回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -21ページ目

元旦墓参

正月の富士(御殿場) 白い頭だけの富士山


 明けましておめでとうございます。このブログを読んでくださる方々、コメントをくださる方々、本年もよろしくお願いいたします。のっけから縁起が悪い話かもしれず恐縮ですが、今日は一家九人で両親の墓参をしました。二人の息子の一家と一緒で、そろって出かけられる機会はめったにありませんから、少々おかしいかもと思いながらも思い切って行ってみました。


 富士山の裾野にある霊園で、以前行ったときは雄大な山を正面から見た覚えがあったので、撮った写真をカットに使おうという下心もあったのですが、きれいに見えたのは行きの車中からだけで、墓参の場所からはご覧の通り他の山にさえぎられて雪をかぶった山頂付近だけしか見えず、その後は場所を変えても、今度は雲の塊がわざとのように山頂だけを隠していました。


 父母の没年は連続しており、もう7、8年の昔ですが、私自身の病気もあり、墓参らしい墓参はこれまでほとんどしていませんでした。はっきり老化している親の介護は一人でも大変ですが、それが二人揃っていては、私が体力的にあまり手伝えなかったということも加わり、家内にかけた負担は大変なものでした。病身の私の世話も加わったのですから、申し訳なかったと言うのみで、常に感謝の念を忘れないようにしています。


 しかし最近になって思うのは、私自身がもう少し優しい気持で接することができなかったかということです。自分自身が老境に差し掛かると、現金なようですが、あらためてそう思ってしまいます。実は親の介護の頃に老親介護の本を訳したことがあり、その中に書いてあったのですが、親の介護は後で必ず後悔するものだ。家で介護したのなら、ホームのような施設ならもっと専門的なちゃんとした介護を受けさせられたのではないかと思う。老人ホームの類に介護を任せたのなら、家にいればもっと心をこめた介護ができたのではと思う。どちらにしても後悔するものだと、夫人の両親を含めて4人の親を送った原著者の述懐です。卑怯なようですが、これを思い出して心を慰めています。


 今日は天気もよく、道も混まず、同行の孫3人もずっとご機嫌で、加えて私自身も調子がよかったので、またとないよい一日でした。今後も機会があれば、元旦の墓参も悪くはないなと考えています。


☆行ないの 賜物もあり この程度



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落穂集

長野県 長野県上田市


 
 大晦日を迎えて、これまで思いついてもブログ中では使う機会がなかった語呂合わせの類を、順不動に並べてみます。


先楽園ヒルズ 昔の中国の賢人が「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」としたのに対して、現代日本の政治家が「先天下之楽而楽、後天下之憂而憂」を実践するために建てさせた宿舎の名称。


曲学阿政 学問を曲げて政(まつりごと)、ないしはその実権を握っている者におもねること。またその人。某元大臣や某々元調査会長が典型。類語:曲学阿世。


政府贅調 政府贅沢調査会の略。首相官邸の住人が乏しい財政の中で贅沢を行わないように監視する調査会。いたずらな模様替えを行なったり、立ち居振る舞いやマナーを教授する人材を雇用したりするという、冗費を摘発するのが任務である。後者については、首相であった先々代の娘が姑であるから、その指導を受ければよいのである。類語:政府税調。


一新上の都合 非労働者が心ならずも身を引き、見かけ上の人心一新で周囲の都合をよくするための理由として用いられる言葉。必ずしも本人が発するとは限らない。類語の「一身上の都合」は、「労働者自らの意思で退職する場合、退職願には具体的事情を記入せず、『一身上の都合により』退職したい旨を記載するのが社会的慣わしとなっている」(ウィキペディア)。


ホワイトカラー・エクセプション ホワイトカラー≒サラリーマンは、収入をほとんど完全に捕捉され、一方では超過勤務の代償も完全には保障されず、政治家や経営者、自営業者に比して経済上の人権を例外的に軽視された状況にある。これを言う。類語:ホワイトカラー・エクゼンプション。


労働ビッグバン ビッグバンは中心にいる者は膨張するだけであるが、その外にいる者は木っ端微塵になる。


抵当勢力 見かけ上差があるように見せかけた勢力を設定して一時切り離したもの。抵当であるから、本体の条件がよくなれば容易に取り戻して再合体でき、合計すれば分離以前より肥大していることもある。類語:抵抗勢力。


