さてと、静岡県富士市にあります富士山かぐや姫ミュージアムの分館である富士市歴史民俗資料館のお話の続きでございます。海辺から遠からず、大きな裾野を広げる富士山の麓では、土地土地に応じてさまざまな暮らしぶりがあったわけですけれど、そんな富士市に遭って現在にも続く大きな産業と思しき製茶業と製紙業のことになるわけでして。

 

 

資料館1階の片隅には製茶に関わる昔ながらの道具類が展示されておりますが、先にも触れましたように、富士市域でお茶づくりが盛んになったのは明治になって宿場が廃止され、生業にあぶれた者のために茶園が設けられた…てなことでしたですね。愛鷹山麓から始まった開墾は、やがて富士山南麓にも広がり、「昭和30年代になってから一面に茶畑が広ま」るようになったのであると。

 

ただ、茶葉の場合は収穫しておしまいではなくして、蒸したあとに揉みながら乾燥させるという製茶の行程を経なくてはならない。これがまた、大変だったようですなあ。

 

 

ずいぶんと前になりますが、静岡県立美術館に出かけた折、美術館の手前に「やぶきた種原樹」という大きな看板が立っていて、原木が大事にされているのを見かけましたですが、この静岡を代表する「やぶきた茶」は富士山麓一帯がどうやら栽培に適していたようで、「やぶきた茶」のブランドを全国に広めることにもつながったそうでありますよ。

 

 

てなところで資料館の2階へと上がりましたが、建物の外観も個性的でしたが、内部もなかなかにユニークな構造になってますなあ。ともあれ、今度は製紙業の話に移ってまいりますが、のっけからかような説明がありましたですよ。

かつて、富士川沿いの集落では、背後に広がる山林や畑から手に入れた原料をもとに、手すき和紙が盛んに作られ、江戸時代には「駿河半紙」としてその名が広く知られていました。手すき和紙の工房で受け継がれた技術は、明治時代以降に、富士地域が「紙のまち」として発展するための礎となりました。

そうだったのですなあ。地域振興策として大規模工場の誘致を図ったら、たまたま応じたのは製紙会社だった…てなことではなくして、手すき和紙から続く伝統の上に成り立っていたのでしたか。

 

 

ただ、「駿河半紙」という呼ばれ方はかなり広域な印象で、産地は現在の静岡県内に広くまたがっておりますけれど、確かに富士川流域には取り分け産地が密集しておるような気はしますですね。

 

 

で、この後には手すき和紙作りの作業工程が、道具の展示とともに続くのですけれど、そこいらはちと端折りまして、「近代製紙の幕開け」の紹介へと進みましょう。

 

明治の世になり、宿駅制度の廃止によって仕事をなくした人びとに三椏などの栽培を奨励したのが、内田平四郎です。明治12年(1879)には、柏森貞助によって富士地域初の手すき和紙工場(鈎玄社)が設立され、明治中頃には…柏森のノウハウを取り入れた手すき和紙工場が…次々と設立されていきました。

宿場が廃止されたことが茶畑開墾につながった…とは先に見たとおりですけれど、製紙業の方もまた。結果的にもせよ、宿駅廃止が無かったら、この地域の産業はどうなっていたのであるか、と思ってしまうところではなかろうかと。

 

さりながら、手すき和紙の小工場が並ぶ富士地域の、豊富な水資源を当て込んで洋紙を製造する大企業が乗り込んでくるのですな。その名も富士製紙と。

(地元の)手すき和紙工場が軌道に乗りはじめたのと時を同じくして、東京に本社のある富士製紙会社が、富士地域に大規模な洋紙工場を次々と開業します。…大規模な工場は環境問題も同時に生み出し、第一工場が潤井川へ汚水を放流したことに対して地元住民が反発したため、排水路の新設や保証金を支払う案件も生じました。

昭和のひと頃まで田子の浦といえば「ヘドロの海」として全国的に(ありがたくない)知られようがあったわけですが、明治の頃からすでに始まっておったのでしたか。まあ、明治の頃は殖産興業で、多少(ではなかろうところですが)の人的被害には目をつぶらされても負ったでしょう、足尾鉱毒事件などに見られるように。ま、その後のことを思えば、富士製紙ばかりを悪者にするのは見方を誤るのでもありましょうけれどね。

 

なんとなれば、「大正から昭和の初期には…富士地域では地元の資本家たちによって、昭和製紙をはじめとする中小の製紙会社が数多く誕生しました」ということで、それらが田子の浦の海と無縁であったとも思われないわけで、ヘドロが大問題となってくるのは戦後の高度成長期、他の工業地帯でもすべからく公害が問題視された時期ですし。

 

 

東宝の怪獣映画ならば、いかにもヘドラなんつう化け物が出てきそうな海になってますが、その後の改善努力によって、現在の田子の浦港が穏やかな海になっていることは先に見て来たとおりでありますね。なによりなにより、です。

 

 

とまあ、製紙業のことと言いつつ、どうしてもついて回る公害の話に触れて長くなってしまいました。ですので、この歴史民俗資料館の展示の振り返りはもう一回だけ続けようかと。どうにも「懐かしいなあ」と思う展示が最後の最後に出てきてしまったものですあら、そのあたりを次回に。