さて、明和町は「完訪」となってしまったので、次に進もう。

 

 この先については、正直なところほぼ「ノープラン」。

 

 カーナビに「郵便局」をアイコンで表示させていて、画面に出てきた局の「情報」を開き、所在する市町村を確認して「目的地」設定をする、というスタイルで行こう。

 「ゆうちょラリー」的には、極力郡部の3ポイント局を稼ぎたいので、この辺りだと「伊勢市」になってしまう郵便局ではなく「××群○○町」となるところを狙う。

 

 その結果、次の目的地となったのが22027:玉城郵便局。

 ここは度会郡玉城町になる。

 また、ここで本日10局目となり、通算でも7,240局所目ていうことになったので、A口座には7,240円の入金。

 ゴム印には、局名の後に何やら「豚」のような小さなイラストが付いていたので、窓口氏に「何の絵ですか?」と確認すると、「豚なんですけど『玉城豚』と言いまして、最近ブランドとして売出中」とのこと。

 

 更に、ナビで近隣局を洗い出し、次に向かったのが22189:内城田郵便局。

 またまた「町」が変わり、ここからは度会郡度会町となる。

 

 押されたゴム印は、「湯呑」と「急須」で局名を挟んだもの。局員によると「お茶の産地なので」ということらしい。

 この分では、多気郡・度会郡の郵便局は、ほとんど「宝」印を用意しているのではないか、とさえ思えてくる。伊勢神宮お膝元の伊勢市も恐らく同じようなことになっていそうなので、ルール改定で「マルチ」が掛からなくなってはいるものの、市ではなく町村所在になっている局も多いので「ゆうちょラリー」的にはポイントを稼げるエリアなのでは、と思われる。

 

 次にナビを基に辿ったのは、22264:度会小川郷郵便局。

 かなり山間に入っており、のどかな雰囲気。局名ゴム印は、局名の後に「アユ」のイラストが入ったもの。

 この先は、暫く走れば一之瀬局があるけれど、その次はもう南伊勢町になる、との仰せ。距離はあるので16時までにどれだけ行けるかわからないものの「信号がないから意外と早く着く」とも言われた。

 

 南伊勢町も度会郡だが、そこまで行ってしまうと最早「太平洋岸」である。伊勢湾ですらない。

 海岸に突き当たって左(東)に向かえば、英虞湾を囲む志摩市になるが、16時までにそこまで辿り着くのは無理だろう。

 南伊勢町には郵便局が結構あるようだが、ぱっと見で14局あるように見えて、実は5局が一時閉鎖中。しかし5局とも貯金扱いのない(為替・振替はある)簡易郵便局で、現在も営業している9局は簡易局を含めて全て貯金も扱っている。

 ちなみに先刻通ってきた玉城町にも一時閉鎖中の簡易局が2局あり、同様に貯金非扱。

 

 このまま南伊勢町に突っ込んでしまった場合、中途半端に「つまみ食い」だけして終わり、ということになりかねない。であればいっそのこと、丸ごと残しておいて、いつの日か貯金非扱の簡易局が再開・貯金も開始、となることを祈りつつ、次の機会を待つ、というのが正解のような気がしてきた。

 

 そうなると、次の22090:一之瀬郵便局で折り返すことになる。

 ところが、窓口で処理をしてもらっていると、局員から呼ばれた。

 終わったかと思ったらそうではなく、「100円玉友の会」名義の通帳(Z口座)だけ、CTMで処理しようとしても「前残相違」でエラーになってすすめ進めない、というのだ。

 

 今年9月に、広島県山県郡北広島町の51018:本地郵便局で、A口座がやはり「前残相違」を起こしたことがあったのだが、これは処理を進めて最後に通帳印字をしようとしたところでCTM内で通帳がジャムってしまい、印字ができなかったことから「貯金原簿上の残高(預入処理後)と通帳上の最終印字残高(預入処理前)が合わない」ことによって起きたエラーだ。

 

 

 今回のZ口座の場合は、一つ前の度会小川郷局ではきちんと印字されてゴム印まで捺されている。しかし貯金原簿上の残高が、小川郷局での処理前から更新されていないことによるエラーらしい。

 (↑ 事後、横浜市役所内郵便局で処置してもらった結果復活した通帳)

 

 ということは、小川郷局での処理の際に、何かの「手順」が脱漏した可能性が考えられる。しかし、ここでそれがどうにかできるかは判らず、貯金事務センター(JC)に問い合わせないと何もできない、ということらしい。

 JCに問い合わせるので、時間がかかりそう、と言われ、少し考えた。

 

 南伊勢町まで足を延ばすのはやめておくことにしてはいる。

 小川郷局からここまで、確かに信号はなかったが、一箇所「工事」が行われていて、片側交互通行になっていた。それほど長い区間ではないので、待っても数分だとは思われるが、ここで折り返すにしても多少のタイムロスは頭に入れておく必要がありそうだ。