☆歌は世に 言葉も現(うつつ)に つれるなり



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忘却とは



沖縄紅型 沖縄紅型


 組閣に当たっては「身体検査」と称して大臣などの候補者の身辺が調査されるそうですが、その甲斐もなく佐田源一郎行政改革担当相が政治資金に関する不祥事のために更迭されました。身体検査というと激職に耐えられるかの検査のように錯覚しますが、実態がそうであれば「素行調査」の方が適切だと思われます。報道の通りであれば、この事件は佐田氏の起訴にまでつながりかねないものですが、おそらくそこまではいかず、事件の詳細もはっきりしないうちに報道から姿を消すでしょう。有力者の事件がらみの辞職はまず2件で終わりで、その後はガードが固くなり、マスメディアにも阿吽の呼吸があり、財務相とか農水相とかまだ火ダネはありそうですが、まず大丈夫でしょう。


 「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓ふ心の悲しさよ」とは菊田一夫作の大メロドラマ『君の名は』における名セリフです。同語反復に過ぎない第一文に対して、第二文は意に反して忘却を強いられる悲しみを名調子でうたい上げたものです。この筆法でいけば、今の日本人は「忘れるべからざることを、マスメディアの飽きっぽさのゆえに忘れさせられる悲しさよ」と、どうも調子はよくないですが、こう表現するしかないでしょう。


 悲しみをもたらす主犯はもちろんマスメディアではなく、それと共生する「お上」です。この仕組みに気がついたのは田中金脈が問題になった頃でした。正確にはその末期ですが、辞任した田中元首相は「いずれ国民の前にすべてを明らかにする」と約束しました。しかしそれから十九年、とうとう約束は果たさずに元首相は亡くなりました。刑事被告人となったのですから、元首相側にはそれなりの理由もあったかもしれません。しかし田中金脈を発掘して攻撃したマスメディアが、約束の不履行を言い立てることがなかったのは不思議です。さらに元首相の没後、政治的・経済的遺産を相続した田中真紀子氏も約束については皆目触れず、彼女を攻撃したマスメディアもその点にはノータッチだったのは強調しておくべきでしょう。


 その後は同様のプロセスをたどった事件が累々と続いています。竹下・中曽根の両元首相や宮沢喜一・安倍晋太郎・渡辺美智雄氏等への、賄賂性が強いと言われたリクルートコスモス未公開株の譲渡。首相辞任につながったと見られる某社と細川元首相の金銭関係。いずれも辞任等で報道が切れ、事実関係は伝わっていません。


 最近ではさらに事情は悪性化し、年金料の不払いで民主党の管代表は辞任したのに、同様の事態があった小泉内閣の閣僚は福田官房長官以外は責任を取らず、そのことでマスメディアが批判することも少ないという有様でした。民主党の議員が選挙時に学歴を偽ったとされて辞職したのに、イギリスにおける大学入学の経歴が疑われた小泉首相には累は及んでいません。民主党議員の場合はマスメディアの一部がアメリカの当該大学まで出張って調査した一方、小泉氏のためにはそういう労はとられなかった模様で、不公平さを恥じることはないという時代に突入したことを思わされます。先に名をあげた田中真紀子氏も秘書給与の取り扱いで不法行為があったかに報道されましたが立件されず、同様の件で名の挙がった社民党の議員は起訴され有罪になったのに、この両件を比較して報道するという姿勢はもはやマスメディアにはないようでした。


 「美しい」などという形容詞を使うのは、政治的に損だとどこかに書いてありましたが、本当にそうだと思います。でもせっかくだから使わせていただきましょう。「美しい国では、権力を握る者の履歴は永遠に美しい」。


☆検査した 結果を読めぬ 若い藪



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Talking Patient

踊るサンタクロース 踊るサンタクロース



 いささか「十日の菊」的なカットですが、25日に記事を書こうと思っていたのに書けず、延び延びとなっていたのを、せっかく準備したのにというケチな気持でアップしました。なおこれの現物は、24日の青い教会堂と星と同じく刺繍です。


 閑話休題。今日は月に一度の検診でした。私の呼吸障害は、障害には違いませんが、症状は固定していないもので年とともに大なり小なり悪化が避けられないようで、病気でもあります。内部障害にはこういうものが多く、旧来の「障害」の概念では「症状の固定」がキーワードの一つでしたから、身体障害に加えられたのが遅いのもうなずけます。


