今度は、和歌山県東牟婁郡北山村に入り、“道の駅・おくとろ”を発見する。

 この北山村は、村全体が和歌山県の飛地になっており、周囲を三重県と奈良県に取り囲まれている。和歌山県の村でありながら、離島でもないのに、和歌山県の他の市町村とは一切接していない村である。そのため“全国唯一の飛地の村”を売り物にしているらしく、道の駅にはその“訪問証明書”まであった。

 筆者は、この“飛地の村”の存在は既に知っていたが、まさかそれを売り物にするとは思っていなかった。

 北山村は、旧国では紀伊に属していた。廃藩置県の際、紀伊国南東部は、熊野川を境に南西が和歌山県、北東が三重県とされたため、これに従えば、北山村は三重県になっている筈である。また、熊野川以北については、国境にかかわらず、熊野川支流の北山川を境に、東が三重県、西を奈良県とする案もあったという。その場合には、北山村は奈良県になり、和歌山県東牟婁郡や三重県南牟婁郡ではなく(この郡名からも旧国の関係が窺い知れるが)、吉野郡に所属変更されていたであろう。実際、奈良県吉野郡には、(この後訪れる予定でもある)上北山村や下北山村もあり、微妙な位置関係なのだろう。

 だが、木材を“筏流し”で新宮に送って生活していた村は、新宮と同じ和歌山県となることを選んだのだという。

 それにしても今回のテーリング、いったい何回県境を越えるのだろうか。

 

 その“飛地の村”東牟婁郡北山村で唯一の47064:大沼局へ。

 “筏の村 じゃばらの里 大沼郵便局”という“宝”のゴム印であった。

 

 ここから北山川対岸の三重県熊野市に渡れば、22812:尾川簡易局が近いことは判っていたが、この簡易局は貯金非扱いである(編註:現在は貯金取扱あり)。ここは先に進んでから熊野市に入り、22059:神川局へ進んだ。

 再び筆者の運転に戻り、国道169号線を進む。熊野市街へつながる国道309号線との分岐点近くに22099:五郷局があるが、ここも熊野市であり、少し奥まっているようなので、パスして先に進む。

 実は、この時点で13時近くなっており、時間的余裕が少なくなっていたのである。

 

 幹事長・郵ちゃん。氏の事前調査によると、今回の最大の目的地である東の川簡易局は、14時30分で営業を終了してしまうらしい。そして、そこに至る道は、相当な悪路らしく、所要時間には余裕が欲しいのである。

 

 奈良県の吉野郡下北山村に入って、45038:上池原局へ。

 下北山村には、他に特定局と簡易局が1つずつあるが、どちらも国道169号線からは外れており、今回はパスする。そのうち熊野市から、先程飛ばした五郷局など共々、まとめて訪問することもあるだろう。いつになるかはわからないが(編註:実際、20年近くが経過したが、未だに放置されたままである)

 上池原局の窓口氏は、「この先は、東の川ですか……。あそこは近畿唯一のオフ局だから……」と言いながら、壁の時計を振り返った。時に13時過ぎ、あと1時間半足らずである。まあ間に合うだろう、と思ったのか、窓口氏は、特にそれ以上何も言わなかった。しかし、時計を気にしたということは、14時30分までという“郵ちゃん。情報”は正しいのか。

 

 ここから東の川簡易局までの道が、最も厳しいと思っていた。

 そのため、3人の中で最も運転歴の長い筆者がハンドルを握るつもりでいたのである。が、酷道氏が車酔いを起こし、グロッキー状態に。運転するほうが酔わない、と言うので、酷道氏にバトンタッチすることになる。“酷道ドライバー”という呼称は、ここから来ていたりする。

 後になって考えると、そのまま筆者が運転していれば、恐らく「リアル・頭文字D」になっていたような気がしないでもないが、そうなれば車酔いどころの騒ぎではなかったかも知れない。

 

 車は、音杖峠で右折、国道425号線へと進む。

 池原ダム、そして坂本ダムのダム湖に沿って進む道である。相当に細く、曲がりくねっているだけでなく、落石も多いが、対向車は皆無である。しかし、恐ろしくカーブが多いため、スピードを出す訳にもいかず(筆者が運転していたら、頭文字D……以下略、いや自粛)、地図で見るよりも倍以上の距離に感じる。

 ここまで、ずっと快晴だったのだが、次第に雲が多く、しかも低くなってきた。そのうち雨が降るかも知れない、と思いながら、少しずつ慎重に進んでいたその時、信じられない事態に陥った……。

 

     ~ 通行止(時間規制) ~

       迂回路はありません

 

 何ということだ。この先の路盤が崩落し、しかも頭上の山が不安定な状態らしく、発破作業をしているのだと言う。

 そして、12時30分から15時までは通行止めなのであった。

 時に13時20分……万事休す……!