 玉城局からここまで、ほぼ一本道で、周囲に〒マークは目に付かなかったが、引き返しながら改めて見渡せば、もう一局くらいは寄れる可能性がある。何しろこの時点でまだ15時30分になるかどうか、くらいなのだ。

 普通に考えればあと1~2局は巡れるのだろうが、南伊勢町でそれでは「つまみ食い」に終わるし、引き返した場合は小川郷局や内城田局に行っても仕方ないので、方向を変えてあと1局というところか。

 そう考えると、ここでエラーの対処について突き詰めても、あまりメリットがないような気がしてきた。

 

 広島の時には、エラーを起こしたのが「メイン」ともいうべきA口座だったために、どうにかして対処する必要性が高かったのだが、今回はZ口座である。A口座や「ゆうちょラリー」用のR口座に較べれば、優先度合いは低い。

 

 ちなみに、筆者的な用語としては、元々通算記録用がメインなのでA口座、オフライン専用として設定した(現在では意味が薄れたのでA口座に統合した)のがB口座、定額貯金の通帳式証書がT口座……という具合に呼んでいたのが源流である。ラリー用がR口座なのは「Rally」の頭文字だし、「100円玉友の会」の口座がZ口座なのも、100円玉友の会アマチュア無線部のコールサイン(JN1ZCT)のサフィックス「ZCT」に由来している。

 家族名義の口座は、それぞれの「名」の頭文字で指定しているが、これも子供達(双子)の名を付ける際に、色々と考えた結果あえて「頭文字」が重ならないように付けているのが奏功している面もある。

 

 ということで、今回のZ口座への預入は諦めることにした。

 もう金曜日、かつ年末も近いので、落ち着いてから時間が取れる時に、どこかの郵便局で「後始末」してもらおう。恐らく、この「前残相違」のパターンに陥ると、通帳を再発行するしかないように思われる。オフラインでの処理後、再入力処理をせずとも原簿が反映されるまで待てば大丈夫、というケース(時間が解決してくれる、とでも言うべきもの)とは違うものではなかろうか,と直感した。

 

 ということで、処理できなかった100円が「お釣り」として返された。次の局ではR口座への入金額を200円にして対処しよう。

 なお、一之瀬局のゴム印も、局名の後に「カワセミ」のイラストが入ったものだった。

 

 さて、ここから折り返してもう1局、となると、ここまで走ってきた県道22号を引き返し、内城田局の近くまで戻って県道38号に入り西進。そこから5~6km走れば、22210:渡会中川郵便局に辿り着けそうだ。それで度会町も完訪にはなる。

 ナビで目的地セットすると、「到着予想時刻」が16時11分と出たものの、信号もなく交通量も少ないので、何とか間に合うんじゃなかろうか、と予想した。

 

 しかしカーナビが示す経路は、小川郷局まで戻る途中で細い道へと左折し、やたらとうねっている道へと誘うもの。実はこれ「広域基幹林道南加江小萩線」というもので、こんな経路を通っていては、16時11分に着くことすら無理だと「直感」で判った。

 後で確認したのだが、この「分岐点」に当たる所にあるバス停の名称が「出合橋」。

 


 勘の鋭い方はおわかりだろう。あの伝説の「最後のオフライン簡易局」と呼ばれた45703:東の川簡易郵便局に向かう砂利道が、日本三大「酷道」との呼び声高い425号から分岐する地点に架かる橋と同じ名前なのだ。

 その東の川簡易郵便局から「俗世間」に戻る(笑)ために酷道425号で抜け出した(そして再入力処理もしてもらった)尾鷲も、そして「東の川」も、ここから直線で50~60kmほどしか離れていない。

 

 小川郷局の前を通り過ぎる時、顛末を確認する考えも浮かんだが、そんなことをしていては次の局を取りこぼしかねないのでスルー。

 結局22210:渡会中川郵便局には、15時56分に到着した。

 どうにか間に合い、無事に7,244局所目のテーリングを完遂。これでこの日は14局の積み上げになったが、レンタカーを借りた時刻や津中央郵便局の混雑、そもそもの目的地だった明和町までのアプローチなどを考えれば上出来だろう。

 本来ならば、ここで「ゆうパック」の配送伝票をもらっておけば、翌々日のボール返送時の対応が楽になった筈だ。最初はそんなことも腹積もりに入れておいたのだが、一之瀬局からここまで時間内に辿り着けるか、と「カウントダウンとの闘い」をしている間に失念してしまっていた。

 

 とにかくこれで、この日の、そして今回のテーリングは終了である。

 

 続いては「ボウリング場めぐり」へと切り替えることになるのだが、ここから北へと向かえば国道42号へと出て、それを北上すれば松阪市、そして津市へと到る。

 この国道42号こそ、先述の尾鷲からの道でもある。

 

 そんな四半世紀近くも前(東の川簡易郵便局を訪問したのは2000年3月17日のことなので、正確には23年9か月余り前、ということになる)の「記憶」を蘇らせながら、まずは松阪市内のボウリング場を目指すのだった。

 

 (この項、了)