 呼吸障害は帰するところは血液中に含まれる炭酸ガスと酸素の量の問題でもありますが、静脈中の酸素の量は非観血的に自分でも測れますが、動脈の方は採血が必要です。それを先月に行なったので結果を聞くと、動脈血中の炭酸ガスは減り、酸素は増加しているということでした。5月の入院以来、前にも書いたNIPという、睡眠時無呼吸症候群に用いる一種の換気装置を就眠時に使っているのですが、実は呼吸不全患者に適用したのは二人目だったそうで、この効果にドクターは気をよくしているようでした。


 最近はドクター全般にその傾向なのかもしれませんが、今の検診時のドクターも実によく話を聞いてくれます。最近では予約時間を遅らせて、比較的に閑散としてきた頃に診察してもらうので、こちらの症状もくわしく話せます。つまらないことでも何かの兆候ということもあるのでいろいろ伝えますが、大方は下らないことでも終わりまで聞いてもらえるのはありがたいことです。一昨日にはNIPや酸素濃縮の機器を管理している会社所属の巡回看護師の方が来られ、この方ともいろいろと話をして、参考になると言ってもらいました。私はおしゃべりでもありますが、一方で整理して話をする能力も多少あります。これはひょっとすると、聴覚障害者が機会をつかんで健常者の間でしゃべるのは難しいですから、あらかじめ話をコンデンスさせて準備しておく習慣がついていることもあるでしょう。


 物知りのことをWalking dictionary、歩く辞書などと言いますが、さしずめTalking patient、しゃべる患者かなと自分で考えています。少し話は違いますが、自分の親の介護のことは普通人に言いたがらないものですが、前にも書いたように私や家内はそれをわりと口にした方で、そのせいか介護場面に入るか、あるいはその寸前かといういろんな人が相談を持ちかけてきたりしたものです。ここで書く障害などの話もそうですが、自分のこうむっているネガティヴなことでも人に伝えることは、他の人に助けられるとともに、他の人に役立つこともあるのだと思います。「オープン」をモットーとしている一方で、「あいまい」を旨としているような方に教えて差し上げたいことですね。


☆情報を 公開してこそ 支えあり



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聖夜 教会ともみの木と星空

 人をその顔で判断するべきではないとよく言われますが、一方で男は40すぎれば自分の顔に責任を持つべきだという言葉もあります。実際その人となりが顔に出ている人は多いし、洋の東西を問わず人相学というものが存在します。何故こういうことを書き出したかというと、いつだったか現役時代の小泉前首相にちょび髭をつけた似顔絵を見たことがあるからです。ワグナー好きなどの共通点もあり、この絵を描いた漫画家の言わんとするところはよくわかりますが、今ひとつこのイメージには乗り切れぬところもありました。あのヘアスタイルが邪魔していたのかもしれません。


 誰か似ているのはないかと考えているうちに浮かんだのは、ナチつながりでゲッベルス宣伝相です。「首相になった宣伝相」というのはぴったりだと思われます。後でいろいろ困るようなこともしでかしてくれましたが、小泉氏は本来は仕事師で、具体的課題に対してはエネルギーを注ぐが、後のケアには興味がなさそうです。広告業界の腕利きといった人にもこれと通じるところがあるんじゃないでしょうか。広告コピーを自分が作った商品が、売れすぎていろいろ問題を起こしたとしても、そんなことオレの知ったことではない、と。原理原則的なことは口にしても抽象的なことが多かったようです。抽象的とはいっても5年も続いた首相の言葉だから、けっこう後の人を呪縛する力があるのも、これまた困ったものですが。

 

 ゲッベルスの顔といってもあまり知られていないので、斜に構えた顔笑い顔緊張した顔 と三つ引用しておきますが、どうでしょうか? 総統に比べると宣伝相の方が似ていないでもないでしょう。しかしこれらの図像を探しているうちに、誰かもっと似ている人がいるような気がしてきました。テレビのニュースを見ていて氷解。塩崎恭久官房長官・・・まさしく宣伝相です。ナチ時代に記者会見のようなものがあったかどうかは知りませんが、何がなし皮肉っぽい顔つき、無愛想な態度、人を見下ろすようなたたずまい、いずれもゲッベルスのイメージに重なり合うものです。首相を補完することから操ることに進み、果てはともども官邸で斃死するといったことにならぬよう、祈りたいと思います。


