長岡秀人さんが出雲市長選挙に立候補したのは2009年の4月5日です。2市4町の合併で市域が大きくなり、合併に伴う条件整備などで緩んだ財布のひも(財政規律)を締め直し、高速道や空港、港湾、鉄道などの交通インフラを生かして出雲市を成長軌道に乗せるとする「5つ星の出雲市」を掲げた長岡さんは、現職と新人候補を大差で下して以降、3期12年の市政運営で、出雲大社の大遷宮を契機に徹底した「出雲ブランド」の発信を図り、山陰の12市で唯一、人口増を果たすとともに危機的な財政を次代に必要な投資が可能となる水準にまで回復させました。昨年12月の議会での引退表明により、市政のバトンは4月4日に告示された市長選に立候補した川光秀昭、小豆澤貴洋、飯塚俊之の3氏のいずれかに託されることとなります。川光さんは市立体育館の建設凍結を、小豆澤さんは行政サービスの向上、飯塚さんはSDGsの推進を掲げての選挙戦ですが、トップリーダーに求められるのは「権力の行使者として相応しい準備ができているかどうか」であり、3人のなかで飯塚さんが多くの政党や団体の支持を得て、選挙戦初日、雨中の朝、夕の街頭に1,000人を超す聴衆を集めたのは、彼が歩んできた道程が周囲の人たちに理解・評価されている証左と見ました。
令和3年度の始まりはかけがえのない友人との別れで幕開けました。”ないものはない”を宣言し、情報発信と徹底した交流人口の拡大で高齢化と人口減少の難局に立ち向かう隠岐の海士町にあって、隠岐国商工会の会長として山内道雄前町長を支え、島民の雇用の場を守り続けた、隠岐潮風ファーム㈱の田仲壽夫社長が病気のため3月30日夕に逝去されたと連絡がありました。平成初年から建設業(飯古建設㈲)の社長を務めていた田仲さんは、バブルの崩壊や地財ショックで減少する公共事業の受注を定置網漁業や和牛肥育などの異業種参入によって克服し、「1人の解雇者も出さない」とする経営方針で、従事者の雇用継続を図り、潮風ファーム㈱を和牛の生産・肥育を一体化させることで”島生まれ・島育ちの隠岐牛”というブランドを確立するまでに育て上げました。小生は旧平田市議時代に田仲さんと知り合い、つねに海士町や仲間のことを思い、一途に島の行く末を語る姿に胸打たれ、まぼろしとなった河下-隠岐の新航路開設やCAS事業、島前高校魅力化などで往来を重ね、一緒に汗をかきました。波浪警報発令中の海で高速船の試験運航に参加したり、潮風ファーム㈱で育てた雌牛の初セリに同行したことなど、つい昨日のことのように感じますが、コロナ禍で、病床の見舞いもままならなかったことが悔やまれます。昨春からの闘病生活が復帰を期しての厳しいものだったと想起すると言葉が見つかりませんが、いまは、天上で安らぎを得てくださいと祈るばかりです。合掌。
「春霞」と思いきや3月30日は黄砂 現象で、宍道湖の対岸が靄の中にあるような視界が極めて悪い1日でした。黄砂は中国大陸内陸部のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠、黄土高原などの乾燥・半乾燥地域の土壌・鉱物粒子が砂塵嵐によって数千メートルの上空に巻き上げられ、偏西風に乗って日本に飛来し、大気中に浮遊あるいは降下する現象で、小生らの年代は、理科の授業で「春先から初夏にかけての自然現象」と習いました。黄砂は、高濃度の場合は航空機の飛行ができなくなったり洗濯物が屋外に干せなくなることがあります。直径4ミクロンの黄砂は石英や長石などの造岩鉱物や雲母、カオリナイト、緑泥石などの粘土鉱物が主成分とされてきましたが、近年はアンモニウムイオンや硫酸イオン、硝酸イオンなどが検出され、2.5μm以下のPM2.5などの大気汚染物質を取り込んでいる可能性も示唆されており、注意が必要となりました。気象庁では、日本で広範囲にわたって濃い黄砂を観測した場合や予測される場合には、黄砂に関する情報を発表していますが、自然現象だと思っていた黄砂現象が、過放牧や森林破壊、農地転換など、人為的な土地の劣化や砂漠化によって拡大しているとすれば看過できない環境問題で、国連主導の『SDGs』の取り組みは待ったなしだと思います。