細心は大事だが、あまり小さなことに引っ掛っていては、
大事なことを見落としかねないし、前には進めない。
小さなことに引っ掛るのは、そこには何かしら我が働いている。
小さな我を破って、大きな我を開きたものだ。
ただそれには特別な方法があるわけでもなく、
日々の心の葛藤を制していくしか他に方法はない。
身体を鍛えるために「プールへ行こう、行こう」と思いながら、
6年以上が過ぎてしまっている。
ただこの夏は次男が「泳げるようになった」とのことから、
ようやく念願のプールへ行くことになった。
なかなか思いだけでは行けないもので、きっかけが必要である。
とはいえ、「行った」といっても泳げるわけでない。
次男の付き添いである。
確かにクロールができるようにはなっているが、まだ危い。
足がバシャバシャとしているので、
真っ直ぐ伸ばすように指導したが、ほとんど聞いていない。
教えてほしいのではなく、見てほしいのだ。
まぁ、私が泳げるようになったのは小5だから、まだ早い方だ。
それに、当時は同じような泳ぎ方だったに違いない。
教えていると、泳ぎ方なんでどうでもよいと思いえてきた。
ただ、いつくかの難点の原因は水が怖いからではないか。
つまり身体が固いのだ。そこで仰向けに浮くことを教えてみた。
浮けると楽しい(違う世界)ようで、だいぶ力が抜けた感だ。
早々に泳ぎ方がよくなるものではないが、わずかに前進した。
サッカーの翼くんではないが「水はお友だち!」ことが全て。
そういえば、夏の思い出といえば川遊びである。
けして「泳いだ」のではなく「遊び」である。
だから、泳げるようになったのは遅かったのかもしれない。
ただ地上と川とは別世界、川底もそうだが、それ以上に
川面に浮いて空を見上げた記憶は視覚と聴覚に焼き付いている。
水泳選手になるなら別だが、次男にも水と楽しめる
心と技を身に付けてくれればいい。そう思った。
ちなみに川では2~3度溺れかけたが、それでも楽しい。
自然はいつも危険との表裏というよりは、
生死が自然そのものの姿であろう。
今日も一匹の蝉の声が止んで、ベランダに転がってきた。
大事なことを見落としかねないし、前には進めない。
小さなことに引っ掛るのは、そこには何かしら我が働いている。
小さな我を破って、大きな我を開きたものだ。
ただそれには特別な方法があるわけでもなく、
日々の心の葛藤を制していくしか他に方法はない。
身体を鍛えるために「プールへ行こう、行こう」と思いながら、
6年以上が過ぎてしまっている。
ただこの夏は次男が「泳げるようになった」とのことから、
ようやく念願のプールへ行くことになった。
なかなか思いだけでは行けないもので、きっかけが必要である。
とはいえ、「行った」といっても泳げるわけでない。
次男の付き添いである。
確かにクロールができるようにはなっているが、まだ危い。
足がバシャバシャとしているので、
真っ直ぐ伸ばすように指導したが、ほとんど聞いていない。
教えてほしいのではなく、見てほしいのだ。
まぁ、私が泳げるようになったのは小5だから、まだ早い方だ。
それに、当時は同じような泳ぎ方だったに違いない。
教えていると、泳ぎ方なんでどうでもよいと思いえてきた。
ただ、いつくかの難点の原因は水が怖いからではないか。
つまり身体が固いのだ。そこで仰向けに浮くことを教えてみた。
浮けると楽しい(違う世界)ようで、だいぶ力が抜けた感だ。
早々に泳ぎ方がよくなるものではないが、わずかに前進した。
サッカーの翼くんではないが「水はお友だち!」ことが全て。
そういえば、夏の思い出といえば川遊びである。
けして「泳いだ」のではなく「遊び」である。
だから、泳げるようになったのは遅かったのかもしれない。
ただ地上と川とは別世界、川底もそうだが、それ以上に
川面に浮いて空を見上げた記憶は視覚と聴覚に焼き付いている。
水泳選手になるなら別だが、次男にも水と楽しめる
心と技を身に付けてくれればいい。そう思った。
ちなみに川では2~3度溺れかけたが、それでも楽しい。
自然はいつも危険との表裏というよりは、
生死が自然そのものの姿であろう。
今日も一匹の蝉の声が止んで、ベランダに転がってきた。