前回:Ⅱ-(54)  

「まずは富士山」



ディズニーランドの誘致の際にいくつか決め手となるポイントがあります。

○地元住民がテーマパーク誘致を歓迎している(少なくとも反対ではない)

●入場者が見込める立地である

◎リスクは、取らない。



○に対しては、浦安の町に働きかけ、視察の際、地元住民が大歓迎である雰囲気を創り上げました。今、沖縄県の米軍キャンプ移設で揺れていますが、候補地らしいとリークされるだけで反対集会や通りに反対のプラカードが掲げられていますよね。この時は、逆に大歓迎しているとわかる工夫をしたわけです。

●については、首都圏人口3千万人という商圏エリアがあることをアピールしました。

それを認識させるため、ヘリコプターで上空から立地をみせる方法をとりました。

千葉県とはいえ、都心が目と鼻の先です。ちなみに都心とは、東京都の千代田区とか中央区より南、東エリアを指しているようです。

ディズニーの首脳から見れば、ビックアップル(NYC)の隣の町にディズニーランドを創るようなものだと感じたのでないでしょうか。

埋め立て計画の中に既にJR京葉線の建設も考えられていたようです。

◎は、これからの大きな障害となるわけですが、建設費用はオリエンタルランドで拠出することは決めていたようです。

これ以外にも有名な話では、宿泊していた帝国ホテルから浦安の埋め立て地まで、ディズニー首脳を豪華サロンバスで送り迎えしました。バスの中で、豪華な料理やショーでおもてなしし、時間を忘れさせるという奇策も用いたそうです。また、埋め立て地にゴミが散乱していたので、少ない従業員総出で清掃したり、野犬を追っ払ったりと涙ぐましい努力が最高の結果をもたらします。

To be continue

【次回 ディズニー大学との出会い-56)「富士山に勝つが・・・」







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前回:Ⅱ-(53)  

「いろいろ考えたようですが・・・」



197412月ディズニー社の首脳6名が来日しました。

最初の視察は、大本命の三菱地所グループの富士山麓の広大な土地です。

しかし、この交渉は、まとまりませんでした(舞浜にテーマパークがあるので当然ですね。失礼しました)

理由は、2つあったと聞いています。

一つは、“富士山の景観が強すぎるため、ディズニーテーマパークが霞んでしまう”(ディズニーランドという“マジック・キングダムは、現実の世界をみせないことを大切にしています。実際に外側の世界をみせないように工夫もしています。現実である自然の富士山を隠すわけにはいきませんよね)”

二つ目は、“建設費用をどちらが持つか”で両社に壁ができてしまった(こちらの方が説得力ありそうですね)。

また、首都圏から少し遠いようです。米国のように自動車が交通手段の大半であれば、問題ないと思いますが、日本ではやはり、公共交通機関の利用が多いですから。

参考にはなりませんが、富士急ハイランドという遊園地は、年間170万人前後入場者がいるようです。


さて、ディズニーの首脳が、富士山の視察を終えて、オリエンタルランドの建設用地の視察に訪れたのです。

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【次回 ディズニー大学との出会い-55)「ディズニー誘致の決め手」




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前回:Ⅱ-(52)  

「ディズニー誘致交渉始まる」



さて、前回の話のとおり、ディズニーランドを創る場所は確保しましたが、ディズニーを誘致しなければならないという至上命題がありました。

「ねばならない」という理由は、払い下げられた土地の広さを考えると年間一千万以上の入場者が見込める施設を誘致する必要がありました。そして当時、そのような施設は、ディズニーランドしかなかったからです。もちろん、初代社長の夢もあります。

しかし、誘致できなかった時のこと考え、オリエンタルランドの社員は、世界各地を視察し、様々な企画を考えていたようです。「自分たちで独自の遊園地案を創る」ということでイメージ図も見せてもらいました。しかし、わたしの印象としては、普通の日本によくある遊園地とよくある運動公園があり、広大な土地を持て余したように感じられます。日本人の当時の遊園地や運動公園の概念から脱するのは難しかったのでしょう。

また、飛行場をつくる案もあったと聞いています。ところが、滑走路を造るのに距離が少し足りなかったそうです。

マスコミや政治家は、「どうせ埋め立て地を払い下げても数年で住宅用地にするのだろう」と批判と懐疑的な風潮が強かったようです。

この風潮を吹き飛ばすためにも、ディズニーランドを誘致したかったのです。

ディズニー首脳が度肝をぬくような作戦が練られ、実行されたのです。

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【次回 ディズニー大学との出会い-54)「まずは富士山」




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