前回:Ⅱ-(51)  

「海の男との交渉逸話」



浦安沖の埋め立ては、1964年から開始されました。
この開始前、払い下げの土地に関して、県との交渉があり、様々なことがあったようですが、ここでは、そのことには触れずに、ディズニー社(当時名称:ウォルト・ディズニー・プロダクションズ)との交渉の話しをしましょう。
オリエンタルランドの初代社長である川崎千春さんは、高橋政知さんが入社する前から米国ディズニーランドを視察し、このパークを誘致したいと考えていました。その時にも誘致の打診をしたようですが、相手にされなかったようです。それよりもディズニーランドを真似した遊園地があるということで日本に対して怒っていたようです。
本格的な交渉が、ディズニーと始まりました。しかし、この時は、ディズニーも世界進出を考えていた時期だったようです。世界十数カ国より誘致があり、有力な国には、視察に出かけていた時期でもありました。
日本でもオリエンタルランド以外に有力な企業が誘致をしており、その場所の視察を目的にディズニー首脳が来日することになりました。
その有力企業が、三菱地所グループ系の企業です。富士山麓の広大な敷地にディズニーランドを誘致したいと考えていたのです。こちらがメインでオリエンタルランドは、ついでの視察だったようです。
(それでも世界で通用する三井グループがバックアップしてくれたことが、ディズニーの信用を得たのでしょう)
1974年暮れのことでした。
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【次回 ディズニー大学との出会い-53)「いろいろ考えたようですが・・・」




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前回:Ⅱ-(50)  

信念と情熱の人、髙橋政知さん」



いくつか高橋さんと海の男たちの交渉時の逸話をお話ししましょう。

・毎日交渉相手と高級料亭で、飲めや歌や宴会三昧。毎日自宅には午前様。

・(うらやましいと思いますか)酒の席ではありますが、自分の意識がないほど酔ってしまっては交渉になりません。しかし、高橋さんの盃の酒がなくなると継ぎ足し、継ぎ足しするとなります。そのお酒は、飲まないわけにはいきません。同じ土俵に立ってこそ、相手と交渉はできるものなのですね。酒の強い、漁師さんとの交渉です。半端な量ではなかったと思います。

・流石に高橋さんも酔っ払ってくると、「電話をかけてくる」などと言い席を外し、トイレで酒を抜き、また、席に戻ると飲み始めたそうです。私も酒は結構飲むのでわかりますが、これはキツイですよ。

・交渉相手の家に出向き、一軒一軒、ここにレジャーランドを創ると説得されたそうです。フェイス・トウ・フェイスが決め手となったような気がします。

・領収書のとれない金もあったため、渋谷のご自宅を売却し、その費用に充てたそうです。自分はそこまでできるだろうかと考えてしまいます。川崎さんのところでお話ししましたが、川崎さんに対して意気を感じ、相手のために尽くすことで、活路も開かれるということでしょうか。



このような文章だけでは、語りつくせない苦労や努力があったのだと思います。これを高橋政知という一人の男がやり遂げたのです(実際一人で交渉したそうです)

埋め立て交渉が成立し、いよいよ埋め立てが開始されることになりました。

この埋め立て地の一部がオリエンタルランドに払い下げられ、レジャーランドを構想が本格化していきました。

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【次回 ディズニー大学との出会い-52)「ディズニー誘致交渉始まる」





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前回:Ⅱ-(49)  

「江戸秀雄さんの人物鑑定」



オリエンタルランドの2代目社長である高橋政知さんとは、直接一度だけお会いしています。

ご高齢の時にお会いしましたが、最初目の光が強く、恐いなという印象でしたが、お話しすると、一気に印象が変わり、話しやすい雰囲気を自らおつくりになる方でした。

本当に初代社長の川崎さん夢を実現させた人物である高橋さんには、オリエンタルランドの誰もが尊敬しています。私も、東京ディズニーランド開演の1983415日、開演式典のお手伝いに行きましたので、その時もお顔は拝見していました。テープカットをされ、開演を宣言された時のあの笑顔は、一生忘れないでしょう。


もともと三井不動産の社長である江戸英雄さんに三顧の礼で迎えられ、浦安の沖の埋め立て交渉のために入社されました。

浦安の住民にとっては、漁業という生活の糧を奪うことになりますから、交渉は大変難航することが予想されました。

しかし、人の意気に感じ、人に意気を感じさせる高橋さんは、3年はかかると言われた漁業交渉を半年でまとめてしまったそうです。当時、高橋さんは50歳少し前だったと聞いています。

わたしも現在、47歳です。この高橋さんの年齢とやり遂げた仕事の大きさに自分の年齢を重ね合わせ、励まされます。

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【次回 ディズニー大学との出会い-51)「海の男との交渉逸話」


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