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自分を取り戻すためのファスティングという選択

ファスティング指導歴14年。食・体・心を切り離さず整える視点で、無理なく健やかに生きるヒントを発信。100歳まで動ける身体づくりと心の整え方もお伝えしています。

体の声を、

もう無視できなくなったのは、45歳のときでした。


それまでも片頭痛は、時々ありました。

「またか」

そんなふうに、やり過ごしてきた痛みです。


でも、その頃から違いました。


ほぼ毎日続く頭痛。

寝ている間も、痛みで目が覚める。

頭を抱えるほどの激痛が、何度も襲ってくる。


総合病院にも行きました。

検査もしました。

けれど、はっきりとした原因はわかりませんでした。


それに追い打ちをかけるように、

喘息の発作も、頻繁に起こるようになりました。


息ができない。

夜中に呼吸が苦しくなり、

気がつけば、夜間救急に何度もお世話になる日々。


「年齢のせいかな」

「忙しいから仕方ないか」


これまでは、

そんな言葉で自分を納得させてきました。


でも、このときは違いました。


これは、

ごまかしてはいけないサインだ。


そう、はっきりと感じたのです。




振り返ってみると、

あの頃の自分は「不調がある状態」を、当たり前だと思っていました。


疲れやすい。

朝が重い。

片頭痛がしたり、、、。

なんとなくスッキリしない。


でも、病院に行ったとしても、

検査をすれば「特に問題なし」と言われる。


だから、

「こんなものだろう」

「みんな同じだろう」

そうやって、違和感を打ち消していました。


無理がきくうちは大丈夫。

動けているなら問題ない。

多少しんどくても、それが普通。


今思えば、

体はずっと小さなサインを出していたのに、

それに気づかないふりをしていただけだったのだと思います。


不調があることよりも、

「それを感じなくなっていたこと」のほうが、

本当は問題だったのかもしれません。


あの頃の自分は、

体の声を聞く余裕がありませんでした。


そして、

それが当たり前になっていること自体に、

気づいていなかったのです。



生まれてまもなく、喘息になりました。

それから45歳まで、喘息は「治らないもの」として、ずっと人生のそばにありました。


発作が起きないように気をつけること。

無理をしないこと。

薬と上手につき合うこと。


それが当たり前で、

「治す」という発想自体、正直ほとんどありませんでした。




いつの頃からか、

健康とは「悪くならないように管理するもの」

そんな価値観が、無意識に根づいていたように思います。


だから体に不調があっても、

「仕方がない」

「年齢のせい」

「体質だから」

そうやって折り合いをつけてきました。




45歳のとき、

ファスティングを通して、初めて自分の体と深く向き合う経験をしました。


何かを足すのではなく、

一度、余計なものを手放す。

体の声を、静かに聞く。


そのプロセスの中で、

体が本来持っている力に、初めて意識が向いたのです。




その体験は、

「健康」に対する考え方だけでなく、

生き方そのものを変えました。


体は、ただ管理する対象ではない。

抑え込むものでも、我慢させるものでもない。


ちゃんと向き合えば、応えてくれる存在。


そう思えるようになったことが、

私にとって一番大きな変化でした。




長年抱えてきた喘息が、

結果的に完治という形で手放せたことも、

もちろん大きな出来事です。


でもそれ以上に、


「体は信じていい」

「人は変われる」


そう思えるようになった価値観の変化こそが、

今の私の土台になっています。




この経験があったからこそ、

今は結果だけを見るのではなく、

その人の背景や、体の状態、心の声を大切にしたいと思うようになりました。


病気は、敵ではなかった。

生き方を見直すための、大切なサインだったのだと、

今ならそう思えます。