 

 時計を気にした上池原局の窓口氏も、この時間規制情報は持ち合わせていなかったらしい。

 それにしても、短い営業時間に時間通行規制と、事前情報がないと辿り着くことすら困難な局とは、何という難関であろうか。100円テーリング愛好家の中で、伝説のように語られる郵便局は、その伝説にふさわしい難関を数多く設けているのか。まったくアドベンチャーゲームのような波乱万丈の100円テーリングになってしまった。

 しかし、そんな悠長なことを言って感心している場合ではない。最早、目前に「GAME OVER」の文字が突き付けられようとしているのだ。

 

 暫し、呆然と通行止看板の前に停止、車から降りてみた。

 工事のおっさんがいたので、どこまでが通行止か訊く。と、いうのも、東の川簡易局への入口より向こうの尾鷲市側まで通行止なら、そちら側から回ったにしろ行き着かなかった筈であり、少しは諦めも付く。

 しかし、工事のおっさん曰く、少し先のトンネルを抜けた所までだとのこと。おっさんが指差した所まで、歩いたところでざっと5分もかかるまい。勿論、歩きも通行止めだし、その先の交通手段もない訳で、全く意味はない。車でも40分はかかりそうな道を歩いても、いや、箱根駅伝ランナー並のスピードで走ったとしても、到底間に合うとは思えない。

 実はここまで、何度も片側交互通行などを青信号で快調に抜けてきたのだが、最後の最後に落とし穴に嵌った気がした。まさに「目の前が真っ暗になる」という表現は、こういうことか、と痛感した。

 折角、3人とも休暇を取り、酷道氏などは新幹線に乗るためにタクシーまで使ったのに、それがすべて無駄に終わってしまうのか……。

 

 魂が抜けたようになっている我々を見かねたのか、工事のおっさんは、無線で現場と連絡を取ったらしく、「上から石とか落ちてきて、車がへっこんだりしても知らんよ。それでも良ければ、行け」と、車止めを外したのだ。

 「それでも良ければ、逝け」と、脳内誤変換しそうだが、この際、背に腹は代えられない。車はレンタカーなので、少しくらいへこんだところで、自走できれば20K円のNOCを払えば済む。3人で割れば7K円弱、1日の休暇や、ここまでの経費を考えれば、決して高くはない。

 暫くはおっさんの先導で進み、トンネルを抜けた所で単独走行となる。しかし、路盤は崩落寸前、陥没箇所も落石も無数にあり、完全にオフロード、またはそれ以下の状態であった。ここで「頭文字D」な走りをすると、あっという間に北山川の藻屑になってしまいそうだ(もうええっちゅーねん)。流石にこれでは通行止も仕方ないかとは思った。

 通行止区間の終わり、即ち尾鷲側からの停止場所にいた工事のおっさんは、来る筈のない車が出てきたので驚いて「危ないでぇ~っ」と言うが、通り抜けてしまえばこちらのものである。

 

 それにしても、よく無事に通過できたものである。

 100円玉友の会の筆頭総務(会長)の(自称)異名である“瀬戸際の魔術師”という言葉がぴったり来る。

 これは、もしかすると(長年消息不明、というか音信不通)の“瀬戸際の魔術師”氏の御加護ではなかろうか、……などと書くと、宗教じみてくるが、100円玉友の会は宗教団体ではない。

 

 しかし、雲行きも更に怪しくなり、小雨も降り始めた。

 もしかしたら、また通行止とかあるのではなかろうか、という一抹の不安が拡がる。

 が、下北山村から吉野郡上北山村に入り、暫く走ると道端に「←東の川局」という立て看板があった。ここは、坂本ダムの上を渡り、上北山村役場のある集落へと抜ける林道との合流点で、この林道を抜けてきた人のために立てているのだろうか。

 この林道、四輪の自動車での通過は極めて難しそうで、だからこそ先刻の通行止に「迂回路はありません」とあったのであろう。ただし、自動二輪などなら抜けられなくもなさそうで、ツーリングマップなどには掲載されている。とは言え、表現を見ると、かなりの上級者向けのようである。

 

 暫く走り、赤い吊り橋が見えてきた。これが“出合橋”で、この橋を渡った所で左に曲がれば、東の川簡易局のほうに行く。

 天気も回復し、晴れ間も見えてきた。もう、すぐそこまで来たのだ。

 

 出合橋を渡った分岐点にも、「←東の川局」の看板があり、「1.5km」と手書きで添えられていた。

 ここまで全く民家もなく、人の生活の気配すらないのだが、誰のために立てた看板なのだろう。

 もうマニア向けとしか言いようがない。

 

 しかし、事前情報によると、東の川簡易郵便局は、上北山村役場の受託で、局員はマニア客を快く思っていない、という話を聞いたことがある。それとこの看板の趣旨は、些か合致していない気がする。

 マニア以外の国道425号線を通る客にアピールするにしても、この国道、恐ろしいほどに通行量が少なく、我々も結局、尾鷲まで一度も工事車両以外の一般車両とはすれ違わなかったのである。後で見たツーリングマップにも「街灯も自販機もない“忘却国道”」とまでの表現をされているのだ。

 マニアと地元民以外、誰が通り、誰が看板を見るのだろうか。

 仮に一般の人が見て、普通の郵便局かと思い、寄ったとしても、オフライン局であるため、色々な意味で支障があろう。しかも営業時間も短いので、尚更である。

 

 とにかく、出合橋を渡って、左折。更に細い道を慎重に進む。

 陥没や落石がとてつもなく多く、いつ崖から落ちても不思議ではないような道である。途中に建物も幾つかあったが、全て廃屋で、人の気配など全く感じられない。

 本当に、この奥に郵便局などあるのだろうか、と不安にさえなってくるのだ。

 

 (つづく)