 ここまでくると安倍首相の顔はどうだということになってしまいます。探してみたら、何と、とっくにいたずら をしていた人がいました。実はひそかに小泉氏よりはるかに似ているのではないかと思っていたのですが、予想以上でした。とくにおびえたような目つきが共通しているようです。音楽の好みこそワグナーでなくチャゲアスであるのは異なりますが、政治家としての出自が国の中心でなくどちらかというと辺境ですし、血統というものに対するこだわりが強いし、オカルト的なものにも足をかけているし、イメージ的には揃っています。


 年齢は52だそうですが、これは自民党議員の平均年齢が小泉チルドレンの参入で若返ったとは言え、日本の政治家年齢としてはまだ30代でしょう。40までの残る数年で日本の元首相や旧同盟国の総統との相似から脱却し、自己責任において自分の顔を形づくって欲しいものです。


☆顔面の 模写より民の 声を聞け



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タイトルの力

 どういうものかNHKが認知症に熱心になって、この12月17・18日に連続して総合で『シリーズ認知症・その時、あなたは』の①②、19~21日に教育で『認知症・反響に答えて』の①②③と放送しました。全部字幕がついていたので私も見ましたが、感想は前に「障害への言及」の末尾につけた川柳「正視することが理解の第一歩」ということです。


 老人が今で言う認知症的になって、暴力は振るわないまでも日永一日文句ばかり言うのは自分でも体験していますが、理解することにより鎮めるということには気づきませんでした。いや、気づいていたかもしれません。ただその方向が正しいとは自信がなく、介護する相手が一人でなかったこともあり、時間をかけて実行しなかったというのが正確でしょう。ですから、このような番組で示されたことの意味は大きいと思います。


 その他要するに「百聞は一見にしかず」ということで、この番組シリーズは大変有意義なものでしたが、強いて難を言えば「認知症=アルツハイマー」という印象を強く与えたことだと思います。最終日だったかにピック症の方も出演されていましたから、一応NHKとしては認知症全部を扱っていたつもりでしょうが、薬など治療法に関する情報はすべてアルツハイマー症に関するものであったので、他の認知症の家族の方など『認知症』というタイトルから、何かの情報が得られないかと見ていて、失望させられたというケースもあるのではないかと思いました。検索しても定説はないのですが、認知症全体におけるアルツハイマー症の割合は9割を越しているというものがある一方で、1995年に脳血管性のものを追い越したというものもあります。後者の場合も5割以下ですので、診断名の変遷もあるでしょうが、マスメディアで障害を扱う場合は、相対的にマイナーなものへの配慮は欠かせないと思います。


 認知症とは違いますが、12月2日に『障害者が社会に伝えられること』という3時間のディスカッション番組がNHK教育でありました。これも字幕が付き、特に討論部分にはリアルタイムの字幕がつきました。これはドラマやドキュメントでは字幕データもあらかじめ用意し、コンピュータの制御で画像や音声とタイミングを合わせて放送するのに対し、入力者が耳で直接聞いてキー入力するものです。この際実際の発言とはタイムラグが生じ、また時間の制約から変換ミスが残るのはやむを得ません。ふだんはこの方法はNHKのニュース、民放でも東京では3局が夕方のニュースを中心に使用しています。

 こう書くと上記にディスカッションには聴覚障害者も参加したと思われるでしょう。ところが視覚障害者や、脳性まひや外傷などによる各種の車椅子ユーザは出席されていましたし、呼吸障害者もいましたが、聴覚障害者はろう者も中途失聴者も皆無でした。タイトルから言えば聴覚障害者も出席すると思った人は少なくないでしょう。

 NHKは各番組にメールで意見を言えるようなシステムになっています。必ず回答するわけではないとことわってありますが、一応クレームを出しておきました。念のために、あるMLに参加されているNHK職員を知っていましたので、その人にも事情を知らせておきました。すると『障害者が社会に伝えられること』の制作サイドの人からメールが届き、聴覚障害者が参加しなかったというクレームは他からもあったこと。人を選んで招聘できるだけの人脈を作っていなかったこと。そしてタイトルにも示したように、各種の障害者それぞれの「障害の違い」による状況や課題などを発言する趣旨のものではなかったこと。これらが聴覚障害者を入れなかった理由として述べてあった主なものです。

 これに対して私は、人脈がなかったということを一つの問題として考えてほしいこと。ろう者や中途失聴者が手話通訳なり要約筆記者なりによって情報保障され、自らの意見を発するところを画面に出す機会であったのに残念であること。これらをメールしたのですが、とくに反応はありません。理解してもらえたかなと思います。

 『認知症』の方は現実を「正視」させることにある程度成功したようです。それに対して『障害者が社会に伝えられること』の方は残念でした。タイトルから言えば大いに期待されたのですが。

 

☆名が体を 表わすことの 不幸せ



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誰が失礼か?

