、出雲市立北浜小学校体育館で出雲河下港(河下港)新防波堤の竣工式が行われ、国土交通省や海上保安庁、島根県、島根県議会、出雲市内で平成24年度河下港振興会(会長;長岡秀人出雲市長)総会が開催され、島根県、出雲市および地元の関係者など50余名が参加しました。河下港は垂水地区(5000t)と小津地区(1500t)の2つの岸壁が整備され、石材やLPG,フライアッシュセメントなど年間20~30万tの荷役がありますが、湾口が北西を向いており、冬場の静穏度確保が課題で、島根県が平成23年から約60億円をかけて320mの防波堤の建設に着手し、このほど完成したものです。安全祈願祭に続いて行われた記念式典を主催した河下港振興会会長の飯塚俊之出雲市長が「今後の港湾利用が活性化につながるよう期待している」と挨拶し、事業者の丸山達也島根県知事が「国土交通省や港湾利用者、漁業関係者など多くの皆さんの協力を得て新防波堤が完成し、静温度確保ができたことにより、令和5年度から垂水地区の岸壁整備に着手する」と式辞を述べ、西村拓国土交通省大臣官房技術参事官と青木一彦参議院議員が来賓を代表して祝辞を述べ、渡部文明島根県出雲県土整備事務所長が建設工事の経過報告を行いました。今年度から着手された垂水地区の岸壁整備は、2024年問題などによる陸送の不足を補うため大型化する貨物船の対応が必要となってきており、令和10年の完成を目指し270mの埠頭を整備するもので、にっぽん丸などの大型クルーズ船や自衛隊の大型艦艇の着船が期待できます。

 11月24日、出雲市平田文化館で創立50周年を迎えた平田ロータリークラブ(清原正幸会長)の主催で竹内昌彦さんの教育講演会が開催され、約300名の市民が参加しました。 竹内さんは、昭和20年に中国天津で生まれ、終戦後の引揚船中で罹患した肺炎と数年後の網膜剥離で失明し、様々な差別や偏見を受けながらながらも東京教育大学に進みました。昭和39年の東京パラリンピックの卓球競技(盲人の部)で金メダル獲得し、卒業後に岡山盲学校の教員となり、38年間の教員生活を送り、平成17年に退職し、岡山ライトハウス理事長などを務める傍らで、途上国に盲学校の設置や子供達の手術費用支援のために「ヒカリカナタ基金」を設立し、講演活動や視覚障害者の支援に奔走され、講演回数は3,000回におよぶと聞いています。「私の歩んだ道~見えないから見えたもの~」とする90分の講演は、全盲の少年が両親や恩師、友人達に支えられ、つらい時も前向きに歩み続けた竹内さんの生きざまを語る中で「いじめ」や「命の大切さ」を説くもので、「母なれば 百年生きて 弱き子の 添え木となりて ともに朽ちたし」とする親の心根を紹介しながら、「苦しみは続かない。夜は必ず明け、冬は必ず春になる」として「健康な体に生まれたことに感謝をすれば、自然に弱い人を支える意識が生じる」「優しい目と優しい心が社会を救う。優しい言葉は人のみならず、自らの幸せとなる」と結びました。

 旧暦の10月10日である11月22日夕刻、出雲市大社町の稲佐の浜で、全国の八百万の神々をお迎えする神迎神事が執り行われ、神々は境内の十九社に27日の神等去出祭まで逗留され、今年の神議が始まりました。出雲地方は「お忌みさん」として歌舞音曲を慎み、静かに過ごすことを心がける日々となりますが、この頃は移動性の高気圧と寒冷前線の作用で天気が急変し、時として北西の季節風が吹き荒れる「お忌みさん荒れ」と称する荒天となることがあり、要注意の時期でもあります。11月23日は神在祭りに併せて秋の収穫に神恩感謝を捧げ、来年の五穀豊穣を祈念する献穀祭が斎行されました。出雲大社の献穀祭は、祈穀祭、大祭礼に並ぶ三大祭式で、コロナ禍が一段落し、小春日和の下で5年ぶりに神在神事と同時斎行となったこともあって、出雲大社周辺は全国各地からご神徳にふれようとする参拝者の波で溢れ、終日、大渋滞の車列が途切れることがありませんでした。小生の近況は、11月20日、上京から帰省後に出雲市地滑り協議会総会、21日、県議会各派代表者会議および議会運営委員会、22日、島根県冷凍空調工業会50周年記念式典、23日、出雲大社献穀祭などに出席、参列しました。