1月3日、出雲大社で江戸時代から続く「吉兆さん」と呼ばれる正月行事が行われました。今年は天気も良く、町内ごとに番内や太鼓などのお囃子を先頭に参道を練り歩き、出雲大社の本殿前に進んで県の有形文化財に指定されている歳徳神の吉兆幡を立てて神謡(大社神謡)を奉納する氏子衆に、多くの参拝者が一斉にスマホを向けていました。

「大社神謡」

目出度 エーノーエ それ若枝も エー

栄える ノーエー  葉も エー

八雲立つ 山は鶴山亀山の

間を流るる 吉野川 エー 素鵞川の

流れのその水を 神酒に造りし

諸白を エー 神明に捧げ奉り

それを人々戴けば エー 齢を延ばす

ためしかや お祝

 還暦を過ぎ、「朝には紅顔あって夕べには白骨となれる身なり」ということを常に意識し、残りの時間を考えた行動を心がけることとなりました。ただ、小生は、まだまだ「老成」には程遠く、己の言動を省みて反省することが多い日々ですが、「吾れ日に三省す」とあるように、『省』の字には、「真に必要な事柄を見究める」、「ものごとの本質を意識して行動する」という意がありますから、常に「省く」を意識したいと思います.。ところで、新年の初夢と言えば、縁起の良い夢は『一富士、二鷹、三茄子』の3つとされていますが、本来は、この続きがあり、『四扇、五煙草、六座頭』の6つだそうです。富士は「不老長寿」、鷹は「強きもの」、茄子は「成就」の象徴とする受け止め方が一般的ですが、扇には「末広」、煙草は「上昇」、座頭は「息災」の意があるようです。近年、煙草の『けむり』は、受動喫煙の健康被害のイメージが強く、悪玉の象徴のような扱いを受けており、愛煙家には肩身の狭い日々となっていますが、かつては上昇運の象徴とされていたようです。座頭は剃髪する例が多かったようで、「毛がない(怪我無い)」。時代とともに変化するものが多い日本の習俗ですが、縁起の良しあしの「変革」までは御免蒙りたいもので、良き伝統はきちんと残して行きたいものです。

中国の代表的な古典である『論語』の『雍也篇』は孔子が弟子である冉雍に対し学問論や人生論を述べたものですが、その中に「冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今女画。(冉求曰く、子の道を説ばざるには非ず、力足らざるなり。子曰く、力足らざる者は、中道にして廃む、今汝は画れり)」という一文があります。口語訳は、「弟子(冉求)が言った。『私は先生の道徳の道が(理解できないのは)好きでないからではありません。私の力が足りないだけです』。先生がおっしゃった。『力が足りない者は途中で投げ出すものだが、今のお前は、初めから自分自身の力を出し惜しみをしているだけだ』。」というもので、「できない理由を並べてトライをしないのでは、いつまでたっても成果は得られない」として物事に取り組む姿勢が書かれています。

また、「子曰、知之者、不如好之者、好之者、不如楽之者。(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。)」とあり、口語訳は 「先生が言われた。『物事を理解する者は、物事を好んでいる人に及ばない。物事を好んでいる者は、物事を心から楽しんでいる人にはかなわない。』」というもので、物事は知的に理解することも大切だが、好きになって積極的に楽しもうとする姿勢が『真の叡智』へと人間を高める根本であると述べています。

 本年、島根県の人口は69万人を割りこみました。国内で第1回の国勢調査人口を下回っている都道府県は島根県だけとのことですが、懸命な定住対策によって人口動態の社会減については均衡するところに近づいてきたと報道されており、一段の施策投入を期待するところです。とりわけ、本年9月に東京で開催された日本財団の「ソーシャルイノベーションフォーラム2016」で、社会にインパクトをもたらせる可能性のある社会活動や社会起業の事例として島根県教育特命官をつとめる岩本悠氏(学校魅力化プラットフォーム代表)らによる「教育魅力化による地方創生プロジェクト」が最優秀賞を受賞するなど、県内各地の取り組みは全国から評価と注目を受けていますから、是非「発想を超える発想」で失敗をおそれずにチャレンジしていただきたいものです。