 特別委員会の教育基本法審議の終盤で、でっち上げのタウン・ミーティングの責任を議員分を除く俸給三ヶ月分の返納でに済ませた安倍首相に対して、民主党議員が 「政治的な結果責任がある。金で済ます問題ではない。世論誘導で美しくない」と追求しました。当然至極の発言と思われますが、安倍首相はこれにキレてしまったそうです。 私ならさらに祖父の岸元首相は角栄以前で随一の金権首相だったことを踏まえて、「お金で済ませるとは、さすがにお育ちがうかがわれる」と追い討ちをかけたかったところですが、こういうのは懲罰問題になるんでしょうか? なったらそれで審議引き延ばしの役に立つのではないかなどとも考えました。


 閑話休題。これに対する答弁は、「『金で済まそうとした』という言い方は失礼だ。公務員のけじめのつけ方として減給処分などの処分が決まっている」という語気を強めたものだったそうです。質問者も「返納で済むとは思っていないが・・・」とでも言うかと思っていたでしょうが、相手の感覚が違いましたね。それにしても官僚出身でもない安倍氏が、規定で決まった最大のけじめをつけたのだから・・・と言わんばかりなのは、何とも人間的な貧しさを露呈しています。この後問答がどう続いたのか、2,3日後の議事録公開が待たれます。


 この安倍氏の答弁のロジックは、言うならば殺人犯の裁判で、被告人の最終陳述の際に弁護人が「被害者の遺族に対して何か言うことはないか?」などと、情状酌量のための「反省の意」を促したのに対して、被告が「殺したのは認めているし、法律にある刑は受けるのを覚悟している。これ以上何を言う必要があるか?」と反問する様なものでしょう。この犯人も元役人か、そういう気質の家で育てられたという設定がわかりやすいかもしれません。


 真に失礼なのは、やらせで国民をたばかった小泉・安倍の両内閣です。第一に小泉・安倍の前現首相のはずです。それがわからないとはお坊ちゃん育ちで咎められ慣れてない人によくある例で、厄介な首相を持ったものです。支持率の低下、北朝鮮交渉の行き詰まり、防衛省の誕生により意気の上がる人々・・・どうもろくなことになりそうもない。安倍内閣に期待した方もおられますが、ここは君子豹変した方がいいと思います。


☆ルサンチマン お家流で描く 三代目



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ついに封じられたシベリア抑留

 シベリア抑留者らに慰労事業をしている独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を解散し、残された基金の半分で慰労品を想定するという法案 が15日に成立するということです。政府はこれによって戦時処理のすべてにけりをつけるつもりらしいですが、弱い者には徹底的に冷たいという小泉=安倍政権の本質を象徴する出来事です。


 しかし冷たいと言えば、敗戦後に大陸に残された50万を越す日本軍の兵士を、旧ソ連が国際法上の根拠もあいまいなままにシベリアに拉致し、強制労働によって多くの命を奪ったというシベリア抑留の問題について、今の日本人は冷淡にすぎるのではないでしょうか? これは北朝鮮による拉致や、中国から帰国した中国残留孤児に関する報道と比較すると明らかでしょう。


 もちろんカレントな話題でないということはある。法案成立を機に、明日あたりからメディアに出てくる可能性はあります。それにしても、不条理な点では際立っているシベリア抑留について、ものを言う人が少ないのは解せません。Googleで「シベリア抑留」を検索すると、トップの20くらいの中に右派系の言論は見当たらず、一方で多いのは日本共産党系の情報であるということは、何かエッシャー的なパラドックスの中に放り込まれたような感じでした。政府やその系列が発した情報も皆無です(質問主意書への回答 を除く)。


 中国や韓国・朝鮮に対してはあれほど多弁な右派がシベリア抑留については寡黙なのは何故でしょうか? 毛嫌いにするサヨクを攻撃するのに、シベリア抑留は絶好のネタではないのか? 弱きをくじき強気を助けるという体質から、超大国のソ連に歯向かうことは控え、その習いが性となっているのでしょうか? すでに離陸している中国や韓国を以前のままの途上国と錯覚して、こちらは攻撃対象とするということでしょうか。


