8月27日、島根県議会中山間地域・離島振興特別委員会(園山繁委員長)は、新型コロナウイルス感染症による停滞が高齢化と過疎化が進行する中山間地域の生活機能と産業基盤を維持するために島根県が進める「小さな拠点づくり」にどのような影響を及ぼし、新たな取り組みの視点が必要となるのかについて、山下修江津市長、美濃亮安来市副市長、石橋良治邑南町長、山根盛治JAしまね代表理事副組合長、佐藤隆島根県森林組合連合会代表理事専務、亀谷潔海士町漁協組合長、葛西章島根県商工会連合会専務理事の7人を参考人招致し、意見聴取を行いました。山下市長は「『業無き処に定住無し』として、定住の受け皿となる雇用の場を確保するために企業誘致を進めたが、相次ぐ豪雨災害に『安全』が前提だと感じた」とし、石橋町長は「中山間地域の維持存続には地域づくりのリーダーに公務員OBの活用を図っている」、美濃副市長は「リモートワークや在宅医療に必要な高速通信ネットワークの整備を検討すべき」と述べました。山根副組合長は「水田園芸の振興には行政の普及部局とJAの営農指導、販売部門の密接な協力が不可欠」とし、佐藤専務は「木材価格低迷には需要喚起と機械化による生産性向上が必要で、森林管理に係る新法制定による国の取り組みに期待している」、亀谷組合長は「魚価安定にCASの存在は極めて大きく、生産基盤となる漁港や荷捌き施設の老朽化対策の実施を望む」、葛西専務は「コロナによるGDPの大幅な減衰は緊急融資と持続化給付で急場を凌いでいる中小零細企業の行末を不透明にしており、事業継続や異業種進出には女性の登用と起業がキーポイント」などと述べました。意見交換では、山下市長は都市部からの人材受け入れについて「古民家や空き店舗などを活用した『ワーケーション』を検討すべき」と述べ、石橋町長は医療の確保について「国は新しい地域医療構想に施設の集約と効率化を求めるが、医療水準の確保には人材確保と施設存続が不可欠で、コロナ禍を機に地域事情に即した計画策定を求める」と述べました。
先ごろ発表された今年の第2四半期(4-6月)における日本の国内総生産 (GDP )は、前年同期対比で27.8%(年率)減で、1955年の統計作成以降、史上最大規模の減少幅を記録し、総額485兆2000億円となり、2012年の第4四半期以降約7年半ぶりに500兆円を下回りました。政府の緊急事態宣言により、個人の外出や店舗の営業が制限され、個人消費を中心に経済活動が広く滞ったことが主因ですが、19年10月の消費税率の改定によって一時的に低下した設備や住宅投資などの内需が回復基調に向かい、自動車輸出やインバウンド消費が順調に伸長していただけに、新型コロナのメガトン級パンチによって内・外需ともに総崩れとなる極めて厳しい状況です。菅官房長官はGo-Toキャンペーンの実施を「経済とコロナ対策の両立の象徴」とし、高橋泰国際医療福祉大学大学院教授は「インフルエンザウイルスは毒性が強く、ほとんどの人が感染すると発熱や咳、鼻汁、筋肉痛など即座に症状が出て1週間ぐらいで免疫・抗体を獲得するが、新型コロナウイルスは毒性が弱いためほとんどが自然免疫で治癒し、発症者死亡率は0歳から69歳まで0.01%、70歳では0.4%程度」と述べ、新型コロナウイルス感染症による死者もMax3,800人と試算し、6月から上昇してきた感染曲線も明らかに下降基調にあるとしています。日本の自殺者数は様々な対策により減少傾向にあり、1年間で約20,000人程度となっていますが、コロナショックによる経済低迷が長期化すれば上昇に転ずる可能性がなしとは言えず、『行動制限・規制』を主とするコロナ対策から『注意・回復』への転回も考慮すべき時期に来たと思います。臨時国会のリクエストもありますが、政府には、機動的かつ迅速な政策決定で「次の一手」を講じていただきたいものです。
8月20日は福岡市の大濠公園能楽堂で行われた第61期王位戦七番勝負第4局で藤井聡太棋聖が木村一基王位を下し、4連勝でタイトル奪取に成功し、史上最年少で2冠獲得と8段昇段を果たしましたが、小川洋福岡県知事が新型コロナウイルス対策に関わる記者会見で、感染から回復した人を「無罪放免」と表現し、記者からの指摘で会見中に発言を撤回し、「福岡県発」となる2つの話題が大きく報道されました。藤井8段の活躍は大アッパレですが、知事の発言は、新型コロナウイルス感染症の医療提供体制について説明する中で「医療機関から退院する、(あるいは)宿泊療養施設から退所する、自宅待機をする中で、一定の観察期間が終わって『無罪放免』となった方がいらっしゃる」としたもので、ここでの『無罪放免』は、日常的に使われる比喩で、罪を犯して収監後に釈放されるケースとは異なることは明らかですが、『不適切表現』の誹りを受け、謝罪に至りました。学校のPTAでは、従前、保護者という意味で「父兄」という言葉を使っていましたが、最近では『男女平等』や『離婚家庭の増加』などの配慮から「保護者」に統一されたように、慣用句として使われてきた言葉がいつの間にか不適切として糾弾されることは珍しいことではなくなりました。ただ、こうした傾向が行き過ぎると、日本語の持つ鷹揚さが失われる恐れがあり、ともすれば人間関係をギスギスさせる一因になりますから、要注意です。