たっぷりと時間をかけて富士山かぐや姫ミュージアムをひと巡りした後は、同館分館という扱いになっている歴史民俗資料館へ。何かの由緒があるのかどうか、妙に個性的な建物ではありますねえ。
難点は建物内に冷房が無いこと。訪ねたのは9月の10日、今となっては「喉元過ぎれば…」の印象ながら、まだまだ蒸し暑い日でしたので、館内では床置きの大きな扇風機が何台か、ぶんぶん唸りをあげて回ってはいるものの、なかなかに厳しい環境でしたなあ。見終えた後は目の前の駐車場脇にある自販機で買った冷たい飲料をぐびぐび飲んでしまいましたよ(笑)。
と、暑さのことはともかくも、歴史民俗資料館は「富士市に生きる人々のくらし(民俗)を中心に展示」(同館HP)するということで、本館とは差別化を図っているようすですが、まあ、要するにあちこちの地域にある歴史民俗資料館然として内容とは言えましょうかね。取り敢えずは館内を覗いてまいりましょう。
富士市域は、奥駿河湾の海岸から富士川・潤井川等が作り出したなだらかな扇状地と、富士山・愛鷹山連峰へと続く斜面の間に広がっています。 湾岸の漁村から最北の山村まで標高差800mの間に、人々はそれぞれの地に適したくらしを営んできました。(同館HP)
という具合に富士市は、ひとつところに海辺の暮らしから山村の暮らしまでさまざまな暮らしぶりが展開されてきた場所であると。まずは「ハマのくらし」から始まります。
どっかり置かれているのはシラス漁の舟、積まれているのはシラス漁に使う網ということで。富士市というか、田子の浦のあたりはシラスで有名ですものね。田子の浦港の西側には観光的に「富士山しらす街道」と銘打った一帯があるとは、先にも触れたとおりですし。
シラスは現在、この地域の漁獲量の約90%をしめています。多様な漁が見られた昭和初期までは、シラスのしめる割合は低かったものの、小規模でできる量のため操業数は多かったようです。(展示解説)
ちなみにここいらではシラスをゆでることを「にこごる」というようですな。それにしても、一点集中の漁業というのも、いったんシラスが不漁になると目も当てられないことになりますが、大きな経済の歯車に組み込まれた形なのでしょうなあ(ここのシラス漁に限った話ではありませんけれど…)。
お次は内陸部の暮らしということになるわけですが、題して「ドブッタのあるくらし」と。「ドブッタ」というのはどろどろどぶどぶの湿田のことだそうでありますよ。
これはドブッタでの田植え風景。なんとまあ、腰まで水につかっているではありませんか。富士川氾濫原とも隣接する低湿地帯で稲作を行うのは大変な重労働であったことでしょう。
愛鷹山南麓の低湿地帯・浮島ヶ原には、北から富士山や愛鷹山に降った雨が注ぎますが、南に海岸砂丘があるためそのまま海に排水されず、大雨や高潮があると一面湖のようになることがありました。…こうした浮島ヶ原も水田として開かれてきましたが、そのほとんどがドブッタと呼ばれる湿田でした。
スズメの涙のようだったかもですが、人力による排水作業も行われたようす。そこで活躍したのがこのミズグルマだそうでありますよ。オランダでは排水に風車が大活躍していましたが…。
「浮島ヶ原北側の集落では愛鷹山麓で畑作物や茶を栽培し、南側の集落は駿河湾で沿岸漁業を営んでくらしを成り立たせてき」たというのに、ドブッタの人たちは土地ガチャ(?)で割り食った…との思いでもあったでしょうか。なにしろ昭和30年代まで続いた状況だそうですのでね。
お次は「ドブッタ」の呼ばれようとは打って変わって、「タバショのくらし」。「タバショ」とは「田場所」のことだそうですが、そんな地域も先に触れた雁堤が出来た恩恵で比較的安定した農耕を営めたのでしょうなあ。それにしても、ドブッタとはあまりに違う田植えの風景ですよねえ。なにしろ「田植えは祭りみたいなもんだった」というのですから。
そして最後がより山に近い地域の「ヤマガのくらし」でありますよ。から。「富士市北部の畑作・林業地帯」を「ヤマガ」と呼ぶようですけれど、先に見た浮島ヶ原の人たちが水との闘いを強いられていたのと打って変わって、ヤマガの人たちは水を渇望していたそうなのですよね。
ヤマガは昭和30年頃からの上水道普及まで、長年水不足に苦しんできた地域でした。湧水はおろか溶岩伏流になっているため川にも水は乏しく、井戸は数少なく、「水には苦労させられた」といいます。(展示解説)
そんな場所で営まれた生業は林業とわずかの畑作、そして今にも続く製茶業ということで。富士の裾野でのお茶栽培の始まりははっきりしないようですが、「明治の初め、宿場が廃止されたことによって、収入減を失ったものが数多く、その対策のひとつとして愛鷹山西麓の開発がはじめられ、茶園などが開かれ」たということでありますよ。そういえば、歴史民俗資料館のすぐ脇にも茶畑が広がっておりましたっけ。
ということで、ひとつの市域にさまざまな暮らしのあることが紹介されておりましたな。あちこちで歴史民俗資料館の類を覗くことはあるものの、比較的山間部の地域を訪ねることが多かったせいか、語られているのはもっぱら農業、そして養蚕業で、それに比べるとひとつ地域の中でも暮らしぶりに大きな違いのあることが示されておりました。
で、この後は製茶の話が続きますけれど、この製茶と合わせ、富士市にとっては大きな産業である製紙業のことが2階展示にありますので、そのふたつを次回にまとめて振り返っておこうと思っておりますよ。