 人気落ち目の安倍政権は今後国民の目を再び北朝鮮による拉致問題に向けることでしょう。その帰趨がどうなるかについては危惧なしにはいられないのですが、同様の動機で政府がシベリア抑留問題を取り上げたという例はありません。ここで想起するのですが、中曽根内閣の頃に行政改革で暗躍した瀬島龍三という人物がいました。この人は大本営の参謀だったそうですが、敗戦のときにシベリアに抑留され、収容所でたちまち実権を握って「赤いナポレオン 」と言われ、天皇制を批判して洗脳を推進し、一方で日本軍将兵をシベリアに留めることを認めた秘密協定を結んだといわれています。これについては何冊かの本も書かれていますが、瀬島氏自身はこの期間の行動について決して口を開いていません。このことからシベリア抑留について公けに問題にされることは、瀬島氏自身についてはもちろん、彼を登用した中曽根氏、ひいては自民党政権について都合の悪いことが出てくる可能性があるのではないかと、私は以前から邪推しています。


 日ソ平和条約で相互に賠償を求めないとされているそうですが、そうならば政府が引き継ぐのが国際法の原則でしょう。少なくともシベリア抑留の違法性については、公的な言及があってしかるべしと思います。早い話が、ソ連も後継のロシアも、条約に明記された二島の返還を行っていない。とすると、賠償は求めないという部分も墨守すべきなのか、これはわかりませんが。


 いずれにせよ老い先短いシベリア抑留経験者の多くに、軍属ではなかったなどとの理由で補償もせず、慰労品の贈呈で幕を引こうとする与党の態度は、非難されてもやむをえないでしょう。靖国参拝で小泉氏を支持した遺族会の方々も、いつ捨てられるかわからないと覚悟しておいたほうがよいと思われます。


☆戦争の 責とらぬゆえ 勝ち組に


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劇場政治の脚本と責任

 タウンミーティングの醜状で、そもそもの始めからかかわっている安倍首相も責任を取るというので、どうやるのかと思っていました。まさか戒告で済ますつもりじゃあるまい。かと言って辞職もしないだろう。やっぱりお金かなと思っていたら、「安倍首相給料3か月分返納」と昨夜のWEBのニュースでした。これではその間家計がもつのか、やっぱり政治家は溜め込んでいるなとなりかねないと思ったら、今朝の新聞では議員分の給料には手付かずとのこと。安倍氏の給料の内訳も詳しく出ていたから、結局は反感を招くことになるでしょうね。小手先のことばかり続けて、先行きは暗い内閣です。


 日頃拝読しているなにわのおっさんさんのブログには、わかりやすい責任の取り方として、責任者一同のポケットマネーでタウンミーティング(TM)をやり直せとありましたが、まったく同感です。その前提として今参議院で審議中の教育基本法案は廃案か、少なくとも継続審議にするのが理屈というものですね。一つの法律が成立もしくは改正される場合、衆参両院の委員会や本会議での審議、公聴会、参考人の意見聴取などという手順があります。TMも国費が使われているのですからその中に入るでしょう。ところがそのTMの内容に権威を認められないような事件が発覚したのですから、いったん引っ込めるのがよくわかる決着のつけ方です。これなら子どもにも、「過って改むるに憚ること勿れ」という、伝統的な道徳訓を教えるいい機会でしょう。


 もう一つの責任の取り方として私が考えるのは、やらせがはっきりしたTMの責任者である人々が、連名で謝罪することです。つまり小泉前首相、安倍前官房長官、小坂前文科相、南野元法相以下が、新聞広告でもいいし、テレビのCMの時間ででもいいから、そろって名前を出して国民にわびるのです。それについての会見も行なうべきでしょう。結果責任だから当時の担当者に責任はないといいますが、ウィニーの判決ではそもそもの発端となるものを開発した者も有罪でしたから。今回一番腹立たしいのは、特定の人を発言者にさせないという、いわば「シカト」の例が報告されていることですが、こういうことを偉い人もやっているんだからと子どもたちが思ってしまわないように、責任者は一刻も早く、目で見てわかる責任の取り方を尽くすべきです。


