8月は半ば過ぎから、色々なことがドッと押し寄せてきた感。
大変にお世話になった叔母さんが、あっという間に逝った。
脳梗塞で倒れてから、復調・退調をくり返し、「ここ数年か」と
覚悟はしていたものの、「出ずる息は入る息を待たず」である。
お世話になる一方で、何の恩返しもできていなかったから、
せめともと慣れない手続きをして約6カ月近くかけ
成年後見人となってからは、年3~4回帰郷して様子をみつつ
実家の管理をはじめて、ようやく落ち着いてきたところだった。
色々なことを整理しつつ、実家のことを把握してきた。
倒れる前に、叔母さんが「ちゃんと引き継がないとね」と、
いっていたことを思い出すと、これで少しは恩返しできたとも。
急なことと、そして親戚づきあいが少なかったこともあり、
(何でも叔母さんが一人で抱え込んでやっていたこともある)
葬儀・告別式、火葬と近しい親戚だけでとりおこなった。
小学生以来だろうか、通夜を隣に寝て一晩明かした。
お骨を拾うと、いかに叔母さんが小さかったかよくわかる。
脳梗塞のゆえか、頭蓋骨は少々変色していた。
たた、見事にのど仏はかたちを止めていた。
あのままではけして帰宅できなかったであろう自宅に、
ようやくお骨として戻ってくることができた。
何か不思議な感じだ。
私のわがままでもあるが、今回は戒名はいただかなかった。
名前のそのままで逝く方がいい、そう思ったのだ。
死後にみつけた小さな手帳の最後に、
小さな新聞の切り抜きが貼られていた。
「葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のために
煩わさるべからず」と。
「一つ種は一つ種別の種は別の種」といわれるが、
親しい人、縁の深い人は、亡くなってもまた必ず
同じところに生まれてくるというものである。
私も読経した。近所の親しい方々にも参っていただいた。
「三つの綱は今生において切れた。五つの障りもすでに晴れたであろう。心の仏性の月は曇りがなく、身についた罪障の垢は消え果てた。あなたは即身の仏である。まことに尊いことである」と、叔母を思う。きって天上で歓んでいるに違いない。