「漆千杯に蟹の足一つ」というが、
千杯もの漆が並々と入った桶に、たった一つの蟹足を入れると、
黒々とした漆がいつの間にか変色していくというものだ。

「指先の/あるかなきかの青き傷/
 それにも夏は/染みて光りぬ 」との北原白秋の歌もあるが、
小さな傷が思いのほか痛むこともあれば、
場合によっては命取りとなることもある。
事の大小ではなく、その事の本質(真意)を逃さないことだ。

電車に乗って、偶々込み合っていたときに心ない対応をされた。
そんな小さなことが心に引っ掛っていると、
次にまたどこかで小さな毒心を呼ぶ。
それは連鎖しながら段々と大きくなってゆくものだ。

そんな宮部みゆきさんの小説(「名もなき毒」)もあった。
毒気が深く入れば徐々に本心は失われてゆくものだ。
その悪の連鎖をどこで断ち切るか。むずかしい問題である。

毒気に気づくこともむずかしいが、
深入すれば戻ることもむずかしくなる。
「三十六計逃げるが勝ち」で、気づいたときに逃げ出すことだ。
「逃げる」とはいっても、そうそう簡単なことではない。
いわゆる劣勢を強いられた戦で、“しんがり”を務めるようなもの。
攻めるより、退く方が格段にむずかしいのだ。
三十六計とは中国の兵法の重要な一つである。

命あってのものだね、退くに反転攻勢の思案まではむずかしい。
ただ逃げる算段とその道の確保は必須である。
敵に逃げると覚られぬよう、攻撃を加えながら準備をする。
そして整った途端に、くびすを返して一目散に逃げるのだ。
それにしても命懸けでなければなるまい。

逃げるは負けではなく、いつかまた反転攻勢のチャンスはある。
いつでもどこでも逃げ上手でありたいものだ。
ただ逃げてばかりでは逃げの効果は薄く、
それを「逃げ上手」とは呼ばない。