 もともと、首相なり大臣なりを辞めた者が、後になって責任を追及される場がないのが不思議です。TMが誰のアイデアであるかは知りませんが、自らの劇場型の政治にふさわしいものとして採用し、大いに活用したのは小泉氏ですから、それに「やらせ」や「シカト」が含まれていることを、小泉氏が全然知らなかったとは思えません。首相や大臣を辞めても、なお「説明責任」は残っていることは強調すべきだと思います。


 (追加1)TMを担当したのは電通と朝日広告社だそうです。後者については朝日新聞に当社の系列とありました。正直でよろしいというべきですが、TM関係の記事は、たとえば東京新聞などに比べて精彩のないものでした。


 (追加2)「踏絵」など英語ではどうなるのかを知りたいので、Japan Timesに申し込んでタイトルを毎日送ってもらっています。「踏絵」の後だったのでこれはわかりませんでしたが、今度のTMを総称してfakeと呼んでいたのは痛快でした。語学的にはどうか知りませんが、美術品の贋作などに使うforgeryが職人芸的な贋作を意味する傾向があるのに対して、fakeはまったくの「でっちあげ」のニュアンスだと感じられます。また「政府が政策推進のためにTMをjiggerした」というのもあり、これは「手を加える、ごまかす」の意味だそうです。英字紙が少なくともタイトルでは遠慮がないというのはずっと以前からのようです。


☆政局の 沙汰も今では 金次第


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障害への言及

 NHKの朝の連続ドラマ『芋たこなんきん』の評判がいいようです。原作というか、原案となっている田辺聖子さんのエッセイは週刊誌で愛読していました。戦前戦中や1960年代の大阪の描写が秀逸で、それを交互に物語るという非年代記的な作り方も成功しています。


 ただ、気になるのですが、田辺さんにはポリオの後遺症があり、私の知る限り車椅子というほどではないと思うのですが、多少足が不自由なはずです。学校にもふつうに通っていた程度だったと思うのですが、このことが全然出てこない。しかし田辺さんの人間形成にこの障害がまったく無関係だったとは思えません。エッセイにも障害についてはほとんど書いてなかったとは思いますが、まったく無視して物語が進むのはちょっと「きれいごと」にすぎるのではないでしょうか? 説明は一切抜きで(幼時のポリオ罹患については一言セリフを入れておくとして)、ただ時折足を引きずるとか、階段の昇降に時間がかかるかとかの描写があってもいいといつも思っています。サクセス・ストーリー的な要素を入れることは勿論まったく不必要ですが。


 先日このドラマの出演者の一人である香川京子さんが民放の『徹子の部屋」に出演して話が田辺さんのご母堂のことに及び、昨年100歳で亡くなられたそうですが、ご健在の折に田辺さんのパーティか何かに車椅子で出てこられたとき、多くの人がそのご母堂を田辺さん本人と勘違いして声をかけてきたそうです。これを聞いて事情を知らない人は、ご母堂がよほど元気なのか、あるいは田辺さんが地味すぎたのか、などと思うでしょう。出席者には田辺さんの障害の知識があったから、車椅子のご母堂を、お年のわりに元気ということもあったでしょうが、勘違いしたのだと思いますが、知らない人にはこういう機微が全然伝わりません。


 以前書いたかもしれませんが、エジソンは先天性の難聴でしたが、日本では児童向けの伝記の多くでは子どもの頃に人になぐられた後遺症と書いてあるそうです。ものによっては難聴には全然触れていないとも聞いています。何故障害があることを隠すのでしょうか? 障害を明記する場合も、何故それが先天性でなく外傷性のものでなければならないのでしょうか? 


 これも前に書いたかもしれませんが、聴覚障害者など障害者を主人公とするドラマが流行ったころ、「障害者が脇役として出てくるようになったら本物だ」というのは、『Spa!』誌の障害者が何人か集まった座談会での発言ですが、まったくそのとおりです。それは世の人々に障害者の社会参加ということを、肩肘張らずになじませるよい手段だと思います。


 私は上の発言を読んで以来、朝ドラでヒロインの隣人に障害者がおり、毎日出てくるわけではないが、出てきたときにはヒロインも他の人々も自然に、場合によってはさりげない工夫もして接しているというのがあれば、その啓発効果は大きいだろうなと思っていました。『芋たこなんきん』の場合はいささか事情が違いますが、それでもさりげない障害の描写があればもっとよかったのにと、残念でなりません。


☆正視する ことが理解の 第一歩



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