前回:Ⅱ-(52)  

「ディズニー誘致交渉始まる」



さて、前回の話のとおり、ディズニーランドを創る場所は確保しましたが、ディズニーを誘致しなければならないという至上命題がありました。

「ねばならない」という理由は、払い下げられた土地の広さを考えると年間一千万以上の入場者が見込める施設を誘致する必要がありました。そして当時、そのような施設は、ディズニーランドしかなかったからです。もちろん、初代社長の夢もあります。

しかし、誘致できなかった時のこと考え、オリエンタルランドの社員は、世界各地を視察し、様々な企画を考えていたようです。「自分たちで独自の遊園地案を創る」ということでイメージ図も見せてもらいました。しかし、わたしの印象としては、普通の日本によくある遊園地とよくある運動公園があり、広大な土地を持て余したように感じられます。日本人の当時の遊園地や運動公園の概念から脱するのは難しかったのでしょう。

また、飛行場をつくる案もあったと聞いています。ところが、滑走路を造るのに距離が少し足りなかったそうです。

マスコミや政治家は、「どうせ埋め立て地を払い下げても数年で住宅用地にするのだろう」と批判と懐疑的な風潮が強かったようです。

この風潮を吹き飛ばすためにも、ディズニーランドを誘致したかったのです。

ディズニー首脳が度肝をぬくような作戦が練られ、実行されたのです。

To be continue

【次回 ディズニー大学との出会い-54)「まずは富士山」




ディズニー教育のキャリアを活かす!

~新ビジネスマナー研修参加者募集(トレーナーテキスト進呈)~





~テーマパークフィールド体験研修参加者募集~




≪働きがいを創造するJSP≫